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凡庸な男爵家次男は、誰にも好かれたくない 〜前世でモテすぎて疲れた俺、今世は静かに暮らしたいのに学院の火種ばかり見えてしまう〜

作者: 平八
掲載日:2026/05/09

短編です。

静かに暮らしたい男爵家次男が、貴族学院で人間関係の火種を見つけてしまうお話です。


【追記】

本作の連載版を開始しました。


短編版の雰囲気をそのままに、リオネルの学院生活と人間関係の火種を続けて描いています。

よろしければ、後書きの連載版リンクからお読みいただけると嬉しいです。

前世の俺は、顔が良すぎた。


自分で言うと腹立たしいが、事実だから仕方がない。


道を歩けば視線を向けられ、少し笑えば勘違いされ、丁寧に断れば泣かれ、冷たくすれば恨まれた。


女からは好意を向けられた。

男からは警戒された。

仲良くなった相手の恋人からは疑われ、何もしていないのに誰かの喧嘩の原因になった。


好かれることは、幸せなことだ。


そう言える人間は、きっと幸せなのだと思う。

俺にとって好意は、薄く張った氷の上を歩くようなものだった。


踏み込みすぎれば割れる。

離れすぎれば恨まれる。

優しくすれば期待される。

断れば傷つける。


そのうち俺は、人の視線の温度が分かるようになった。


憧れ。

執着。

嫉妬。

敵意。

独占欲。

劣等感。


それらが混ざり合った空気の中で、俺は息の仕方を忘れていった。


だから、死ぬ間際に思った。


次に生まれるなら、誰の目にも留まらない顔がいい。


そして俺は、本当にそうなった。


異世界の小さな男爵家。

アルバート男爵家の次男、リオネル・アルバート。


淡い茶色の髪。

灰色の瞳。

背丈も体格も普通。

整っていないわけではないが、振り返られるほどではない。


鏡を初めてまともに見た時、俺は泣きそうになった。


なんて素晴らしい。


普通だ。


誰にも期待されない。

誰にも奪い合われない。

誰かの恋路を壊す心配もない。


しかも、家族に恵まれた。


父は穏やかで、領民思いの地方貴族。

母は少し心配性だが優しい。

兄のエルネストは真面目で、誠実で、俺にとっては理想の跡継ぎだった。


俺は早々に決めた。

この兄を支えよう。


兄が領主になったら、俺はその補佐として書類仕事でも、交渉でも、裏方でも何でもやる。

目立たず、騒がず、平和に暮らす。


それが今世の目標だった。


なのに。


「リオネル、学院ではあまり無理をするなよ」


貴族学院へ出発する朝、兄は俺の肩に手を置いてそう言った。


「お前は昔から、人の顔色を見すぎるところがある」

「そうですか?」

「そうだ。父上と母上が喧嘩をしそうになる前に、いつもお前が茶を出して話題を変えていただろう」

「あれは偶然です」

「偶然で十年続くなら、それは才能だ」


兄は笑った。

その笑みは優しかったが、俺には少しだけ怖かった。


才能。


できれば、そう呼ばれたくないものだった。

俺が持っているのは才能ではない。

前世で身につけざるを得なかった、処世術だ。


誰の怒りが爆ぜそうか。

誰の笑顔が作り物か。

誰の好意が危うい方向へ傾き始めているか。

誰の嫉妬が、もう言葉になる寸前か。


それが見えるだけだ。

見えたところで、幸せになどなれない。

むしろ、見えないほうが楽なことのほうが多い。


「兄上、ご安心ください。俺は目立ちません。学院でも普通に過ごします」


「普通、か」


兄は少しだけ困ったように笑った。


「お前の普通は、たまに普通ではないからな」


その言葉の意味を、俺は学院入学初日に知ることになる。




貴族学院は、王都の北側にある巨大な白亜の建物だった。


各地の貴族の子弟、優秀な平民出身の奨学生、王族に連なる者たちが集まる場所。

華やかで、清潔で、上品で。


そして、ひどく面倒くさい場所だった。


入学式後の交流会。


大広間には、着飾った新入生たちが集まっていた。


誰が誰に声をかけるか。

誰が誰と同じ輪に入るか。

誰が誰を無視するか。


それだけで、見えない縄張りが作られていく。


俺は壁際でグラスを持ち、なるべく存在感を消していた。

男爵家の次男など、こういう場では背景でいい。

むしろ背景でいたい。


だが、五分もしないうちに気づいてしまった。


ああ、あそこはまずい。


広間の中央に、三人の生徒がいた。


一人は、金髪の美しい令嬢。

確か、侯爵家の令嬢であるセシリア・グランベル。


もう一人は、黒髪の少年。

周囲との距離の置かれ方から見て、平民出身の奨学生だろう。

名はたしか、ニール・ロイド。入学試験で上位だったと聞いた。


そして最後の一人。

赤みがかった髪の、背の高い男子生徒。

伯爵家嫡男、ギルバート・レイヴン。


彼の表情は笑っていた。

だが、目が笑っていない。


右手の指が、グラスの脚を強く握っている。

肩に力が入っている。

視線はニールに向いているが、意識はセシリア嬢に張り付いている。


婚約者か。

いや、正確には婚約予定者だろう。


家同士では話が進んでいるが、本人たちはまだ正式に発表されていない。

そういう微妙な空気だ。


セシリア嬢は困っていた。

ニールはそれに気づいていない。


ギルバートは気づいている。

そして、気づいていることを隠そうとしている。


一番まずい形だった。


「ロイド君だったね。君はずいぶん熱心にセシリア嬢と話すんだな」


ギルバートの声が、少しだけ大きくなる。

周囲の視線が集まり始めた。

ニールは一瞬、戸惑った顔をした。


「いえ、僕はただ、先ほど入学試験のことで質問を受けて……」


「試験のことなら教師に聞けばいい。わざわざ令嬢に長々と話しかける必要があるのか?」


空気が冷えた。

セシリア嬢の表情が固まる。


彼女がここでニールを庇えば、ギルバートの嫉妬を煽る。

黙れば、ニールを見捨てた形になる。


ニールが反論すれば、平民奨学生が伯爵家嫡男に歯向かったことになる。

謝りすぎれば、今度は彼の学院生活が最初から下に見られる。


最悪だ。


誰も得をしない。


俺はため息を飲み込んだ。

見なかったことにしたい。

正直、したかった。


だが前世からの悪癖で、火種があると指が動いてしまう。

燃え広がった後の地獄を知っているからだ。

俺はグラスを近くのテーブルに置き、三人のほうへ歩いた。


目立たないように。

あくまで偶然を装って。

相手の面子を潰さない速度で。


「失礼します」


三人がこちらを見る。


ギルバートの目に、警戒が浮かんだ。

誰だ、こいつは。

そういう目だ。


いい。

その程度の警戒なら扱いやすい。


「レイヴン様でいらっしゃいますよね」


俺は軽く頭を下げた。


「アルバート男爵家次男、リオネルと申します。先ほどのご指摘、大変勉強になりました」


「……何?」


ギルバートの眉が動く。

俺は続けた。


「貴族学院では、身分の違う者同士が学ぶ場とはいえ、やはり節度は必要です。特に令嬢に対する距離の取り方は、まだ慣れない者には難しい。レイヴン様はそこを気にかけておられたのでしょう?」


ギルバートは一瞬、言葉に詰まった。


怒りの矛先を向けるはずだった相手に、いきなり自分の行動を「配慮」として解釈されたからだ。

怒るには理由が薄くなる。

否定すれば、自分はただ嫉妬していただけだと認める形になる。

俺はさらに一歩だけ、ギルバート側に寄った。


「ロイド君も、悪気はなかったはずです。ただ、まだ貴族同士の距離感に不慣れなのでしょう。よろしければ、レイヴン様から一言、学院での振る舞いを教えて差し上げてはいかがでしょうか」


ニールの目が丸くなる。

セシリア嬢も、俺を見る。


ギルバートの立場を「嫉妬した男」から「不慣れな奨学生を指導する上位貴族」にすり替える。


それが一番、傷が浅い。

ギルバートは俺を睨んだ。

だが、その視線に先ほどの熱はない。


代わりに、考えている目になっていた。

この流れに乗るべきか。

それとも、突っぱねるべきか。


彼は馬鹿ではないらしい。

数秒の沈黙の後、ギルバートは小さく息を吐いた。


「……そうだな。ロイド、学院では身分が違っても共に学ぶ。だが、だからこそ距離の取り方は覚えておけ」


ニールはすぐに頭を下げた。


「ご指摘ありがとうございます。レイヴン様。今後は気をつけます」


その声に、余計な反発はなかった。

俺は心の中で安堵した。


賢い。

ここで悔しさを顔に出さないだけで、彼の未来はかなり守られる。


次に、俺はセシリア嬢へ視線を向けた。

彼女はまだ硬い顔をしていた。

このままでは、彼女の中に嫌悪が残る。


ギルバートに対しても。

ニールに対しても。

そして、場そのものに対しても。


俺は穏やかに笑った。


「グランベル様も、ロイド君に学びの機会を与えておられたのですね。入学初日から下位の者にも丁寧に接するお姿、さすが侯爵家の令嬢だと感服いたしました」


セシリア嬢は、わずかに目を見開いた。


これで彼女も「男二人の争いに巻き込まれた令嬢」ではなく、「奨学生に寛容に接した侯爵令嬢」になる。


彼女の傷も浅くなる。

セシリア嬢はすぐに微笑みを整えた。


「ありがとうございます、アルバート様。わたくしも、少し距離が近くなりすぎていたかもしれませんわ。レイヴン様、ご指摘に感謝いたします」


完璧だった。


ギルバートの目元から、最後の棘が抜ける。

セシリア嬢が人前で自分に感謝した。

それだけで彼の面子は守られる。


ニールは潰されない。

セシリア嬢は孤立しない。

ギルバートは嫉妬男として笑われない。


火は消えた。

俺は静かに頭を下げる。


「では、私はこれで」


よし。

撤退だ。

一刻も早く壁際へ戻ろう。


俺はそう思った。

だが、背後から声がかかった。


「アルバート」


ギルバートだった。

振り返ると、彼は先ほどよりもずっと落ち着いた顔をしていた。


「少し、話せるか」


嫌な予感がした。

非常に嫌な予感がした。

だが、断り方を間違えるとまた火種になる。


俺は微笑んだ。


「もちろんです」


広間の端、柱の影。

ギルバートはしばらく黙っていた。

俺も黙っていた。


沈黙は嫌いではない。

相手が言葉を探している時に急かすと、たいてい余計に拗れる。


やがて彼は、低い声で言った。


「俺は、醜かったか」


予想よりも真っ直ぐな言葉だった。

俺は少しだけ彼を見る目を変えた。

これは、いい男になるかもしれない。


「嫉妬は、誰にでもあります」


「慰めはいらない」


「慰めではありません。事実です」


俺は言った。


「ただ、それを人前で爆発させると、自分だけでなく、守りたい相手の立場も傷つけます」


ギルバートの顔が歪んだ。

図星だったのだろう。


「……俺は、セシリアにふさわしくないと思われるのが怖かった」


「はい」


「ロイドは成績も良く、教師からも目をかけられている。平民だが、堂々としていた。セシリアが楽しそうに話しているのを見て、腹が立った」


「はい」


「お前、否定しないのか」


「否定してほしいのですか?」


ギルバートは黙った。

俺は続けた。


「嫉妬したこと自体は、悪ではありません。問題は、その処理の仕方です。相手を下げて自分を保つと、次からもっと苦しくなります」


前世で、何度も見た。


嫉妬に呑まれた男。

好意に呑まれた女。

劣等感を隠すために誰かを攻撃する人間。


彼らは最初から悪人だったわけではない。

ただ、自分の感情の置き場を知らなかっただけだ。


「では、どうすればよかった」


ギルバートは悔しそうに聞いた。

俺は少し考えた。


「セシリア様に、後で二人きりの時に聞けばよかったのです」


「何を」


「楽しそうに見えたが、何を話していたのか、と」


「そんなことを聞けば、器が小さいと思われる」


「言い方次第です」


俺は肩をすくめた。


「責めるように聞けば、器が小さく見えます。興味があるように聞けば、彼女の話を聞きたい男に見えます」


ギルバートは目を見開いた。


「……なるほど」


本当に素直な男だ。

貴族としてはやや危ういが、人としては悪くない。

俺は少しだけ笑った。


「レイヴン様は、セシリア様を大切に思っているのでしょう」


「当然だ」


「なら、彼女が人前で困る形にしないことです。守るとは、相手を囲い込むことではありません。相手が堂々と立てる場所を残すことです」


ギルバートは、しばらく何も言わなかった。

やがて彼は、深く息を吐いた。


「アルバート」


「はい」


「お前、男爵家の次男だったな」


「はい」


「その割に、ずいぶん偉そうだ」


やってしまった。


俺は内心で頭を抱えた。


まずい。

調子に乗りすぎたか。


しかし、ギルバートは口元を少しだけ緩めた。


「だが、不思議と腹は立たない」


「それは何よりです」


「今度、茶に付き合え」


「……茶、ですか」


「ああ。俺はお前に、いくつか聞きたいことができた」


避けたい。

全力で避けたい。


伯爵家嫡男と親しくなっても、俺には何の得もない。

むしろ目立つ。


だが、ここで露骨に拒絶すれば、今度は別の火種になる。

俺は前世から何も学んでいないのかもしれない。


「機会があれば、ぜひ」


曖昧に逃げる。

これが社交の基本である。

そう思っていたのに、背後から涼やかな声がした。


「その“機会があれば”は、断る時の言い方ですわね」


俺は振り返った。

そこにいたのは、セシリア・グランベル侯爵令嬢だった。

いつの間に。


ギルバートも少し驚いた顔をしている。

セシリア嬢は俺をじっと見ていた。

先ほどの柔らかな令嬢の顔ではない。


観察する目だ。

まずい。

このタイプはまずい。


「アルバート様」


「はい」


「先ほどは助けていただき、ありがとうございました」


「いえ、私は何も」


「何もしていない方は、あの場の全員の立場を同時に守ったりしません」


やはり、見られていた。

セシリア嬢は微笑んだ。


「わたくしは、少し怖くなりました」


「怖い、ですか」


「ええ。あなたは、誰の味方をしたわけでもない。けれど、誰も傷つかない場所へ話を運んだ」


彼女は一歩、近づいた。


「まるで、何度も何度も、人の感情が壊れる場面を見てきた人のようでした」


胸の奥が、冷えた。

前世の記憶が、一瞬だけよみがえる。


泣きながら縋る女。

拳を握りしめる男。

優しくしただけなのに、勝手に期待され、勝手に失望された日々。


俺は表情を変えないようにした。


「買いかぶりです」


「そうでしょうか」


セシリア嬢は、なおも俺を見ている。


「あなたは、人をよく見ている。でも、人に見られることには慣れていないのですね」


やめてくれ。

そう思った。


その言葉は、少し深く刺さりすぎる。

ギルバートが怪訝な顔をした。


「セシリア?」


彼女はそこで表情を戻した。


「失礼いたしました。アルバート様、今日のことは覚えておきます」


覚えなくていい。

本当に覚えなくていい。

俺は穏やかに微笑んだ。


「私は、ただ場を荒立てたくなかっただけです」


「ええ。そういうことにしておきますわ」


セシリア嬢は優雅に礼をして、広間へ戻っていった。

ギルバートも少し遅れて彼女を追う。

去り際、彼は俺を振り返った。


「アルバート。茶の件、忘れるなよ」


忘れたい。

心から忘れたい。


俺は一人、柱の影に残された。


入学初日。


まだ授業も始まっていない。

友人を作るつもりもなかった。

目立つつもりなど、欠片もなかった。


それなのに、なぜだろう。

広間の向こうで、何人かの生徒がこちらを見ている。


ニール・ロイドは、感謝と尊敬の混ざった目で。

ギルバート・レイヴンは、妙な興味を含んだ目で。

セシリア・グランベルは、何かを見透かすような目で。


俺は静かに天井を仰いだ。


今世の俺は凡庸だ。


顔も、家柄も、才能も、目立つほどではない。

そのはずだった。


ただ少しだけ、人の感情の火種が見える。


ただ少しだけ、それを消す方法を知っている。


ただ少しだけ、誰かの面子を守りながら場を整えることに慣れている。


それだけだ。

それだけなのに。


翌日から、俺の席にはなぜか相談事が持ち込まれるようになった。


婚約者との会話に悩む男子生徒。

派閥の誘いを断れない令嬢。

平民出身で貴族の空気に怯える奨学生。

弟と比べられて苛立つ嫡男。

笑顔の裏で泣きそうな少女。


俺は誰にも好かれたくなかった。

誰にも頼られたくなかった。

誰の人生にも深く関わらず、兄を支えて、領地で静かに暮らしたかった。


なのに今日も、誰かが俺の前に座る。


そして、こう言うのだ。


「アルバート様、少しだけ相談してもよろしいでしょうか」


俺はそのたびに思う。

人間関係から逃げるために、凡庸な顔に生まれたはずなのに。

どうやら神様は、俺に顔ではなく、別の厄介なものを残していったらしい。

俺は小さく息を吐き、今日も微笑む。


「もちろんです。私でよければ」


本当は、よくない。


よくないのだが。


火種が見えてしまった以上、放っておけない自分が一番面倒くさい。


こうして俺の静かな学院生活は、入学初日から静かに終わった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


ありがたいことに本作の反応をいただけましたので、連載版を開始しました。


連載版では、この短編を第1話相当として再構成し、リオネルの貴族学院での続きを描いています。


静かに暮らしたいのに、人間関係の火種ばかり見つけてしまう男爵家次男。

そんなリオネルが、伯爵家嫡男、侯爵令嬢、平民奨学生、上級生たちに少しずつ見つかっていく物語です。


続きが気になりましたら、ぜひ連載版も読んでいただけると嬉しいです。


連載版はこちら:

【https://ncode.syosetu.com/n1422me/】


逃げたいのに逃げきれないリオネルを、ブックマークや評価で見守っていただけますと励みになります。

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