「大きな願いには、大きな犠伴が伴う。」
— やっとできた…… — 額の汗を拭いながら、呟いた。
— 一回できただけだろ? それがただの運だったって保証はどこにある? せめて10本中3本は隅に決めろよ — アーサーをプロフェッショナルな口調で叱咤するコーチ。
アーサーは再びボールをエリア外に置き、セットプレーの準備をする。蹴った瞬間——またゴール中央。
コーチの言う通りだった。一回は運。
本物の試合じゃ、そんな運はそう簡単には来ない。
数時間後。
夕食を終えたアーサーは自室に閉じこもり、スマホで適当な試合を見ていた。
ボルシア・ドルトムント対バイエル04レヴァークーゼン。ブンデスリーガ1部の試合。
ドルトムントの選手が驚異的なプレーを見せる。
背中をゴールに向けてボールを受け、背後にレヴァークーゼンのDFがいるのにコントロールせず、
微妙なタッチでボールを後ろに逸らし、DFの上を越える軌道を描く。
そこにフリーになったFWが現れ、ヘッドで決めた。
アーサーは呆然とした。
どうして?
ただの素晴らしいゴールじゃない。明らかに一流のチームの、質の高い連携。
頭が良すぎる。ピンチの中で創造的で賢い。
それに最大の疑問——どうして?
どうやってFWがそこにいるって分かったんだ?
どうしてあんなに息が合ってる?
何時間考えても理解できないプレーだ。
試合終了のホイッスルが鳴り、スマホを消してベッドに横になる。
明日はずっと長い一日になる。
翌朝。
早起きしたアーサーが部屋を出ると、母が悲しげな表情で立っていた。
温かい声だけど、明らかに沈んでいる。
「アート、おはよう……愛しい子……」
普通に振る舞おうとしているが、声が固い。
「おはよう、ママ」
アーサーは平静を装うが、視線を落とさずにはいられなかった。
アルマンはもう仕事に出たはず。アリアはまだ寝ている。
緊張したまま朝食を済ませ、約2時間後。
タクシーが30分後に来る。
悲しいことに、父には会えずに別れることになる。
階段を下り、母に別れを告げようとする。
「じゃあ……ママ……行かなきゃ……」
声が震える。
シルヴィアはもう我慢できなかった。
一瞬で距離を詰め、息子を強く抱きしめ、そこで堰を切ったように泣き出した。
「アート……私の子……お願い、気をつけて……すごく寂しくなるわ……」
嗚咽しながら、頭を撫で続ける。
アーサーは涙を堪えようとする。
温かく守ってくれる母がこんなに泣いている姿を見るのは辛すぎる。
なんとか堪えて、震える声で。
「大丈夫だよ、ママ……ちゃんと自分を大事にするから……お願い、泣かないで……」
数時間後、夕方。
港に着いたアーサーはスーツケースを引きながら、フェリーの出発時間を確認する。
21時頃出発。
港の椅子に座り、スマホを見ると、母からのメッセージ。
別れの言葉と、連絡を絶やさないでという願い。
アルマンからも一通。
「アーサー、母さんと連絡を取れ。母さんはお前が無事だと分からないと眠れない」
4日後……
ミュンヘン行きの列車から降りたアーサーは、駅で予定されていたガイドと出会う。
短い金髪に茶色の目をした少女、アンヤ。
「ハロー、ビストゥ アルトゥール・ソコロフ?」
アーサーは何も理解できない。ドイツ語が分からない。
「え……もう一回言ってもらえる?」
アンヤはすぐに察し、ヘッドホンを差し出す。
「これ耳につけて。リアルタイムで全部翻訳してくれるから」
英語でそう言われ、アーサーは頷いて装着する。
これで会話ができる。
ミュンヘンの街をアンヤに導かれながら歩く。
街はそれなりに美しい。
「君が行く教育センターの名前は『IASPH』。正式名称はInternational Advanced Soccer and Psychology Highschool。
スポーツ、特にサッカーと心理学に特化した施設だよ。
校舎が巨大だから、クラスはZからAまであって、自動的に割り振られる。
君は成績と経歴から1Zクラスだね。話すことはそれだけ」
アーサーは情報を飲み込み、不安げに尋ねる。
「一番下のクラスって……悪いこと?」
アンヤは振り返り、プロフェッショナルに冷静に答える。
「技術的にはそう。卒業しても就職先や——君の場合はサッカー関連のオファーがほとんど来ない。
上に行くほどいい。平均を取るシステムだから、最初の3年間がD〜Zでも、最後の年がAなら興味を持たれる可能性はあるけど……
本当に大事なのは3年目だ。分かった?」
アーサーは頷く。
数分後、到着。
巨大な施設。
アンヤに丁寧に別れを告げ、1Zの教室へ。
入ると、まず目に入ったのは教師だろう。
黒髪に紫の瞳。印象的だ。
「おはよう、アルトゥール・ソコロフ。席に着いて。今日はみんなの初日だから」
アーサーは丁寧に頷き、窓際の席に座る。
隣の席に座ったのは——巨体。
黒髪の少年が微笑むが、アーサーはそれが作り物の笑みだと感じた。
血のような赤い目。
座った視点からでも、190cmは軽く超えている。
「おはよう」
赤い目の少年が言う。
「俺はソニー、スペインから。君は?」
好奇心を装っているが、明らかに偽物だ。
アーサーは魂まで見透かされているような視線に震えながら答える。
「アーサー……ロシアから」
平静を装うが、声が震えてしまう。
ソニーは興味深そうに頷く。
「先生、なんか変じゃない? 俺たちを生徒じゃなくて……実験動物みたいに見てる気がする」
前方の列に座る金髪碧眼の少女が手を挙げ、愛想のいい笑顔を浮かべて言う。
「メリー先生、みんなで自己紹介してもいいですか?」
教室のざわめきが一瞬で止まる。
ほとんどの視線が教師に集まる。
「確かにね。最初は誰がしたい?」
感情のない平坦な声。
「僕が」
後ろの席から金髪茶色の少年が手を挙げ、立ち上がる。
「カールって言います。アメリカから。センターバックです」
自信たっぷりに、誇らしげに。
メリーは頷き、次に黒髪に濃い青の目の少年を指す。
彼は緊張なく立ち上がり、言う。
「ヴァート、日本から。サッカー選手になるのが夢です。よろしく」
そう言って静かに座る。
他の生徒たちも次々と自己紹介を始める。
「オリバー、フランスから。センターバックを目指してる。よろしく」
少し筋肉質で、紫がかった暗い髪の、巻き毛の少年。
「ソニー、スペインから」
ソニーは平坦な声で、笑顔を浮かべて座る。
「ケルミン、ドイツから。Ein Vergnügen, meine Damen」
短い金髪の少年が傲慢な笑みを浮かべ、劇的に座る。
「アリス、イングランドから。よろしくね」
一番前の列の少女が優しく微笑む。
自己紹介は続いていく。
メリーが説明を続ける。
「ここには二種類の生徒がいる。普通の生徒とスポーツ生徒。
スポーツ生徒は勉強よりスポーツ優先。でも成績はもちろん大事。
彼らはスポーツのために来てる。普通の生徒は……普通の生徒ね。
クラスのキャプテンはタルミ」
全員が緑髪に茶色の目の少年を見る。
無表情で、自己紹介も最小限だった。冷たい。
メリーは淡々と続ける。
「タルミがスタメンと控えを選ぶ。だから文句があるなら私じゃなくて彼に。
最初のスタメンだけはタルミが決める。それ以降のフォーメーションや交代は私がやる。
だからスタメンを勝ち取るために戦え」
平坦で冷たい口調。
アーサーは強い緊張を感じた。
スタメンに入れるだろうか。
試合で目立てるだろうか。




