【#4】捨て身
「……それで、任意の物体1gを1秒間操作するのに必要な魔力を1マジェヴと定める。単位は Mvだ。つまり、Wgの物体をs秒間操作する時に消費する魔力は、Wsと表せる。これで───」
エーシェ先生の″開戦の合図″が響き渡る少し前、ホールィはここ一帯に存在する魔法塾の1つ、ホーシー魔法塾で念力学の講義を受けていた。
学校の勉強だけじゃ、魔法を自在に操り、ヒューマンを助けることはできない。そう考える者達が、あるいはそう考える小屋を持つ者達が、こういった魔法塾に集う。そして、自分の専攻する魔法、あるいは専攻していない魔法を予習もしくは復習する。
ホールィもその1人だった。彼女ホーシー先生から見て5本ある列の左から2番目の、一番前の席に座っている。それにもかかわらずあまり当てられないのは、ちょっと年齢が高めのホーシー先生がホールィという名前を発音しづらいからだろう。
「ごめん、ホールィさん……」
すると、ホールィの左隣から声がした。少し低く、それでいて優しい声だった。ホールィの体が少し緊張した。
「ここさ、先生、なんて言ってたっけ……」
左を向くと、黒い髪の、整った顔立ちの少年が、ホールィを見ていた。それでさらにホールィの体が固まった。だめだ。ちゃんと話そうとしても……緊張してしまう。
その少年の名前はモーリスといった。同じクラスで、教室では席が離れているが、塾では席が隣だ。
これが、ホールィにとって何より良かった。教室で常に見ているからわかる。ホールィの目には、彼はロキやソイェンといった他の男子よりも一際輝いて見えた。医者の息子で、顔もよくて、でもそれをおごることのないその仕草。たった36歳でこんな感情を抱くのは世間一般には変なのかもしれないが、ホールィは、いつの間にかモーリスに……好意を抱いていた。
「大丈夫?」
「あ、えっと、そう、ここの空欄は、確か、『イェルムの法則』だった気が……!」
「そうか。ありがとう」
「あ、あと、『イェルムの法則』は、物体を変化させる時に使用する魔力は移動する時に使う魔力の10分の1になるってやつ……」
「うん。ありがとう」
そう言ってモーリスはまた正面を向いた。
(バカバカバカ……! 何やってんだ私! 今のは言うべきじゃなかった……うるさい女だと思われたかも……!)
それから、ホールィはそんな風に苦悶して講義を受けることになった。
ホーシー魔法塾には、17年8組の生徒が5人いる。1人目と2人目はもちろんホールィとモーリスだ。
3人目は、先生から見て一番右の列の後ろから2番目に座っている、17年8組の出席番号1番のアルネリアだ。薄い桃色の髪をセミロングにして、右耳の上の髪をかわいらしい黄色のヘアピンでとめている。一見真面目そうに見えるが、実はかなり乙女な一面があって、ホールィと同じくモーリスが好き。それも、どうしようもないくらい。だからホールィはアルネリアを少しだけ敵視している。本当に少しだけ、だが。
4人目は、真ん中の列の前から3番目、つまりモーリスの2個後ろの席に座っているハイドだ。とにかく爆発とかそういう派手な魔法が好きな少女で、念力学の講義はあまりおもしろく感じていないようだ。親に言われてこの塾に来ているらしく、サボることもよくある。ホールィがハイドの方に振り返ると、頬杖をついているのが見えた。
5人目は、先生から見て一番左の一番後ろに座っているレイだ。黄緑色の髪をショートカットにしているちょっとボーイッシュな少女で、一人称も「ボク」と言う。今年同じクラスになるまでは、そんな人小説の中にしかいないと思っていたが、やはり世界は広い。
そして───レイは同時に、魔法の実力はクラス1位の成績を誇っている。座学は苦手らしいが、実技ではベレイやシェーリス、アロウといった猛者を抑える力を持つ。何でそんなにできるのか、と訊いても、こんな答えしか返ってこない。
「う~ん、ボクにはわからないや。適当にやったらなんかできたって感じ。逆に意識するとできなくなる……のかな?」
あまりピンとこなかったものの、ホールィはそれで納得することにした。まあ、モーリスとよく話している男子の1人であるアロウも同じことを言いそうだが。あの生意気な後輩みたいな口調で。
「じゃあ、今から問題演習の時間だ。問1から問4までを解いてほしい。10分後に答え合わせを───」
その時だった。
『皆様、日々のご鍛錬、お疲れ様です』
突如、頭に女性の声が響いた。
すぐに周囲を見渡す。隣のモーリスが目を丸くしているのが見えた。後ろを見ても、アルネリアも、ハイドも、さらに他のクラスの人たちでさえ、何が起きたと言わんばかりに周囲を見渡していた。アルネリアとは目が合って、ホールィに頭を指さして首をかしげる動作をした。ホールィが両手で″わからない″と言わんばかりに手を広げてみると、アルネリアも同じように両手を広げて、目を離した。ただ、レイだけが、何だろうといった感じで、ぼんやりと一点を見つめていた。
『突然のテレパシー、申し訳ありません。皆様には、とあるチャンスを与えようと思います』
『皆様、魔法を専攻しておりますよね? 念力学、回復学、状態変化学……』
『その魔法を使って、クラスメイトを全員殺してください』
「……え?」
隣のモーリスから声が漏れた。だが、それはホールィには聞こえていなかったのかもしれない。
今……エーシェ先生は、何と言った? クラスメイトを殺せ、と?
嘘だと思った。でも本当だと認めざるを得なかった。ホールィの頭にエーシェ先生の声が残っていたからだ。それが広い部屋で叫んだときのように、脳全体にエコーする。全員を殺してください。殺してください。殺してください。
『そうすれば、卒業を待たず、一人前の魔道士もしくは魔女にしてさしあげます』
再びエーシェ先生の声が脳内に響き渡った。頭が痺れるような感じがした。
ホールィは首をぶんぶんと横に振った。あってはならない。そんなことあってはならない。
しかし、淡々と説明は続けられた。
◆◆◆◆◆
『それでは、皆様のご健闘をお祈りしております』
やがて全ての説明が終わり、静寂が戻ってきた。ざっと3分くらいだったのだろうが、何時間にも感じられた。
ホールィの頬を冷や汗のようなものが通過した。このことを他の人たちに伝えたら、死ぬ。
ホールィは目の前で教材に目を落としているホーシー先生を見た。こんなに近くにいるのに、危機を伝えられない。ホールィは絶望的な気持ちになった。
「何なの……何なのこれ!」
「一体どうなってるの……」
すると周りから口々に声が上がった。全員がクラスメイトではない生徒だった。どうやら他のクラスの人たちにも声は行き渡っているらしい。ホーシー先生はというと、生徒たちの異変には気がついたものの、ただそれを見ているだけだった。
すると。
「ホールィさん……」
すると、左隣からまたしても少し低い声がした。見ると、モーリスが顔を青くしてホールィを見ていた。
「俺……ちょっと試してみても、いい、かな?」
「……え?」
言い終えてから、モーリスががくがくと震え出すのがわかった。
「成功すれば、みんな無事に終わる……」
そう言うとモーリスは、ホーシー先生の方へ歩いていった。そしてしばらく向かい合っていたかと思うと、膝をついてうずくまってしまった。顔は見えなかった。
「え……?」
ホールィは何が起こっているのかわからなかった。ただ、ぐったりと下を向いてかがみ込んでいるモーリスの姿しか映っていなかった。喧騒で何を喋っているのかまではわからなかったが、目の前のホーシー先生は、そんなモーリスの体を抱きかかえ、必死に揺さぶっていた。
目の前の状況を理解するのに、随分と長い時間を要した。そして、その時、先生がコール管(先端がラッパのようになっているパイプ。壁や地中に張り巡らされたそれはいろいろな場所に繋がっており、これに声を伝えたい場所を念じれば振動が伝わり、そこと繋がる。あとは声を送ればいい)の方に慌てて走っていくのを見て、ようやく理解した。
モーリスは、他の人にこのことを伝えたら死ぬ、ということをわかっていた。わかっているからこそ、自分の命をかけて、他の人に伝えようとしたのだ。第三者が認知さえすれば、残された人は皆助かる。
他にもモーリスの様子やその意図に気がついた者が現れ始めたのか、騒ぎもだんだんと小さくなっていった。
ホールィは動かなくなったモーリスを見て、だんだんと実感を取り戻していった。不意に、何かがこみ上げていくような感じがした。自分がずっとずっと好きだった、しかも先程自分に話しかけてくれた人は、もういない。だが彼は自分たちを守ってくれた。その命を犠牲にして。
「モーリス……」
その時、ホーシー先生がコール管の前に立っているのが見えた。茶色い金属質のパイプを握っていて、しばらくすると『はい、こちら魔法警備隊エインズ南派出所です』というややキンキンした声も聞こえてきた。先生はモーリスから命のバトンを受け取った。そして、実行している。
ああ、助かる。どうなることかと思ったけど、これで助かる。
ありがとう、モーリス───。
「………すみません、忘れました」
────え。
ホールィの顔から涙が即座に引っ込んだ。
『……忘れ……た?』
「すみません。何を連絡しようとしたのか……わからなくなって……」
『……左様ですか。では、思い出してからで良いので、またご連絡ください。いたずらの場合は罰されます』
「はい。すみません」
そしてコール管の振動が止まり、それっきりだった。
こちらはなぜかすぐにわかった。黒幕に根回しされている。よく考えたらそうだ。この捨て身の方法を対策しないわけがない。となると、黒幕は記憶に干渉することのできる相当な魔力の持ち主だが、そんなことをホールィに考える余裕があったかどうかは、わからない。
「……あ……あ……あああああ!」
そして今度は、ホールィの左側で叫び声のようなものが聞こえてきた。どうやらホールィの席からかなり離れた左端、アルネリアの近くで発せられたものらしかった。見ると、アルネリアの後ろ、一番左の一番後ろの生徒が、顔を絶望に染め上げて立ち上がり、右手をあげていた。そしてその手の上では、学校の大時計くらいの、つまりホールィの身長くらいの大きさの火球が、天井にぶつからん勢いで、どんどん大きさを増していた。
まず悲鳴があがった。と同時に、ホールィの右側にいた人は全員、出口のドアに殺到していた。何人かが勢い余ってドミノのように倒れ、その上を踏み台のようにして別の人たちが走って行くのが見えた。
ホールィはというと、全く動けずにいた。多分ハイドとアルネリアは逃げ始めていたのだろうが、ホールィはほぼ何も考えることができずに、その火球が燃えさかる様子を見ていた。
その時、火球を出していた生徒が、同じクラスの誰かを狙ったのか、手から解放された。しかしすぐに天井にぶつかった。
爆ぜる。
赤とオレンジが混じったような色から、白味を強く帯びた色に変わり、火球は膨らんでいった。アルネリアをはじめ、逃げ惑う生徒を次々と飲み込んでいった。ハイドと目が合った。ホールィがそれに気がついたとき、ハイドは既に白い球体に飲み込まれていたが。
そして白い何かの球面は、どんどんホールィに近づいていた。教卓から見て左奥にあった出口も塞がってしまった。
この時ホールィはというと、自分の死について何も考えていなかった。ただ無表情で、口を少し開けながら。
(モーリスは……なんのためにしんだ? なんのために?)
その時。
「何突っ立ってんのさ?」
その声と同時に、ホールィの肩に力を感じた。誰かに掴まれた。と思うと、一瞬意識が飛んだような気がした後、気がつくと塾の入口にいた。
「どれでもいーから、乗用箒、取って」
そして誰かがホールィの前で、乗用箒立てから青いリボンのついた乗用箒をつかみ取ると、ホールィの方を振り向いた。
そこでわかった。このボーイッシュな声、黄緑色のショートカット。
「レイ……」
「話は後だよ。ほら、行こう」
言われるがままに、ホールィは乗用箒立てに手を伸ばし、赤いリボンのついた自分の乗用箒を取ると、外に出て、急いでまたがった。
「行くよ。3、2、1!」
そして2人の乗用箒は急激に加速し、塾からあっという間に離れていった。高度も増し、10メートルほどに上がったところで、はるか後ろの塾が爆散するのが見えた。音は聞こえなかった。
「……レイ……」
「ボクにはわからないよ。何が起こってるのかは」
「そうじゃなくて……」
そこで、ホールィの感情が再び動き出した。
「モーリスぅ……アルネリアも……ハイドも……みんな……」
危険だとわかっていながらも、ホールィは顔を下に向けて目をつむり、泣いた。声も出さずに、でも自分の中にあるものを全て出すように、泣いた。
「……生きよう。とにかく今は、生きよう……」
レイの声だけが、ホールィの耳に届いてきた。
アロウ
アンダン
ウィンド
ヴィクター
エリュナ
エリン
オルフェリ
カルネ
ケルチュア
サティ
サンドラ
セイラ
ソイェン
チェイン
ディア
ナフテ
ニェムラ
ノーシェン
ノル
ハープ
ハル
ヒュニア
フィオ
フォニィ
フラム
ヘイグ
ベレイ
ホールィ
マーチ
ミュレイア
ムジカ
メア
メルサル
メロー
ユロイ
ラテ
リィリィ
リーフィ
リュネ
ルゥネ
ルーシェ
レイ
レミュナ
ロキ
〈44/50〉




