【#3】追いかけっこ
言葉が出なかった。
目の前であまりにも多くのことが起きていて、脳の理解を追い抜いてしまったのかもしれない。
シンが、兄が倒されている。それも、シェーリスに。帽子は被っていなかったと思うが、それ以外は、一緒に帰っていた時と全く同じ容姿だった。
「おにい……ちゃん……?」
その声で、シェーリスがフォニィの方を向いた。少し深く被った帽子のすぐ下に目が見えた。頑張ろう、と言っていた時の目とは、全く別物のように思えた。
その時、視界の隅で声がした。シンのものだった。
「フォニィ……なに、してる……はや、はやく、にげ……」
それが最期だった。
シェーリスは再びシンに目を落とすと、何のためらいもなく頭に手を当てて、凍らせた。基礎魔法の中でもシェーリスが得意だった水属性、氷の技だった。
「……ぁ……」
フォニィの右足がゆっくりと後ろに下がった。それを見たシェーリスは、アイシクルキャノン(1本の巨大なつららを空中に生成して、的にめがけて放つ魔法。魔力をそこそこ使う)をフォニィに向けて放った。鋭利なつららが、天井の光を反射させてフォニィに向かってくる。それに後ずさるように動いたフォニィの体が、何かにつまづいたのか、仰向けに倒れた。体が後ろに傾いてからすぐに顔の上を透明なつららが通過し、フォニィ自身の顔が反射してはっきりと見えた。そのままフォニィが倒れるのとほぼ同時に、つららがすぐ後ろの壁に刺さって亀裂を作った。ガッ、という何かが裂けるような音もした。
「……っ!」
フォニィは仰向けに倒れた体を半分起こし、シェーリスを見た。こっちに向かってくる。ゆっくり歩いているけれど、その一歩一歩に殺意がこもっているような、そんな感じがする。
フォニィは急いで立ち上がり、シェーリスに背中を向けて走り出した。それを合図にシェーリスも走り出した。フォニィが振り返る。階段5段分ほどの差。魔力がなくなったのか、それとも温存させているのか、新しい魔法を使ってくる様子はない。ただ、シェーリスは今日かくれんぼをやった10人の中では、座学ではナフテに負けるが、実技は間違いなくトップクラスに成績が良い。さっきのアイシクルキャノンだって、フォニィは1度使ったら息なんてすぐに切れるのに、シェーリスは使っても全く疲れを見せずに追ってくる。まともに戦ったら、勝ち目はないだろう。
「なんで、なんで!? シェーリス、やめて!」
フォニィは叫んだ。しかしシェーリスから言葉は何も返ってこない。そのうち階段を下りきり、フォニィは左に見える玄関に曲がった。
その時。
「ちょっと、フォニィ! どうしたの!」
リビングのドアが開き、母親が顔を出しているのが、視界の隅に映った。おそらく先程フォニィが大きな声を出したからだろう。
しかし───まずい!
フォニィは振り返った。
「お母さん!」
逃げて、と言う前に、シェーリスが母親の顔を掴んでいた。そしてシンにやったのと同じように、瞬く間に凍結させてしまった。一瞬の出来事だった。
「………!」
フォニィは素早く自分の乗用箒を手に取り、玄関のドアを開いた。そして助走をつけて乗用箒にまたがり、宙に浮いた。学校から帰ってきたばかりでローブにスカート姿だったが、この際どうでもいい。このまま逃げよう。何かシェーリスに対抗できる物は持ってないか。制服のポケットを漁る。あったのはエーシェ先生からもらった赤い宝石のブローチと、メルサルとお揃いの鉛筆だけだった。魔法の発現を助けるマジカルステッキを学校に置いてきたのは痛かった。
その時、まだ地面から2メートルも離れていない時、バランスが崩れてきた。まずい。普段使っていなかったからだ。家で兄の魔具製造を眺めてばかりじゃなくて、もっとこれに乗っていろいろな場所に行っておくべきだった。
フォニィの体は乗用箒から滑り落ち、背中から地面に激突した。痛みが突き抜けて、顔が歪んだ。
シェーリスはそんなフォニィを見下ろしていた。フォニィの目には、さっきと変わらない冷たい目が映っていた。
「シェーリス……」
そしてシェーリスは、右手を真上にあげた。つられて上を見ると、仰向けに倒れたフォニィの真上に、大きな岩が出現していた。自然属性の魔法の、ジャッジロックだ。
「……! 待って! シェーリス! やめて! お願い……!」
フォニィは動くこともできず、ただ必死に声をあげるだけだった。シェーリスがそれに反応することはなかった。
そしてシェーリスは、あげた右手をすっと下ろした。岩が、落ちてくる。フォニィを覆う岩の影が、みるみるうちに大きくなっていく。
ああ。
何でこんなことになったんだろう。
ついさっきまで、「一人前になろう」と言っていたのに。一緒に帰ってたのに。
「どうして……」
フォニィが涙を浮かべ、そう呟いた瞬間だった。
浮遊感を覚えた。そのすぐ後に、岩の砕ける音が前方に鳴り響いた。
気がつくと、フォニィは誰かに抱えられていた。次に、黒い棒のような物にまたがっていることにも気がついた。
「大丈夫?」
エインズ魔法学校の黒い制服。ハリケーンコットンの屋台の青年のような雰囲気。
「しっかり捕まってて」
その少年───ナフテはフォニィの体をしっかりと抱えながらそう言って、黒い乗用箒のスピードを上げた。
「ナフテ!」
フォニィは救世主を目の前にして、神と対面しているような気分になった。
「何でここが……」
「フォニィを襲ってたあれ……誰? アルネリアか?」
「シェーリスだよ!」
一瞬だけ、ナフテの目に驚愕が映った。
「嘘……今日かくれんぼしたばかりでしょ……? ……いや、どうでもいい。逃げよう」
早口でそう言うと、ナフテはさらに乗用箒のスピードを上げた。風がさらに強く吹き付けて、
すると。
「ナフテ……来てる!」
後ろからシェーリスもスピードを上げ、こちらに向かっているのが見えた。さらに、その下に広がる街並みは、随分と小さくなっていた。ざっと30メートル。フォニィたちとシェーリスは、いつの間にかめまいがするような高さまで高度を上げていたのだ。
「くっ……!」
ナフテはシェーリスを振り払おうと、左へ右へと乗用箒の舵を取った。遠心力でたびたび落ちそうになったが、こらえた。だが、シェーリスはそれでも追いかけてきた。ナフテの小刻みな軌道を縫うように、正確についてきていた。ナフテは実技でも成績は良かったが、それでもシェーリスには劣る。実技ではナフテは上から10番、シェーリスは4番の成績だ。だから、彼女にとってナフテを追跡することは朝飯前なのかもしれない。
とにかく、シェーリスは迫ってきていた。その姿がだんだんと大きくなっていくのがわかった。近づいてきている。そして、何か次の魔法を出そうとしているのか、今度は左手を
「ナフテ! 追いつかれる!」
「わかってる……!」
そう、わかっている。わかっているからこそ、焦っている。
(何か、策はないか……? 何か……!)
その時、ナフテは目の前に巨大な壁が迫っているのを見た。淡いベージュ色をしていて、一定の大きさの透明なガラスが壁に列を成すように散りばめられていた。壁じゃない。建物だ。これは……エインズ市役所だろうか。あの中には、今も大勢の大人が働いている。自分たちがこんな危険に晒されているとは露にも思わず。無性に怒りがわいた。
だがナフテの頭に、雷が落ちたかのような衝撃が襲った。シェーリスの魔法ではない。いける……これなら!
「フォニィ!」
ナフテの後ろでシェーリスの方を見ていたフォニィが、びくっと振り向いた。
「かがんで!」
「えっ……」
「いいから早く!」
もう市役所は目の前に迫っていた。窓ガラスから、中にいる人間の頭が見えた。
(通れ!)
ナフテは急いでマジックシールド(魔力を固めて作る板のような物。前後左右どこに出現させるかを操作できる)を正面に作り出した。
そしてそのまま、2人の体と乗用箒は、窓ガラスを突き破った。飛び散るガラスが刺さらないように閉じていた目をフォニィが開くと、見えた。窓から見える外の景色に、シェーリスの頭が混じっていた。
シェーリスはガラスのなくなった窓の隣、ベージュ色の壁に激突して、そのままのけぞるように落ちていった。顔に絡まる髪の間に見える目が、見開かれていた。そしてすぐに、見えなくなった。
「はぁ……」
職員達の驚愕の声の中、フォニィがあっけにとられていると、ナフテが声を漏らした。
「よし。追ってきてないな。でもなんでシェーリスが……」
その時、フォニィは、はっ、と我を取り戻し、飛び散るガラスを踏まないようにしながら、震える足で窓に歩いた。そしてたどり着くと、ゆっくりと下を見た。
「あの、窓ガラス、すみません」
「あ、いや、もう退勤時刻で業務残ってないし、窓ガラスは後で再生魔法を使って直すからいいけど……君たち、怪我、大大丈夫かい?」
「僕たちは大丈夫です。ありがとうございます」
すぐ近くにいたスーツ姿の職員と話した後、ナフテはフォニィの方を向いた。
「……ひとまずこれで安心だよ。さ、下りよう」
続けてそう言った。だがフォニィが反応する様子がないので、フォニィの後ろに近づき、肩を叩こうとした。
そこで、やめた。
フォニィの肩が、小刻みに震えていた。
「何で……シェーリス……やだよ……何で……言ったじゃん……一人前にって……何で……何で……」
ナフテはフォニィの隣で、窓から身を乗り出し、下を見た。
自分たちよりはるか下、入口の屋根の上に、背の高い少女の体が仰向けに倒れていた。その周りが赤く染まっていて、体は微動だにしていなかった。周りの人たちが誰もシェーリスの死体に反応していなかったのが気がかりだったが、ナフテは何も喋れなくなっていた。
「ううっ……ううっ……」
───みんな……一人前になろうね。
夜は、もう既に訪れていた。
フォニィは、夕方にメルサルを挟んで左側で歩いていた、かつてのシェーリスの姿を思い出していた。
アルネリア
アロウ
アンダン
ウィンド
ヴィクター
エリュナ
エリン
オルフェリ
カルネ
ケルチュア
サティ
サンドラ
セイラ
ソイェン
チェイン
ディア
ナフテ
ニェムラ
ノーシェン
ノル
ハイド
ハープ
ハル
ヒュニア
フィオ
フォニィ
フラム
ヘイグ
ベレイ
ホールィ
マーチ
ミュレイア
ムジカ
メア
メルサル
メロー
モーリス
ユロイ
ラテ
リィリィ
リーフィ
リュネ
ルゥネ
ルーシェ
レイ
レミュナ
ロキ
〈47/50〉




