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夏季休暇に入る前の大規模なお茶会。

ホールにはいくつもの丸テーブルが置かれ、生徒達が着席している。

壇上があり、そこには挨拶をするべくプリスク達が立っていた。

ナティルもそこにいる。

アビゲイルが入学してから、プリスクたちと一緒にいるのを見るのははじめてだった。

ある程度プリスクが挨拶の言葉を口にして「ではお茶会を———」と続けようとしたときだった。


「お待ちください。ここで発表させていただきたいことがあります」


遮ったのはナティルだった。

生徒達が一瞬でざわつきだすのを耳にしながら、アビゲイルは小さく吐息を吐いた。

ナティルの傍ではプリスクを筆頭に、騎士男と眼鏡男とキラキラ少年が顔を青くして、立ちすくんでいる。


「おい、まて!まだ」


プリスクが声を荒げるけれど、ナティルは気にせず生徒達の方へと歩を進めた。

そして迷いなくピルキッシュの元へ行き、その手をとる。


「ナティル様!」


ピルキッシュがアビゲイルに嘲るような目を一瞬向けたあと、頬を染めてナティルを見上げた。

ナティルはいつものように穏やかな笑みを浮かべている。

みんながみんな、アビゲイルへと視線を集中させていた。

すべて同情的なものだ。

遠くに座っているヌーリエは、真っ青な顔をしている。

椅子に座ったまま、ピルキッシュは夢見る乙女のように睫毛を震わせた。


「ナティル様、嬉しい。私———いたっ」


甘ったるい声から一転して、ピルキッシュの声音が変わった。

よく見ればナティルの掴んでいるものがピルキッシュの手から手首に変わっている。


「あの、なに、離して」


空いている方の手でナティルの手を剝がそうとするけれど、その手ではびくともしていない。

異様な展開に、生徒たちも息を呑んで二人を見ていた。

もちろんアビゲイルはいつもの無表情だ。


「離すわけないだろう」


ナティルはあいかわらずの穏やかな笑みで続きを口にした。


「隣国のスパイなんだから」


言った瞬間、ピルキッシュの顔が真っ青に悪くなる。

周りの生徒達が大きくざわつき、プリスク達も苦い顔を浮かべていた。

必死にナティルの手から逃げ出そうとするピルキッシュだけが、凍り付いた空間のなかで動いている。


「おい!勝手なことをするな。もっと泳がせると言っただろう!」


問い詰めるようなプリスクの顔色は強張っていて、これが彼の想定外の出来事だと物語っていた。

アビゲイルはその顔とナティルをゆっくりと見比べる。


「保留期間はここまでと約束していたはずです。そもそも、この女に近づいて半月で証拠を掴んだのに、これ以上泳がせる意味がありません」


ナティルの言葉に生徒たちが「証拠?」「スパイの?」とひそひそと確認するように近くの人間と言葉をかわしだす。


「二人が親密になったのって、入学式の一ヶ月前よね」

「半月ってことは、入学式の時点で証拠は掴んでいたってこと?」


そんな言葉に、プリスクの後ろにいる男たちが動揺しているのか、忙しなく目線をさまよわせている。

そんななか勇気ある生徒が一人、そっと手を上げた。


「あ、あの、スパイってどういうことですか?」


そちらにナティルがちらりと視線をやる。


「隣国と懇意にしている商会が紛れ込ませた人間を、利害関係のある貴族が養子に入れたんだ。編入試験は試験管に金を積んだようだけれど、あとは殿下たちにつきまとって、なにか益になる情報を掴むなり陥落させるなり考えていたんだろう。私はスパイの証拠を押さえるおとり役だ。証拠はすでに提出されている」


証拠の提出という言葉に、いまだに逃げようとしていたピルキッシュの顔色が真っ白になるほど青ざめた。

はくはくと何度も口を開閉している。


「婚約者の入学直前に命じられて、半月で結果を出したのに証拠の提出は先延ばし。あまつさえアビゲイルには秘匿するように言われたおかげで、何ヶ月も無駄にした」

「む、無駄って・・・・・・ずっとバレなかったのに・・・・・・」


いまだに穏やかな笑みを浮かべているのがむしろ異様に見えるのか、ピルキッシュの声は震えていた。


「殿下達が君に気づいたのは、私がおとりとして君に近づき始めた時期からだ」


つまり入学式の一ヶ月前。

その言葉の意味に気がついた婚約者達がもの凄い勢いでプリスク達へ顔を向けた。

見つめる婚約者達もプリスク達も、双方顔色がとてつもなく悪い。


「私は殿下たちと行動することは多くなかったし、この女が現われてからは近づかなかった。たまたま君と会話をしたときに違和感を持って、殿下に調べるように進言したんだよ」


最後の言葉はピルキッシュに向けてだった。

しかし途中から生徒達の頭のなかは別の事に占められていた。

ピルキッシュの編入は半年前。

スパイ容疑がかかったのが入学式の一ヶ月前。

つまりプリスク達はそれまで、素の感情でピルキッシュを持ち上げてデレデレだったのだと。

アビゲイルは婚約者達が苦言を呈したらおさまったと言っていたけれど、それとは関係なかったんだなと、どうでもいいことをぼんやり考えていた。

ただたんにスパイの可能性が出て、我に返っただけだったのだ。

それは婚約者達も他の生徒もいきついた結論だ。

全員の白けた目がプリスク達に注がれている。


「はあ、警備兵」


ため息をつくと、ナティルはピルキッシュの手首を掴んだまま引っ張り上げた。

きゃあと無理やり立たされたピルキッシュに、そのまま足ばらいをして床へと倒れ込ませる。

その一連の動作も穏やかに微笑んでやったものだから、ピルキッシュは未知のものを見たような顔で信じられないとナティルを見上げていた。

ナティルに呼ばれた常設の警備兵があわててピルキッシュの腕を拘束する。

生徒たちはピルキッシュへの行動に目を丸くしたあと、ナティルの方を見て背筋を粟立たせていた。

全員が何が起きたかわからないという顔をしていたのだ。

たしかにナティルはいつもおだやかな笑みを浮かべているけれど、こんなことを平然とするときまでその表情なのかと。


「そこで大人しくしていてくれ」


拘束されたピルキッシュに変わらない笑みを浮かべると、そのままナティルは何の迷いもなく早足で歩き出した。

全員がその先を見れば、アビゲイルがいつもの無表情で椅子にちょこんと座っている。

周りは驚いたり目を瞠ったりしているけれど、アビゲイルはいっさい動揺していなかった。

あいかわらずのスンとした表情だ。

目の前まできたナティルに、覆いかぶさるようにアビゲイルは抱きしめられた。


「はあ・・・・・・」


一息つくようなナティルのため息もだけれど、それよりも今まで一言たりとも言葉を交わしていなかった二人の予想外の接触に、特に嘲笑っていた女子生徒達が動揺を見せている。


「え!え!?」

「あの二人、一緒にいるところ見たことないのに」

「何あれ」

「でもおとりって言ってたから、一緒にいなかったのはわざと?」


男子生徒も女子生徒も巻き込んでざわめきが大きくなるばかりだ。

目線も二人に全員が集中させている。

抱きしめられているアビゲイルはその視線も話し声も気にすることなく、ひとつ小首を傾げた。


「終わった?」

「終わった。やっとだ」


アビゲイルの言葉に、プリスクがバネにはじかれたようにナティルを見やった。

聞き捨てならない言葉だったのだ。


「ナティル!アビゲイル嬢には口外禁止だと言ったはずだ!計画に支障が出るからと!」

「言ってないですよ」

「訊いてないですね」


ナティルはアビゲイルを抱きしめながら。

アビゲイルはナティルに抱きしめられながら声を揃えて、キッパリと断言した。


「だ、だったら何故そんな知っていたような態度なんだ。ナティルに冷たくされ、沈んで寂しそうにしていただろう。演技だったのか?」

「寂しそうにはしてないです」


完全なる誤解である。

アビゲイルはただ視界にナティルがいたら見ていただけだ。

そもそも声をかけてもいないから、冷たくされた覚えはない。

「だったら余計に知っていたとしか思えないだろう!」

もはや怒鳴り声にも近いプリスクに、アビゲイルはゆるりと唇を開いた。

その瞳は凪いだままだ。


「いえ、だって目が・・・・・・」

「目?」

「ウジ虫を見るような目で愛想笑いをしてたから、なにかあるなと思って」


何てことないような淡々とした言葉に、その場にいた全員が絶句した。


「ウ、ウジ虫・・・・・・」


ウジ虫呼ばわりされたピルキッシュだけが、あえぐように声を震わせる。

アビゲイルとしては事実を言っただけなので、こんな反応をされても正直困った。

ただ、絶句、もしくはドン引きしている生徒達のなか、ナティルの反応だけは違った。

アビゲイルから体を離した彼は、微笑んでいた。

ただしいつも見せていた穏やかでそつのない笑顔ではなく、その眼差しはとろけるように甘ったるい。

「ひぇっ」「うわっ」とナティルのその眼差しに、悲鳴が上がる。

特に女生徒から。

頬を赤らめ、なかには茹って鼻血を出してもおかしくない顔色の生徒もいる。

そして全員の共通認識が生まれた。

そりゃあこんな顔を知っていたら、今までのナティルなんて完全に演技でもしている訳ありだと思うだろう。

そんな周りのことなど気にせず、ナティルは蜂蜜のような瞳でアビゲイルの頬をするりと撫でた。

ほんのわずかにアビゲイルの右の眉がぴくりと動く。


「さすが、アビゲイルはすぐにわかると思った」


ふふ、と笑うナティルごしにプリスクの婚約者達が視界に入ったけれど、すぐに視線を顔色悪くそらされた。

何故だと思って、そういえば婚約者達がもっと自分の婚約者をよく見ろと忠告してきたことを思い出した。

彼女たちにはブーメランのようになってしまったようだ。

プリスク達は自分の意志でピルキッシュに侍り、それでいてスパイとも気づかなかったのだから、見ていなかったのはどう考えてもあちらだった。

そりゃあ気まずいだろう。

アビゲイルとしては気にならないけれど、向こうは気になるらしい。


「岩を持ち上げたら虫がびっしりいた時と同じ顔してたから、よほど気持ち悪いんだろうなと思って」


うっかり幼い頃を思い出してしまったくらいだ。


「わかったんだ」


嬉しそうに口元を綻ばせたナティルに、アビゲイルはふっと小さく息を吐いて口端を吊り上げた。


「わかるわよ」


再びざわりと生徒がざわめく。

当然だ。

入学してから一切の表情が変わらないことで、ナティル達とは別の意味でも注目を浴びていたアビゲイルが無表情以外を浮かべているのだ。

しかも自信満々の不敵な笑み。

所詮ドヤ顔だ。

しかも渾身の。

無表情との変化が激しすぎる。

けれど唯一ナティルだけは驚いていなかった。


「久し振りだ、その可愛い顔」

「私以外は等しくどうでもいい困ったさんが浮気なんて出来るわけないもの」

「そのとうりだよ」


ナティルが嬉しそうに頬に触れていた手を滑らせて、地味と言われる黒い髪にさらりと一度指をとおした。

そんな甘やかな二人の背後では、こそこそと生徒達が顔を寄せあっている。

主にナティルと同じ二年生だ。


「え・・・・・・どうでもいいの?」

「等しく?」

「あんなにいつも愛想いいのに?こわっ」


たしかにつねに笑顔で穏やかな対応をしていた人間が、周りに興味をまったく持っていないなんて発覚したら動揺するしかない。

しかも人をウジ虫と同等に見る感性持ち。

実はナティルはこう見えて社交的だったりする。

それら全部がどうでもいい案件だったとしたら、とんだサイコパスだ。


「殿下」


びくりとプリスクの肩が跳ねた。


「そもそも俺だけをおとりに指定したのは、何の嫌がらせです?」

「そんなつもりはない」

「そこの三人に頼めばよかったのではないですか?殿下含め最初から率先して仲を深めていたのですから」


ナティルの言葉に、プリスクだけでなく他の男三人も顔色悪く体をびくつかせた。

それぞれの婚約者が今にもナイフで襲ってきそうな目で睨んでいるからかもしれない。

下手したら刺し違えてでもという気概すら感じる。


「婚約者が近くにいない俺を選んだというのであれば、まだ納得しますが。でも入学式の前には証拠を掴んだのに、そのあとも何ヶ月もおとりを続行。あげく婚約者には内密にときたものです」

「それは、それが最善だと思っただけだ」


少しもにょりとした言い方ながらもプリスクが答えると、ナティルはアビゲイルからプリスクへとしっかり向き合った。

その顔は生徒達の見慣れた、穏やかな笑顔。

以前なら女生徒なんかは、きゃあきゃあ騒いでいたけれど今はとてもそんな気になれない。

何故ならアビゲイルいわく、等しくどうでもいいから浮かべている表情だと発覚してしまっているからだ。

プリスクも今までの笑顔に騙されてきていたのだろう。

やりにくそうに何かを言いかけては、口を閉じている。


「婚約の横やりをいれる気だったんでしょう?王女殿下からの婚約の打診を何度も断っていますからね。殿下は妹君をとても可愛いがってらっしゃいますし」

「それは、そんなことは」

「私が婚約者から解消を希望されるなり、仲がこじれるなりすればと思ったのでは?」

「うがちすぎだ」


ナティルの質問攻めに、プリスクは何とか負けまいとしているけれど分が悪い。

絶対にそれを狙っていたよなとアビゲイルはここ何ヶ月かを振り返った。

わざわざ申告などはしないけれど。

しかしナティルは追撃の手を止める気はないらしい。


「そのわりには何度もアビゲイルに仲介に入るからと婚約の解消を促していたそうで」

「なんでそのことを・・・・・・!」


呆然と呟いたあとに、プリスクはハッとした顔でアビゲイルに目線を向けた。

すでにアビゲイルの表情は無になっており、スンとしたものだ。


「公爵夫人に訊かれたので答えました」


あっさりと正解を吐き出した。

プリスクは絶句してアビゲイルを凝視している。

まさか事情を知らせず冷たい態度をとっている婚約者の母親と会っているとは、まったく予想していなかったらしい。

残念ながらアビゲイルは何度も公爵邸へお邪魔している。

ナティルが出かけているか、在宅していても私室から出てこないかで公爵夫人にしか会ってはいないけれど。


「アビゲイルはうちの母親のお気に入りなので、俺の有無にかかわらずお茶に誘っているんですよ。そういうことなので、二度とアビゲイルはもちろん俺も巻き込まないでください。俺は殿下の側近になるわけではないんですから」

「は!?待て!どういうことだ」

「学園でも必要最低限しか一緒にいることはなかったではないですか」

「それは、お前が勉強があるからと」

「そうです。卒業後はリッセマン伯爵家との事業拡大に関してと領地経営に専念するつもりですので、最初にお断りをしたんです」

「あれは謙遜じゃ・・・・・・」

「いえ、事実です」


にこにこと笑うナティルに対して、プリスクの顔色がいっそ紙のように白くなっていく。

対比が凄いなとアビゲイルは二人を見ていた。

正直飽きてきているけれど、退席が許される雰囲気ではないのはわかっている。

アビゲイルは一応、空気は読めるのだ。

プリスクはこれ以上なく焦ってナティルに説得を試みていた。

そりゃあ焦るだろう。

後ろ盾にする気満々に思ってた優秀な公爵家の人間に見限られたのだから。


「私を巻き込まなきゃ、それなりに協力してあげたと思うんだけど」


口の中でころりと言葉を転がすけれど、それが誰かの耳に届くことはなかった。

基本的に誰にでも平等だから、なにかやらかさない限りは優しいのだ。


「このことは父には報告してあります。公爵家の婚約者が侮辱されたなんて、我が家に泥をかけられたようなものです。抗議がいくと思うので、そのおつもりで」

「い、言うな、と」

「アビゲイルに話すなとは言われましたが、家に話すなとは言われていません。リッセマン伯爵家にも説明の手紙を送っているので抗議が行くはずです」


あらまあとアビゲイルはひとつ瞬きをした。

アビゲイルの家は流行が大事な社交界に置いて、かなりの影響を持っている。

プリスクの様子を見る限り、すべて独断専行だったのだろう。

いっそスパイに現を抜かした行動をごまかすついでに、アビゲイル達の婚約解消も一石二鳥で狙ったのかもしれない。

ピルキッシュのことはナティルによって公爵に報告しているようだから、多分プリスクは城でそれなりの叱責を受けるだろうなと思う。

そして、ちらりと見たプリスクの愉快な仲間たちも沈痛な面持ちなので、確実に道連れだ。

気の毒にと、散々に迷惑をかけられたアビゲイルはうなだれている男達を見やった。

それをさえぎるようにナティルが体をずらしてアビゲイルに手を差しだしている。


「お茶会どころじゃないし、帰ろう」


それもそうだ。

頷いてアビゲイルはその手をとって立ち上がった。


「騎士が来るように手配してあるから、その女はそのまま拘束しておいてくれ」


にこやかな笑みに、警備兵が引きつった顔で頷く。

拘束されているピルキッシュはまるで気味の悪いものでも見るような顔で、ナティルを見ていた。

よく見れば会場中がそんな状態だ。

けれど気にすることなくナティルはアビゲイルの手を引いて歩き出したので、アビゲイルもまあいいかとそのあとに続いたのだった。


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