潔ーその2ー
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気がつくと僕はプラクティスフロアに立っていた。一人だった。よく見ると人間の姿に戻っていた。あの黒いスーツ姿だった。
誰もいない。僕一人きりで…いや、壁の奥、一面のガラス張りの壁の奥にもう一人…僕がいた。
下半身が崖に埋まっている。両肩がダラリと垂れ下がってはいるが、顔はしっかりとこちらを向いている。およそ10m程の大きさの、僕と同じ、人間の姿をした、スーツ姿の僕の顔が。
「みんなどこへ行ったんだ?」フロアに立つ僕は言った。
「もともと誰もいないんだよ。」ガラスの向こうの崖の僕が言った。
「いたよ!ここで…大変な事があったんだ!」記憶が曖昧になっていた。
「ここ?ここって?」ガラス越しに崖の僕が聞き返してきた。
「こ、ここは………そ、そうだ!プラクティスフロアだ!」
「違う。ここは『ルルイエ』だ。」
「ルルイエ?!何を…ルルイエは確か南極に程近い…。」
「よせよ。知ってるだろ?ここは『ルルイエ』だ。この場所も、南極に程近い海域にある遺跡も、この世界、時間、この閉じた宇宙全てが『ルルイエ』なんだよ。」
「違う!違う違う違うっ!これは夢だっ!悪夢だっ!悪い夢を見続けているだけなんだっ!」
「その通り。これは夢なんだ。全て夢。僕達の夢。その時が来るまで、まどろみながら見ている夢なんだよ。」
「違う!」
「本当はもう少し眠っていたいんだ。だけど状況が少し変わった。白痴の王の使いっ走りが土足で僕達の夢の中に入り込んで来た。排除しなければならない。」
「違う違う違うっ!」
「僕達の夢は、まだ理想の形になってはいない。だからチョットだけ起きよう。そしてまた眠ればいい。あの目障りな邪魔者、ナイアル…ナイア…ナンチャラを僕達の夢から追っ払ったら、また眠ればいいんだよ。」
フロアに立つ僕は頭を抱え込んだ。頭痛は今や、ハンマーで連打されている様な激痛に変わっていた。崖の僕は構わず話し続ける。
「この世界は全て夢。僕達の見ている夢。対消滅なんて怒らないよ。だって僕達は並行宇宙の接点で戦っていたじゃないか。この現象にパラドックスは当てはまらないのさ。『人間原理』なんて言ったって、所詮、僕達の夢の範疇の話なんだよ。言わば『C原理』を構成する一要素、それも極わずかなものだ。僕達の真の目覚めには何の影響も及ぼさないよ。」
僕は頭を抱え込んだままだった。限界だった。限界の限界は…「おしまい」だ…。
頭を抱え込んだ手の中に硬い感触があった。見るとそれは指輪だった。いかめしいドクロのリング…「ドクロノミコン」。
崖の僕は身を乗り出して更に話し続ける。「僕は『C原理』の精神面担当。君は物質面担当。それで今まで上手くやってきたじゃないか。今回のはちょっとしたイレギュラーだと思って乗りきろう。そして完全なる目覚めの時を待とう。僕達の夢は確実にその方向に向かっている。この閉じた宇宙を飛び出せる力を持つ方向に。
僕達は外宇宙に飛び出すんだ。そして、無限にいる僕達を率いてアザ【削除済】をやっつけるんだ。その後は全ての次元を支配しよう。きっと簡単な………?」
ガラスの向こうの崖の僕は、言葉を途切らせた。フロアに立つ僕が、片手を広げて彼の話を遮ったからだ。
「…全部…夢なのか?…」
「?」
「僕達の世界は全て、Cが見ている夢なのか?」
「君が言う『僕達』とは、人間の事かい?だったら答えはYesだ。さっきも言ったじゃないか、もともと誰もいないんだよ。何もない。夢なんだから。」
「Cが目覚めたら、この世界はどうなるんだ?」
「消える。この夢は僕達が進化する為に見ているものだ。例えて言うなら、バージョンアップだな。この世界はその為のプログラムで、今はインストールの最中ってとこか。それが済めばソフトはもういらない。僕達というハードディスクに収まっているんだから。TVゲームのキャラクターが電源を切った後もモンスターを狩ってると思うかい?」
「僕と君は、Cなのか?」
「この世界がCであり、Cがこの世界だ。君の言い方を真似るなら。全てが僕達であり、僕達が全て。二つの存在が共存する世界に於いて僕達がいて初めて繋がる…う~ん、君はまだ人間の主観にとらわれ過ぎみたいだなぁ。よし。そっちの土俵で話を進めよう。
数秘術的に最強の名前を持つヤマダ【削除済】の中でも特に君はずば抜けていた。生まれた時間も、場所も、周りの状況も、全てが完璧だった。何に対して完璧だったのか。二匹のCと、この夢の世界を繋ぐ『線』としてだ。
いくら優れたプログラムが出来てもアップロードする手段がなければそれは無用の長物だ。Cは夢の中で、夢と自分を繋ぐツールを開発していたんだ。およそ50億年かけて。そうして完成したのが君だ。
雛形はもっと早くから出来てはいたのだが、実用までには至らなかった。キリスト、マホメット、ブッダなんかよりももっと古い、歴史に名を刻めない程古い『星読み人』達…彼等は皆、途中でバグってしまったんだ。
まぁだからと言って、Cが焦る事はなかった。やり直しは何度でも効くと思っていたからね。
ところが、そうも言ってられなくなった。アザト【削除済】の従者ナイアルナンチャラがCの企みに気付いて、あろう事か夢の中に乗り込んできたんだ。
君も見ただろ?ドリームランドなんていう仮想メモリを勝手に増やしやがって!
奴は夢の中で、Cのプログラムにちょっかいを出し始めた。Cの為ではなく、自分達『外なる神』に作用する様に仮想メモリ内でプログラムを書き換え始めたんだ。
これはマズい。Cの復活が、それこそ夢で終わってしまうかも知れないんだ。
だから、予定よりだいぶ早いけど、チョットだけ起きる事にした、と言う訳。
憶えているかい?レッドさんが君を『ニトクリスの鏡』に向かって、放り投げただろう?あの時に『C』と『C』が接続されたんだ。君という『線』のお陰で。
数秘術的に最強の名を持つ者は皆、一度はあの鏡の中に入ってるんだよ。Cが誘う事もあれば、自らの意思で入る者もいる…きっかけは様々だが目的は同じ。『Cとの接続』だ。
だが残念ながら、これまでの者は誰もその目的を果たせなかった。レッドさんでさえも。君が開発された事は奇跡に等しい。まだ不十分ではあるが、ほんの少し起ち上げる位なら何の問題もない。」
激しい頭痛が続く中、フロアにいる僕は思った。目的を果たせなかった。それは人間にとって幸運な事だったんだと。
何故なら自分達の住む世界が幻の世界であると知らずにすんだから。
触れてはならない記憶。僕はそれを知る最初の人間になってしまった。
ーこの世界はCが見る夢ー。
目覚めれば消えてしまう、ただの夢。
「君が今感じている頭痛は、君自身の容量不足のせいだ。情報の洪水でオーバーロード気味になっているんだよ。
君の記憶、Cの記憶、宇宙の記憶、敵の記憶…混乱の極みだろう。気の毒だとは思うが、辛抱してくれ。なんと言っても今、君の中に流れているのは『アカシックレコード』なんだからな。なぁに、すぐ済むよ。あんな下っ端を片付ける事なんか。」崖の僕はよどみなく話し続ける。
フロアに立つ僕は、俯いたままジッとドクロノミコンを見つめていた。
「大丈夫さ。邪魔者を排除したら、最優先で記憶の整理をしよう。その後で2つのCを統合する。それで随分スッキリするはずだよ。」
頭痛の酷さは相変わらずだったが、自分のすべき事が今はっきりと判った。
ガラスの向こうの崖の僕の言い方を真似れば「スッキリ」していた。
「ありがとう、でも心配はいらない。『自分で決められない奴は、死あるのみ』だからね。」そう言ってフロアに立つ僕は、思いきりドクロノミコンを引き抜いた。
指輪の内側で毒針が立ち上がるのを感じる。
胸を殴られた様な衝撃を受けて、息ができなくなった。
目の前が真っ暗になった。
全てが一瞬の出来事だった。
僕は死んだ。
ー続くー




