結…?ーその1ー
【1時間前】
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「………オイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイィィィッ!!!」部屋の外からでも聞こえる程の怒鳴り声をあげながら、参事官が部屋に飛び込んで来た。
「冗談は仕事の後にしてくれよっ!トラペゾヘドロンだとっ?!」
「はい、それも7個。」
「…!全部かっ!」僕の手のひらにある黒い物体を見て、途端に腕で口元を塞ぐ。毒ガスでも出てるのか…?
「どこで手に入れたっ?!」
「ちち地下鉄で乗り合わせたオバちゃんから…。」
「知り合いかっ?!」
「いえ…全然…。」
「ちっ!目を付けられてたんだな…!」
このやり取りさっきレッドさんとやったばっか…。
「な、何なんですか、この…ト…ト…トランペットヘドロって。そんなヤバい物なんですか?」
「っっっとにモノを知らん男なんだな君は!」口を塞ぐのをやめて、今度は唾を飛ばしながら怒鳴る参事官。
「こいつはな、『闇を彷徨う者』を呼び出す為の悪魔の道具なんだゾっ!」怒りすぎて声が裏返る。
「闇を彷徨う者…?」また出た新ワード。
「簡単に言えば、Cよりマズい存在って事よ。」レッドさんが後をついで喋り出した。
「国内でもNの存在が確認されたという情報が頻繁にありましたが、やはりトラペゾヘドロンが原因だったんですね。まさかここで揃うとは思わなかったけど…。」
「オイオイオイ!他人事みたいに言ってんじゃないよ!相手は『千の顔を持つ者』なんだぞ!常に最悪の状況を想定しろっていつも言ってるだろうがっ!」参事官の顔は今や茹でダコの様になっている。
「これ…7つで全部なんですか。その『闇を彷徨う者』って、これが…ト…ト…トランポリンベルトが揃うと出てきちゃうんですか?」ヤバい。事情はまだよく飲み込めてないが、僕は今、ヒジョーにヤバい立場にいるみたい…。
「もともとトラペゾヘドロンは、特殊な箱に7個1セットで保管された状態で発見されたのよ。レムリア大陸でね。その後、世界中の権力者達の手を渡り歩いて、最終的には『【削除済】教会』という新興宗教が所有する所で公式の記録は終わっているの。大戦前の話よ。」何故か今までに聞いた事のない様な優しい口調でレッドさんが説明を始めた。
「それらの記録から分析すると、闇を彷徨う者、『N』はトラペゾヘドロンがあろうとなかろうと自分の意思で、自由に、どこにでも現れる事が出来たみたいなの。」
「歴史的事件のある所、Nの影あり。」多少落ち着いたのか、参事官がボソリと言った。
「第二次世界大戦で眷属に圧勝した漂流者は、トラペゾヘドロンも手に入れる事が出来たんだけど、さっきの話でもあった様に内部分裂が起こって、その時に箱が壊れてトラペゾヘドロンはバラバラになってしまったの。7個のトラペゾヘドロンは世界中に散らばってしまい、その行方は誰にも判らなくなってしまったんだけど…。」澱みなく話していたのに突然言葉を途切れさせてレッドさんが僕の顔を覗き込む。サングラス越しにでも疑いの眼差しである事がハッキリ判る。
「ちちち違いますよっ!僕は何にも知りませんっ!ただ地下鉄で乗り合わせたオバちゃんから…。」
「出来すぎてる。私達でも探しきれなかったモノがまとめてココに、このC対策班にあるなんて…狂気の沙汰だと思わない?」相変わらずの優しい口調だが、その気迫は殺気を帯びている。ヤバい。ヒジョーにヤバい。
「時間がない。多少手荒くなるが『ホントくん』使うか。」参事官がスマホを取り出す。
「ななな何ですか、『ホントくん』って。」
「嘘発見器よ。大丈夫、鼓膜が破れる程度で命に別状はないわ。」
「いやダメでしょっ!てか、ウソついてないですよ僕っ!」
「イイからこのイヤフォンをつけたまえ。」自分のスマホに有線でつないだイヤフォンを僕の耳にねじ込もうと参事官が迫って来る。
「いやいやいやっ!ちょっ!まっ!やっ!」いつの間にか背後に回り込んでいたレッドさんに羽交い締めにされて身動きが取れない!非人道的!非人道的っ!
と、その時、参事官のスマホが着信を知らせた。
「何だっ!今忙しい………え?何っ!本当かっ!………いかんっ!絶対に食い止めろっ、何がなんでも………おいっ!聞いてるのかっ!おいっ!もしもし?もしもしっ!もしもしもしもしっ!!!」参事官の顔がみるみる蒼白になっていく。
「何です?」羽交い締めにした腕の力を緩める事なく、しかし心配そうに聞くレッドさん。
「地上で緊急事態だ…周辺の住民がインスマス化しているらしい…。」
「F××k!!!」今日何度目だろう、この言葉聞くの…。
「大挙して【削除済】寺に向かっているらしい。まぁ、地上だけの話ならちょっとやそっとの事じゃ影響はないだろうが、シェルター内が侵食されて、尚且つCが実体化しようとしている今はマズいな…。」
ジト目で僕を見ながら参事官が僕の眼前に、にじり寄ってきた。「君の嫌疑が晴れた訳ではないが、取り敢えず職務を果たしてもらおう。Cを抑えるのを手伝ってくれ。ネクロノミコンは持ってるな?」
「参事官!」レッドさんが抗議の声をあげる。
「言っただろう、緊急事態なんだ。シェルター内の侵食を避ける方を優先させねばならん。弾数は多い方が良い。ピンク、酒は飲めるか?」
「…………はい?」
「酒だよ酒!ビール!焼酎!日本酒!マッコリ!アルコールが入った飲み物の事だ!まさかそれも知らんとは言わさんぞっ!」
「あ、いや、し、知ってます。いや、飲めます。あんまり強くないけど…。」
「結構!」そう言って参事官は僕にロッカールームを出るよう、親指で扉を指し示した。
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プラクティスフロアは想像を絶する光景になっていた。あまりの変貌ぶりに僕は生まれて初めて「空いた口が塞がらない」状態になっていた。
一言で言うならそこは「居酒屋」だった。
白で統一された何もない空間、それがプラクティスフロアだったのに、今目の前に広がっているのは駅前に良くある居酒屋の店内だったのだ。
どこから持ってきたのか、十数台はあるかと思われる木製のテーブルに所狭しと並べられたグラス、ツマミ、おしぼりにメニュー。酔っ払い特有の大声。グラスのぶつかる音。喧騒に負けじと更に大声で注文するので金切り声になっている職員たち。
客や店員が全員真っ黒なスーツで、フロアの奥の巨大なガラス越しにCの姿が見える事で辛うじて、自分が夢を見ている訳ではないらしいと判断できるのだが…。
「これは一体…。」
「最優先事項109だ。全ての任務を放棄して、ただ酒を飲むんだ。楽しい酒をな。」真面目くさった顔で参事官が言う。
手近なテーブルに座りながら「飲んで楽しい事だけを考えろ。君にだって楽しい思いでの一つや二つあるだろう?おぉい、こっち。生2つ!」
「ハイ!喜んでっ!」威勢良く答える店員役の黒のスーツを着た職員。頭にバンダナを巻いている。シュールだ。
「我々が最も恐れている事は、Cの復活ではない。Cの存在を信じる人間が増える事なのだ。信じた者はその意識に囚われてしまい、四六時中その事を考えてしまう。やがてその行為は近しい者にも影響を及ぼす事になる。
これを我々は『インスマス化』と呼んでいる。
まるでネズミ講だ。そうなったら歯止めが効かない。影響力の大きさがそのままCの復活を現実の出来事にしてしまう。その時はもう手遅れなんだよ。最優先事項109はインスマス化を防ぐ為の最終手段なのだ。」
「意識しなければ存在しない……………って、マジですかっ?!」
「マジだ。大マジだ。インスマス化が始まればCの実体化は加速度的に進んでしまう。酩酊状態になれば少なくともこの付近の人間はその意識圏内から外れる事になる。『酒は飲んでも意識に飲まれるな』だ。」
運ばれてきたジョッキを僕の目の前に押し出しながら「ましてや今はシェルター内が侵食されている状態だ。君が持ち込んだトラペゾヘドロンのせいでな。君が飲まないで誰が飲むんだ?さあ飲め。浴びるほど飲め!なに、金の事なら心配するな。どうせ税金だ。好きなだけ飲むが良い。強くないならなおさら好都合だ。」
なんか大学入ったばっかの時の歓迎コンパでこんな先輩いたなぁ…なんて思いながら、何も言わずに僕の隣に座ったレッドさんにギョッとする。
何も言わずにおしぼりで手を拭きながら、何も言わずにメニューを眺めている。
「レレレレッドさんは何にします?」
「あぁ、レッドはイイんだ。いくら飲んでも酔わないんだよこいつは。酒がもったいない。構わず自分が飲め!」既に一杯空けている参事官がお代わりを注文しながらあしらう様に言った。
ダメだ。飲むしかない。決して飲めない訳ではないが、得意ではない。いや、弱い。コップ一杯で顔が真っ赤っかになるのだ。よく人から「経済的だなぁ」と言われる。できる事なら少量で抑えたい所だが、この雰囲気…許してもらえないんだろうなぁ(T ^ T)
諦めて、いかにもキンキンに冷えてそうな琥珀色の液体が入ったジョッキを取りながらフと思い出した。
「…そうだ!ブルーさんやイエローさんはどうしてるんですか?」一悶着あったモノのやはり同世代がいるのといないのでは、こういう席上では心の持ち様が違ってくるのだ。
「ブルーは本読んでるわ。イエローはマテリアルルームで内閣情報調査室と交信中。」メニューから目を離さないまま、レッドがボソリと言った。
「えっ?!ブルーさん今ネクロノミコンを?!ど、どこにいるんですか?」
みんな仕事してるんじゃないか!いや、これだって重要な仕事だそうだが、僕の守備範囲は二人の方じゃないのか?
元来の心配性な性格が頭をもたげてくる。今やるべき事をやってないんじゃないか?という焦燥感。神経質な性格が恨めしい…。
「心配しなくても、あんたの番は時期に来るわよ。」スマホを操作しながらレッドがまたボソリと言った。何やら動画を映し出しているが、小さくて判らない。見せてくれるのかと思ったら、反対方向、部屋の奥の巨大なガラスにスマホをかざした。
すると、ガラスの中央部分に横長画面が登場した。スマホの動画と同じモノがガラスに映し出されていた。それは…。
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「ブルーさんっ!」Σ(゜д゜lll)
ネクロノミコンを読むブルーの姿だった。
一体どこにいるのか判らないが、多分まだ案内してもらってない部屋があったのだろう、ひどく狭そうな場所で音読している。一目で年代物だと判るバロック調の肘掛け椅子に座り、例の呪文の様な言葉を発している。その形相が凄まじい。
白目をむいているのだ。首が急角度で横に傾いている。よだれを垂らしながら、しかし呪文は止まない。ページをめくる手も止まらない所をみると、キッチリ読んでいるのだ。ネクロノミコンを。
画面の片隅に彼の状態を表すバイタルサインの数値やグラフが映っていて、それはせわしなく動いていた。
「オイオイオイオイ!よしてくれよ、仕事を思い出すじゃないかっ!」もう既にできあがっている参事官が空のグラスを振り回して怒鳴った。
「トラペゾヘドロンの説明がまだ十分ではないけど、時間になったらあんたも読むのよ。」参事官を無視して初めて真正面から僕を見ながら、レッドはそう言った。
「いやだから、アレはホントに知らなくて…。」もう何を言っても通じないなコリャ。非日常的な出来事の連続で、思考回路がストップしてしまった。ダメだ、限界だ。
手に持ったジョッキを一気に空ける。
「おお!やるね!」喜ぶ参事官。
「いや別に強いワケじゃないんれすよ。」一気にグラつく。ヤバい、回るの早いぞ。
「普段飲む習慣とかないし、まぁ誘われれば飲みますけろね、らけど僕的にはれすねヴゥオエエエ!!!」…リバース_| ̄|○
「おお!若いね!」喜ぶ参事官。
「失礼いたしましたーっ!」店員…の姿をしたC対策班の職員の方が新しいおしぼりと雑巾とバケツを持って飛んできた。
失礼をしたのはコッチなのに、せっせと後始末をしてくれている。
「すいませんっ、ホンットすいませんっ!」最悪だ、ホンット最悪だ!過去の出来事が走馬灯の様に流れ始め、自分の中で終わった感が漂っている。
「おぉい、こっち。生2つおかわり!」空のジョッキを振り回す参事官。
勘弁してくれっ!
「『意識は飲んれも酒には飲まれるな』らっ!」
逆でしょソレっ!
「Shut Up!!!」ーΣ(゜д゜lll)ッビクウッ!
「画面を見なさいっ!」レッドさんが奥のガラスを指し示していた。先程のブルーの映像は隅に小さく追いやられていて、代わりに新たな映像が映し出されていた。
レッドさんが自分のスマホのボリュームを上げると画面の音声も大きくなっていく。
「…違いますっ!明らかにここを狙っています。ブラインドネスではありません。奴らはクトーニアンですっ!」悲壮な声で画面に向かって叫んでいるこの人は…。
「ひょっとしてこの人、社務所にいた受付の方ですか?」ほんの2~3時間前に会釈だけしたあの人!
「そうよ。彼女は一人でこのシェルターの地上部分を管理しているの。と言っても、こことはなんの関係もない事になっているから、本来この様な通信手段をとってはいけないんだけどね。」
「て事は、それだけヤバいって事ですか?」
「クトーニアンと言われたら無視できないわね。」ギロリとこちらを睨みつけ、「あんた、本当に眷属じゃないの?」
「だから違いますって!ホンッッットに何も聞かされずにここまで来たんですよ!そりゃ確かに自分でもおかしいな~とは思いましたよっ!社会人なのに、こんなに振り回される事ってあるのかな~とか、雇う方もコレ結構綱渡りなんじゃないのかな~とかね!でも僕は何にも関係してないです!ぶっちゃけどことも関係してる気になってないですっ!なれないですっ!」
「だったらあんたは用なしって事ね。」レッドの手にはいつの間にやら銃が握られていた。
「ちょちょちょちょちょっ!((((;゜Д゜)))))))」
「あんたに対する嫌疑は晴れていない。晴らす暇もない。だったらこれが最も効率的な対処法だと思わない?」
「おもおも思わない!思わないですよっ!ちょっ!だっ!こっち向けないでっ!」そう言えば僕、アレは支給されてないなぁ…。
過去の出来事が走馬灯の様に4倍速で流れ始め、自分の中で終わった感が漂っている。
と、突然巨大ガラスの映像から悲鳴が響き渡ってきた。
見るとさっきの受付の人が黒山の人だかりに覆われていた。インスマス化した住民達が境内になだれ込み、社務所内にまで侵入して来たのだ。
数カ所に取り付けられたカメラが様々な角度からその様子を捉え、暴徒化した人々の姿をまるでニュース映像の様に複数の画面で映し出している。
「ここはもうダメですっ!そちらでエレベーターの封鎖をお願いし…!」カメラに向かって叫んでいた受付の人の顔が乱暴にカメラに押し付けられる。そして同じ勢いでカメラから引き離され、そのまま無造作に後ろに放り投げられた。そこへ住民達が山なりに覆いかぶさっていく…。
「トマリギさんっ!!!」相当ショックだったのか名前を叫んでしまうレッドさん!
映像が途切れ、画面には「NO SIGNAL」と出ている。やがて他の映像と場所を入れ替え、受付の人が映っていた画面はクローズされた。
「あれが…インスマス化…。」
夢遊病者の様に頼りない足取り、しかし明らかに目的を持って行動している人々。付近の住民と思われるこの人々の姿を僕は初めて克明に見る事ができた。
顔が魚の様になっていた。
驚くほど大きく弛んだ唇。生気のないガラスの様な眼。
体にはなんの変化も見受けられない様だったが、あの顔…。それだけの事でもう人間味の欠片もなかった。異形の者。それが今、地上にはびこっている。Cにひかれてここに集まろうと…。
「エレベーターのシステムを切れ!復旧の事は考えなくて良い。間に合わなければブレーカーごと落としても構わんっ!」ベロベロだった筈の参事官がすっかり素面に戻り、近くの職員に指示を飛ばしている。
「そんなもんしまえレッド。事態はもうそれどころではない。」
「………。」
「ピンクが眷属であろうとなかろうと、事ここに至っては大して違いはない。敵は実力行使に打って出ている。こういう時最も効果的なのは、こちらも同じ手を使う事だ。マニュアルを思い出せ。」
「…イチマルハチ…ですか?」
「そうだ!全員聞けぇっ!109は中止!108に変更!繰り返す!最優先事項はイチマルハチに変更!」
レッドがテーブルをひっくり返す。乗っていた皿やグラスが派手な音をたてて壊れていくが気にする様子はない。
その音が合図であったかのように他の職員達も次々にテーブルをひっくり返していく。エレベーターに対してバリケードを作っているのだ。
全員懐から銃器を取り出している。一部の職員はマテリアルルームの方へ走って行く。あそこでエレベーターの操作でもするのだろうか?とにかく僕1人だけが取り残された格好でポツンと佇んでいた。
「何してんだピンク!頭下げろっ!」参事官に怒鳴られたが、僕の耳には聞こえていなかった。今見た映像の事で頭がいっぱいになっていたのだ。
いや、受付の人の身に起こった惨劇の事ではない。その背景に映っていたある人物に目を奪われていたのだ。
アングルが悪くてハッキリ確認できないが、その人物は魚顔ではなかった。巨大なリュックと巨大なスーツケースと巨大なキャリーバッグを運んでいる。僕が東京から運んできたあの荷物だ。
しかし何よりも目を奪われたのはその服装だった。黒いジャージ…。
「………教官?」
ー続くー




