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第6話 それでも花は咲いたのだ

 花は一晩で枯れた。


 そして花が枯れてから、先生は衰弱していった。


「実がなるからだろう」


 先生の言葉通り、背中の枯れた花の痕には小さな実ができていた。この実がふくらむほどに先生の身体は少しずつ弱っていった。


「養分を実に集めているんだ。この植物は一年草であるのかもしれん」


 そう冷静に分析する先生が僕にはひどく恨めしかった。


 そして秋が深まり冬が近づく頃には、先生は学校を休むほどに衰弱し、僕は看病のために毎日先生の家に通うようになった。先生は学校に行けと言ったけれど、僕が無理矢理に押しかけ続けると、やがて何も言わなくなった。


 だから僕は今、先生の部屋で先生の好きなコーヒーを淹れている。


「すまんな」


「かまいませんよ」


 コーヒーを先生の元へ運ぶと、背中の実が邪魔にならないよう横臥せでベッドに寝ていた先生が、重い動きで身体を起こした。


「美味しくなったな」


「先生の教え方がうまいんですよ」


 コーヒーに口をつけて先生が微笑む。(しお)れるように弱った先生は、もう髪でコーヒーを飲まない。その長い髪は艶を失って白いシーツの上に力なく広がり、先生は枯れ枝のように細くなった手でコーヒーカップを持っていた。


「寒くなりましたね。もう暖房を入れていいんじゃないですか?」


 日が短くなるにつれ乾燥した風が冷たい空気を運ぶようになっていた。この部屋にもヒヤリとした冷気が床に沈んでいる。


「……そうだな。十一月で暖房とは、少し早い気もするが」


「寒さは身体に毒ですよ」


「すっかり看護人だな」


 先生に苦笑されながら暖房を入れる。エアコンからゴーと暖気が吹き出てきた。空気の乾燥も身体に悪そうなので加湿器も用意する。先生はさらに苦笑したが僕はかまわなかった。


 暖房と加湿器の音が静かに響く。


 僕と先生の間には沈黙が横たわっていた。何かを口にしたら、触れれば散ってしまう枯れかけの花のように最期を迎えてしまうような気がして、僕は怖かったのだ。


 だから僕は黙って先生と、部屋に差す日の色がしだいに()せていく様子を見ていた。


 けれど、先生は口を開いた。


「ビデオは回っているか?」


「……はい」


 ベッドの前には三脚に据えられたビデオカメラがセットされている。最後の一瞬まで植物としての自分の観察を続け、研究成果として残す。それが先生の意志であり、僕の仕事であった。


 先生がビデオを見つめている。じっと動かないその瞳に浮かぶ影の色は、先生のやせた頬に落ちる影が浸み込んで映っているかのように見えた。


「……すまないな」


 先生が言った。らしくない弱い言葉に、僕は自分の胸がきしりと音を立てたのを聞いた。


「謝るようなことしてると思ってたんですか?」


 努めて軽い口調で返す。けれど先生はらしくないまま、その大きな瞳で僕の顔を見て訊いた。


「私の花は美しかったか?」


 そんな話はしたくなかった。なのにすぐに返す言葉を思いつかない僕は、その間に耐え切れずに躊躇(ためら)いがちな頷きを返す。


 先生はゆっくりと首を縦に動かし、そして自嘲した。


「きっと、それは私の醜さがそうさせたのだろう」


 桜の樹の下の屍体。美しい花の下には醜いものが眠っている。らしくない言葉とともに先生は目を伏せる。


「君の気持ちに気付きながら、それを利用してこんな重荷を負わせる。エゴイズムの極みだな」


 そんなこと。僕はそう思った。かまいやしない。僕は言葉を探した。


「それでも」


 そして見つけた言葉を、僕は先生に投げかけた。


「それでも、美しい花でした」


 その言葉に顔を上げた先生を抱き締める。


 驚いていた先生は戸惑いながら、けれどやがて僕の背中に手を回した。その指はそっと僕に触れ、そしてしっとりと僕を抱いた。


 耳元で先生の声。


「……そうだな」


 呟き、そして先生はもう一度、はっきりと声に出した。


「そうだ」


 そうだ。それでも花は美しく咲いたのだ。

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