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第4話

 私の怒号は廊下中に響き渡り、反響しながらこの巨大な屋敷の中を駆け抜けていく。その自分の張り上げた音に追いつくようにして、私は大股で今しがた歩いてきた道を引き返していた。

 そんな私が最初に出会ったのは、血相を変えて走ってくる、メイドのオスコだった。

「な、何を大声で話されているのですか、セラ公爵夫人様!」

「あの部屋に案内したあなたなら、理由はわかりますわよね? オスコ。さぁ、今すぐ私の夫のところへ、ユーリックブレヒトのところへ案内しなさい!」

「っ! ユーリックブレヒト公爵様は、今公務のため外出中でございます!」

 忌々しげにそう言い捨てて、オスコはこちらを睨むように私を見つめる。

「そもそも、ユーリックブレヒト公爵様とあなた様は、まだ結婚式を上げていらっしゃらないではありませんか。それなのに気軽に夫呼ばわりなどと、軽率にも程がありますよ!」

「そういうあなたも、すでに私のことは公爵夫人様と呼んでいるじゃありませんこと? いずれそうなるのですから、個人の名称を呼ぶ時期など誤差に過ぎませんわ!」

「……だから、私は反対だったのです。王族にゴリ押されたからって、ユーリックブレヒト様が誰かを娶る必要なんてなかったのに」

 呪詛を吐き捨てるようにそう言った後、オスコは我に返ったように咳払いをした。その後顔を上げた彼女の表情は、慌てたような様子も恨みの感情もなく、逆に全く感情を宿していないように見える。

「失礼。取り乱しました、セラ様。ですが、今回ご用意させていただいたお部屋についてですが、こちら側としましては何ら不備があったとは考えておりません」

 冷静なオスコの言葉に、私も自分の激情を燃やしながらも、決して相手に隙きは見せまいと、気を引き締めて口を開く。

「不備がなかった、ですって? 他国から招いた将来の公爵夫人に、どのような考えがあってあの部屋を用意したというのかしら?」

「確かに、一国の国家元首のご息女としてご用意するには、あの部屋は不適切ではありましょう。ですが、これから先、セラ様がユーリックブレヒト公爵様のお力になれるようなことが、何かありますでしょうか?」

「……なんですって?」

「失礼ながら、ミルレンノーラ共和国で過ごされているセラ様のことを調べさせていただきました。結果、セラ様ご自身がお国でおっしゃられていた通り、国家元首のご息女と、そして女性の私から見ても美しいと感じられる容姿以外ございません。ただ美しいだけの女性であれば、この国の貧困層を含めて、ごまんとおります。そこからセラ様の生まれを勘案し、今後セラ様がユーリックブレヒト公爵様にお与えになる影響を考えると、公爵様にといってプラスになることは、果たしてあるのでしょうか?」

 その言葉に、私は何も言い返すことができなかった。オスコたちは、私の故郷と父のことを踏まえた上で、私にマイナスがありすぎるからと、あの部屋を与えたのだ。

 ……ここに来て、自分の今までの生き方が裏目に出るなんてっ!

 こんなことになると知っていれば、ミルレンノーラ共和国の貴族連中にも愛想笑いを振りまいていたのかもしれない。でも、まさか突然クロッペンフーデ大王国の公爵家に嫁ぐ未来が自分に待ち受けているだなんて、想像できるわけがなかった。

 打ちひしがれる私に向かい、冷静さを携えながら、それでいてこちらを嘲る気配を滲み出しつつ、オスコは悠然と私に向かって口を開く。

「おわかりいただけましたでしょうか? 確かにユーリックブレヒト公爵様は王族の方々からの進言を受けて、あなた様を娶りました。ですがそれは、あなたを娶ることであの方々の心象を良くする以外に、メリットがないのです。それであるにもかかわらず、セラ様は今後働く必要もなく、それでいて生活は公爵夫人として保証されている。それなのに、むしろ部屋一つで何故それだけ不平不満を言えるというのでしょう? ああ、ユーリックブレヒト公爵様がご参加されるパーティーなどにご同席が必要な場合は、お化粧やドレスなどはこちらでそれ相応のものを用意させていただきますので、外に出るときのご心配もいりません。あなたはこちらの言う通りに、黙って従っていればーー」

「……バツイチコブ付き」

 そうつぶやいた私の言葉に、オスコの口が止まり、表情が氷のように固まる。氷結した自分の体を無理やり動かすようにして、メイドは私の方へ顔を向けた。

「今、なんとおっしゃいましたか?」

「聞こえたでしょう? バツイチコブ付きと、そう申し上げたのですわ」

 そう言って私は、腕を組む。

「確かに、先程のオスコの言葉は、もっともです。私にはお父様の娘という立場と、そしてこの容姿以外取り柄はございません。そして、その私個人の評価が、国家元首の三女という格と合わせた時、私の評価が大きく下がらざるをえない、と言うのも、認めましょう」

 でも、それは何も私だけでなく、ユーリックブレヒトも、同じなのではないだろうか?

 つまりーー

「ユーリックブレヒトは確かに公爵という格はございますが、前妻に先立たれ、その子供も残されております。それを考えた時、他の貴族などの権力争いを勘案した結果、ユーリックブレヒトには私と結婚する以外の選択肢を、王族から与えられなかったのではないですか? そして私との結婚を見送った場合、ユーリックブレヒトはこの国で王族たちから目をつけられ、窮地に立たされていたのでは?」

「……あなたは、何が言いたいのです?」

「私としては、私がユーリックブレヒトが結婚することのメリットを、もっと正確に計っていただきたいと、そう申し上げているのです。先程オスコは、私との結婚が王族からの心象を良くすること、と言っていました。ですが、もしそうならなければ、私と結婚しなければ、一体何が起こっていたのでしょう? 王族から、彼はどんな扱いを受けることになったのでしょう? 貴族社会のクロッペンフーデ大王国に置いて、爵位は絶対的な権力の象徴。そして王族はそのもっともたるもので、如何に公爵といえども、王族から圧力を受ければたちまち首が回らなくなってしまうのではなくって?」

 そう言った私を、オスコはただ黙って見つめている。だが私にも聞こえるぐらい、彼女は歯ぎしりをしていた。

 その反応を見て、私は自分の推測が正しかったことを確信する。

 ……あの部屋に入る前に、自分が後妻として選ばれた理由について、考えを巡らせておいて、本当に良かったですわ。

 そうでなければ、この考えに至ることができず、私は一方的に不当な扱いを受けることになっていただろう。後で気づいたときには、自分と彼女たちの精神的な力関係が成り立ってしまっており、覆すのが簡単ではなくなってしまっていただろうし、そもそもそれを覆そうと思えるほどの精神的な余裕が、自分の中になくなっている可能性もあった。

 ……そういう意味で、私とユーリックブレヒトが、実は一方的な弱者と強者の関係ではなく、何かしらの交渉が行えるぐらいの関係であるということがわかったのは、非常に大きいですわね。

 これなら、当初考えていたような、ただ理不尽に見舞われ、それにひたすら耐え続けるような日々を過ごすだけの生活にはならなさそうだ。

 一安心と思っている私に向かい、オスコがメガネ越しに、こちらを睨む。他国からやってきた害虫を焼き尽くさんばかりに、赤い瞳が鋭く光った。

「……どうやら、悪知恵は働くようですね」

「これでも、国家元首の三女ですもの。ミルレンノーラ共和国が小国であったが故に、お父様の小言も聞いておりましたから」

 自分たちのような弱者が、バカ正直に強者に真っ向勝負を仕掛けたとしても、勝てるわけがない。弱者が勝つには弱者の戦略が必要で、その戦略とはどんな方法でもいいから、勝てるところを見つけることなのだ。

 ……弱者と強者。その構図は、変えられませんもの。だから、変えられるものから、一つずつ変えていっていけばいいんですわ。

 確かにミルレンノーラ共和国はクロッペンフーデ大王国の援助で成り立っている国ではあるが、逆に言えば、その援助を引き出し、継続させるための交渉が行えているということになる。

 ……もっとも、その交渉材料の一つとして、自分が売られることになるとは思いませんでしたけれども。

 でも、別の国に売られるからといって、自分の全て諦める必要なんてどこにもない。一つでいい。一つずつ進めば、いつかは自分の求めている道(未来)にたどり着けるはずだ。

 だから私は、そのもう一歩を進めるために、口を開いた。

「そういえば、オスコ。あなた先程、こう言いかけましたわよね? 『こちらの言う通りに、黙って従っていれば』、と」

「……それが、何か?」

「いえ、そこだけ主語が、ユーリックブレヒトではなかったのが気になりまして」

 そう言った私の言葉に、オスコが初めて怯えたような表情を浮かべる。

 ……これはどうやら、こちらもアタリのようですわね。

「オスコ。まさかとは思いますが、私にあの部屋を用意したのは、ユーリックブレヒトの判断ではなく、それに使えているあなたたち使用人が勝手な判断でーー」

 そう言いかけた私の言葉を、あっけなく遮る人影が、私たちの方へと走ってやってきた。

 その人影は、あろうことか私に向かって、こう言ったのだ。

「あ、新しくきた、おばさんだっ!」

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