断章Ⅰ
更新できてなかったです。
まだ登場人物は出揃わず、事件は起きないです。
その喫茶店は特殊な内装をしていた。
陽の光が差し込む窓際は相当に明るいものの、段差を下った先のホールは分厚い梁と間仕切りで光が通らない構造になっていた。天然板のローズウッドは黒寄りの茶色で重苦しく、弱々しいガスランプのみがわずかに奥の客を照らしている。座っているだけで陰気になれるような穴蔵の雰囲気を醸し出していた。
その重苦しい雰囲気に相応しく客の誰も彼もが口を閉ざしながら店内の重圧を楽しんでいた。
例外的に談話に興じていたのが僕と瀬能義隆である。
「君も物好きだなぁ」
「そういう瀬能さんだって誘いに応じてくださるじゃないですか」
脇からクリアファイルを数枚差し出すと、苦笑しながら瀬能はそれを受け取った。同時に店員がグアテマラ産のコーヒーとおまけの豆菓子を運んでくる。
「なにもただで、とは言いません。これはその……僕なりの誠意です」
瀬能が興味を示しそうな資料を提示するのに抵抗はなかった。無論、カードの全てを切ったわけでなく、ある程度の余力を残してある。
小さな呻き声を上げながら、資料を捲る手を止めると、
「調べりゃいくらでも出てくるようなことしか喋れんぞ」
「構いません。K山連続殺人事件については、僕も興味があるので」
期待を込めた眼差しで堂々と答えると、瀬能は頭をボリボリと掻いて反応に困っていた。
それ以上、何も云わずグアテマラ産のコーヒーを手に取り、香りを楽しむ素振りをしつつただ言葉を待った。あまり詰めるような雰囲気になっては顰蹙を買うかもしれないし、こういうとき言葉少なく相手の出方を伺うのは僕の常道となっていた。
鼻腔をくすぐる酸味は豆由来のそれではなく、長く保存し酸化した故の酸っぱさだった。
「まぁいいか」
瀬能はそう呟いてコーヒーを手に取ると、
「ガイシャはぴったり50人。あの日の状況には不透明なことが多い。犯行が昼だったのか夜だったのか……それすら分かっていないのが実情でな」
「死体の損壊がひどかったから、ですよね」
「そう。直接的な死因は何らかの鈍器による打撲だと思うが、犯人はその後に遺体をバラバラに切断して地面に埋めやがった。そりゃもう腐っててなぁ……どいつもこいつも」
「きっちり50人も?」
「相当な労力だと思う。だが、事実だ。近隣住民の通報を受けて、俺たちは山をかき分けてそこらじゅう探し回った。今思えば捜査が打ち切られる前に遺体を発見できたのは僥倖だったな」
「私は素人ですが、山に死体を埋めるというのはそんなに分からないものなのですか?」
「分からんね。浅ければ警察犬が見つけるし、風雨に晒されればどんどん土が奪われて体が見えてくる。それが傾斜の掛かった地形ならなおのことだ」
一瞬、瀬能が何を云っているのかわからなかった。
件の限界集落は、家や田畑が急斜面に寄り添うように密集する地形だったはずだ。
「なら、時間の問題なのでは?」
「逆だよ。その道理さえ分かってるやつの犯行なら、永遠に見つけられないってわけさ」
感嘆の息を吐きながら、知らず知らずのうちに前のめりになっていた。
瀬能はタバコを一本吹かすと、前傾姿勢の僕に合わせて耳打ちするように顔を近づけてくる。
「ということは、そこに規則性を見出したのですね?」
「ご明察だが……ときどき刑事に向いてる記者を見かけるが君もその一人だな」
目を丸くして瀬能は僕を見た。
僕は失笑を抑えながら頭を振った。
「つまりですね。山陰の限界集落なら傾斜ばかりでしょう。ならば埋めるのに適した場所が限られてくると」
「その通り、あのときは誰が言い出したんだっけな。そこに絞って探してみたら出るわ出るわ。ホトケさんに慣れてる捜査員も吐いてたよ」
暗然としながらも屈託のない笑みで瀬能は過去の出来事を笑っていた。
「いや、君大したものだね」と匙で砂糖を溶かしつつ、カップを覗き込む。
それが本心かどうかはわからない。だが瀬能に褒めそやされたのは事実だった。加熱したイマジネーションがたまたま的を射ただけなのだが。
「ほんの当て推量ですよ」
「そう謙遜することでもないだろう。ラッキーパンチは大事だよ。初めは無思慮であっても、吟味を重ねるうちにラッキーパンチを再現できるようになっていく。それができる人間は遅かれ早かれ有能と呼ばれるようになるんだろうな。ま、大抵の凡夫はまぐれをまぐれで終わらせてしまうがね。そこいくと俺らもそうだった。その後に何も続かなかったんだからな」
「……本当にそうですか?」
んん……と低い声で瀬能は応えた。
僕は懐からもう一つ資料を取り出した。クリアファイルのような薄っぺらいものではなく、日誌に使われるような400ページほどのスクラップ帳だ。
「これは?」
瀬能の巖のような目元の奥が黒く光った。
僕はその視線を噛みしめるように深々と頷いて、告げた。
「お納めください。瀬能さんなりの見解を聞きたいのです」