4話
やっとこれた……登場人物が出揃うまでもう少しです。
「いらっしゃいませ」
温かい声で云って、突然の来訪者を宝田真里は迎え入れた。
うっすら化粧をしているように見えるが年若い少女のようにも妙齢の美女のようにも見える肌艶をしていた。顔つきで云えば若く見えるが物腰が柔らかく、ともすれば僕より一回りも年上ナノではないかと思わせた。加えて背格好も今井さんに負けず劣らず立派なもので、あまりお目にかかれないプロポーションをしていた。一方で服装は男の僕にもわかるほど縫製の荒い安物のワンピースを着ていた。よく洗濯されており汚れはないが相当に着回している様子で生地は色褪せてすり減っている。
うっかり初対面の女性を見すぎた。僕は顔を赤らめながら頭を下げて、部屋に案内する宝田さんの後ろについて行った。失礼かもしれないが後ろ姿もまた目が離せない。容姿に似合わない服装はまるで童話の灰かぶり姫のようだ。
案内された部屋はちょっとしたホールのようになっている。キッチンやバスルームは別室にあるようだが、吹き抜けのある6メートル弱のリビングは薪ストーブや厚手のソファが置かれ、五人くらいで使用する談話室になっていた。吹き抜け構造になっており二階に続く階段やロフトがリビングから見える。
開放的なホールには陽光が差し込む透明なステンドグラスを通して暖かい空気で満ちていた。
「あの……今井さんは?」
あっと思い、僕はすぐにはにかんで笑顔を作った。
話の切り口が思いつかず自己紹介もせずに質問してしまったのだ。僕は緊張している。
宝田さんは問いに答えるでもなく、
「どうぞ」
とキッチンでコーヒーを淹れて差し出してくる。
包み込むような優しい声に思わず頭を下げてコーヒーを手に取るが、何を話せばよいのか体は緊張の極みに達していた。今井さんの口利きはまだだろうか、と室内へと視線を泳がせる。
宝田さんはそれを察したように、
「彼女は上で寝てますよ」
「え?」
「帰るといつもそうなんです。さらっとシャワーを浴びて汗を落としたら、ぐっすり眠っちゃうんです」
それはどういう……と聞きかけて、僕はハッと気付いた。今手に取っているコーヒーカップは宝田さんのと同じ意匠をしている。まるでペアカップのように。
「ひょっとすると、二人で暮らしているんですか?」
「ここ数年はずっとそうです。彼女の家もあるんですけどね」
「へぇ……今井さんは小屋暮らしをしたくてこの村に来たと云ってましたが」
「意外と人懐こいんですよ。まぁ私としても二人で暮らしたほうが効率が良いので気にしてませんがね」
持っていたカップを置いて、宝田さんは窓の方へ歩いていった。
窓からは別荘村が一望できる。まるで花壇のように、雛人形の壇のように規則的に段々と横並びになっている家屋が窓から見える。この家だけがその配置の中でも特別だった。
「随分、離れた位置に建っているんですね。ここだけ」
「この家は管理者のものですので。一応、私がその役割といいますか」
僕は窓からログハウスの数を数えた。外から見たとき同様、やはり15軒ある。よくよく目を凝らすと、ガレージを併設している家、隣に四角いプレハブ小屋を併設している家などもある。あそこには人が住んでいるのだろう。
「空き家も結構多そうに見えますね」
「ええ。私を含めると別荘村の人口は5人だけですから」
「良いところなのに。村に人は誘致しないのですか?」
「それはしません。みんなから反対されるでしょうし」
「なるほど」
白いレースカーテンを閉めると宝田さんは僕の方を振り返って、
「貴方は何の用があってここに来たのですか?」
と、何拍かおいて吸い込むような目で声で訊いてきた。
「ええと……実はですね」
眼力に怯みながらも、僕はポケットを弄って、一枚の写真を取り出した。
「人を探しておりまして」
「宇城みきさん?」
僕は大きく首肯する。
「やはり、ここにいらっしゃるのですね」
「ええ……あの方のファンですか?」
「そうですそうです」
何度も首肯するとテーブルの上に写真を置く。宝田さんはショートボブの髪を軽く撫でながら宇城みきの写真を見下ろしていた。
宇城みき。とある界隈では伝説的なアーティストだ。コンポーザー、ヴォーカルを兼任し、動画サイトで細々と活動していたが活動開始から1年後にソロデビュー。3年連続でチャートインを続け商業的に成功を収めるも何故かタイアップや広告が乏しく、レコード大賞などの受賞経験もないという異色の経歴の持ち主だった。
現在も年に一度は新曲が発表され活動休止状態ではないが、彼女にはある噂があった。
「一時期、失踪したと世間を騒がせていたのをご存知ですか?」
「すみません。こういう環境ですからテレビが映らなくて。新聞も経済欄しか見ないもので……ああ、でもそういえば彼女から聞いたことがあるような」
「なるほど」
宇城みきは失踪していた。今となっては都市伝説としてファンの間でも一笑に付されるような与太話だが、当時の事務所の対応に違和感があったのは事実だ。期間にして半年にも満たない空白ができたとき、失踪の噂話がネットでにわかに囁かれ始めた。それに対する事務所の発表は実に淡白かつ当たり障りのないもので噂を否定する短い文章が掲載された。だがある筋によると、彼女の動向について事務所の誰も彼もが説明するできなかったというのだ。
「でも想像はつきます。彼女、自由奔放だし。誰にも何にも云わずにこの村に移住してきたんでしょうね」
「一目でいいからお会いしたくて」
「彼女にですか?貴方も変わってますねぇ」
「宇城みきは顔出ししないアーティストなんですよ。会ってしまうと神秘性が薄れるとか想像の余地がなくなるとかいう人もいますけど……会ってみたいと思うのはファン心理じゃないですか」
「まぁ神秘性は薄れると思いますけど……今はオススメしませんよ」
「どうしてですか?」
「彼女、作曲中だからです。会ったら間違いなく機嫌を損ねます。絶交されますよ」
なるほど。相当潔癖な人格だというのはファンの間でも共通見解だった。会えるだけでも重畳だが、どうせならまともにコミュニケーションを取りたい。
宝田さんは紅潮した僕の顔を冷めた目で見ながら、コーヒーを飲み干した。どうも、一連の話題に興味を示していない。宇城みきを好ましく思っていないとするなら、彼女は宝田さんのように対外的に柔和な女性が嫌うタイプなのだろう。そう思うだけで想像力を大いに掻き立てられた。
「どうすれば和やかに話せますかね?」
「作曲に夢中になっているとき以外に話しかけるのが一番ですが……。いや、そうでなくても突慳貪ですからね」
「今井さんが持ってきた荷物を利用できませんか」
「なるほど。みきちゃんは必ずえいちゃんに頼み事をしてますからね。お目当ての荷物を届けたことにかこつければいけるかも」
一瞬何を云っているのかわからなかった。
みきちゃんは宇城みき。えいちゃんは今井栄子さん、か。年長女ならではの言い回しだろうか。
背負子に積まれた発泡スチロールを見ると、分かりやすく「みき」とマジックペンで書いてある。
「にしても……わざわざ山奥まで人に会いに来たわけですか?ファンってすごいですね」
「もちろんです。何なら会えなくても目と鼻の先まで来れただけで感動ですよ」
「そ、そんなものですか?」
僕は息を大きく吸い込んで鼻を吹き鳴らすと、
「ええ。推しのアーティストが作曲している、インスピレーションを受けている土地に来れたわけですから、そりゃ感動しますよ。分かりやすく云うと聖地巡礼みたいな。この上さらに会えたら、もうその日の夕方に何者かに殺されてもいいとすら思ってます」
「言ってる意味が分かりませんね……」
宝田さんは引いてしまっていた。
だが僕は舞い上がっていて美女の軽蔑など何処吹く風だった。張り切って背負子にくくりつけてある荷物を解くと、両手に抱えて立ち上がった。何かの機材でも入っているのか、見た目相応に重い。
「では今すぐ持っていくとします」
「それはやめておいたほうがいいかと……」
「え、どうしてですか?」
「作曲中だからです。今は正午を回っていますから流石の彼女も起きてます。絶対に邪魔しないほうがいいですよ」
「どうすればいいんですか」
ええと、と指を口元に当てて思案する宝田さんは10秒ほど経つと、壁にかけられたカレンダーに目を移した。赤ペンと黒ペンで今月の行動予定が簡潔に書かれており、余人では読み解けない単語のみが記載されていた。
宝田さんは「みきちゃん」と赤で書かれている明後日の日付に指を当てると、
「明後日の12時に届けてください。えいちゃんがそうする予定だったのだから、多分それが一番良いと思います」
なるほど、と肩を落として荷物を元あった場所に置く。
逸る気持ちをどうにか抑え込む。もうすぐそこまで来ている。二晩待つだけで憧れの君に会えるのだ。
辛抱しよう。僕はそう心に決めた。
次は場面転換するかと思います