3話
気付いたら10日過ぎていた……
短いですが更新です
藪道を少し進んだ先に休憩所があると今井さんは云った。計算では日没後も歩き続けなくては目的地に辿り着けない行程だった。テントなどの装備はあったため強行してもよかったが今井さんはキャンプ道具を持っていなかった。一方で今井さんが僕を置いていっていつものペースで歩けば日没後にはなるが日を跨がず別荘村に着く見込みだった。相談した所、とりあえず休憩所まで移動してそこで宿泊。翌日にゆとりをもって別荘村に行くことにした。
どうせなら、と僕は今井さんに話をつけて道の駅まで引き返し必要な物資をリュックサックに詰め込んだ。別荘村にまさか明日たどり着けるとは思っていなかったので比較的軽装だったのだ。戻って道の駅に付いたのが二時半頃。六時過ぎには休憩所に到着するなと腕時計を確認して歩を進めた。
「いやあ本当に助かりましたよ。全く収穫がないものだから、途方に暮れてたんですよ」
休憩所に着くと僕はほっとしたように呟いた。
「気にすることはありません。貴方が迷っていたのはなんといっても私のせいなのですから」
「とすると、帯を取ったのは今井さんなのですか?」
「ええ。貴方のような人はこちらとしても歓迎していませんので」
「まぁ……やっぱりそうですよね」
「私はともかくあの村の住民は筋金入りですよ。なんとなく察せられるでしょう?」
「そりゃあまぁ……想像はつきますよ」
「厭世観の強い金持ちの集まりですよ」
心配そうな様子で今井さんは諭してくる。
「今井さんはずっと歩荷をやってらっしゃるんですか?その……専属のような形で」
「一応そうですね。元々歩荷なんてやってなかったんですけど。なんというか、小屋暮らしって知っていますか?」
「最近だと動画サイトで見かけますよね。都内に住んでいた人が田舎で小屋を自作してのんびり暮らすっていうやつ」
「そうです。あれをやりたかったんですけど、たまたま別荘村を見つけちゃって。作らなくても理想の環境があるならそれでもいいかなって」
「なるほど。その後、住民に依頼されて歩荷を?」
「ちょっと違いますね。私からお願いしたんです。元々登山好きだったので足腰には自信があって。あそこに住んでいる人結構お金持ちが多いじゃないですか。だから商売になるんじゃないかって」
「そりゃたくましい。僕も見習いたいくらいです」
今にも倒壊しそうな木製ベンチに寝転がって僕は答えた。
見回してみると休憩所は極めて簡素な作りをしていた。
トタン板を継ぎ接ぎにした壁にプラスチックとポリカーボネートの波板をこれまた継ぎ接ぎにした天井で、高さは一階分ほどもない2メートル、幅は1.5メートル、奥行きは3メートルほどしかない。休憩所というよりも田畑の隅にひょっこりと存在している物置のようだ。
その手狭な空間の両端に木製ベンチが2つ置かれている。
僕は背を向けるか天井を見ながら彼女の話を聞いていた。彼女の方を向いてしまうとあの冷たい美貌を間近で見なければならない。僕とて30手前の男だ。小さい空間に美女とふたりきりとはいえ、そろそろ情欲とも折り合いがついてくるころ。邪念を理性で抑えつけるのは造作もないが、ただ平静な顔を維持できる自信はなくて、そこに羞恥があった。
翌日、午前8時にセットしたタイマーに起こされて出発した。
指針もなく歩いていたこれまでと違って今井さんの先導のおかげで難なく湖畔に辿り着くことができた。開放された美しい湖を見物しながら湖畔に沿って歩き続ける。
前を歩く今井さんの足取りは力強く一歩一歩の重心移動が丁寧に思えた。一方の僕はと言うと足首がブレて骨が悲鳴を上げ続けていた。
行程もあと僅かという頃、中々別荘村は見えなかった。遠目にチラとでも視界に入るものかと思っていたがあと1キロメートルもないというのに中々ヴェールを脱いではくれない。
「まだ到着しないんですか……?」
「地形がうねってるからね。急に出てくるよ」
そう今井さんがいうと、山の稜線を超えた瞬間にログハウスの屋根が見えた。
「ほらね」
僕と今井さんはようやく切り開かれた道らしい道を下りた。
小さな丸太を埋め込んだ簡素な登山道が別荘村まで続いていた。獣道とは違い、踏みしめられた土とはこうも足に吸い付くのかと思った。
近づくにつれて、別荘村の全容が明らかになってくる。
1万坪あまりの広い空間に10軒はあろうかというログハウスが見える。丸太を横に積み上げたオーソドックスなログハウスが急斜面に等間隔に配置されていた。斜面の上の建築物を安定させるために擁壁が設けられ、鉄筋コンクリートで安定を図っている。そうしたログハウスがいくつも並んでいる光景は、手作りの鳥小屋を彷彿とさせた。
村の入り口に寄ったログハウスの近くには小さなコンクリート造りの港が三角形に縁取られている。
近付いてみるとドアにはセキセイインコの彫像がドアの横に鎮座していた。よくある愛玩鳥の一種だ。
「その子の頭を押してみて」
「頭ですか?」
僕は戸惑いながら答えた。
「それ、動くから」
インコの頭を押さえてみろというのか。
物言わぬセキセイインコの色褪せた青い羽を軽く擦ると、云われた通りに頭を押してみた。すると、抵抗感もなく彫像は僕に向かってお辞儀をした。
何処からか、鳥の鳴き声がした。
「ええ、なんですかこれ」
何度も頭を押してインコをお辞儀させてみる。インコが頭を垂れるたびに「ちゅんちゅん」という鳴き声がどこからからか、木霊する。
なるほど、と思い今井さんの方へ振り返ると、
「もう、連打しすぎですよ」
「呼び鈴ですか」
「そうそう。お洒落でしょ」
「面白い仕掛けですね」
鳥小屋を連想した僕の所感はどうやら間違いではなかったようだ。別荘村の設計に携わった者は遊び心で凝った仕掛けをするのが得意なのだろう。
「中に人がいるんだからもう少し気を遣ってくださいね」
「すみません。すみません」
はっとして頭を下げた。今井さんの家だと思い込んでいた。
そんな僕に微笑みかけながら今井さんは背負子を背負ったまま扉に入っていった。荷物運びを手伝うつもりだったのに声を挟む隙間もなかった。
しばらくして奥の扉が開かれた。
出てきたのはワンピースを着た栗毛の美女だった。
「初めまして、宝田真里と申します」