プロローグⅡ
続きです。
一応ここまでが導入です。
別荘村。
連続殺人事件の起きた集落は県境近く、その山奥の登山口から10分ほど下った場所にある。県境から登頂するK山の山頂は全周囲が開けており、何も遮るものがないため内陸にあって日本海が見渡せる知る人ぞ知る絶景スポットだった。故に登山口までの通り道にある村落は地元の登山愛好家にはよく知られていたのだが、そこからさらに県境を離れた人口湖畔に別荘村はあった。あるといわれていた。
金に敏い男が計画したものだったのだろう。建設したダムによって生まれる人造湖を利用してホテルを作ろうと目論んだ企画屋がいたのだ。しかし、取り掛かるや否や地盤の弱さによって5階建てのホテル計画は頓挫。ならば、と富裕層向けに別荘を建てたのが事の起こりだ。もっとも整備した道は人造湖畔の予想外の水位に沈没。売り物にならなくなったので事業そのものが消えてしまったというのが都市伝説的に囁かれている顛末だった。
「誰か、今も住んでいるんでしょう?瀬能さんはなにか知っていませんか」
「んん……まぁ、な。あそこに犯人が潜伏してたんじゃないかと当時疑われてな。今思えばなんの根拠もない当て推量だったんだが、随分獣道を歩き回った」
口が寂しくなった瀬能はタブレットからコーヒーを注文した。
「そう、そこに住んでる変わり者たちを記事にできたら面白いんじゃないかと思いましてね」
営業スマイルの女性店員が運んできたコーヒーに砂糖を入れながら、僕はようやく本題を切り出した。
実を言うと瀬能と楽しく談話するだけでもこの場は良しだった。上機嫌に終わらせることができれば次に繋げられるし、瀬能という個人と縁を結べた成果だけでも上々といえる。だが、別荘村への好奇心を充足させたい焦りにも抗いがたいものがあった。
「ふうん。やはり、そう来たか」
意地悪そうに口を歪めるとコーヒーを一口啜る。実直な刑事の顔から、諧謔味のあるジャーナリストの顔へと変貌を遂げているのがわかった。何らかのスイッチを押してしまったようだ。ひょっとすると、軽蔑されるか説教をされるのでは?そんな緊張のあった僕にとっては予想外の反応だった。
「そう身構えるな。私はとうに現役を引退している」
張り詰めた僕を落ち着かせるように瀬能は表情を和らげた。
「まぁ他人のプライバシーに踏み込もうというのだから、関心はせんがね。記者としてあの村の住民に興味を持つ気持ちは分からんでもない」
「では、教えていただけますか?」
「君は現金だな」
瀬能はカップを机において、ソファにもたれかかった。
「しかしねぇ……約束が違うじゃあないか。君は連続殺人事件について聞きたかったんじゃないか?」
意地悪そうに僕をたしなめる。思わず僕は目をそらしてしまった。まるで蛇に睨まれたように緊張して、ばつが悪くなってくる。僕は机の下で手遊びをしながら、視線を泳がせた。喋るどころか、平静な顔も取り繕えていない。
「今の別荘村の状況は把握されているのですか?」
「いいや。私があそこに踏み入ったのは十数年前の話だよ。果たして人が住んでいるのか、もしいたとしても住民など入れ替わっているだろう」
僕は注意深く瀬能の眼を観察する。
彼が社会正義を尊ぶ厳格な警官なのか、ネタを節操なく換金するジャーナリストなのか。役者のように顔を一変させる瀬能だが瞳の奥の冷厳さだけは変わらない。僕はその冷たい輝きを信じることにした。ビジネスバッグからA4サイズのクリアファイルを取り出すとゆっくり机に置く。
プリンターで煩雑に印刷された一枚の絵を指差すと、
「衛星写真です。湖の近くのここ、家屋ですよね?実は大まかな位置は分かってるんです」
ははぁ、と感心したように瀬能は顎をさすった。
「なるほど。つまりこう言いたいわけだね。なにがなんでも俺は行くぞと。いいのか?道を教えてくれないと俺は遭難するぞ、と」
この日、瀬能の目の色が初めて変わったように見えた。それは喜色に見えた。
衛星写真の横に並べた地図に眼を落としながら、真剣な表情で何やら思案していると、
「ペンはあるかい」
「どうぞ」
赤ペンを受け取ると、衛星写真と地図に太い赤丸と線をつける。
「このへんは標識も何もないが急勾配のカーブがある。左手を見ながらゆっくり走るといい。黄色い帯が木に巻き付いているはずだ」
「そこから道が続いていると」
「残念ながら道はもうなくなっているだろう。ただ帯は別荘村までいくつも巻いてあるから、辿ることができれば到着できるだろう。辿ることができれば、ね」
「どうも、ありがとうございます」
深々と頭を下げると、「元気があって良いね」と瀬能はコーヒーを啜った。
「素人が行ける行程ではないと思うが、どうせ止めても行くだろうしな。君は」
「恐縮です」
「勘違いするなよ。君のジャーナリスト根性なんかに感化されたんじゃない。危なっかしい馬鹿者を止める手立てが僕になかっただけだ」
それきり瀬能は別荘村の話題を打ち切った。僕もこれ以上は野暮だと思い、予め用意していた連続殺人事件の資料をもとに幾つか質問を投げかけるに留めた。儀礼的な、他愛のない雑談のようなものだと察しつつも僕の愛想笑いに瀬能は合わせてくれた。
「ではな。体に気をつけ給えよ」
待ち望んでいた瀬能義隆との対談の成果は予想を上回るものだった。
嫌われずに別れることができれば良しとすら思っていたが、話が弾んでしまった。数多の容疑者と取り調べを行ってきた瀬能の魔力があるいはそうさせたのかもしれない。
しかし、このとき僕は思いもしなかったのである。まさか生きて瀬能と話す最後の機会になってしまうとは……。
次回から別荘村に足を踏み入れます。
更新は一週間後ぐらいに。。。