彼女の声は私の目、私の目は彼女の心
百合です。ヤンデレです。ご注意を。
「明里、おはよう」
「おはよう、ヒカリ。トイレ、行きたい」
「わかった」
ヒカリはそう返事して、私の手をとってくれる。
温かい。
手が温かいと心が冷たいなんて、誰が言い出したのかわからないけれど、そんなの絶対に嘘だ。
彼女は手も、心も、陽だまりのように温かい。
私はヒカリの手の指に、自分の指を絡ませる。
「これ、歩きづらくない?」
「歩きづらくない。これが一番いい」
「わかった。歩くよ」
「うん」
ヒカリと手を繋ぎ、トイレへ向かう。
彼女は今、私に背を向けた状態で、私の正面にいるはずだ。
私は、目が見えない。
一口に目が見えないといっても程度があるけれど、私の場合は全盲だ。
つまり、全く光を感じることができない。
目が見えなくなったのは、小学校四年生のときだ。
当時、私のクラスには男勝りな女の子がいた。彼女は大変やんちゃな子で、いつも男子と遊んでおり、中休みや昼休みはよくサッカーをしていた。
その日は雨が降って、グラウンドは使えなかったのだけれど、彼女はいつものように、中休みの始まりのチャイムが鳴るやいなや、ボール籠からサッカーボールを取り出した。
渡り廊下でリフティングをやるらしい。
こんな雨の日に、よく球蹴りができるものだと思った。
当然、渡り廊下でボール遊びをすることは禁止だ。
だけど、小学生の小さな体で、有り余るエネルギーを抑え込むのは無理だったのだろう。ボールを取り出した彼女は、いつものメンバーと一緒に、教室を飛び出していった。
私は職員室に用事があったのだけれど、職員室に行くには彼女達が遊ぶ渡り廊下を通る必要があった。彼女達が出ていったあとすぐ、職員室に向かったのだが、彼女達は非常に邪魔だった。
私は注意できるほど気が強くなかったから、誰か早く注意しないかと、渡り廊下の横の窓から眺めていた。楽しそうにボールを蹴る彼女の笑顔が実に恨めしかった。
すぐに先生が来て、注意をしたのだけれど、その声にびっくりしたのか、彼女はボールを強く蹴り飛ばし、そのボールはあろうことか窓ガラスを割ってしまったのだ。
その窓ガラスの向こう側には私がいた。
私は反応が出来ず、顔に窓ガラスの破片をもろに受け、運の悪いことにそれで両目とも切り裂いてしまったのだ。
そのあとは大変だったらしいが、私はあまりの衝撃に泣きわめき、救急車に運ばれたためよく覚えていない。
病院に連れて行かれ手術を受けたのだが、最悪なことに両目は完全に失明してしまった。
顔の傷はなるべく目立たないように処置はしてもらったようだが、私は自分の顔を見ることが出来ないため、どのような見た目になっているかはわからない。完治したあとに顔を触ってみた感じだと、僅かに縫合の凹凸は残っている気はする。
私が入院中、彼女は親と一緒にお見舞いと謝罪に来てくれていたようだが、私の親は頑として会わせなかった。退院後はすぐに盲学校へ転校したため、失明したあとに彼女に会うことはなかった。一応、両親間で謝罪と賠償は済ませてはいたようだ。
盲学校は弱視の子もいれば、私のように全盲の子もいた。学校全体で幅広い年齢層の人がいたようだ。私は急に全盲となったから、とにかく覚えることが多かったし、感覚が全く慣れなかった。
だけどみんなすごく優しくしてくれたから、点字や白杖などの補助器具の使い方や、内、外の歩き方などの動作をなんとか覚えることができた。しかも私は耳がかなり良かったようで、エコーロケーションも身につけることができた。身につけるのは死にものぐるいの努力が必要だったけれど。
ヒカリと出会ったのは、盲学校での高等部教育が始まって、最初の休みの日だった。
私は休みの日に出歩くときは、基本的に母親を介助者にするのだけれど、その日は一人で外を歩いてみたかったため、母親が買い物に行った隙に、家から出てしまったのだ。
一人で歩く訓練はずっとしていたし、エコーロケーションも使えるようになっていたため、家の周りを少し歩くくらいなら大丈夫だろうと思ったのだ。
甘かった。
暫くは問題なかったのだけれど、途中、曲がり角から飛び出してきた何かとぶつかり、白杖をどこかに弾き飛ばしてしまったのだ。ぶつかった感触からしておそらく子供だろう。その子供はすぐにいなくなってしまった。
エコーロケーションでは障害物は分かるのだけれど、落ちている白杖を見つけることが出来ない。もとより人通りの少ないところを歩いていたため、通りかかる人もいない。幸いにもスマホは首から下げて持っていたため、申し訳ないが母親に迎えに来てもらおうとしたときに、ヒカリが通りかかって白杖を拾ってくれたのだ。
優しい声だった。
すごく優しく、親切だった。
私は一人で家に帰れるからと言ったのだけれど、彼女は頑なに付き合うといい、結局家まで介助してもらった。彼女の誘導は上手だった。
楽しかった。
彼女は私と同年代のようで、家に帰るまで話しに付き合ってくれた。
私は彼女とこれきりで別れるのが嫌だったから、しつこく言いより、連絡先を教えてもらったのだ。名前を知ったのはその時だ。彼女は私がスマホを使えることに驚いていた。
私はヒカリの声がとにかく聞きたくて、時間があるときはしょっちゅう電話をかけた。彼女はそんな私にいつも付き合ってくれた。
ヒカリの声は、私にとってまさしく光だった。
私はヒカリをどうしても両親に紹介したかった。電話の声だけでは我慢できなくなり、直接声を聞きたくなったからだ。両親は私がよく電話をしているのを知っているから快諾してくれたのだが、彼女は頑なに断った。どうして、と問い詰めても教えてくれなかった。
それから気まずくなり、暫く連絡をとらなくなったのだが、ヒカリから連絡があり、両親に会ってくれると言ってくれた。私は大はしゃぎで両親に伝え、彼女が来る日を楽しみにしていた。
ヒカリは、彼女のご両親と共に家にやって来た。
なぜご両親も同伴なのかと不思議に思ったのだけれど、私の両親の応対ですぐにわかった。
ヒカリは、私を失明させた、あのやんちゃな女の子だったのだ。
私は目が見えなくなったことを恨んではいないし、そんな昔のことは心底どうだって良かった。だが、親は違った。娘の顔に傷をつけ、あまつさえ失明させた張本人を許すことなど到底不可能だったようだ。
ヒカリはご両親と共にひたすら謝罪をしており、私の両親はそれに対し怒鳴りつけている。まさに地獄絵図だ。私は我慢できなくなって、いい加減にしてくれと声を張り上げた。そもそも小学校のときに謝罪と賠償は終わっている。娘が気にしてないのだからもう根に持つのはやめてくれと。そして勢いのまま言ってしまったのだ。
そんなに罪を償わせたいのなら、ヒカリに私を介助させろ!
朝も、昼も、夜も一緒にいさせろ!
と。
私は言った瞬間しまったと思ったけれど、訂正することが出来なかった。
本音だったからだ。
そのあとはどういう経緯とやり取りをしたかいまいち覚えていないが、盲学校の卒業と同時に私はヒカリと同棲することになった。
ヒカリは大学に進学しているから、さすがに四六時中、私の介助というわけにはいかない。ただ、学校に行く前と帰ったあとはずっと私に付きっきりだし、休みの日は片時も離れないでいてくれる。
私の温かな光は、ずっと側にいてくれる。
嬉しい。すごく、嬉しい。
そして、ヒカリはそれを嫌がってはいない。私は耳がいいから、声でそれがわかる。
私の亡くした目は、今も彼女の心をずっと縛り続けている。
たまらない。ひどく、たまらない。
「ヒカリ、顔、触らして」
「ん」
彼女は今、どんな顔になっているのだろう。
あのやんちゃな女の子は、どんな顔に成長したのだろう。
私は、あの女の子の顔を思い浮かべながら、彼女の顔に触れる。
目は、睫毛は、眉毛は、髪は、額は、鼻は、頬は、顎は、口は。
どんなだろうか。
彼女はくすぐったいのか口元がひくひく動いている。
ひとしきり触ったあと、同じところに唇で触れていく。
目にキスを、
睫毛にキスを、
眉毛にキスを、
髪に、
額に、
鼻に、
頬に、
顎に、
口にキスを。
そのまま彼女のシャツに手をかける。
「待って。私、今から学校だから」
彼女の制止を無視してシャツの中に手を入れる。
「ホントに待って! 帰ったらちゃんとするから!」
「ホントに?」
「ホントだって」
しょうがない。
「わかった。早く帰って来てね」
「講義終わったらすぐ帰るよ」
ああ、私の光は、こんなにも優しく、こんなにも温かい。
私は、今日もヒカリの声を思い浮かべながら、彼女の帰りを楽しみに待つのだ。
明日も、明後日も、この先ずっと、ずっと。