冬の思い出の落とし物
この地方では、十月中旬になると雪が降り始め、十一月にもなれば、辺りは真っ白に覆われる。
村から少し離れた、何もない、人気も無い、真っ白な所に、僕はポツンと立っていた。村に居ても、いつも大抵一人でいるような子供だった。親も、同学年の子供たちも、なかなか、好きになれなかった。だから、時間が出来たら、いつもここに来ていた。人はいないけど、お地蔵さんがいる。自分と同じで、一人っきりだ。僕はいつも、お地蔵さんによっかかって座っていた。不思議と、温かい気がしたんだ。お母さんよりも。こうしていると、何だか、眠くなってくる。
ふと、気付くと、向こうに人の姿が見えた。雪のせいで見え辛かったけど、人の後ろ姿の様に見える。自分には、気付いていないようだ。村の人達は、たいてい働いているか、子供同士で遊んでいるかで、自分以外の人がここに来るなんて、初めて見た。まさか、他にも人がいないだろうかと、辺りを見回すと、人はいなかったが、小さい、花柄のニット帽が落ちている事に気付く。こんなに近くにあったのに、気付かなかった。もしかして、あの人の落とし物だろうか。立ちあがって、雪に靴を埋もれさせながら歩いていき、帽子を拾う。この帽子、落としましたか?なんて、聞きに行こうなどとは考えなかったし、別段、どうしようとした訳でもなかった。なんとなく、拾いにいった。
帽子を拾って、顔を上げると、ビックリした。思わず、わっ、と声を上げてしまった。自分と同い年位の、女の子が目の前に立っていたのだ。身長は僕より少し低め、真っ白のコートに、真っ白なマフラー、真っ白な髪、肌。雪の色と同化して、溶けて、消え去ってしまうんじゃないかって位には、白一色で、そして、雪の様に綺麗だった。
僕は、これ君の?と尋ねた。女の子は、首を横に振った。でも、君は帽子をしてないじゃんか。それでも、私のじゃないわ、と女の子は言った。
僕はもう、帽子を被っていたし、そもそも花柄の帽子なんて、恥ずかしくって被れたものではない。どうしようかと考えていたら、良い考えを思いついた。僕はお地蔵さんの所まで歩いて行って、頭の雪を払って、帽子を被せてやった。いつもお世話になっているんだから、これくらいで少しでも恩を返せるんなら、安いものだ。そうして、僕はまた、お地蔵さんによりかかって座った。女の子は、何故だか嬉しそうに笑っていた。僕としては、早くこの場を去って、僕を一人にして欲しかったのだけど、女の子はこっちの方に歩いてきてしまった。女の子は僕の反対側に座ると、僕と同じように、お地蔵さんによりかかった。この子は、誰なんだろうか。村で見かけたことは無かった。
いつも、ここに来てるの?と聞かれた。お地蔵さんを隔てていたから、顔は見えない。僕は、うん、とだけ答えた。友達がいないの?と聞かれた、やっぱり僕は、うん、と答えた。その後も、質問されては、答えてを繰り返した。
どれくらい経ったろうか、日が落ちてきて、そろそろ帰らなくては、心配される時間になってきた。女の子は立ちあがると、体中の雪を手で払った。それじゃあ、また明日会いましょうね。と言って、僕の返事は待たず、村とは逆の方向に歩いて行った。この近くに村なんて、一個しかないはずだ。僕は、しばらく座ったままでいたけど、五分くらいしてから立ち上がって、結局帰ることにした。村に着いた時は、辺りはすでに真っ暗だった。心配は、されなかった。
次の日も、家の手伝いを終えて僕は、帽子を被ったお地蔵さんのところへ来た。女の子はすでに座って待っていた。僕も、反対側に寄りかかって座った。
三十分位、お互い何も言わなかったけど、今日は僕の方から話を振る事にした。というのも、昨日お母さんに、この事を話したのだ。見知らぬ女の子にあった事、村とは逆方向に歩いて行ったこと。お母さんは面倒臭がりながらも、そりゃあ、狐にでも化かされたんだよ、と言った。僕はそうは思わなかったけど、気になっていたのも事実で。
君は本当に狐なの?僕を化かしてるの?と聞いてみた。女の子は、何も答えなかった。ただ、くすくすと笑う声だけ聞こえた。その笑い方が、妙に人間臭い気がして、だから、やっぱりこの子が狐だとは思えなかった。
その日も、いろんな事を話して、気付けば日が沈みかけていた。じゃあね、と言ったら、またね、と返してくれた。久しぶりに、誰かと話していて楽しいと感じた。
次の日も、その次の日も、僕は家の手伝いを終わらせるとすぐに、お地蔵さんの所へ向かった。決まって、彼女は僕より早く来ていた。話す内容なんて、他愛のないもので、雪が強くなってきた、とか。ここに来る途中ウサギを見つけた、とか。そんな事を、お互いずっと話し合っていた。ただ、一つだけ、聞きたかったけど聞けない事があって。君はどこに住んでるの?と、気にはなっていたのに、何故だか聞いてはいけない気がした。
日が沈んで、帰る時間になると、彼女は決まって村とは反対の方向に歩いて行った。目で追っていても、森に入っていき、見えなくなってしまう。追いかけようとは思わなかった。
ある日、お母さんと喧嘩した。頼まれた手伝いを、やらないでそのままにしておいた、というものだった。頼まれた事をやらなかったのだから、全面的に僕が悪くて、それも分かっていた。いつもなら謝って、それで済むはずだったのだけど、僕が変に反論したせいで、喧嘩になってしまった。結局その日は家の手伝いを全てほったらかして、彼女のもとへ向かった。いつもより大分早い時間に来たから、僕が待つことになると思っていたんだけど、すでに彼女は来ていた。
それから、今日あった事を、彼女に話した。自分が悪いのに、なぜ口答えしてしまったのだろう。なぜ手伝いをやっておかなかったのだろう、と。彼女は、だまって全部聞いてくれた。
日が暮れて、重たい気持ちで家に帰る。ゆっくりとドアを開けると、いい匂いがした。見てみると、机の上には、まだ出来立てのクリームシチューが置いてあって、その下に、ごめんね、と書かれた紙が挟まれていた。美味しそうなクリームシチュー。まだ湯気が立っていて、一口食べて、涙が出てきた。二口食べて、ぽたぽたとシチューの上に涙が落ちて、三口食べて、シチューはしょっぱくなっていた。温かいシチューを食べ終わって、僕はお母さんの寝室の前で、ごめんねといった。何度も、何度もごめんねといって、いつからか、眠っていた。
次の日は吹雪だった。窓が、がたがた音をたて揺れていて、村から出ることは禁止とされていた。でも、僕はどうしても昨日のお礼が言いたくて、お母さんが友達の家へ出かけている間に、家を抜け出した。吹雪と言っても、そんなに大したものではなく、雪に慣れているこの地方の人なら、どうってことのないものだった。だから、彼女は、きっと待っていてくれてると思った。
帽子を被ったお地蔵さんの横には、やっぱり彼女がいた。足音で僕に気付くと、にこりと笑って手を振った。僕は、立ったまま、ありがとうと言った。
今日はもう帰ろうか、と僕はそう言った。辺りはまだ明るい。大した事は無いと言えど、吹雪は吹雪だし。早く帰らないと、心配されてしまう。彼女も笑顔でこっくりと頷いて、立ち上がった。あ、ちょっと待って。僕は彼女を引き止める。ねぇ今更なんだけどさ、名前を教えてくれない?
僕の問いに、彼女は一瞬きょとんとしたけど、またいつもの笑顔に戻って。カナ、と答えた。僕は、ヨウ、と名乗った。名前を知り合ったというだけで、なんだか、嬉しくなってしまって。それから、つい、流れで、聞いてしまった。
君は、どこに住んでるの?と。よければ、行って良い?とまで、言ってしまった。彼女は、またきょとんとして、でも、笑顔には戻らずに、俯いて、そのまま去っていってしまった。
家に帰って、後悔した。事実、その日から、カナと会う事はなかった。お地蔵さんのところに行っても、そこに居るのは僕一人。あの、誰の落とし物かもわからないニット帽も、何故だか無くなっていた。僕は、いつものようにお地蔵さんに寄りかかって、座り込んだ。ふと、あの日の、お母さんのシチューを思い出した。あのシチューはあんなにも、温かかったのに。今伝わってくるのは、冷えた石の感覚しか無い。
その日から、僕はお地蔵さんの所には、行かなくなった。村の外に出ないようになった。すると、ふとした事で、友達が出来た。初めは意見が合わず、喧嘩ばかりしていたのだけど、そのうちに、仲良くなっていった。それから、お母さんとも、仲良くなった。お母さんは温かかった、どうして、今まで気付かなかったのか。
そうして、いつしか、カナの事を忘れていった。顔ももう、うろ覚えだ。そうなってくると、カナと話していた内容も、あまり思い出せなくなって、もしかしたら、本当に狐に化かされていたんじゃないか、とも思い始めた。全てにおいてうまくいってなかった僕を、励ますために出てきてくれたのかもしれない。多分そうだ、多分、きっと………
……うん?
ふと、目が覚めると、僕はお地蔵さんに寄りかかっていた。辺りは一面真っ白だが、雪は降っていなかった。ええと、ああ、眠っていたのか、何か懐かしい夢を見ていた気がするけど…思い出せないな。というか、いつから眠っていたんだっけ。どこからが、夢だっけ。
ふと、気付くと、向こうに人の姿が見えた。雪のせいで見え辛かったけど、人の後ろ姿の様に見える。自分には、気付いていないようだ。あの人も、自分と同じように、大人になって、ここが懐かしくなってしまったくちだろうか。いや…しかし、この場所を知ってる人なんて僕のほかには……
ふと、あたりを見渡すと、小さい、花柄のニット帽が落ちている事に気付く。見覚えがあった。ああ、なるほど、そういう事か。
よっこらせと、思い腰を上げて、帽子を取りに行った。今度は、僕の方から聞きに行ってやろう。
「これ君の?」
僕と同じくらいの年の女性は、僕に気付くと振り向いて、首を振った。
身長は僕より少し低め、真っ白のコートに、真っ白なマフラー、真っ白な髪、肌。雪の色と同化して、溶けて、消え去ってしまうんじゃないかって位には、白一色で、そして、雪の様に綺麗だった。
「でも、君は帽子をしてないじゃんか」
「それでも、私のじゃないわ」
そう言って、二人で笑った。