貉駅
線路を辿って幾ばくか経つ。
そうすると、駅に追いつく事がある。
貉駅という。
駅の振りをした、移動する駅のようなものだ。
川に浮かべた笹舟のようなものだ。
人を化かして運び去る、津波のようなものだ。
追いつくとき、私は駅内に人影を確認するのが習い症となっていた。
溺れる者を救う行為だ。
今日日は平常と異なった。線路を歩く私に駅から「休んでいかないか」と声をかけるものがあった。
覗くと、ベンチに老人と、彼に似ていない若い男とが並んで座っていた。何かの師弟か、業種が、揃って着物姿だったから、その誘いに応えた。
老人は気さくに「やぁ」と挨拶をする。
同じように返す。若い男はただ静かに寄り添っている。
「ご旅行ですか。ここには電車は来やしませんよ」
「まぁ、旅行だね。最期の思い出作りだ。こいつが電車は好かないというのでね、気分だけでもと思ってこれに運ばれているんだよ」
老人はそう言って杖で駅を小突いた。
青年は素知らぬ顔をしている。品の良差が出た小綺麗な顔作りをしている。
「この駅の正体をご存知でとは、私は永らく歩いておりますが、初めてお会いしました」
老人はにやにやと得意げに笑って見せた。
「何駅か降りてみたが便利だねぇ。行き先が選べないのもいい。坊さんはどうして線路を歩いているんだい?」
「私は昔に取り返しがつかない事をしまして。こうして歩くことを課しておる次第です。駅にはたまに追っ着いて、人に声をかけてやっております」
「それは善行だね。誘ってしまったが、悪かったかね」
「いえいえ。お気になさらず。己で選んだとはいえ、人恋しく思うのもしばしばですから」
ホームに腰を下ろせば、老人は安堵したようで姿勢を寛げた。
「話すことも尽きてしまってねぇ」
困ったとも、寂しいともとれる声音だった。青年は気にする様子もなく、手元に置いた能面を方々に傾けている。
僅かな角度で喜怒哀楽が微細に変わる。表情の変化を観察して生じた間を凌いでいる様子だった。
「お2人はご友人ですか」
「そうだよ。長男が妻の腹にいたころに引き取った。息子か、弟か、家族のように思ってる。けど、こいつがうん、と言わない。だから付き合いの長い友人だね。」
青年に目を転じると、顔を隠すように面を当てていた。
彫りの陰影が微笑んでいるように見せる。
「今日はどこまで行かれるおつもりで」
「今日は旅行の最終日になるからね。最期まで行ける所まで行くつもりだよ。本音を言うと、出会った時のように彼の店でラムネをご馳走様して欲しかったんだが、つれなくてね」
こてん、と首を傾げた青年の面は眉と口についた陰影が、不快の表情を作りだしていた。
「店と言うと」と、お愛想をうつと、「駄菓子屋の店主なんだよ」と嬉しそうに老人が答えた。
青年と老人は相棒と言い表した方がしっくりする関係だった。
老人の仕事に欠かせないといった。
話すのは老人とだった。視線を転じれば、青年は被る面の陰影を巧みにして、様々な表情でもって相槌にかえた。
私も何かしら話をした。
そうして、夜が明けた。
「長く捕まえてしまいました。楽しかったよ、感謝致します」
中天の頃、老人がそう言った。
彼の身体からほんのりと、線香が香っていた。
そして、徐々に熱を発して炎に包まれた。
私と青年が見守る中で、老人は燃え尽きて消えていった。
老人の手は最期まで青年と繋いでいたが、彼は消えず、老人が在った空虚に面を向けていた。
「置いていかれてしまいました」
青年が私に顔を向けた。
「僕は菓子屋と申します。宜しければお坊様、ラムネでも如何でしょう?」
菓子屋が駅の出口を指さす。向こうに藍の暖簾が揺れていた。
白抜きで菓子屋とだけ書かれている。
「残念ながら、修行に戻ろうと考えております。宜しければ、一緒に参りませんか」
菓子屋は深深と腰を折った。それが店主なりの礼なのだろう。
「僕は悪霊です。旦那には義理がありました。道理を曲げるのはこれ切りと決めております」
菓子屋は改札の小箱へ切符を納め、駅の出口へと向かって行った。
一斉となった蝉の声が響く。
彼が亡くなったのは夏の頃であろうか。
駅が漂い、蝉の声が消えてゆく。
私は線路に降りて走る。
駅は行き、やがて蜃気楼のように消え去った。