ピーマン一号
行きつけのスーパーで飲料水を汲み入れる専用の5Lボトルに、水を入れに行った。
このボトルは590円した。
正直、590円の出費は痛かったが、水が入ってるペットボトルを何回も買って、沢山のゴミを出すよりエコロジーだ。
しかもここのは生水じゃなくて、そこそこ美味しい水が5Lで50円。
非常に割安。
いくら怠惰な俺でも、生水は飲まない。
人間の7割は水分でできてるのだ。
貧乏人が、唯一お金をかけるなら水だ、と俺は思う。
故に、俺の体の7割は気を使われてる事になっている。
健康は保障されたようなものだ。
ああ、今日は天気がすごくいい。
今日はいったい何をしようか。
ベランダでは、牛乳パックで作った家庭菜園のピーマンが光り輝やいている。
やっぱピーマンは生きてるんだな。
昨日より少し膨らんでいるピーマンに命を感じる。
そうだ、
青く光り輝く君に、敬意を表して、
「ピーマン一号」と名付けよう。
って、お?
今、「ピーマン一号」が光った!
きっと命名を喜んでくれたんだな!
よし、
「ピーマン一号」に収穫の時が来たら、どこの部分も余すことなく頂く事を誓うよ。
ピーマンの美しい出来栄えに感動を覚えた俺は、もっと色んな野菜を栽培してみようと思い、今日は数種類の苗を植える事に決めた。
こんな日の為だったのか、ためていた牛乳パックのお陰で、すぐに家庭菜園の苗をを増やす事に成功した。
うちのベランダは日当たりが良いみたいで、豆苗などの野菜達は2、3日で見違える成長をした。
この調子なら、「ピーマン一号」の収穫時期になる前に、何か食べれるものが出来るかもしれない。
しかしある日、可愛らしい成長をはじめた家庭菜園の新人達に、アブラムシが付いて居る事に気づく。
殺虫剤を使いたくない俺は、アブラムシ達を水攻めで攻撃していく。
だがこの一時的な攻撃は正しいのだろうか。
もしかしたらアブラムシの浸食のスピードはすごく早くて、この子達の収穫時期には食べれない程の姿に成るかもしれない。
そういえばアブラムシの増え方は尋常じゃないと、いつだかに図書館で借りた本に書いてあった。
って、あ!
「ピーマン一号」、どうしたっけ?
あれ? いない!?
どうしてだ?
「ピーマン一号」が実をつけていた茎をよーく見ると少し乾燥していた。
ヤツがいなくなったのは今日じゃないんだ・・・
「ピーマン一号」は、名前がついた日から人格を持ってしまったのか。
新人達にばっかり目を向けている俺にヤキモチを焼き、いてもたってもいられなくなって、何処かへいってしまったんだろうか。
ああ、家族が一人もいない俺に、家庭菜園という名の家庭が出来たってゆうのに、俺にはちゃんと家庭を築けなかった。
初めて出来た相棒の「ピーマン一号」は、家を出てしまったようだ。
もう名前をつけるのは辞めよう。
残ったこの子達にも、この子達という感情を持つのも辞めよう。
野菜は野菜、ただの植物だ。
手をかけるのも辞めよう。
アブラムシだって虫として生きているんだ。
ほっておこう。
俺は、しばらく食欲も失せて、5L50円の水だけを飲んで暮らした。
天気が良い日にベランダを開けても、植物は見るだけにした。
アブラムシは日に日に増えているようだった。
ある日、ぼーっと植物を見ていたら、ピーマンの花が一つ咲いている事に気がついた。
ふと俺は、ヤツをかわいいなと思った。
植物達に目をかけなくなったら花を咲かせやがったのだ。
もしかしたら。
この花が落ちる頃、またピーマンが出来るのかな。
俺は、ヤツに許して貰えたんだと思った。