湖蕎麦ゆいちゃんは乱暴にしてほしい
「やめて! 私に乱暴する気でしょう!?」
肩口から開けた柔肌は男を知らぬ無垢な香りが漂っていた。男は立ち尽くし、女はベッドに倒れ込む様にしている。行き過ぎた想いが暴走し、今まさに性風紀の決壊が弾け飛ぼうとしていた!
ただしかし、一つだけ問題があった……。
「あの……どちら様で?」
「やめて! 私に乱暴する気でしょう!?」
「あのぅ……ココ、俺の部屋なんだけど……」
そう! 男が乱暴するのではなく、女が乱暴されたかったのだ!! 彼女の名前は【湖蕎麦ゆい】。彼女はやけに短いスカートをピラピラと指先で捲り、執拗に男を挑発した!
「やめて! 私に乱暴する気でしょう!?」
「いや、しないけど……」
「やめて! 私に乱暴しない気でしょう!?」
「だから、しませんって……」
「やめないで! 私に乱暴して!!」
「帰ってくれ!!」
―――バタンッ!!
男の家を追い出されたゆいは、行く宛てもなくフラフラと彷徨う。
―――クゥ~ン
段ボールに捨てられた子犬がゆいの事を潤んだ目で見つめている。箱には『拾って下さい』と書かれており、ゆいはおもわず子犬を段ボールから追い出した。
―――アハァ~ン♡
通りすがりの男の耳に女の甘い声が届く。道端へ目をやると、若い女が段ボールの中で体育座りをしていた。段ボールには『乱暴にしてください』と書かれており、女は頻りにスカートをピラピラと指先で捲っていた。
(犯罪の臭いしかしない…………!!)
男は無視を決め込み、スタスタとその場から立ち去った。うっかり手を出して後からその筋の人達に金を請求されてはたまったものではないからだ!
「ああーっ! 待って! 乱暴にして~!!」
手を伸ばすも男の姿は既に消え、追い出した子犬はいつの間にか小学生達が拾っていった。ゆいは寂しさを堪え、トボトボと自宅へと帰った。
「ただいま……」
「おう! お帰り!」
リビングでは既に軽く出来上がっている父親が、ビールを片手に野球中継を見ていた。
「どうしてお父さんはお母さんと結婚したの?」
「え? 何でって…………父さんな、お母さんとお酒飲んだら、次の日「妊娠した!」って言われてな?」
「それからなっ…………父さんな、責任を取って結婚したんだ。今思えば一日で妊娠が分かる筈無いのにな……当時は若かった……な―――ってゆいは?」
「さっきから居ないわよ。ずっとアナタ一人で喋ってたわ」
「……父さん寂しいぞぃ」
ゆいは家を飛び出し近所のスーパーへと向かった。お目当ての品はビールだ!
(これを二人で飲めば、私も……!!)
――年齢確認が必要な商品です――
(……ニコッ)
店員の無言の笑みがゆいに突き刺さる。
「あ、あの……父親のおつかいで……」
「身分証をお願いします♪」
ゆいは困り果てた。このままでは警察沙汰もあり得るからだ。少し大人びたメイクを施しても、店員の目は誤魔化せなかったのだ。
「それ、私が頼んだ物です。気になって後を追い掛けて来ました。すみません」
後方からゆいに向かって通る様な声が掛けられた。振り返るとそこにはゆいが独自に付けた『乱暴にされたい先生ランキング』の堂々たる第1位に輝いた体育教師の『鍋島裕也』が居た。
(な、鍋島先生……♡♡♡)
鍋島は大学時代鉄棒で鍛えた強靱な筋肉を見せつけるような薄いシャツ一枚に短パンサンダルの出で立ちだった。恐らくは家から徒歩で着たのだろう。
「それならば大丈夫です。お会計は562円になります」
ゆいは会計を済ませ、こっそりと外へと出ていく鍋島の背中に声を掛けた。
「―――せ、先生!」
「おう湖蕎麦。災難なおつかいだったな。最近は身分証の提示が当たり前になっているから、お父さんにも言っとけよ?」
「……い、いえ……これは……」
「ん? どうした?」
「わ、私のせいで先生が買い物出来なくてすみませんでした!」
「ん、気にするな。飯は他の店で買うさ」
怪しまれないように、足早に消えた鍋島は本来の用事である自分の買い物をせずに店内から姿を消していた。その気遣いにゆいは申し訳なさを感じていた。
「あ、あの! 私、先生の家にご飯作りに伺います!!」
「お! 本当か!? それは助かるなぁ!!」
ガハハと豪快に笑い飛ばす鍋島。今年で40になる鍋島は長い独身生活からすっかり自炊をしなくなっていた。部屋は荒れていたが、台所は普段手を着けない為逆に綺麗なままであった。
途中別なスーパーで食材を買ったゆいは台所で食事の支度を始めた。次第に出来上がる暖かいご飯と美味しそうな匂い。鍋島はかなり久々の手料理に心を躍らせた。
「湖蕎麦! 頂くぞ!」
豪快に白米を頬張る鍋島。出汁巻き玉子と焼き魚を食い千切り、嫌と言うほど白米を口の中へと詰め込む!
「……どうぞ」
ゆいはコップにビールを半分程注いだ。
「折角お父さんのおつかいの品をいいのか!?」
「ええ、もう一つありますから……」
ゆいは鍋島の部屋の隅に転がっている青年誌に目が行った。拍子には聞いたことの無い女性の淫らな売り文句が書かれている。
「……先生?」
「……モグモグ……何だ!?」
「……私に……乱暴……してみませんか?」
「……はあ!?」
「……私……本気です。先生になら……!!」
服のボタンを勢い良く外し始めたゆい。鍋島は慌ててゆいの手を押さえた。その力は強く、ゆいは男の力強さに嬉しさを覚えた。
「落ち着け! 女の子がそんな事をするもんじゃない!」
「…………先生……」
力が解けたゆいの手を鍋島は離した。鍋島が握った部分は少しだけ赤くなっており、ゆいは押さえられていた手を少し摩った。
「……それなら」
「ん? 今度は何だ?」
―――バッ! ゴクゴク!!
「お、おい!!」
ゆいは缶に残っているビールを勢い良く口にして呑み込んだ!
「止めろ!!」
鍋島が引ったくるように缶ビールを奪う。しかし、鍋島が手にしたときには既に缶の中は殆ど残されていなかった……。
「大丈夫か湖蕎麦!!」
「はれ……? 先生が五人いる……?」
―――バタッ……!!
「おい! 湖蕎麦!!」
ゆいはその場に倒れ、安らかな寝息を立てて寝てしまった。鍋島は彼にとっては羽のように軽い彼女を自らの布団へと運び、自分は床で寝た。
―――チュンチュン……
「……ん? あれ?」
ゆいは妙な頭痛と吐き気にうなされ目が覚めた。起きたと同時に台所で食事を作る鍋島と目が合った。
「おはよう湖蕎麦! 朝飯、食えるか?」
「お、おはようございます……」
ゆいは味噌汁の香りで少し吐き気を増した。
「―――ウッ!」
ゆいはおもわず口を手で押さえた。
「どうした湖蕎麦!?」
「……先生、私昨日出来ちゃったみたいです……」
鍋島はゆいの台詞にポカンと口を開けた。台所では味噌汁が沸騰し鍋の蓋がカタカタと揺れていた。
「いや、それは唯の二日酔いだな」
「で、でも……!!」
鍋島はコンロの火を止め、テーブルへと食事を運ぶ。
「いいか湖蕎麦。見知らぬ男の前で眼を閉じる事が出来るか?」
「……少し怖いです」
「だからそう言う事は安心して眼を閉じれる相手にだけ言うんだ。いいな」
「……はい」
「よし! それじゃあ食べよう! 大抵は昨日湖蕎麦が作ってくれた物だけどな!」
ゆいはテーブルへと着くと、そのまま眼を閉じた。
「ん? どうした?」
「先生は……この後どうするんですか……?」
ゆいは少し震えていた。ヤケクソでは無いが、自分の信じた人に全てを任せるのがこんなに怖いとは思わなかったのだ。
「湖蕎麦……口を開けろ」
「……は、はひ……」
ゆいは自分でも驚く程に心臓が高鳴っている事に気が付いた。
「キ、キスされちゃうの……!?」
―――モゴッ
「ふ? ふはふは?」
ゆいの口の中には、昨日自分が作った出汁巻き玉子が放り込まれた。
「ハハハ! 子どもにはそれがお似合いだな!」
鍋島の優しさに、ゆいの心は何となく晴れ間が差した気がした―――
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