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ソロモン校長の七十二柱学校(打ち止め)  作者: シャー神族のヴェノジス・デ×3
第五章 メナリク・モーヴェイツ編
61/88

六十一話 モーヴェイツの妹(挿絵付き)

挿絵(By みてみん)

―人間界に住むメナリクと、なぜかもう一つの人間界へ飛ばされたレハベアム。

モーヴェイツ兄妹に迫る『操作された運命』や如何に……?―


(イラストレーター:モツ煮子美様です。

前回と同様、超絶素敵なイラストを描いていただきました!!!!

口から心臓が吐き出るぐらいめちゃくちゃ嬉しいです!! 次もよろしくお願い致します……ッ!!)






























 辺りはセミがミンミンと鳴き、木々や田んぼがあり、ここは自然豊かなド田舎の町。橙色の夕差しが水に映え、空気が非常に美味しい場所。

 私の名は明奈めいな 梨句りく。もう一度言う、めなりくではない。私は明奈 梨句だ。

「かぁぁぁつっかれた。でも楽しかったな……」

一学期の修了式後、私はすぐさま友達を遊ぶ約束を実行し、海へ浜辺へ精一杯遊んだ。高校に入れば別れてしまう友達が居る以上、遊べるのはこの一か月内。今日という一日は幸せの時間が終わり、今は夕方。つい先ほど友達と解散し、私が住まわせてもらっている孤児院へ帰っているところだ。

「もう疲れまくって、荷物も重いしお腹空いたぁぁ」

私が抱えているスポーツバッグには、水着や萎んだ浮き輪、ゴーグル、タオルなどが入っており、海水は拭き取ったつもりだが、まだ少々重い。それに海でたくさん遊んだこともあり、非常にお腹が空いた。ここから施設まではまだ距離が掛かり、更にバスが通っていない。だから苦しい状態で歩かなくてはならない。

 と、ここで右の道路に、真新しい若い木材で造ったような二階建ての喫茶店が建っており、私はふと良いアイデアを出す。

「ちょっとカフェで休憩してからにしよっかなあ」

私を含む数多の孤児や家庭持ちの小中学生が好んで利用する喫茶店だ。店主はとても優しい人であり、子供らの心の相談までやってくれるし、一か月に一回の無料で晩御飯を作ってくれて孤児院まで運んでくれたりする。孤児院に住んでいる子供たちの評判は物凄く良い。店主は子供好きで積極的にボランティア活動してくれるし、自力で図書室まで造ってくれて自分の本を貸し出ししてくれる。職員さんたちも非常に助けられているようだ。

 少し長い距離、施設に帰るまえに、喫茶店に寄り道だ。そこでコーヒーとサンドイッチを注文して、ぐてぇっとソファを座ってから、孤児院へ帰るプランだ。うむ、それにしよう。

 横断歩道を渡り、店の前に立って、木の扉を開ける。チリンチリンと金ベルが鳴り響き、自然さを感じられる木のスペースに足を踏み込む。

扉の先にまずあるのは、横に続くカウンターと奥の厨房。そしてカウンターに立つ、口髭が立派な店主マスターだ。ひょいと顔を出し、私を見るとすぐに笑みを浮かべて入店を受け入れた。

「おっ、いらっしゃい梨句ちゃん」

「マスターっ! いつものミルクコーヒーとツナマヨサンドをお願いっ!」

入店後、顔を合わせるとすぐに、あたかもおじいちゃんのように気軽なくタメ口で甘え、マスターは一切の嫌な表情浮かべず、終始笑顔で注文を承った。

「あいよ。いつもの席に座りなさい」

「ハァーイ」

一階はカフェスペースで、奥は一台のテレビに画面を囲う三つのソファと小型のテーブル。カウンターの前には、六つの大きなテーブルとクッション付き椅子が設置されており、利用客共有用の冷蔵庫やクローゼットなど、家具も充実。マスター曰くここはリビングで、家族感のある雰囲気を意識しているとか。二階がマスターが造った図書室。ここは喫茶店なのに二階の図書室では飲食は禁止という、謎のルールが設けられている。

 私は奥のソファに向かい、荷物を床に置いてソファにダイブ。思いっきり重心をふんわりソファに沈める。人は布団で寝ると安心するように、沈む私の身体は、接触部が柔らかいソファに包まれ、とても気持ちよく安らぐ。泳ぎや歩きによってへとへとの私の疲労が、まるで吸い込まれるようだ。

 何より実家のような安心感。マスターの優しさと木の室内から放たれる安らぎときたら、五つ星ホテルのスイートルームの比ではない。そもそもそんな高級ホテル入ったことはないが。

「はいお待たせ」

マスターがお盆に注文品を乗せ、私が占領しているソファまで運んでくれた。目の前の机にお盆を置き、私はすぐさま姿勢を正し、足を床に置いた。

「やったぁ! サンキューマスターっ!」

感謝するとマスターはニコっと笑ってくれた。

 これが私のいつもの注文品。私がマスターに注文する際、「いつもの」と付けると、無糖のホットミルクコーヒーと、オニオン多めのトーストされたツナマヨサンドを届けてくれる。「いつもの」という二つ名メニューは常連客あるある。

 ミルクの白とコーヒーの黒が合わさってもなお、ミルクの白が打ち勝ち、淡い白を表面に作る。ミルクの甘さとコーヒーの独特な渋さが合わさり、香りが私の鼻を通過し、脳を刺激していく。ツナマヨサンドときたら、表面は軽いこんがり狐色で、挟まれたツナマヨが溢れそうだ。温かいうちに食べて飲んでしまおう。

 しかし、お盆に乗せられた私の注文品以外にも、樽を模した金属製のカップが置かれ、その中には氷一杯のアイスコーヒーが置かれている。そしてマスターは私の隣に座り、カップの柄を持って飲んだ。

「ふう、僕も休もっかな」

「マスター……!」

「食べるとき、人数が多い方だといいでしょ?」

「うん……!」

孤児院のときのそうだが、朝昼晩の食事は皆でするようになっている。私たちのような常に独りだった子供たちにとって、食事を共にする人の数が多い方がより食事が楽しく、より美味く感じられるという教訓は忘れられない。独りが嫌いな私にとって、マスターが隣で一緒に食べてくれるのはとても嬉しい。独りで食べても、私にとっては何も面白くない。ただの栄養補給兼一休みに過ぎない。

「友達と遊びに行ったんだよね。どうだった?」

私を見ながら問いかけ、カップを机に置きながら話しかけてくれた。

「うん、とっっても楽しかった……! 浜辺は人が多くてびっくりしたけど、海がめちゃめちゃ綺麗で、気持ちよかったなあ」

初めての海だった。どこまでも続く海の彼方に、あるかないか分からないぐらい遠い島。綺麗な砂。その上に建つ数々の屋台。人が集まり、とても賑やかなビーチだった。それに海水の感触がとても気持ちよく、夏の温度もあって心地よかった。

「もう泳ぎまくってね、海の中で脚がつって、途中、気が付いたら四途の川の中を泳いでいたほどだよ!」

「四途じゃなくて三途ね。って、それ冗談で言っているんだよね」

「いやいやホントホントっ! いやあホント死にかけたなあ。アハハハハハハ!」

海の中で左脚がつり、激痛もあり本気で溺れたのだが、不幸中の幸い、つっていない右脚の爪先で海底を蹴り、申し訳程度で跳び撥ね、背伸びしてやっとこさ海の表面から口が出せたほど。しかし呼吸しようにも海水が口の中に入ってくるうえに、跳べば再び海の中へと落ちるので、呼吸が度々失敗して、本当に死ぬかと思った。しかしイケメンの男性が溺れた私を救い、一生をとりとめた。あの経験は本当に笑えた。

「改めて準備運動が命を救うか身に染みたね。まあ、私の水着も海水含んで塩も染みたけどっ!」

「不味いダジャレだよ全く」

「うん、海水って意外と不味いんだねっ!」

「そりゃそうさ。塩分濃度高いからさ。世界中の汚れも詰まってるんだし」

「海の中にしょんべんしたりダイを流す人も居るってねっ!」

私が利用したあの海にショウやダイを流した人はいないといいが、なにせ海は繋がっている。そういう不純物が拡散されて流れてもおかしくなさそうだ。つまり、海の中に溺れた私の体内は塩だけでなく……。いや、これ以上言うまい。

「ホント、笑えるよね、アハハハハハハハハハハ!」

「笑いごとかいっ! まったくポジティブというか単純というか……」

マスターの呆れ気味なツッコミが私に突き刺さるも、否定という概念すらなく、それすらも浅いツボを押され、

「フハハハハハハハハハハハハっ!」

結果、私の口から笑い声が飛び出してしまう。

「それにね、私の髪色のせいですっごい目立つのよね!」

私の髪は、生まれつき純粋な白色。この日本では、多くが黒色、或いはほぼ黒髪なため、私のような白髪が注目を浴びやすい。よく「染めてるの?」と勘違いされる。風紀が厳しい学校ではよく苦労したものだ。

「更に、目の色が黄色だから尚更だよ」

黄色い瞳も生まれつきだ。私の親が不明である以上、他者から見れば私がなぜ異様な雰囲気を醸し出すのか、私自身も不明だ。もっとも、父に関してはなんとなく心当たりはあるが。

「よく外国人って勘違いされるだろうね」

「うん。もう明らかに親が日本人じゃないよね。ねえマスター、いつになったらその髭切るの?」

さっきから気になっていた髭に集中して、話題を強引に変えて問いかけてみる。

「話の切り替え早っ。まあ、今のところ切る予定はないかな」

「ええええええ。そんなボーボーだと不格好だよ」

口髭は確かに左右対称で丸みを帯びている。非常に整った髭だが、私は正直好みではない。

「す、凄い正直に言うね」

「分かったっ! マスター、マリオを意識してるでしょっ!」

「ブッブー。カフェの店主って、だいたいこんな髭のイメージあるでしょ? だからこんなひ」

「いいや違うね絶対マリオだね」

「マリオじゃないってば」

「じゃあルイー」

「おっとそこまでだ」

日本が誇り、世界的に知名度が高い、永遠の二番手の名を言おうとしたら遮られた。

「まあしかし、梨句ちゃんの親が何者なのか気になっちゃうね」

マスターが再度私の親について切り替えた。話題が戻ったところで私の口から親の情報はあまり出れそうにないが、その心当たりについてなら話せそうだ。

「ウーン、あんまり記憶が無いんだけど、父がね、なんか微かな記憶っぽいのがある」

とてもとても僅かで微かな幼少期の記憶に、父らしき男の面影がある。

「なんていうか、物凄く怖かったかな。話しかけても無視された……ような気がする。いくら甘えてもあっち行けみたいな」

幼少期の記憶は当てにならない。その時の記憶がずっと前だから、という理由だけでなく、その記憶から今に至るまでに、知らず知らずのうちに脳が記憶を改変している場合だってある。それらを含めても、父は怖かった。勿論、本当に僅かな記憶なのだから、果たしてその記憶が正しいのかは分からない。その男が父であることさえも。

「酷いお父さんだね。そんな父さんのもとで暮らしただなんて」

「いや、私自身分かんないんだよ。そのヒトが果たして父なのかさえ……母に関しては記憶零だね」

恐ろしい存在として私の脳に焼き付いているのかは不明だが、対して母は全く記憶にない。

「怖いお父さんと記憶が不明のお母さんか……なんにせよ、間から生まれた娘を捨てるなんて、全く酷い。外道だ」

「でも、私はそんなに最低だとは意外と思ってないんだよね。なにせ、兄が居たから。たぶんだけど」

「えっ、兄さんが居る記憶があるの?」

「いや、これも確証無し。でもなんとなく記憶は思い浮かぶ」

記憶が一切無い母や微かな記憶に焼き付いている父とは違い、兄の記憶は思い浮かぶものはある。無論、これも確証のない記憶だけど。

「なんかこう、兄様と一緒に遊んだ記憶はあるんだよね。なんかとっても楽しかった記憶が」

「にいさま……?」

私の発言の一部にマスターの耳が拾い、疑問気に聞き返した。

「え、さっき私、にいさまって呼んだ?」

私自身、兄のことを兄様と呼んだ自覚は全く無かった。完全な無意識で兄様と呼んでしまったらしい。

「うん。確かに言ったね。え、今の無意識だったの?」

「あっれぇぇぇ、そうだったんだ。なんで様付けしたんだろう」

人に対し様と付けて呼ぶのは、まるでお偉いさんの敬称だ。幼少期の言動は成長するにつれて無意識になることもあるが、果たして私の幼少期は何が起きたのだろうか。

「それにね、怖い父から兄が体を張って私を護ってくれた記憶もあるの」

「えっ、お兄さんが……!?」

幼少期における、私の一番印象的な記憶のシーンだ。全てが確証のない、ほぼ幻想に近い記憶の中で、深い霧の中でも一際光が目立つような確かな記憶だ。確かに兄は、身体を盾にして私を父から守ってくれた。私はその背を覚えている。

「兄さんめちゃめちゃ優しい人じゃない。良かったね本当に」

「うん。だから兄様だけはなぜかとても許せる」

私を捨てた父に、記憶が一切存在せず、私を護ってくれなかった母は論外だが、母の代わりに護ってくれた兄。いや、お兄様だけが幼少期の心の支えだったのは間違いないはずだ。

「兄を様と無意識で呼ぶ辺り、梨句ちゃんの生まれはきっと貴族とか上級国民だったんだろうね」

「えっ、じゃあ私の生まれって相当お金持ちだったりして……!」

「気にするとこそこ?」

「なんだかんだ言って、兄の記憶はなんとなくあるし、その人と遊んで楽しかった記憶が大きくて、両親に関しては何も思ってないかな」

まるで、兄との全面的な記憶にモザイクが掛かっているみたいだ。業者さんにでも頼めば、モザイク加工して映像を鮮明にしてくれればってぐらい、あと数歩で記憶が蘇りそうだが、記憶専門の業者は存在しない。でも、兄と一緒に居て楽しかった記憶のおかげで、両親に対するマイナス視点は全く無い。ならば私自身が他人としか見ていないぐらいだ。

「強いて言うなら、捨てるぐらいなら百万置いてってほしかったぐらい」

「金置いたって、赤ちゃんじゃ使えないでしょうが……」

「いやあ、金置いてってくれたら、誰かが親の代わりに私を世話してくれるでしょ?」

「そういう問題じゃなくてだな……」

「まあでも、兄に会ってみたい気持ちはあるかな。本当の両親とは会いたくないけど。そして兄様に聞いて確かめてみたい。私はいったいどういう経歴で生まれたのかを」

いわゆる私のルーツについてだ。私を捨てた両親に聞くのが一番手っ取り早いが、そんな親を目の前にして言葉に出すことすら憚れる。目を合わせることもありえないし、同じ空気を吸うことも私から御免の一言だ。ただし兄になら、この私を優しくしてくれた兄様なら、何かを知ってるかもしれない。

「……っ! そうだマスター。私に良い案がある」

この夏休みを理由に、私の頭に閃きが舞い降りた。

「夏休みは二か月間だから、その間に兄様を探す旅に出かけようよっ!」

私は中学生で帰宅部である以上、夏休みは思う存分フリーだ。その間に兄様を探す旅に出かけ、ありとあらゆる観光地を回りつつ探そう。私単身じゃ不安だから、話に乗ってくれたマスターを誘おう。

「えっ、でも行く当てがあるの? ただでさえ梨句ちゃんはこの地で拾われた身。兄の行方や居場所なんか分かりきっこないと思うよ」

「うっ、確かに」

マスターの冷静な回答に、我ながらなかなか無茶なことを言ってしまったと思い知らされる。

「それに、僕はこの店を離れるわけにはいかないし、まず大前提として僕が、施設に預けてもらっている梨句ちゃんを旅として連れてったら、僕が怒られる」

「人攫いになるってわけ?」

「無断で連れていくとね。だから運営に許可を得ないと」

運営とかの、私たち子供にとっては小難しい話やルールは大人に任せるのが一番だ。私から旅に行きたいと言っても、叶うかどうかは難しい話か。

「確かに、髭が濃いマスターが私を旅に連れていったら、絶対不審者として見られちゃうねっ! 下手したら指名手配犯になっちゃうかも」

「そんなに僕の髭がまずいかいっ!?」

「そっかぁぁ。探す当てがないんじゃ、広大な砂漠の中に砂金を探しているようなものか」

木を隠すなら森の中というように、探したい木があるのなら、木が複数ある森じゃ探せないというもの。私の兄がどこにいるのか分からないという、情報がないのでは霧の中を彷徨っていると同じだ。

「まずは情報収集からだね。パソコンぐらいは全然貸すよ」

兄様について興奮していた私は、一刻も早く兄様に会いたいと焦りをいつのまにか覚えていた。今は冷静に、情報を集めてから、確かな情報を得てから外に出かけてみよう。

「ありがとうマスター。急いで行動しちゃ疲れちゃうし、まずは立ち止まってから、ゆっくり探そう」

カップを掴み、私のミルクコーヒーを口腔に入れる。焦りによって乾いた口を風味と共に癒す。

「うんそうだ。さて、じゃあ僕はそろそろ施設の晩御飯の支度をするね。梨句ちゃん、晩飯は何が良い?」

マスターは立ち上がり、晩御飯の支度にとりかかろうとした。

「明太子パスタっ!」

ここ福岡県の産物と言えば明太子。それを絡めたスパゲティは私の大好物だ。

「はいはい、じゃ」

机に置いた自分のカップを手に取ってから、厨房へ行った。私はその背を見て、咄嗟に声を出した。

「マスター」

「うん?」

立ち止まり、私に顔を振り向いてくれた。

「……相談に乗ってくれて、ありがとね」

幼少期の記憶、兄様の記憶、それらは私にとって長い悩みであった。解決はしなくとも話すだけで心理的な不安は解消される。

 私のお礼に、マスターは自然な笑みを浮かべ、何も言わずに振り向き返り、厨房に向かった。

「さて、じゃ、ツナマヨサンドいただきまぁぁす」

マスターが作ったツナマヨサンドを食い、頬張る。ミルクコーヒーも飲んで、乾ききった喉を潤しつつ香りも鼻で楽しんだ。

 程なくして一時間後、テレビ番組に夢中で時間が過ぎたことをハッと知る。

「あっやべ。思い切り時間忘れてた」

今が十八時半。夏の季節と言えども、外の景色はもう夕が過ぎ、夜へ向かっている。

「梨句ちゃんまだ居たの」

調理を終えたマスターがカウンターから顔を出し、店にまだ居た私の存在に、呆れ気味の表情で一言漏らす。

「えへへ」

「じゃあ車に乗ってく? 送ってくよ。どのみち施設にお弁当送るしね」

マスター製の私たちの晩飯が、大量のお弁当箱に詰められている。それを私ごと施設へ送ってくれるようだ。

「ラッキーありがと!」

疲れきっていた私だが、ふんだんに休憩を取ったのにも関わらず車で送ってくれるとは運がついている。これならば施設へ楽に帰りつつ、体力を残しつつ安眠できそうだ。

「先に出てるよ。テレビと部屋の電気消してから入っておいで」

大量のお弁当箱が入っている真四角のリュックを背負ったマスターが先に、喫茶店正面口から出て行く。

「ハーイ」

私もスポーツバッグを持ち、リモコンを持ってテレビの電源を切る。そして、常連客の私は喫茶店のブレイカーや電源のスイッチの場所は把握しているから、喫茶店全体の電灯を消しに厨房の奥へ入る。スイッチを確かに消し、電灯が消えた事で、今から孤児院へご帰宅だ。

 厨房からカウンターへ出て行き、暗いお客さんスペースへ。続いて喫茶店正面口から外へ出ようとする。木製のドアノブを引き、開けた。正面の駐車場にマスターと愛車があるはずだ。それに乗っていこう。

 いつも通り扉を開け、外に身を出す。――と、その時。悲劇が起きた。

「えっ……?」

扉を開けたやすぐ、目の前の車が大炎上していた。大きい炎に包まれているせいで、マスターの愛車なのかはまだ分からないが、まず第一に駐車場にマスターの姿がいない。

「あれ、まさか、大山さん……!」

大山マスターさんは車に荷物を乗せるために先に向かった。まさかあの燃える車の中に閉じ込められているのか。いや、そんなはずはない。絶対的大ピンチならば助け声の一つや二つはするはずだ。だから大山さんはあの中にいない。

 ああそうだ。きっとマスターは炎上している車を消しに、水が入ったバケツを取りに行ったんだ。であれば私も手伝って、この事故に終止符を打たなくては。

「み、水を持っていかないと……!」

だが時は既に遅し。大炎上している車が大爆発してしまった。物凄いガソリン臭が熱い爆風に乗って、私の身を襲う。しかしおかしい。派手な爆破音が全くせず、無音のまま爆発してしまった。

「えっ、なんで音がしないの……?」

鼓膜が壊れそうなほど派手な爆発で、大きな火柱が未だに立っている。なのに、爆発音が発生しなかった。冷静に考えれば、火の音すら全くしない。あの車は、無音で燃えている。

「いええええいダイセーコーウ」

そのとき、この事故を嘲笑うかのような、一切の緊張感のない悪意のある言葉が、マスターの危機に焦りを覚えた私の耳に入った。

「……っ! だ、誰? どこにいるの……?!」

その声の主は大成功と言った。この車に爆発を仕掛けたのはそいつしかいない。私は急いで左右に首を振り向かせ、そいつを探す。

「上だよ」

咄嗟に上へ顔を向けると、何者かが宙に浮いていた。

「えっ……なんで宙に音符マークが……?」

具現化したような音符マークが宙に浮き、ヒトの姿をした者が音符マークの上に座っていた。しかも、額にはユニコーンのような長く尖った角が生えている。更にトランペットまで持っている。

「フフフ、魔法という概念が存在しない珍しい下級世界だが、まさか能力とかは発動するんだな。まっ、じゃなきや悪魔や異世界への扉は出ねぇか」

その者が一人で勝手に何かを解釈し、勝手に納得しているが、何のことやらさっぱり分からないが、とにかく、このふざけた奴に事の発端を聞かねばならない。

「何変な事言っているの……! あの車を爆発させたのはお前か……!」

「ああそうさ。お前と話したくて、邪魔なおっさんがクルマに乗ったからな、ちょうど昼の日差しに嫌気がさして鬱憤が溜まってたから壊した。そしたら爆発しちまってな。ブハハハハハ」

だから何のことやら分からない、意味不明なことばかり言い出す奴だが、まさかストレス発散目的で壊したというのか。挙句、一切の反省がなく笑う始末。とてもありえない外道だ。

「な、なんて最低……!」

「おい、それよりも、お前がメナリク・モーヴェイツだな」

変な外道に名前らしきものを確認された。人違いか、私は正直に自分の名を口にして答えた。

「違う、私の名前はメナリク・モーヴェイツよっ! ……あれ、なんで私、明奈梨句って言わなかったんだろう……」

明奈めいな 梨句りくと私は言おうとした。なのに、咄嗟に私の口から、無意識に『メナリク・モーヴェイツ』という謎の名が出てしまった。なぜだ、『メナリク・モーヴェイツ』とはなんだ。それに初めて聞いた名前のはずなのに、まるで自分の事のようだ。微かに染み付いた名前みたい。

「ん、何がげぇって? まあいい。お前を捕らえろって、暗殺部の常連さんが依頼してきたんでな。とりあえず魔界へ来てもらおうか」

その者は宙に浮く音符マークから降り、着地。左手を後ろに差すと、外道野郎の後ろにどこからか謎の扉が出現した。扉が開かれると、その先の景色が闇のように真っ黒で、悪霊スポットから吹かれるような冷たく怪しい風が出てくる。怖い雰囲気なのに、何故か私には、懐かしい風だと咄嗟に感じ取ってしまった。

 自然豊かな外の景色や炎上する車と、謎の扉の景色が釣り合っていない。あの扉はいったい何なのだ。単なる普通の扉ではなく、例えるなら地球上のワープが叶う、どこにでもドアだ。

「な、なにあれ……」

その者は私へ寄り、ゆっくりと迫ってくる。私があの扉に注目していると、その者が気づき、説明してくれた。

「ああ、あれか。ありゃあ人間界と魔界が通じる異世界への扉。そう、今からお前を魔界へ引っ張って、依頼主へ渡すのさ」

「魔界? 依頼主……?」

「そういうことだから、来てもらおうか」

その者は左手で私の右手首を掴み、魔界へ通じるとかいう扉へ引っ張ってきた。

「いやっ、離して……!」

引いてくる方向とは逆に走ったり、掴んでくる左手を叩いたりと抵抗はするが、この外道の握力には私では敵わない。

「ヤーダネー。俺たち悪魔からすりゃあ、目障りな日差しのせいでろくにお前に接近できんかったんだ。だから離すわけにはいかねえ」

ユニコーンの角が生えた、まるで悪魔の姿。そんな恐ろしい男が力強く私を引きづる。男の力にか弱い私では太刀打ちできない。されるがままに無理矢理、謎の扉へ引かれていく。

「いや、助けっ……レハお兄様……!」

徐々に私の身体は、魔界へ続く扉へ迫ってきた。怪しく怖い異世界へ連行されてしまう。







挿絵(By みてみん)


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