三十一話 再戦
レメゲトンの第四部を開いた。と同時にウァサゴ犬が一瞬で俺の間合いに侵入した。大喰らいの口を開け、鋭い牙々で俺の肉を嚙もうとしてきた。だが俺は奴の瞬間移動が分かっていたから、開くと同時に一歩後退し、噛みつきを避ける。そして奴の二手を読み、今度は右に体を傾かせて次なる攻撃を先に避けた。するとウァサゴ犬は既に左に瞬間移動しており、宙返りして尻尾を振るうが、先に避けていたためその攻撃は空振りに終わった。
「ふん、そう簡単に詠ませてくれないか」
ウァサゴが相手の場合、奴の攻撃はただでさえ素早いから、二手三手を想定して避けなければ殺される。この瞬間移動がある限り、俺に詠唱はできない。
「だったら、既に詠んでいた魔法で時間を稼ぐしかあるまい」
空に待機している七十二体の紙ドクロに脳内から攻撃を命じる。俺の脳波を受け取った全ての紙ドクロは、一斉に口を開け、運動場に向けてレーザーを放った。下るレーザーの雨は運動場の地を貫き、更なる傷跡を印す。そのままウァサゴ犬に向けて全てのレーザーを傾かせ、一点集中に狙いを定める。七十二本のレーザーはウァサゴ犬に命中。したかと思いきや、それは残像で、ウァサゴ犬は残像を残しながらゆっくりと歩み寄ってきた。
「残像か。素早く移動しながらゆっくりと歩くなんて、どんだけ器用な犬なんだ」
あまりにも素早いから空間に残像が残るほど。そして一歩一歩ゆっくりと歩み寄り、残像が残る超スピードで超ゆっくりと歩く芸当ができるのはウァサゴだけだ。
しかし、歩いてくれるのであれば、俺は詠唱ができる。奴は地上戦に強い。それはつまり、俺の第四部による闇で地を染めれば、奴は能力が使えなくなる。能力さえ封じれば所詮ただの犬。勝機は十分にある。
第四部の呪文に目を下ろした。その瞬間、目の前に殺気が急激に接近してきたのを感じ、咄嗟に目を前方に向ける。ウァサゴ犬が離れた距離から、一瞬で俺の間合いに侵入してきた。ウァサゴ犬は飛び込み、大喰らいの口を開けて噛みついてきた。ここはダメージ覚悟で避けないことに判断をした。避ければ呪文に集中できなくなってしまう。ここは何としてでも第四部を詠み、形勢逆転を狙う。詠まなければ俺が不利なのは変わらない。
左腕を差し出し、ウァサゴ犬は俺の腕を容赦なく噛みつく。その黄ばんだ鋭い牙々は肉を貫き、骨まで到達した。その激痛は、説明するまでもないことだ。
「ぐう……『我は、太陽を囲いし星座十二将の皇帝なり。我が支配を受け入れ、光を閉ざせよ』」
走る激痛に耐えながらも、第四部『アルス・アルマデル・サロモニス』を詠みあげた。左掌に紫色の魔法陣が浮きあがり、その中心から闇が湧き出て、掌から腕へ闇がコーティングする。
「……さあ、闇の味を、味わえ」
ウァサゴ犬の口腔内に腕の闇から黒い針を伸ばした。針は咽頭に突き刺し、ウァサゴ犬は急いで俺の腕から離れてくれた。間髪入れず、左掌を地に置き、闇を地に広げる。闇は亀裂した大地全体を染め、運動場は闇の支配下に堕ちる。闇床はウァサゴ犬の足元にまで広がり、闇を触った。これで時の能力は封じ込めた。ウァサゴ犬はただの犬っころだ。
「時の能力さえ封じ込めば、恐るに足らん。さあ今度は絶望を味わえ、前みたいになっ!」
黒獄の天秤でウァサゴは第四部の闇による逃げ場のない支配で苦しんだ。空を飛ぶ時の脚力も封じられたウァサゴに、第四部の支配から逃れられない。
しかし、ウァサゴ犬の肩に、薄黒い妖精のような羽が生え、それを羽ばたかせて宙に浮いた。
「なに、バーゲストの羽が生えただと」
これも初のケースだ。今までの黒犬にバーゲストの羽は生えなかった。ウァサゴを乗っ取って羽が生えたのはこのウァサゴ犬が初めてだ。
「しまった、闇床から離れてしまった」
予想外なことに空を飛ぶ手段を使い、闇床の支配から逃げた。これで時の能力が使われてしまう。いや、闇床から針を飛ばし、ウァサゴ犬に命中すれば、針がウァサゴ犬に刺さっている限り能力を封じることができる。それで封じる作戦で行こう。
「これでどうだ」
左掌から闇床へ魔力を流し、飛ぶウァサゴ犬の影に触れている闇床から真上に針を飛ばした。しかし、ウァサゴ犬は時の速度で左へ逸れ、針を避けた。
「ちっ、未来予知か」
足元から針を飛ばすこの奇襲攻撃を避けるのは、未来予知しかありえない。未来に起きる出来事を知らないと避けるのはまず不可能だ。
「だったら、避けることすら不可能な針山はどうだ」
一気に魔力を流し込み、闇床全てから極細の針を無数、真上に放つ。これでいくら避ける努力をしても必ず当たってしまう。だがウァサゴ犬は時速移動で残像を残しながら空中を飛び回って避けている。
「なに、馬鹿な。時の速度で針の軌道を見ながら避け飛んでいるのか」
時速移動してくるウァサゴ犬の目には、飛んでくる針が遅すぎて軌道が分かってしまうらしい。でなければ針が無数飛んでくる環境の中当たったりしない。無力化する針の逆雨のなか能力で避けているのが証拠だ。
ダメ元で、上空からレーザーを吐いている紙ドクロたちに、ランダムでレーザーの軌道を変えるよう脳内で命令した。一点集中しているレーザーから、運動場全体にレーザーが降り注ぐようになった。しかしそれでも、闇床からの逆雨に上空からのレーザーの雨、地と空からの挟み撃ちでも時速で飛び回るウァサゴ犬には一切当たらない。
「ちっ、どうすれば奴に当たる……!?」
常人なら地と空の挟撃を避けられるはずがない。しかし二つの雨ですら当たることすら敵わないこの犬。第四部と第三部のダブルマジックをいとも容易く避けるとは、普通ならありえないことだ。更に、ウァサゴは第五部の雄叫びをまともに聴いて平気な顔を見せた。仮に今ここで第五部『アルス・ノウァ』を詠んでも、音速をも越えるウァサゴ犬なら、雄叫びを聴かせても効かないのはもう分かっている。
「最強すぎるパワーに時を越えるスピード、死の恐怖を植え付ける雄叫びをも効かないメンタル。いざ敵となるとあまりにも厄介過ぎる」
そのとき、ウァサゴ犬が俺の間合いに一瞬で侵入してきた。だが時すでに遅し。避ける間もなく、ウァサゴ犬は尻尾を鞭のように振るい、尻尾は俺の首に命中。その衝撃は首が曲がるほどだった。
「ぐふああああ……!」
強すぎる衝撃にかっ飛ばされ、背を闇床に叩きつけられる。
骨が折れて息が難しい。だが、冷静に息を吸き吐きして、立ち上がる。対するウァサゴ犬は再び残像を残し、空間を超スピードで飛び回った。
俺の魔法ではこのウァサゴ犬に勝ち目はない。詠唱する間もなく奴の圧倒的な力に対抗する体術は持ち合わせていない。
「もはや、万事休すか……」
俺の闇に追いつけるスピード、敵うパワーではなかった。己の策は奴の筋力に負けてしまった。今更あがいてもどうしようもないこの状況、潔く負けを認めるしかあるまい。
ゆっくりと瞼を閉じ、脱力した。いつどこから攻撃が来ても、俺は必ず絶命する。策がないのだ。勝つ方法はもうない。
「俺が人間界に帰るって野望も魔王になるって夢も、ここで消え果るのだな……」
魔界に唯一の人間は、人間界に帰ることなく、魔王になることもなく、この魔界の大地の一部と化すわけだな。悔いのある人生だったが、それでも俺はよく、悪にまみれた残酷な運命にあらがった方ではないだろうか。せめて、バーゲストになってしまったが仲間であるウァサゴに殺されるだけ、不幸中の幸いといったところか。
―ううむ、このままだとレハベアム負けちゃうねえ―
そのとき、明らかなる第三者の呑気な声に耳が拾った。この状況にありえない事に驚き、咄嗟に目を開き、視野を外に映す。すると、そこは、とんでもない光景が広がっていた。
「なっ、こ、ここは……?!」
荒廃した運動場や目前に立つ穴だらけの学校ではなく、とある明るい個室、しかも魔界の文化に存在しない謎の物がテーブルに棚に色々多く置かれている。
「……どこだ、ここは……?」
個室内を見渡す。だがしかし、室内にあるもの全て、魔界の文化に大きく異なる物だらけで、どれもこれも初めて見るものばかりだ。いや、この室内自体が文化に存在しない空間だ。
魔界は、木や石による建築が通常の文化だが、この謎の室内の壁は白い壁で表面が石ではない。床は木が表面を覆っているが、頑丈すぎるほど固い。テーブルに関してはもはや木でも石でもなく、鉄で出来ている。そのうえ表面が黒色なのに、鏡のように己の顔が映るほど美しい。鉄を机にするなんてなんて技術だ。椅子なんか、背もたれや首掛け、座面にクッションらしきものが敷かれており、アームレストや脚が鉄ですらない固い謎の物質で作られている。天井には、とても眩しい輪っかが吊られており、そこから室内を照らしている。
「炎ではなく、光で室内を照らしているのか……?」
魔界では蝋燭の火で室内を照らしているのだが、ここの室内では、謎の輪っかから光を放ち、照らしている。明らかに魔界の文化に存在しない輪っかだ。
『レハベアムが負けると話進まないのよねえ、どうしよっか』
そして扉の奥から女性の声が聞こえた。魔界とは異なる文化物が詰まったこの室内に接近してくる。しかし、俺の名前を呼び、尚且つ『話が進まない』という謎の発言。いったいどういうことなのだろうか。ウァサゴ犬に死まで追い詰められてから一転してこの状況、推理が追い付かない。
扉が開かれた。俺は咄嗟にレメゲトンを開き、臨戦態勢に取る。その室内に入ってきたのは、眼鏡をかけた女性。
「なに……人間?」
肌が俺と同じ黄白色で、悪魔のような角や尻尾が生えていない。そのうえ、悪魔から自然的に発する悪意の波動が全く感じ取れない。正真正銘、人間だ。
髪は黒で長髪。体は細く、いたって何の特徴のないただの女性だ。
つい己以外の人間を初めて見て、驚き、声を出してしまったが、女性の人間は俺の声に反応するどころか、まるで俺そのものが気が付いていないように、自然の流れで椅子に座った。
「お、おい女の人間」
話しかけても全く対応しない。これは無視ではない。この女性が俺がいるということに認識していないのか。
「俺が見えていないのか……?」
俺のことが全く気が付いていないどころか、存在すら見えていない女性は、座った途端、鉄製の机に置かれている、平べったく黒い物に手を触れた。その物はまるで縦式のノートのように開かれ、黒い画面が貼られていた。下には、謎の記号のような文字が個々記された、四角の複数のボタンが六列に並び、女性は、『0』の上から『1』が突き刺さったような記号のボタンを押した。すると画面から光が照らされ、ノートのような機械はウイーンと微音を出して起動した。
「こ、これは、明らかに文化が違う。ここは魔界ではない……!」
仮に魔界の文化が古の時代とするならば、この室内にある文化はハイテク技術が豊富に詰まった、未知なる新の時代の文化だ。魔界のどこを探しても絶対に存在しない技術なのは間違いない。このような機械による技術はない。
「ま、まさか俺は死んでしまったというのか。この女性の人間が俺を見えていないのも道理だ」
いつのまにかだが、俺はウァサゴ犬に殺されたことで、人間が住まい悪魔が知らぬハイテク技術世界に、幽霊として転生した、といったところだろうか。
「となると、ここは人間界なのか……?」
まさか機械が発展した世界が人間界だとは思わなかったが、ここに人間がいて、窓の奥に浮かぶ青い空と白い雲、和香に照らす温かい太陽の光、ここが魔界の可能性は十分にない。
ノートのような機械に貼る画面が白に変わり、画面には『ソロモン校長の七十二柱学校』と書かれている。この人間界に伝わる言葉なのだろうか、ソロモン以外は何のことやらさっぱりわからない。
「七十二柱学校? ソロモン、校長? どういう意味なのだ」
学校に七十二本の柱があるのだろうか。いったい何のためにだ。魔界暮らしのせいで人間界の文化にはついていけない。この世界にソロモンという校長がいるのだろうか? いったい俺の父が人間界で何をしているのやら。
女性の人間は見えない俺の疑問に合わせることなく、ノート機械の隣にある小型の機械に右手を置き、ごく自然の流れで機械を扱う。人差し指で二回高速で打つと、画面内にある謎の記号から画面が広がり、『ソロモン校長の七十二柱学校』の画面から一遍、白い紙のような縦長の物が一枚、映し出された。その紙には、このようなことが書かれている。
―レメゲトンの第四部を開いた。と同時にウァサゴ犬が一瞬で俺の間合いに侵入した。大喰らいの口を開け、鋭い牙々で俺の肉を嚙もうとしてきた。だが俺は奴の瞬間移動が分かっていたから、開くと同時に一歩後退し、噛みつきを避ける。そして奴の二手を読み、今度は右に体を傾かせて次なる攻撃を先に避けた。するとウァサゴ犬は既に左に瞬間移動しており、宙返りして尻尾を振るうが、先に避けていたためその攻撃は空振りに終わった。
「ふん、そう簡単に詠ませてくれないか」
ウァサゴが相手の場合、奴の攻撃はただでさえ素早いから、二手三手を想定して避けなければ殺される。この瞬間移動がある限り、俺に詠唱はできない。
「だったら、既に詠んでいた魔法で時間を稼ぐしかあるまい」
空に待機している七十二体の紙ドクロに脳内から攻撃を命じる。俺の脳波を受け取った全ての紙ドクロは、一斉に口を開け、運動場に向けてレーザーを放った。下るレーザーの雨は運動場の地を貫き、更なる傷跡を印す。そのままウァサゴ犬に向けて全てのレーザーを傾かせ、一点集中に狙いを定める。七十二本のレーザーはウァサゴ犬に命中。したかと思いきや、それは残像で、ウァサゴ犬は残像を残しながらゆっくりと歩み寄ってきた。
「残像か。素早く移動しながらゆっくりと歩くなんて、どんだけ器用な犬なんだ」
あまりにも素早いから空間に残像が残るほど。そして一歩一歩ゆっくりと歩み寄り、残像が残る超スピードで超ゆっくりと歩く芸当ができるのはウァサゴだけだ。
しかし、歩いてくれるのであれば、俺は詠唱ができる。奴は地上戦に強い。それはつまり、俺の第四部による闇で地を染めれば、奴は能力が使えなくなる。能力さえ封じれば所詮ただの犬。勝機は十分にある。
第四部の呪文に目を下ろした。その瞬間、目の前に殺気が急激に接近してきたのを感じ、咄嗟に目を前方に向ける。ウァサゴ犬が離れた距離から、一瞬で俺の間合いに侵入してきた。ウァサゴ犬は飛び込み、大喰らいの口を開けて噛みついてきた。ここはダメージ覚悟で避けないことに判断をした。避ければ呪文に集中できなくなってしまう。ここは何としてでも第四部を詠み、形勢逆転を狙う。詠まなければ俺が不利なのは変わらない。
左腕を差し出し、ウァサゴ犬は俺の腕を容赦なく噛みつく。その黄ばんだ鋭い牙々は肉を貫き、骨まで到達した。その激痛は、説明するまでもないことだ。
「ぐう……『我は、太陽を囲いし星座十二将の皇帝なり。我が支配を受け入れ、光を閉ざせよ』」
走る激痛に耐えながらも、第四部『アルス・アルマデル・サロモニス』を詠みあげた。左掌に紫色の魔法陣が浮きあがり、その中心から闇が湧き出て、掌から腕へ闇がコーティングする。
「……さあ、闇の味を、味わえ」
ウァサゴ犬の口腔内に腕の闇から黒い針を伸ばした。針は咽頭に突き刺し、ウァサゴ犬は急いで俺の腕から離れてくれた。間髪入れず、左掌を地に置き、闇を地に広げる。闇は亀裂した大地全体を染め、運動場は闇の支配下に堕ちる。闇床はウァサゴ犬の足元にまで広がり、闇を触った。これで時の能力は封じ込めた。ウァサゴ犬はただの犬っころだ。
「時の能力さえ封じ込めば、恐るに足らん。さあ今度は絶望を味わえ、前みたいになっ!」
黒獄の天秤でウァサゴは第四部の闇による逃げ場のない支配で苦しんだ。空を飛ぶ時の脚力も封じられたウァサゴに、第四部の支配から逃れられない。
しかし、ウァサゴ犬の肩に、薄黒い妖精のような羽が生え、それを羽ばたかせて宙に浮いた。
「なに、バーゲストの羽が生えただと」
これも初のケースだ。今までの黒犬にバーゲストの羽は生えなかった。ウァサゴを乗っ取って羽が生えたのはこのウァサゴ犬が初めてだ。
「しまった、闇床から離れてしまった」
予想外なことに空を飛ぶ手段を使い、闇床の支配から逃げた。これで時の能力が使われてしまう。いや、闇床から針を飛ばし、ウァサゴ犬に命中すれば、針がウァサゴ犬に刺さっている限り能力を封じることができる。それで封じる作戦で行こう。
「これでどうだ」
左掌から闇床へ魔力を流し、飛ぶウァサゴ犬の影に触れている闇床から真上に針を飛ばした。しかし、ウァサゴ犬は時の速度で左へ逸れ、針を避けた。
「ちっ、未来予知か」
足元から針を飛ばすこの奇襲攻撃を避けるのは、未来予知しかありえない。未来に起きる出来事を知らないと避けるのはまず不可能だ。
「だったら、避けることすら不可能な針山はどうだ」
一気に魔力を流し込み、闇床全てから極細の針を無数、真上に放つ。これでいくら避ける努力をしても必ず当たってしまう。だがウァサゴ犬は時速移動で残像を残しながら空中を飛び回って避けている。
「なに、馬鹿な。時の速度で針の軌道を見ながら避け飛んでいるのか」
時速移動してくるウァサゴ犬の目には、飛んでくる針が遅すぎて軌道が分かってしまうらしい。でなければ針が無数飛んでくる環境の中当たったりしない。無力化する針の逆雨のなか能力で避けているのが証拠だ。
ダメ元で、上空からレーザーを吐いている紙ドクロたちに、ランダムでレーザーの軌道を変えるよう脳内で命令した。一点集中しているレーザーから、運動場全体にレーザーが降り注ぐようになった。しかしそれでも、闇床からの逆雨に上空からのレーザーの雨、地と空からの挟み撃ちでも時速で飛び回るウァサゴ犬には一切当たらない。
「ちっ、どうすれば奴に当たる……!?」
常人なら地と空の挟撃を避けられるはずがない。しかし二つの雨ですら当たることすら敵わないこの犬。第四部と第三部のダブルマジックをいとも容易く避けるとは、普通ならありえないことだ。更に、ウァサゴは第五部の雄叫びをまともに聴いて平気な顔を見せた。仮に今ここで第五部『アルス・ノウァ』を詠んでも、音速をも越えるウァサゴ犬なら、雄叫びを聴かせても効かないのはもう分かっている。
「最強すぎるパワーに時を越えるスピード、死の恐怖を植え付ける雄叫びをも効かないメンタル。いざ敵となるとあまりにも厄介過ぎる」
そのとき、ウァサゴ犬が俺の間合いに一瞬で侵入してきた。だが時すでに遅し。避ける間もなく、ウァサゴ犬は尻尾を鞭のように振るい、尻尾は俺の首に命中。その衝撃は首が曲がるほどだった。
「ぐふああああ……!」
強すぎる衝撃にかっ飛ばされ、背を闇床に叩きつけられる。
骨が折れて息が難しい。だが、冷静に息を吸き吐きして、立ち上がる。対するウァサゴ犬は再び残像を残し、空間を超スピードで飛び回った。
俺の魔法ではこのウァサゴ犬に勝ち目はない。詠唱する間もなく奴の圧倒的な力に対抗する体術は持ち合わせていない。
「もはや、万事休すか……」
俺の闇に追いつけるスピード、敵うパワーではなかった。己の策は奴の筋力に負けてしまった。今更あがいてもどうしようもないこの状況、潔く負けを認めるしかあるまい。
ゆっくりと瞼を閉じ、脱力した。いつどこから攻撃が来ても、俺は必ず絶命する。策がないのだ。勝つ方法はもうない。
「俺が人間界に帰るって野望も魔王になるって夢も、ここで消え果るのだな……」
魔界に唯一の人間は、人間界に帰ることなく、魔王になることもなく、この魔界の大地の一部と化すわけだな。悔いのある人生だったが、それでも俺はよく、悪にまみれた残酷な運命にあらがった方ではないだろうか。せめて、バーゲストになってしまったが仲間であるウァサゴに殺されるだけ、不幸中の幸いといったところか。―
「こ、これは……!」
つい先ほどまでのウァサゴ犬との死闘の経験の一部が、文として記されていた。
「な、なぜ俺とウァサゴとの戦いが書かれているんだ。しかもつい先ほどの戦いだぞ……!」
俺が第四部を開き、ウァサゴ犬に死一歩手前まで追い詰められたところまで、余すところなく書かれている。この女性、いったい何者なのだ。なぜ俺とウァサゴとの戦いを書いているのだ。
『ううむ、正直ウァサゴの能力設定チートすぎたわね。これじゃ誰が相手でも勝てるわけないじゃない。後々戦わせる予定のガミジン戦もかなり悩みそうね。あああウァサゴ強くし過ぎたあ。いやまあレハベアムの戦い方も十分チートだけども、ウァサゴの方がぶっちぎりでチートね。うん』
女性は人間界の言葉「チート」を三回繰り返し、ウァサゴの戦闘能力を讃えているのか悪く言っているのか、よくわからないことを言っている。そのチートという言葉の意味が分かればこの女性の言っている意味も分かるだろうが、生憎魔界にチートという言葉は存在しない。しかし一部分かる意味がある。それは、ウァサゴが強すぎるという点に関してだ。この俺ですらまともに戦うことができない相手だ。そのせいで俺は死まで追い詰められた。だからこれだけは言える。ウァサゴに敵う相手を探す方が困難だ。
『今のレハベアムでは、たとえ奇跡を描写しても敗北ルート間違いないわね。詠む隙を与えない圧倒的なスピード、圧倒的なパワー、圧倒的なメンタル、どこをとってもレハベアムは勝てない。勝てなさすぎる。あああウァサゴが強すぎてストーリーが進まないよおおお』
そればかりか、今度は俺の悪口を叩く。まるで俺が弱いような言い方でちょっとイラッてくる。しかしこの女性の言うことに間違いはない。はっきり言って今でも勝てる自信はない。
しかしさっきからこの女性の発言には、一部一部に耳が引っかかる部分がある。それは、
「能力設定なり戦わせる予定なり描写なりストーリーなり、そして文章で俺とウァサゴとの戦いを書いているあたり、まるでこの女性が作家のような発言だな」
そう、この女性が作家として俺とウァサゴとの死闘を書いているように聞こえる。そう考えれば、能力設定だのストーリーだの、これらは全て小説の設定として合点がいく。となるとこの女性は何者なのだ……? まさか、魔界に起きる我々の運命を操作する神なのだろうか。いや、それだと姿が人間だということに少し違和感がある。さらに言うなら、この女性に神聖さの欠片が微塵も伝わらない。本当にこの人間はいったい何者なのだ。
『ああああそうだっ!』
ここでこの女性が右手に左手のグーをポンと叩き、何かがひらめいたようだ。
『ウァサゴは時速で移動しまくっているんだ。それはつまり魔力を大きく消費しているってことになる。更に、ウァサゴはバーゲストに乗っ取られて自我がなく、獣の衝動のままに動いているのだから、魔力の消費を気にしていないわ。ここはウァサゴ犬がレハベアムを噛み砕く直前で魔力が消えて、時速移動ができなくなり、レハベアムはここから一気にウァサゴ犬を追い詰めて……ふむふむ、これなら形勢逆転になるしどんでん返しになるわっ!』
「魔力消費、か。確かにその点は気にしていなかったな」
今思えばウァサゴ犬は時速移動で俺の周りを飛び回っていた。それは魔力を無駄に激減させている行為。魔力を使い、尚且つ消費が激しい技を意味もなく使うのは戦場において命取りだ。だが自我を失われているウァサゴではそのような事は一切考えない。戦術はなく、獣の如く、ただ命ある者目掛けて殺しに行くだけだ。獣の衝動に操られるウァサゴ犬に戦略的行為は不可能だ。それが弱点というわけか。
だが、時すでに遅し。俺はここにいるのにこの女性は一切俺のことを気付いてくれない。声も聞こえない。それは俺が幽霊ということではないだろうか。それはつまり、俺はウァサゴ犬に殺された。それが魂がどういうわけか人間界に転生された。とんでもない形で俺は人間界というゴールにたどり着いたわけだが、肝心なのはこの女性がいったい何者なのか、だ。俺とウァサゴ犬とのつい先ほどの戦いを文章にしているという、この謎の展開。とても理解が追い付けない。
形勢逆転というものをひらめいた女性は、ノート型機械の六列並んだボタンに向かって、両手の指十本でそれぞれのボタンを高速で打ち、同時に機械の画面に次々と文字が現れる。この多くのボタンで文字を作れるというのかこの機械は。なんて便利なのだ。
そして生み出された文章には、こう書かれてある。
―しかし、なかなかウァサゴ犬の牙が俺を襲い掛からない。瞼を閉じてから軽く数秒が経ち死を悟ったが、なかなか死なない。不思議に思い、ゆっくりと瞼を開ける。すると、ガラスのヒビのように割れた大地のなか、ウァサゴ犬が俺の足元で倒れている。
「な、なんだ。なぜウァサゴ犬が倒れているんだ……? あっ、まさか、魔力切れ……?」
そういえば六月の黒獄の天秤戦後、ウァサゴは俺にこう言った。『時速移動って一瞬で相手の懐に入れるからいいけど、魔力の燃費悪いのよね』と。『だから多用しまくるとあっという間に魔力が切れて、時の力が使えなくなっちゃう』
時速移動は魔力の消費が激しい。そして今、バーゲストと化したウァサゴは時速移動で俺の周りを飛び回った。時速移動を多用し無駄に魔力を消費したから、俺に襲い掛かる直前に魔力が切れ、倒れたというわけか。つまり今のウァサゴ犬はただのバーゲスト。時の魔力が切れたただの犬っころだ。
「ククク……クハハハハハハッハハハアハハハッ! これは傑作だクハハハハハハハハハハ。獣の衝動に操られて無策に飛び回るからだ」
死を悟った瞬間、まさか相手の凡ミスで命助かったという展開で、なぜか緊張感が途切れてしまって、つい笑いが噴き出た。とても馬鹿馬鹿しい展開だ。
このウァサゴ犬は、ウァサゴ本体の意思や自我がまったくない。完全にバーゲストの獣の衝動のままに操られている。ただひたすら飛び回り、命を持つ者に特攻している。その行動に策や戦術の欠片もない。それが仇となり、時速移動の多用で魔力が切れた。まさに、猪突猛進に特攻する一兵が敵の戦術で足元をすくわれ、大ピンチを迎えるのような。こうなれば俺がやるべきことはただ一つ。
「ふう、では、こいつの暴走を止めよう。今すぐに」
ウァサゴ犬の頭を左手で鷲掴みし、吊り上げる。そしてレメゲトンの第五部を開き、詠唱する。
「憎き大天使ミカエルよ。 光で死した死者の祈りを聞きたまえ。我の願いを叶い、滅びたまえ」
左手に赤き魔力が覆った。魔力はウァサゴ犬に反応し、煮えたぎった。俺の左手は今、死者が眠る大地ではなく、死者を作ったその体に触れている。それはつまり、相手の精神に大ダメージを与えるのではなく、肉体に死者の怨念の一撃を与えることになる。いくらウァサゴといえども、死者の怨念による爆発は耐えきれまい。いや、耐えてもらわなくては困る。死なれては善魔生徒会の宿願はどうなるのだ。
ウァサゴ犬は俺を睨み付けるも、顎や手足は弱々しく抵抗し、牙や爪が俺に届かない。
「悪いがウァサゴ、耐えてくれよ? バーゲストを追い出すのには、圧倒的な一撃が必要なのだ」
赤き魔力の沸騰がいよいよ頂点にたどり着く。そして、赤き魔力が爆発し、ウァサゴ犬の体に爆裂が轟く。爆波は犬の体を全力で叩きのめし、大地にクレーターが生じた。空気を思う存分弾き飛ばし、数秒、無酸素の空間と化した。酸素は被弾の空間に戻り、俺は酸素を吸う。対するウァサゴ犬は呼吸をせず、白目を向いている。その体には一切の力の流れがなく、完全にノックアウトしてある。
レハベアムはウァサゴ犬の頭を離し、その亀裂された肉体は落下した。
「手間取らせるな、俺らの会長さん」―
ウァサゴ犬の弱点、無策による魔力多用により、大逆転勝利を迎えてしまった。
『よおし、これでレハベアムは死なずに済んで、ストーリーが進んだわ。さあてと、じゃあどんどん書いていくわよ』
文章では確かに俺はウァサゴ犬に大逆転を迎えている。が、この後俺はどうなるのだ? 俺は今や魔界とは異なる世界の幽霊だ。そして、この女性の人間は俺とウァサゴとの戦いを書き、決着をつけた。仮にこの女性が本当に魔界の運命を書く神だとしたら、俺はこの文章通りに動いてしまうのか?
自然と瞬きをした。その後すぐ、俺の視界は異文化の個室から、荒廃した運動場に瞬間移転した。
(も、戻った……?)
心の中で呟く。辺りを見渡すと、確かにここは魔界の偽王国に位置するゲーティア高校の運動場そのものだ。
女性の人間がいたあの世界は、魔界に存在しない文化のものだった。だから魔界ではないのは確か。だがあの人間が書いた文章は、確かに俺とウァサゴとの戦いを書いていた。そればかりか、逆転勝利を迎えてしまった。
(はっ、俺は魔界に戻った。となるとこの後の運命はまさか……!)
謎の人間界から意識が魔界に戻った。そして、あの人間は、俺が死を悟った瞬間、その後に続く逆転勝利を書いた。ということは、この後の運命は、人間が書いたどおりになるのか……?
試しに瞼を下ろし、運命の時を待つ。もしあの人間が書いた文章どおりに運命が進むのであれば、俺はこの後、ウァサゴ犬との戦いが再開する。
しかし、なかなかウァサゴ犬の牙が俺を襲い掛からない。瞼を閉じてから軽く数秒が経ち死を悟ったが、なかなか死なない。不思議に思い、ゆっくりと瞼を開ける。すると、ガラスのヒビのように割れた大地のなか、ウァサゴ犬が俺の足元で倒れている。
(……! やはり、運命はあの人間が書いたどおりになっている……!)
となると、次に発する俺の言葉も、あの人間が書いたどおりに自然に出てしまうわけだ。
「な、なんだ。なぜウァサゴ犬が倒れているんだ……? あっ、まさか、魔力切れ……?」
そういえば六月の黒獄の天秤戦後、ウァサゴは俺にこう言った。『時速移動って一瞬で相手の懐に入れるからいいけど、魔力の燃費悪いのよね』と。『だから多用しまくるとあっという間に魔力が切れて、時の力が使えなくなっちゃう』
時速移動は魔力の消費が激しい。そして今、バーゲストと化したウァサゴは時速移動で俺の周りを飛び回った。時速移動を多用し無駄に魔力を消費したから、俺に襲い掛かる直前に魔力が切れ、倒れたというわけか。つまり今のウァサゴ犬はただのバーゲスト。時の魔力が切れたただの犬っころだ。
「ククク……クハハハハハハッハハハアハハハッ! これは傑作だクハハハハハハハハハハ。獣の衝動に操られて無策に飛び回るからだ」
死を悟った瞬間、まさか相手の凡ミスで命助かったという展開で、なぜか緊張感が途切れてしまって、つい笑いが噴き出た。とても馬鹿馬鹿しい展開だ。
このウァサゴ犬は、ウァサゴ本体の意思や自我がまったくない。完全にバーゲストの獣の衝動のままに操られている。ただひたすら飛び回り、命を持つ者に特攻している。その行動に策や戦術の欠片もない。それが仇となり、時速移動の多用で魔力が切れた。まさに、猪突猛進に特攻する一兵が敵の戦術で足元をすくわれ、大ピンチを迎えるのような。こうなれば俺がやるべきことはただ一つ。
「ふう、では、こいつの暴走を止めよう。今すぐに」
ウァサゴ犬の頭を左手で鷲掴みし、吊り上げる。そしてレメゲトンの第五部を開き、詠唱する。
「憎き大天使ミカエルよ。 光で死した死者の祈りを聞きたまえ。我の願いを叶い、滅びたまえ」
左手に赤き魔力が覆った。魔力はウァサゴ犬に反応し、煮えたぎった。俺の左手は今、死者が眠る大地ではなく、死者を作ったその体に触れている。それはつまり、相手の精神に大ダメージを与えるのではなく、肉体に死者の怨念の一撃を与えることになる。いくらウァサゴといえども、死者の怨念による爆発は耐えきれまい。いや、耐えてもらわなくては困る。死なれては善魔生徒会の宿願はどうなるのだ。
ウァサゴ犬は俺を睨み付けるも、顎や手足は弱々しく抵抗し、牙や爪が俺に届かない。
「悪いがウァサゴ、耐えてくれよ? バーゲストを追い出すのには、圧倒的な一撃が必要なのだ」
赤き魔力の沸騰がいよいよ頂点にたどり着く。そして、赤き魔力が爆発し、ウァサゴ犬の体に爆裂が轟く。爆波は犬の体を全力で叩きのめし、大地にクレーターが生じた。空気を思う存分弾き飛ばし、数秒、無酸素の空間と化した。酸素は被弾の空間に戻り、俺は酸素を吸う。対するウァサゴ犬は呼吸をせず、白目を向いている。その体には一切の力の流れがなく、完全にノックアウトしてある。
レハベアムはウァサゴ犬の頭を離し、その亀裂された肉体は落下した。
「手間取らせるな、俺らの会長さん」
(……俺が思ったどおり、あの人間は、この魔界の運命を書く作家だ)
これではっきりした。あの人間は、謎の人間界から、魔界に起きる運命を文章として書く者だ。まさか、異世界から魔界の運命を操作する能力者なのか? あるいは本当に神なのか。どちらにせよ運命を自在に動かせるそのような所業を行えるのは神だけだ。人間には事足りすぎている能力なのは間違いない。
しかし不思議なのは、俺は決してあの人間が書いたどおりにセリフを発したのではなく、ほんの心から言ったことだ。だが俺が自然に発する言葉も、所詮はあの人間が書いたセリフに過ぎないかもしれない。これも運命の一部なのか。
(調べる必要があるな。あの人間について)
ゲーティア高校の図書室や王立図書館などに、この魔界の運命を操作する神についての書物があれば、あの人間がそれだ。もし本当に神が人間だったのであれば、そもそも魔界の神がなぜ人間の姿をしているのか、それも詳しく調べる必要もある。




