三十話 地獄
一方、四足歩行の竜に化身しているヴァプラは、向かってくる黒犬の群れに向けて口を開け、
「ウルトラハイパースーパーテラトロンっ!」
口腔から雷の極太なビームを放った。稲妻のビームは黒犬たちを飲み込ませ、肉体を猛烈に焦がし、壁をも貫き通す。ビームを止めると、黒犬たちはおろか床や壁までもが黒焦げになり、黒犬たちは倒れていった。倒れていく群れの中には、口からバーゲストが現れ、ヒト型に戻る姿もあれば、黒犬のままの姿もある。
「すまない悪魔と黒犬……! お前らに罪はないのに……!」
バーゲストに憑依された悪魔とその悪魔から生まれた黒犬が入り混じったこの地獄。悪魔を救うのはかなり無理がある。ヴァプラもレハベアムの言う通り、手加減抜きの殺戮を実行していた。
フェニックスは天井付近まで飛び、黒犬の群れの真上から火の粉を降りまぶす。火の粉に掛かった黒犬たちは次々と燃え、炎に焼かれながら倒れていく。同様に、バーゲストが抜けてヒト型に戻る悪魔と、そのまま死体の犬が入り混じっている。
「一遍に焼いてあげますよっ!」
一方通行の廊下先に翼を前に羽ばたかせた。その翼から吹かれる熱風が廊下全体に通り、黒犬たちは熱風に焼かれていく。鋭い熱さの風に慌てながらも黒犬たちは倒れていき、バーゲストが抜かれていく。
「逃がしはしませんよっ!」
バーゲストは窓の外に逃げる習性がある。シトリーは窓に空間バリアーを張り、バーゲストの逃げ道を防ぐ。案の定、バーゲストたちは空間バリアーに衝突し、外に出られなくなった。バリアーから更なる壁を生やし、真四角に形作る。空間バリアーの牢屋に閉じ込めさせ、無数のバーゲストを捕獲する。
「どんどん捕まえましょう! 被害が広がる前に!」
バーゲストを捕らえることで悪魔が憑依されるのを防ぐことができる可能性がある。倒してバーゲストを体から抜かしても、再度憑依してくる可能性がある以上、野放しにするわけにはいかない。
「片っ端から俺とフェニで焦がしていくぜっ!」
フェニックスは床に着地し、ヒト型に戻り、ヴァプラとシトリーの前に寄った。
「その、すみませんが私に時間をくださいませんか。せめて絶命する前に悪魔たちに回復させる時間を」
フェニックスがヒト型に戻った悪魔に回復させる時間を求めた。
「勿論ですよ! 回復できたらウァサゴ先輩も喜ぶはずです!」
「おうよ。じゃあその間に俺たちがフェニを守るぜ」
「ありがとうございます!」
フェニックスは二人に頭を下げると、すぐに近い順に倒れている悪魔に寄り、しゃがみながら掌から回復の炎を出した。燃える両手で焦げている悪魔に優しく触れ、ダメージを癒す。すると燃やした個所だけ焦げた皮膚が再生し、元の皮膚の色に戻った。ここでフェニックスはこの回復の手間に自ら悩みの種を作る。
「ううん、一人ひとり完治させるのに時間がかかりますね……」
掌の炎だけで全体の皮膚の回復するのに少し時間がかかる。更に山のような悪魔の体の数々。全員が全員完全回復させるのにはかなり膨大な時間が要する。
「もっと効率よく回復させることはできないのか? 例えばその炎を大きくさせるとか」
ヴァプラが聞くと、フェニックスはヴァプラにふり向き、質問に答えた。
「無理です。この回復の炎は大きさに限りがあります。ほんの掌サイズなのです。そのうえ回復の炎には魔力をたくさん使います。全員を回復させるのは難しいかもです……」
言わずもがな、フェニックス一体の魔力だけで三千人の悪魔の負傷を癒すには無理がある。
「その回復の炎って、油にも反応するんですか?」
シトリーがフェニックスに質問した。対するフェニックスはその油にシトリーの質問の意図に閃く。
「油……? ああ、なるほど。油で回復の炎を大きくさせるっていうことですか?」
「はい。油を床に広げて、回復の炎を当てて炎を拡大させるのです」
「確かにそうすれば魔力を軽減させることもできますし、一気にまとめて回復させられる、かもです。実は回復の炎を油で炙ったことないので、成功するかは分かりませんが……」
「可能性はゼロじゃなければ迷わず実践するのみだ! 油なら料理室にあるな!」
「はい。行ってみましょう。料理室へ」
「料理室なら一階ですね」
またまた一方、ウァサゴはというと、体育館内で無数の黒犬に囲まれていた。
「強敵相手に群れで挑むのは正解ね。でも、挑んだ相手が悪かったわねっ!」
ウァサゴは右腕に二十四時間分の力のチャージを一秒に短縮化させ、床に叩き下ろした。すると床は大きく砕かれ、亀裂が体育館全体に響き渡る。圧倒的な衝撃で大きく揺れる体育館で黒犬たちはこけていく。ウァサゴは床の大きな破片を片手で剥がし、
「おうらああっ!」
持ち上げ、前方の黒犬たちに叩きつける。叩きつけた衝撃で破片が砕け散り、床の破片で叩きつけられ潰された黒犬たちはそのまま倒れた。周りの黒犬たちは立ちあがり、一斉にウァサゴ一人に襲ってきた。対するウァサゴは頭上を床に下ろし、頭上を軸に回転しブレイクダンスを始めた。たまに両手を床に着け、下半身や両脚を思う存分ぶん回す。その回転速度は光速を越え時速にまで達し、襲い掛かってくる黒犬たちを次々と蹴っ飛ばした。
「舞われ、時を越えるブレイクダンス!」
時の速さで舞わるブレイクダンスで黒犬たちを蹴り、その肉体を打ち砕く。全方位から襲ってくる黒犬たちの顔面、肩、頬、全ての部位を見境なく蹴る蹴る。圧倒的な素早さで脚の軌跡からソニックブームが生じ、間合いから離れている黒犬にも衝突する。そのソニックブームは体育館の壁をも打ち砕き、徐々に体育館が崩壊しつつある。そして全ての黒犬を蹴り飛ばし、ブレイクダンスを辞めた。すると、倒れた黒犬たちの半分が、その口からバーゲストが抜け出し、ヒト型に戻っていく。
「甘いわね。この私に勝てるとでも?」
しかし、相当なダメージを覆った体育館が崩壊し、天井が落ちてきた。この天井が落ちれば、せっかくヒト型に戻った悪魔たちが潰されてしまう。ウァサゴは落ちてくる天井に向けてアッパーカットをし、拳の圧力で空気を弾き飛ばし、天井を木端微塵にした。
「さて、次なる戦場へ向かうわよ」
体育館の壁は外側に倒れ、完全に崩壊した。ウァサゴは体育館の正面扉から出て、運動場に向かう。広大な運動場には、蠢く闇の大群のように大無数の黒犬が蔓延っている。
「片っ端から蹴り、殴り、ぶちのめすわよ」
そんなとき、運動場の真上の空から黒いレーザーの雨が降り注いだ。レーザーの雨は黒犬たちを次々と貫き、撃ち殺していく。
「レハベアムね」
レメゲトンの第三部の魔法だ。紙ドクロの群れを天空に配置させ、真下に向かってレーザーを放つ魔法。黒獄の天秤で観客席に向かってレーザーを放つのを思い出した。今はその状況と全く同じだ。灰色の曇天の下には、グラシャが翼で滑空し、両前足でレハベアムを掴んで一緒に空を飛んでいる。なるほど、黒犬が届かない間合いから魔法を放つ戦術か。あれなら安全に魔法を放つことができる。
切り替わってレハベアムの視点へ移動。
俺はグラシャの前両足に捕まって一緒に空を飛んでいる。
「グラシャ、運動場の中心に俺を落とせ」
俺の命令にグラシャは俺に向けて驚きの表情を見せた。
「え!? そ、そのようなことしたら、いくらレーザーの雨に撃たれているとはいえ流石にまずいのでは……?」
「問題ない。まとめて葬るからな」
運動場全体に蔓延る万は超すだろう黒犬の群れを、まとめて倒す秘儀がある。
「分かりました。ではどうかリンチされないでください」
グラシャはいとも容易く受け入れ、この運動場の中心にまで空を進んだ。俺はレメゲトンの第五部を詠唱し、左手を赤色の魔力に染める。
「俺が落ちたら、グラシャは宇宙に行くぐらいの勢いで全力で真上に飛べ。今から俺は危険な魔法を繰り出す。だから離れろ。下手したらグラシャも死ぬ可能性があるほどの魔法だ」
第四部の闇は味方敵問わず全ての能力を無力化にさせるに加え、今から繰り出す第五部の闇は、同様に味方をも滅する全体攻撃だ。この魔法を受けて無事に済むほどお優しいものはない。
「そ、それほどの魔法なんですね。分かりました」
グラシャは少し戸惑いを出すも、俺の指示を素直に受け入れた。
「では、落としますよ」
「ああ」
運動場の中心に着くと、グラシャは俺を離し、俺は真下に向かって重力に引っ張られて落ちていった。対するグラシャは指示通りに真上に飛び進み、全力で運動場から離れる。漆黒のレーザーが降り注ぐ大混乱の運動場に着地し、早速赤く染まった左手を地に置く。
「お前ら悪魔は、どれほどここで殺し合ってきた……?」
すると赤い左手を中心に地に亀裂が発生した。亀裂は物凄い速さで運動場全体に広がっていき、亀裂した地がそれぞれ傾き始めた。これは単純な力だけで地に亀裂が起きているわけではない。第五部の魔法として発生しているのだ。
「お前ら悪魔は、どれほどこの地で眠った……? 死者の憎悪の雄叫びを聞くがいい」
左手を染める赤い魔力が亀裂した地の間に浸透し、間を通って魔力が運動場に広がっていく。
「第五部『アルス・ノウァ』だ。悪魔として生まれたことを後悔しろ」
亀裂の奥から、この世とは思えない憎悪が込められた雄叫びが大音量で発生し、黒犬たちの鼓膜を粉砕する。それだけではなく、この地に眠る無数の死者の雄叫びによって、精神面に死への多大な恐怖をねじ込ませる。これにより、死への恐怖がトラウマとなり、精神的な障害を背負うことになる。
第五部『アルス・ノウァ』は、相手が殺してきた数の分衝撃波が強くなる魔法だけではなく、地中に死者が多ければ多いほど、またはその地で過去に死者の発生が多ければ多いほど、雄叫びが強くなる。この雄叫びの音量の大きさはつまり、この運動場で悪魔による殺し合いが多かったことを表す。戦争の傷跡が残された地や死者の魂が彷徨う心霊スポット、墓地には効果絶大な魔法だ。グラシャに全力で離れろと言ったのはこのため。雄叫びから遠ければ遠いほど効果は薄くなる。多少うるさくても鼓膜が潰れなければ無事には済む。
雄叫びを聞き、精神面を抉られた黒犬たちは次々と倒れ、微動に痙攣する。鼓膜は潰れ、精神面に死への恐怖を植え付けられ、仮に生還できたとしても、もうまともに生きることができなくなった悪魔の末路だ。雄叫びが収まると、万を越すであろう無数の黒犬たちの半分が、口からバーゲストが出てきた。バーゲストが抜けた今、黒犬の姿からヒト型の姿に戻っていく。しかしヒト型に戻っても痙攣は収まらない。痙攣がしていない体は死亡している。無傷ではあるが、むしろ身体的ダメージの方がよっぽどマシな魔法を受けたわけだな。残る子側の黒犬たちは、死への恐怖であわよくば気絶。下手したら即死だ。いや、下手しなくても死ぬ。恐らく大半が後者であろう。
「死体の処理が大変だなこれは」
運動場に刻まれた亀裂を埋める黒犬と悪魔の肉体の数々。これは掃除がとてつもなく大変なことになるな。第三部の紙ドクロたちにレーザー放射の停止をイメージし、レーザーの雨は止ませた。
「レハベアムっ!」
俺を呼ぶ声がした。その声の方向にふり向くと、奥にはウァサゴがいて、横たわる体の数々を飛び越えて寄ってきた。ウァサゴの後ろには体育館が崩壊している。
「こりゃまたとんでもない魔法ね。まだまだネタがありそうで怖いわね」
「お前こそよく無事で生きてこられたな」
鼓膜が粉砕するほどの雄叫びの環境にウァサゴは居ながらも、無事に生きている。普段通り接してくる辺り、精神面の崩壊や恐怖する素振りは一切見当たらない。まさか運動場に味方がいたのは驚きだが、味方が無事に済んだこと自体、内心仰天を隠せない。
「ってか、うるさ過ぎるわ。近所迷惑にもほどがある」
挙句、死者の雄叫びを近所迷惑に例える始末。善魔としての覚悟が精神面を頑なに強くしているのか、一切死への恐怖は効いていないらしい。それほどの精神力というわけか。
「ふん、お前にはつくづく呆れられるよ」
時を込めた圧倒的なパワーにスピード、戦闘中の繊細さに正確性、更には恐怖を弾くメンタル。果たしてこいつを殺せる者が存在するのか怪しい所だ。
「何のことか分からないけど誉め言葉として受け取っておくわ」
「レハベアムさあんっ!」
今度は真上から俺を呼ぶ声がした。上空に目を向けると、上空からグラシャが俺の元へ真下に滑空してきた。
「グラシャちゃんね」
地面に着地し、俺の元へ寄ってきた。
「凄いですね……地上から壮大な雄叫びが聞こえたから驚きましたが、あっという間に黒犬たちの群れが倒れていて……」
「悪いな驚かせて」
ウァサゴは第五部の雄叫びを近所迷惑だとリアクションするに対し、グラシャは素直に驚いてくれた。やはりウァサゴが異常におかしいのだな。俺は間違っていない。
「さてさて、黒犬たちはどんぐらい消えたかしら」
「ああ、そうだな見てみよう」
脳内にゲーティア高校内の紙ドクロの視野情報を映し、見てみる。すると、ヴァプラや紙ドクロの群れによって学校中に蔓延る黒犬たちはほとんど倒れている。まだ少し残党はいるが、それでもかなり少なくなってきている。一方、シトリーはヴァプラの隣で、空間バリアーの牢屋でバーゲストを囲み、捕まえている。
「かなり減少している。うむ、これで黒犬の繫殖力は大幅に低下したはずだ。被害者は壊滅的に大きいが」
「こればっかりはバーゲストの能力者には死を持って償ってもらわないとね。必ず叩きのめしてあげる」
「ああそうだな。しかし、フェニックスがいないな……」
「えっ、嘘」
学校中に散らばる紙ドクロの視野情報全てフェニックスがいない。ヴァプラとシトリーと一緒に居させたはずなのだが、どう見ても隣にはいない。まさか喰われて死亡したのだろうか。
そのとき、白の生徒手帳がブルブルと微動した。これは電話の着信だ。左手で掴み、耳元に当てる。
「あ、もしもしレハ!」
フェニックスだ。良かった、フェニックスは無事のようだ。しかしフェニックスは今どこに居るのだろうか。
「おいフェニ、今どこにいる」
「今ね、学校の真上に居るの」
「真上?」
学校の真上、その上空を見る。すると、上空には煌めく翼が羽ばたかせてフェニックスが真上に飛び進んでいるのが見えた。
「それでね、調理室から油缶を貰って、学校全土に油を注ぎ込もうとしているの」
「なぜだ。あ、なるほど。回復の炎で学校ごと燃やすからか?」
「ザッツライト」
回復の炎は生命の傷を癒すことができる。学校ごと回復の炎で燃やし、ヒト型に戻った悪魔をまとめて回復させるのが狙いか。学校そのものは癒えないが、まあそれは致し方ない。油とフェニックス特有の回復の炎というパワーワードが結びつき、すぐに理解した。
「なるほど、さっすがフェニちゃんねっ!」
それには思わずウァサゴも歓喜の一言をフェニックスに与える。
「ただそれだと本物の黒犬たちも回復してしまうから、今ヴァプラ先輩とシトリー先輩に学校中の犬の死体を外に出してってお願いをしているの。今レハとウァサゴ先輩は外にいるのよね。だったら逆にヒト型に戻った悪魔を学校内に入れて!」
内は悪魔、外は黒犬に分けて、内側に回復の炎で燃やして悪魔をまとめて回復させる作戦か。
「ああ分かった」
「おうけい任せて!」
しかし、この広大な運動場に転がる悪魔の体の数々。俺達三人だけで山のような体を学校内に入れるのは一苦労だ。相当時間がかかる。
「よおし、じゃあ、片っ端から学校にぶん投げるわよ」
「ぶん……投げる?」
ウァサゴのパワーワード『ぶん投げる』に、何を投げるのか、もう既にその絵図がイメージできてしまった。ウァサゴは足元に倒れている悪魔の胸倉を掴み、学校に向けて投げた。投げられた悪魔はレーザービームのように真横に飛ばされ、その速度は高速を越えた。壁を貫き、教室や廊下に着弾する。間違いなく複雑骨折するであろうな。
「おいおい雑過ぎるだろ……」
まあ、複雑骨折しようがあとで回復の炎で学校ごと燃やすから、気絶している悪魔も文句は言えまい。石投げのように、掴んだ生徒を学校にひたすら放り投げる生徒会長の絵図。生徒からすればたまったものではない。これが善魔の所業なのだろうか。行いそのものは悪魔以上の外道さだ。
「これが生徒会長の力、ですか……」
グラシャはウァサゴの粗暴行為にドン引きしている。バエル校長を一瞬で暗殺する芸道を見れば、その恐ろしさが十分に伝わるであろう。
無心になるほどひたすら生徒を学校にぶん投げる。生徒は弾丸のように投げ飛ばされ、次々と学校に着弾。もう既に壁や窓は穴だらけだ。
「ん、あ、あれは……!」
グラシャが後方にふり向き、何かを発見したようだ。俺はグラシャの視線の先に注目すると、俺の視野には、空に黒い大きな塊が浮いていた。
「な、なんだあれは」
その黒い塊、一粒一粒が集合しているようにも見えて、黄ばんだ牙や薄透明な羽、赤い瞳が無数見える。
「まさか、バーゲストかっ!」
生徒から追い出した黒犬の妖精バーゲストが大集合し、ここに戻ってきたのか。俺は咄嗟にレメゲトンを開き、戦闘態勢に入る。
しかしウァサゴは背後のバーゲストを気にせず、生徒を投げ続けている。
「おいウァサゴ、なに生徒を投げている。今はその場合ではないだろう」
そのとき、バーゲストの群れが背後ががら空きのウァサゴに向かって突進してきた。
「えっ?」
当の本人は背後へふり向き、今更バーゲストの群れが再来してきたのを知ったかのように間抜けに一言が零れる。その直後にバーゲストの群れはウァサゴを飲み込んだ。
「ウァサゴっ!」
突進の勢いのまま、遠くにある朝礼台をも破壊し、その場に止まった。すると群れの中から一匹の犬が現れた。その犬は黒い毛皮に覆われ、ピンク色の傷跡が体全体に刻まれている。
「ま、まさか、あの犬は……!」
バーゲストの群れがウァサゴを飲み込み、そこから一匹の犬が出てきた。つまり、あの犬は、
「ウァ、ウァサゴ生徒会長……!」
ウァサゴがバーゲストの能力により、黒犬に化身させられた。あの犬こそはウァサゴだ。
「油断したなウァサゴ。まさか黒犬に成り下がるとはな……」
油断をしてしまったウァサゴがバーゲストの術に囚われてしまった。ウァサゴを戻すためには、あの黒犬を殺すつもりで倒さなければならない。
そのとき、遠くにいるはずウァサゴ犬が、いきなり、もう既に俺の懐に入り、牙をむき出しにして俺の右腕を嚙もうとしていた。
「なにっ……!」
驚きながらも咄嗟に一歩地を蹴り、すかさず後退し、噛みつきを避けた。ウァサゴ犬から間合いを取り、奴を睨み付ける。
「……まさか、犬の姿でも、時の能力を使うとはな……」
時速による瞬間移動だ。あの距離から一瞬で俺の間合いに入るということは、ウァサゴは時の能力を使ったということだ。まさか犬の姿でも使ってくるとは驚きを隠せない。蹴散らした黒犬の中で初めて、能力を使う黒犬に出会った。
「グラシャ、危険だから離れていろ。ウァサゴは犬のままでも時の能力を使ってくる。いくらお前も戦えるといえども、ウァサゴ犬は危険だ」
犬の姿による身体能力に鋭い牙、時の能力による時止め、時速移動、一秒チャージ、これこそ究極の魔物だ。どれをとっても生半可な覚悟で勝てる相手ではない。
「しかし、それではレハベアムさんも危険なのでは……!」
「俺も危険だが、奴を止めるには俺しかいない。それに、奴と戦ったことがあるから俺にも勝算はある。ここは俺に任せてくれ」
「……わかりました。足手まといになってはいけませんし。では健闘を祈っております」
グラシャは素直に俺の発言を受け入れ、空へ羽ばたいた。
「さてウァサゴ、黒獄の天秤では俺は負けたが、今回は勝ってやる。まさかこのような形で戦うことになるとは思いもしなかったが、黒犬になったからには、それ相当の覚悟をするのだな」




