三話 激烈
死月死日。今日から本格的に授業が始まる。今日からの激しい苦行に頭を悩ませていた。
「はあ…」
ソファから起き上がり、お腹が空いて朝食を食べる。片手のバックに筆箱とサンドイッチのお弁当箱、そして大切な魔術書を入れて、ゲーティア高校のワイシャツとブレザー制服を着て城から出た。広場からいつもの晴天を見ても鬱になる。森を出れば空は厚い雲に覆われている。そして悪魔がふらつく。俺は人間だ。道中の悪魔から冷たい目線を送られ、或いは突っかかれ面倒くさい騒動に巻き込まれる。その度に、俺はこの魔術書を悪魔に当てて、何とかやり過ごす。
この魔術書、俺がこの城で物心がついたときには既に俺の隣にあった。そして悪魔に当てるだけで特攻効果があると知ったのは、小学一年生の頃。いつものように突っかかりに合い、たまたま魔術書の表紙で悪魔に頬を叩き込んだ。そのとき、悪魔の生徒は力無くして倒れた。ビンタのように叩いただけだ。それだけで悪魔は力を失せて倒れた。そこからはこの魔術書の力に疑問を浮かび上がらせ、実験台として一人の悪魔を捕らえ、魔術書を軽く当てた。すると、ビンタで叩いた悪魔同様、その捕えた悪魔も力を失せて死にかけた。当てることも触れさせることも、たったそれだけで悪魔に特攻するこの魔術書。どうやら悪魔はこの魔術書が苦手らしい。それ以来、僕はこの魔術書を詠み、武器にして悪魔対策を展開させて、苦行をくぐり抜けた。だからこの魔術書は僕の命を救える、この魔界暮らしにおいて最も必要なものだ。あの悪のエリートを育てる高校でどれほど有効的なのか、語るほどでもない。当てればの話だが。
とはいえ目立つような行動はしない。俺はひっそりと暮らしたい。人間が魔界で目立つと悪魔に集中視され、虐げられてしまう。だからなるべく目立ちたくない。だが同時に俺の命を守るため、悪魔に魔術書を当てて返り討ちにすることも多々ある。その辺のバランスが難しいところだ。
腕時計を確認し、八時になり、そろそろ出発するか。出席確認は八時半。俺は出席確認ギリギリに教室に着きたい。通常通りの時間に来ても悪魔の目線や言葉に虐げられるだけだから、なるべく虐げられないようにギリギリに着きたい。
広場を出て、下る出入口へと歩く。森の出入口を出て、悪魔がうろつく外へ身を出す。蠢く木々は出入口を自動で閉ざし、侵入者を防ぐ。それでも入ろうとする者には迷宮という罰が下る。空を見上げると晴天とは打って変わって曇天だ。ここからゲーティア高校まで二十分の長い距離を徒歩だ。一本道だから迷うことなく、ただひたすら真っすぐ歩く。
歩いてから七分、昨日の公園の横に到着する。
「…ふん。」
公園を見ると昨日のウァサゴを思い出し、苛立つ。なぜ薄気味悪い善魔と俺が手を組まなければならないのだ。善魔だろうが所詮ウァサゴは悪魔だ。俺は決して悪魔と手を組まない。腹が立つなら公園なんか見ないでしまえ。そう思い、公園の横を過ぎる。だが、公園のブランコには、ゲーティア高校の制服を着た女子高校生が座っていた。その子は眼鏡を掛けていて、俺を見ると声をかけた。
「レハベアムさん。」
その子は小柄で、俺を見るとブランコから降り、歩く俺の隣にやってきた。
「…シトリー、だったか。」
「はあ、名前、憶えてくれたのですか。嬉しいです。」
ウァサゴの頼りなさそうな側近で、空間をバリアーのようにすることができる能力者。昨日俺を捕らえようとした女だ。名を呼ぶとその女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「気安く俺に近寄るな。」
歩きながら左に移動し、シトリーとの距離を離す。シトリーも前へ歩きながら、離した距離を詰めることなく、続いて俺に話しかけてきた。
「き、昨日の件は考えてくれましたか?」
「…」
悪魔が俺に話しかけてくるから無視だ。俺は悪魔が嫌いだ。だから無視。
「ちょっと!聞こえてますか?」
「聞こえている。だから無視だ。」
「無視しないでくださいよ!」
「お前ら悪魔と俺という人間は一生相容れることなどない。俺が言った事をそのままウァサゴに伝えてくれるのであれば、聞いてやらんことでもない。」
「伝えるのは構いません。ウァサゴ先輩は自分の意思変えませんから。」
えらくウァサゴのことを信用している。付き合いは長いのだろう。
「で、要件はなんだ?」
「はい。生徒会入会のことです。ウァサゴ先輩が宿題と言いましたのよね。だからその答えを私に。」
「俺が直接渡してやる。」
「そ、それはつまり、入ってくれるということですか?」
嬉しそうな自然的な笑みが表情に出ている。そのことに少し疑問を持った。
「…お前に質問がある。お前は俺が生徒会に入ってほしいのか?」
明らかにこのシトリーは、俺が入会することを嬉しがっている。こいつも善魔に毒されたのか。
「はいっ。もちろんです。」
明るく即答。
「なぜだ。俺は人間でお前は悪魔だ。なぜ人間の俺の入会を喜ぶ。」
「人間も悪魔も関係ありません。ウァサゴ先輩と同じです。平和と悪の意思の脱却を志しているのです。」
「ということはお前も善魔なのだな。」
昨日のウァサゴと同じことを言う。悪魔にしては貧弱だが、それゆえウァサゴの思想に毒されたのだろうか。
「はい!」
善魔は悪魔にとって穢れた存在。普通悪魔は善魔を忌み嫌うものだが、こいつは自分が善魔だということを毛嫌いせず、むしろ誇りのようなものを抱いている。
「言っとくが、俺は入らない。その事を俺が直々に伝えるだけだ。入会を拒否するとな。」
「こっちこそ言っておきますが、ウァサゴ先輩はあなたを必ず入会させます。レハベアムさんが断ったところで無駄に終わるかと。」
「俺は昨日、本気でお前を殺そうとしたのだぞ。それなのに何故俺を恐れない。」
捕えられたところを魔術書の闇で空間ガラスを溶かし、コピシュで脳天振り下そうとした。あれが当たればシトリーは死んでいた。だと言うのにシトリーは俺に恐れず、人懐っこい印象を与える。
「確かに、昨日は怖かったです。正直今でも怖い。でも、ウァサゴ先輩は言ってたんです。人間は優しいと。だからレハベアムさんもきっと優しいお人ではないかと。」
「買い被られても困る。人間は優しい?優しいから人間は悪魔に虐げられるんではないか?」
「そ、それは、そ、そんなことありませんよ…だって…」
言葉がしどろもどろになっている。それはつまり、極論から発して心の底から人間は優しいと思っていない証拠だ。所詮ウァサゴから聞いただけの話。ただ上の空そう思っているだけだ。
「だってではない。善魔に俺の気持ちが分かってたまるか。俺に話しかけるな。非常に不愉快だ。」
歩く速さを上げて、シトリーから距離を離す。対するシトリーも同様に歩く速さを上げ、俺の横に合わせる。
「なんだお前は。存在すら不愉快だ。俺の近くに寄るな。」
これでもかと言うと、シトリーは歩きを止めた。ようやくその心に釘刺せたか、と思った。そのとき、グスっと鼻を引く音がした。まさかと思い、後ろにふり向くと、シトリーは号泣していた。
「ううう、なんで、なんで存在すら不愉快だなんてこと…グスッ、い、言うんですか…?ひ、酷い…!」
「な、泣くなっ!悪かった。存在すら不愉快は取り消すから泣くな。」
身体をシトリーに向けてハンカチを泣くシトリーに差し出した。シトリーは容赦なく俺のハンカチを手に取り、涙を拭いたあと、こともあろうかヒトのハンカチで鼻をかんだ。
「俺のハンカチが…」
仕方なく前言撤回すると、シトリーはすぐに泣き止むのを辞めて、笑みを浮かべた。
「えへへ…グスッ。ほら。やっぱり優しい。謝って、くれましたから。」
「は、図ったなっ!」
「そ、そんなに怒らないでくださいよ…グスッ。べ、別に図ったつもりじゃないのに…」
怒鳴ると涙はすぐに溢れ、滝のように流れる。泣き止んだかと思えばすぐに泣いたぞこいつ。本人は俺を巧みに言葉の罠に陥れたわけではないようだが、というより、このシトリーとやらが巧みに俺を陥れることができるようには見えない。
「だ、だから泣くなっ!」
「じゃあ、生徒会に入りましょう…?」
「それとこれとでは話が別だ。俺は孤独に生きる。善魔となんか戯れない。」
泣いて男を油断させる作戦も悪魔らしい戦法だ。だが、俺にはそんな猿芝居は通じない。俺は生徒会には絶対に入らない。
「た、戯れではありませんよっ!立派に生徒会活動していますっ!」
「誰が善魔集団の言うことなんか聞くか。」
相手は悪事を働く悪魔だ。学校の改善活動や平和の働きかけなど悪魔が耳を貸すわけがない。
「そ、それは力でねじ伏せて聞かせます!」
「結局は悪魔と同じことをしているじゃないか!」
ウァサゴが力でバエル校長を血塗れにし、吊るし上げて新学年生徒に力の差を見せつけたが、結局は力で生徒らを仕切るやり方。善魔だろうが所詮考え方や行動は悪魔と同じか。
「そうじゃなきゃ悪魔は言うこと聞いてくれませんよ。仕方ないんですよ。」
「まずはそういう考え方無くせ。できないから仕方ないんではなく、出来る方法を探せ。」
「レハベアムさん…?」
「できないからこうだああだ言っては進歩はない。お前らは学校をよくしたいんだろう?なのに力でねじ伏せて改悪行動しているのでは、誰も耳が貸すわけがないだろう。」
「れ、レハベアムさん。意外とアドバイスしてくださるのですね。」
「俺はありのままのことを言ったまでだ。ウァサゴ生徒会長とやらはそんな当たり前な事すらできていない。お前はそんな上司で満足しているのか?」
「ウァ、ウァサゴ先輩を悪く言うなんて酷い!そりゃあ確かに力でねじ伏せようとお考えではありますが…」
内心シトリーもそう思っていたのならばまだ救いようがある方だ。間違った考えを間違いと思わない者は救えない。己が間違いだと思わない限り気が付けないものだ。
身体を学校への道に向けて、進みながら言う。いちいちシトリーに付き合っていたら遅刻してしまう。
「ウァサゴの背中についていくのは自由だが、自分を見失うな。それだと生きられないぞ。」
「レハベアムさん…あなた、やっぱり優しいんじゃ…」
「勘違いするなっ!俺はお前など死んだっていい。ただアドバイスしてやっただけだ。」
顔をシトリーへ向けずに前だけ向いて怒鳴る。背後からシトリーの足音がし、近くに寄る気配がした。振り向くと、俺の背後すぐにシトリーが付いてきていた。
「近寄るな善魔がっ!」
「やはりあなた!ウァサゴ先輩と相性が良い!」
「は?いったいなにを。」
「よおしこうなったら、尚更あなたを生徒会に入会させてやるんですからっ!」
「力で押しとおる癖は善魔も悪魔も関係らしい。」
俺がアドバイスしてやったことをまるで学んでいない。むしろ善魔に人間の俺がアドバイスしてやった雰囲気が恥ず苦しい。
程なくしてゲーティア高校に着き、シトリーとようやく別れた。俺は下駄箱室から入り、廊下を歩く。一年H組の教室へ目指し階段を上がる。今の時間は八時二十五分。それでも廊下は悪魔でちらほら戯れて、俺が通ると悪魔が堂々とヒソヒソ話や注目をする。
「あれが噂の人間…?」
「おいおい本当かよ。注目の的だぜ。」
「おい、誰か足引っ掛けて転がせてやれよ。」
耳障りな言葉の群れに、俺は殺意を放ち、殺意は壁に亀裂を走らせる。悪魔は俺の殺意を感じ、思わず黙る。注目をしてくるものは俺から視界を逸らしてくれた。
俺は殺意だけで物理的に振動を与えることができるようになった。今となっては睨み付けるだけで窓ガラスに亀裂を起こすことができる。悪魔にも心理的ショックをあたえることができる。破壊はできないがショックを与えるだけでも段違いだ。それだけで俺に話しかけてこなくなるし突っかかりもなくなる。
これから同級生となる悪魔が集う一年H組にたどり着き、視線に気にせず廊下側の後方端の空白の席に座る。バックを机のフックに掛け、念のため魔術書を引き出しの中に入れる。いつ何時襲われても対処できるように。
八時二十九分。もうすぐチャイムがなり、初対面の担任と鉢合わせになる。その後に本格的な授業が始まる。俺はこれまで通り勉学に努力し、成績トップを狙う。とはいえ、俺はあくまで悪のエリートを育てる超名門校に入学するため勉学に努力してきた。入学が目的で勉強を頑張ってきたから、あと三年間勉強をサボっても、留年しない程度に成績を維持すればあとは勝手に進級できる。だから勉学に努力する必要性は無くなった。それに、出る杭は打たれる。成績トップになれば必ず引きずり落そうとする輩に付けられ、目立ってしまう。
秒針が五十秒を差したところでチャイムに期待を寄せる。そのとき、
「ごらあああああああ、人間でてこいやあっ!」
猛々しく荒々しい声が廊下や教室に強く響いた。そして、人間を強気に呼んだ。
こういう荒々しいヤンキーは人間を物理的に虐げるのが最も好きな奴だ。俺が一番嫌いな悪魔のタイプ。だが、次にこう声が響いた。
「人間はここにいますよっ!」
廊下に居る生徒が人間がいる場所を大声でヤンキーに教えた。なんて最悪だ。なんでよりによって俺の居場所を教える。やはり悪魔め、俺の敵だ。
三十分になるチャイムがなり、同時に俺のすぐそばの扉に強いノックがなる。そして木製の扉が破壊され、破片が教室内に飛び散る。壊れた扉の前には、赤い髪と髭が輪郭に連なった、獅子顔が特徴の大男が、椅子に座る俺を見下ろしていた。
「見つけたぜ人間。」
こいつが廊下で騒いでいた悪魔か。ブラザー制服の袖を破り、肩パットをつけてノースリーブにして制服を改造している。ボタンは金ぴかで、見た目からしてヤンキーだ。
「てめえ、名は。」
「名乗ってどうする。」
俺の第一声を発し、殺意を放つ。だがこいつは殺意に怖気づくことなく、猛々しいオーラを維持している。
「はっ!いちいち人間人間っていうのが面倒なだけよ。それによ、俺ぁ人間、でえきれぇなもんでよぉ、俺の口から人間って言葉言いたくねえんだ。分かるか。なあおい。」
遠回しな突っかかりに遭うが、俺は足を組みながら、冷静に引き出しから魔術書を取り出す。
「おい聞いてんのか!名乗れっつったんだよ!ああ!?人間の分際で俺様の前で余裕ぶっこみやがって!」
俺の態度で余計にこいつを怒らせてしまったらしい。だが名乗ることはない。どんどん態度で煽ってやる。
「黙れ。」
人間の分際で、と叫んだことは人間を見下していること。そんな見下られる人間から命令口調で黙れと言ったら、プライドが傷つき、こいつはもっと余計に怒るであろう。更に煽ってやる。
「んやろうっ!」
案の定ヤンキーは飛躍的に怒り、俺の胸倉を掴んだ。ヤンキーは顔を俺の顔に近づけて、耳元で怒鳴ってきた。
「人間が俺様を舐めやがってえ!ぶっ殺してやる!」
ヤンキーは拳を上げて、俺に下してきた。対する俺は魔術書を引き、下る拳の前に防御をした。魔術書が傷つくが、拳に衝突した瞬間、ヤンキーは力無くして倒れる。俺はこれが狙いで散々煽ってきた。
「辞めなさい!アモン!」
その声で拳が魔術書の数センチ前で止まり、俺とヤンキーはその声の方向に顔を向かせる。すると廊下には、ピンク色の肌で長い白髪をポニーテールにし、ブレザー制服をマントにしている女性が立っていた。
「ウァサゴ…!」
善魔にして生徒会長ウァサゴが騒動を止めた。アモンと呼ばれた獅子顔の大男は拳を引き、胸倉を離した。俺は解放されたが、すぐにウァサゴを睨み付けた。
「ちっ、余計な真似を。」
アモンは余裕をかました態度でゆっくりとした歩きでウァサゴに近寄る。
「なんのようだい。嫌われ者の生徒会長さんよぉ。」
「喧嘩を止めに来たのだ。あまり人間に話しかけるな。」
「けっ!あれか?善魔サマが人間を救おうってのかい!ギャハハハハッハハハハハハこいつはウケる。」
アモンはひとり爆笑し、続いて周りの悪魔も素の笑いをしてきた。
「善魔だもんな。人間さえも救おうとするもんな!ギャアアッハハハハハハハッハバカバカしい。これだから善魔は嫌いだぜっ!」
アモンは笑いを辞めて、拳をウァサゴに放った。対するウァサゴは小指を差し、アモンの拳を小指一本で受け止めた。
「なにっ!てめえ小指だけで!」
放つ拳を小指で真正面から受け止め、無傷に済ます凄まじい力技に他の悪魔たちは笑いが冷め、静かに驚愕する。俺は驚きなどしなかった。なにせ、超一瞬の間に俺とシトリーの間に立ち、コピシュを指で真剣白刃取りを行うものだから。ただ、どんだけ筋肉が頑丈なんだとは思った。奴は力が凄まじく凄い。あの細い腕で相当な筋肉量を隠し持っている。
思わずアモンは拳を引き、一歩後退する。その姿には余裕の態度などなかった。
「喧嘩は受け付ける。他はしないでくれ。さあ、来い!」
喧嘩上等、とでも言いたげにウァサゴは両拳を合わせて骨をポキポキと鳴らす。
この喧嘩、明らかにウァサゴが勝つ。アモンの太い筋肉の腕とウァサゴの細いが凄まじい筋肉を隠している腕の差ではない。漂う雰囲気だ。アモンが激流ならばウァサゴは静水。しかし力はアモン以上の流れを持っている。これは誰の目から見ても勝負の行方は明らかだった。
「けっ!くうだらねえ。」
アモンは引き下がり、ウァサゴに背を向けて退いた。廊下を歩くアモン。そういえば思い出したが、昨日の入学式でアモンは外で喧嘩をしていたのであったな。
「レハベアム。少し来い。」
ウァサゴが俺を見つめ、呼んだ。ちょうどいい。俺もウァサゴには言いたいことがある。助けてくれてありがとうではない。壊れた扉から教室を出て、ウァサゴはアモンが退いた廊下の逆方向を歩いた。俺はウァサゴの背を追いかけ、ついてくる。下り階段から老いた細長の背の高い男が現れ、俺を見つめた。その後ウァサゴに目を向け話しかけた。
「なんだどうしたんだ。何事だ生徒会長くん。」
「少し生徒のもみ合いになって、私が直々に指導しようと思いまして。」
「それは担任の仕事だ。」
そういうと男は俺に睨みつけてきた。俺はその男に殺気を放ち、対して睨み付け返す。
「なんだ、教師に向かってその態度は。」
教師だったのか。まあこの学校で老いた人が若々しいクラスに集まるとしたら教師ぐらいか。
「ほら、行くよ。」
ウァサゴがおれの右手を掴み、教師の側を早く横切った。引っ張られる俺に対し、教師は、
「こらまかんかい!」
俺を連れ去るウァサゴに怒鳴った。それでもウァサゴは走りを止めず俺を連れ去った。上階へ連れていかれ、三階まで上り詰める。ほどなくして生徒会長室に到着し、中に入れられる。
室内は若い木目調の床や壁で、中央には横幅の広い逆U字型の大きな机とそれぞれの席に社長椅子がある。奥ににはウァサゴを表したステンドグラスが飾られている。ウァサゴは逆U字型の頂点の席に座り、
「まあ座りなさい。」
俺はウァサゴから一番遠い左側の席に座る。
「で、シトリーから報告が来たのだけど、入会を断るって?」
「ああ。それより、なぜ俺をここに誘拐した。」
「誘拐だなんてヒト聞きの悪いことを。私は助けたのよ。そうじゃなきゃあなたは殴られていた。骨は折れていたわ。そんな重傷者をあの悪魔達があなたを介抱すると思う?」
「思わない。だが、俺には策があった。そうすればアモンとやらは策に陥っていたのだ。それを邪魔したから俺は怒っている。」
俺の魔術書は悪魔に当てるだけで、謎の力で悪魔は倒れてしまう。それほどの魔力を持つ。もしアモンが拳を魔術書に当たれば、触れたことになり、アモンは脱落したのだ。
「策?それはなにかしら。」
「教えない。」
「まさか、魔術書を当てさせる策のことかしら。」
「…さあどうだろうな。」
そういえばウァサゴはこの魔術書から放たれる黒い霧が見える。今さっきのまるで何かを知っているかのような言い方から察して、ウァサゴはこの魔術書。何かを知っているような気がする。でなければ当てさせる策など言わない。内心驚いたが、踏ん張って表情をピクリとも動かさずに耐えた。
「あなた、なかなかのポーカーフェイスだけど、実は内心驚いているんじゃない?私がなぜ、その魔術書を知っているのか、について。」
「だとしたらなんだ。話してくれるのか?」
「私が知っている情報は少ないけれど、その魔術書の名は、レメゲトン。かつて先の時代で悪の繁栄期を創り、他の異世界に大きな暗黒を齎した魔王ソロモンが使っていた魔術書よ。」
「…ああ、その通りだ。これは、レメゲトンだ。」
ここの校長バエルがかつての主だった魔王ソロモンが使っていた魔術書が、俺が持っているレメゲトン。斬っても殴っても燃やしても濡らしてもレメゲトンは生き物のように再生し、紙は何度でも復活する。そして術者以外の者を受け付けない。すなわち、このレメゲトンを扱えるのは現代でこの俺のみになる。
「魔王ソロモンが使っていたレメゲトンをなぜ人間のあなたが持っているのかしら?」
「俺も詳しく説明はできない。物心がついた頃には既に俺の側にあった。ただのそれだけだ。」
どういうわけか、そんな凄い魔術書をいつのまにか俺が持っていた。盗んだとかそういうわけでもなく、本当に俺の隣に置かれていただけなのだ。
「このレメゲトンは悪魔が触れると倒れてしまう。だからこの魔界で唯一触れることができるのはこの俺だけ。ある意味、操作された運命で俺の元にやってきたかのような、そんな気がするんだ。」
触ると倒れてしまう悪魔の元にレメゲトンが落ちていれば、レメゲトンは一生床に着いたままだ。だが俺であればレメゲトンは触れる。人間だからかは知らないが、とにかく俺は悪魔を弾く魔術書を触ることができる。まるで、誰かが操作したことで、俺の元にレメゲトンを置いたかのような、そんな気がした。
「だから俺はこのレメゲトンで防御をして、アモンをわざと殴らせて、アモンの無力化を図った。そんなところをウァサゴ。お前が仲裁したんだ。仲裁しなければ今頃アモンは死にかけになっていたであろうに。」
「ごめんなさい。あなたが心配で来たら、案の定悪魔に突っかかりを受けているから、つい声が先走って。」
「…まあ、過ぎたことを今更言ったってしょうがない。一応俺を助けてくれたんだ。そこは感謝しなければな。」
アモンを取り逃がしたとはいえ、ウァサゴは俺を助けようと声をかけた。その善意は、いくら善魔であっても感謝せねばならぬだろう。
「あら、レハが謝ってくれるなんて嬉しいわね。」
「レハ?」
「いちいちレハのあとにベアム付けるの面倒なのよ。だからレハ。」
「ヒトのことはちゃんと名前で呼べ。」
アモンなりウァサゴなり、なぜ悪魔は人名を正しく呼ばないのだ。
「なぜ魔王の術書レメゲトンを持っているのかは、それはなにかの運命ということね。」
「ああそういうことだ。それよりもなぜお前がレメゲトンのことを知っている。」
「知ってて当然よ。これ当たり前の常識よ。皆知っているわ。それどころか、レメゲトンが実在していたこと自体私驚きよ。」
魔王ソロモンの伝説は魔界なら常識範囲の知識だ。だが伝説は説を生み出すもの。レメゲトンは実在するのかという説に関しては謎だった。魔界のどこを探してもどこにも見つからなかったからだ。だからレメゲトンは神話の魔術書として架空の物だと信じられていた。だがそれは単純な話、この俺が幼い頃から持っていただけという話だ。
「実在すら怪しい魔術書を俺が何で持っているのか、を俺は聞いているんだ。」
架空の物だと信じられてきた魔術書レメゲトンを端から知っているような口ぶりをしていた。それはつまり、ウァサゴもレメゲトンが実在することを知っていたことになる。
「それは教えられないわ。絶対に。」
全力で否定するウァサゴ。教えてくれないのであれば力づくにはいくまい。
「…そうか。」
「あなたが生徒会に入会してくれれば、仲間として教えてあげなくはないわ。」
「じゃあいい。」
即答だ。気になる秘密のためだけに仲間に入るぐらいなら、秘密なんぞ知りたくない。
「あなた、本当に今後孤独で生き続けるの?」
「ああ、もう既にそのつもりでいる。」
「三年間も?」
「ああそうだ。」
「じゃあ、これはどうかしら?」
ウァサゴが胸ポケットから、チケットのような紙切れを出した。その紙は飛行機が描かれ、飛行機には陸上のフライングを表す絵が描かれている。
「これは、たったの一年で卒業することができるフライングチケット。」
「フライング…チケット…!」
俺はそのチケットに驚いた。
フライングチケット。ウァサゴが説明した通り、一年だけで卒業することが許される、卒業をフライングで行うことができる優れもの。実在すら怪しい紙だが、まさか存在とは思わなかった。フライングチケットは都市伝説の謎を持ち、その存在は確かなものではなかった。代々生徒会長が受け継がれるものだとは聞いたが。
「どう?喉から手が出るほど欲しいでしょ?これをあげるから、仲間に入りなさい!そして、一年後には人間界に帰りなさい!」
ウァサゴはチケットを揺らし、僕を誘う。とんでもないビックチャンスだ。この機に投じれば俺は一年で念願の人間界へ帰れる。
「…だ、騙されないぞ。所詮紙のものは紙だ。捏造することができる。」
うっかり騙されはしない。きっとその絵も真似して描いたものだ。捏造品で騙され俺が善魔にこき使われる運命が見える。
「残念ながら、これは本物。ちゃんと契約の箱の印付きなんだから。」
チケットの裏を返すと、赤い字で十字のマークが押されていた。
契約の箱とは、正真正銘の意を表す印のこと。例えば約束を紙で書き、契約の箱の中に入れて、その紙に十字のマークが押される。後に紙は出口から出て、これで完璧な約束が完成される。契約の箱は約束の証であり、もし約束を破ると雷が下されるようになっている。破ることを恐れ、契約の箱を通した紙に書かれた約束は何が何でも守るとほとんどの悪魔が思っている。それゆえ、信憑性は非常に高く、ただでさえ嘘や偽りの情報に塗れた偽王国において、この契約の箱は約束事をきちんと守れる貴重な正しい情報なのである。
契約の箱を通したフライングチケットは、まさに正真正銘、本当に学校を一年で卒業することができるチケットだ。
「本物なんだな…それ…」
「そう。だから、ほしいでしょ?」
「…ううんん…」
三年間孤独に耐えるか、善魔の仲間になってこき使われるか…非常に悩みどころである。もし自分の信念を突き通し、三年間虐げられることと孤独に耐える道を選ぶとしたら、まず俺はその三年間生きられるかさえ怪しいところだ。だが何が何でも生き残る。それに対し、生徒会に入会するとしたら、善魔だが仲間に身を委ね、多少は自分の居場所を作ることができる。一年間だけ虐げに耐えればいい。その分生死の確率もかなり変わっていく。明らかに善魔に仲間になる方が圧倒的に良い。
「…いや、やはり俺はお前らのことが信用ならない。」
「なんで?」
「お前らは、悪魔だからだ。」
「何度言わせるの。私たちは善魔。悪魔とは違う。」
「善魔は種族じゃない。異名だ。」
「そんなことわかっている。ただ私は自分が善魔だということに誇りを持っている。」
「誇りを持とうがなんだろうが、俺は決して悪魔に心は売らない。」
「チケットは要らないの?」
「…いらん。これで交渉決裂だ。」
俺は孤独の道を選んだ。善魔だろうが所詮体や心は悪魔だ。善魔のふりをして俺を騙す可能性だってある。騙されて入会し、虐げられれば俺の生きる価値はどうする。そんな恥を背負うぐらいなら、俺は今まで通り孤独に生き、悪魔の虐げと戦う。
「…分かった。」
ようやくウァサゴの口から、認めた言葉を聞くことができた。これで今後ウァサゴも俺に絡んでこないだろう。
「じゃあ、最後の交渉よ。」
っと思いきや、まさかの交渉第三ラウンドである。ウァサゴは口を開き、そのチケットを口の中に入れた。
「な、なにを…?」
そして、ごっくんと嚥下をした。せっかくの都市伝説のチケットが胃の中に消えた。ウァサゴは立ち上がり、両手を机に強く置いた。その衝撃は遠くはなられた机にまで響く。
「レハ!私と戦いなさい。」
急にウァサゴの目の様子が穏やかではなく、野獣を見るような真剣なまなざしになった。
「は?それはどういう。」
「決闘よっ!私があなたを打ち負かし、見事勝利を掴めば、あなたは生徒会に入会する!逆に、あなたが私を打ち負かせば、私の体を切り裂いてフライングチケットを手に入れなさい!」
ウァサゴが勝てば俺は生徒会入り。俺が勝てばウァサゴを切り裂いてフライングチケットを手に入れる。負ければ地獄、勝てば天国といったところか。しかし突然な展開に俺は理解が追い付かない。
「な、なぜだ…!なぜそこまで俺を生徒会に入会させたがる…!?」
あからさまに異様だ。ウァサゴは俺に固執してくる。何が何でも俺を生徒会に入会させたがる。その理由とはいったいなんだ。
「秘密よ。それは教えられない。それでも知りたければ私と戦いなさい。」
ここでも秘密の壁で真実を守る。ウァサゴの真意が理解できない。
「それに、体を切り裂いてってことは、俺がお前を殺すってことだぞ!お前それでもいいのか!」
「いい。それが私の、善魔としての覚悟!」
ウァサゴは強気に返答する。
ウァサゴからすれば負ければ死だ。死を賭してでも俺を生徒会に入会させたがる理由が徐々に気になるようになってきた。死を賭す覚悟は気迫で伝わった。
この決闘、十分に挑むメリットはある。俺が勝てば無償でフライングチケットを得ることができる。その分デメリット、生徒会に入会することとなり三年間学校生活を耐えなくてはならない。
「…いいだろう。その決闘、挑む!」
どちらにせよ挑まないと三年間の学校生活に変わりはない。ならば挑んで勝利を得ることに賭した方が幾らか良い。
「言っておくけど、私強いから。」
ウァサゴは真剣なまなざしで俺を睨み付ける。
「ああ、知っている。」
バエルを一撃で仕留めるその強さは、計り知れないものだ。俺も本気で挑まなければ勝てない相手だ。
「戦う日は六月六日。その日は体育際があり、闘技イベントがある。」
「闘技イベント?」
「黒獄の天秤と言って、私たちは天秤の上で戦うの。」
「天秤?なぜ天秤の上なんだ。」
「天秤には二つの皿がある。皿には体力吸収と魔力吸収の効果があって、皿に乗るだけで体力か魔力が吸われてしまう。」
体力が吸収されると体を動かす力が減って、魔力が吸収されると魔法を放つ力が減ってしまう。俺の場合魔力で攻撃するから、あまり魔力吸収の皿には乗りたくない。
「更に、天秤は双方の強さによって重量が変わる。つまり強ければ強いほど重いということで、重さで下がれば、その分重力に押しつぶされることになる。」
己の戦闘能力の高さが天秤に吊るされる重さか。そして重ければ重いほど下へ下がり、重力に引っ張られやすくなるというわけか。強すぎてもハンデを背負うことになるわけだ。
「下に下がった皿の効果も高まるから気を付けて。その分上に上がった皿の効果は薄くなるから戦いやすくなるわ。」
己の重さで下がった皿の体力・魔力吸収の効果が高まり、逆に上がれば効果は薄くなる、か。それはつまり、戦闘能力の差が圧倒的の場合、強者が効果増幅・強い重力というハンデを背押され、弱者が効果弱体・弱い重力という軽いハンデを背負うことになる。この場合弱者が圧倒的有利だ。
「皿の後方にワープの光がある。その光に触れると、もう一つの皿にワープすることができる。」
皿から別の皿へ跳び越す必要がないのか。もし二人が一緒の皿に着いたとしたら、二人は体力・魔力吸収を共有し、二人分の重さで皿は下がり強い重力を味わうことになる。
「以上。質問はあるかしら。」
「踏むことになる皿は選べるのか?」
「選べないわ。それは踏むまで体力か魔力は分からない。」
体力吸収の皿は乗りたくないが、魔力吸収の皿が一番嫌な皿だ。できれば体力吸収の皿に乗りたい。
「お前は生徒会長で悪魔だ。何か罠を仕掛けたり、生徒会長の知識や特権で有利に立つこととかがあるのではないのか?」
「最後の最後まで信用しないわけね。じゃあ、書いてあげるわ。真っ当で誠心誠意な決闘だということを。」
「書く?」
「契約の箱よ。ちょうど、この部屋にもあるのよ。」
ウァサゴは席から右に移動し、棚の上に置かれている白い箱を取り出し、逆U字型机に置いた。その箱は埃が被っていて、しばらく使われていない印象だ。
「これが契約の箱よ。」
胸ポケットから紙とペンを出し、迷いなく紙にペン先を滑らせた。そして紙の表紙を見せ、こう書かれている。『黒獄の天秤で、私は善魔の誇りに恥じない戦いを誓う。』そして、それを契約の箱の中に入れた。箱の中に紙は吸い込まれて生き、内部から機械仕掛けの音がなり、すぐに出口から紙が出された。その紙にはしっかりと、十字のマークが記されていた。
一度でも誇りに恥じるような、卑劣な策に転じた場合、その瞬間ウァサゴに天罰の雷が下されることが約束された。ウァサゴが天罰の雷に恐れぬ限り、卑劣な策は使えなくなった。自ら悪魔の策を封じた。
「…それが善魔の覚悟か。しっかりと見届けた。」
「決闘は六月六日の体育祭最後のイベント。しっかりと記憶してなさい。そして、私が勝つ!あなたは負ける!」
本気とも受け取れる強気な姿勢に加え殺気とは違う、燃える闘志色の覇気を放つ。
「いいや、俺が勝つ。必ず、お前を殺してみせる。レメゲトンの闇に葬ってやる。」
凍える暗殺色の殺気を放ち、ウァサゴを睨み付ける。覇気と殺気、相反する二つの気が衝突し、火花と閃光が飛び散る。
「…何が何でも、あの未来を阻止する。そのためにも、私は負けるわけにはいかないの…!」
「未来?何の話だ。」
「こっちの話よ。もう後から、戦うの恐れて仲間にさせてなんて遅いから。」
「こちらから願い下げだ。俺こそ人間としての自覚がある。善魔となんか仲良しごっこするほど愚かではない。」
これ以上、居たくもない生徒会室に居る必要がない。俺はウァサゴに背を向け、引き戸を引く。一歩この身を生徒会室から廊下へ出した。
「…でも、待っているから。私はあなたを必ず仲間にして、魔界を平和な世界に変える。そのためにも…!」
ウァサゴの青臭い言葉を聞くだけで吐き気もする。引き戸を引き直し、強く閉めた。
…っというわけで、本格的に始まりました。『ソロモン校長の七十二柱学校』のシナリオ。レハベアムとウァサゴの決闘の約束。
次回四話はどうなるのでしょうか。では、読んで頂きありがとうございますっ!