Section.6
15
邦夫は穏やかな魔法界生活を送っていた。
特段やらなければならないこともなく、作らなくともご飯は出てくるし、困ることは何一つとしてなかった。
「邦夫殿、最近は何を読んでいるんですか?」
「これかな」
そういって邦夫がアポローンに見せたのは魔法発動に関する書物だった。
「これは子供の魔女が読む本ですが」
「僕は魔女の中では子供だよ。ついこの間魔女になったばかりなんだから」
魔女界に来て7日が経った。邦夫の顔にもだいぶ笑顔が戻ってきた。表情豊かになった邦夫の様子を見て、アポローンは安心する。
「そうでしたね。孵化したての、魔女でしたね。」
「でも、僕は詠唱とかする必要ないんだよね?」
「ええ、高レベルの魔法ですから。考えるだけで、発現します。」
アポローンと話すのも慣れ、最近ではため口で会話が交わせるようになった。
そこへ、アテーナがやってくる。
「あら、こんな薄気味悪い魔女と何をにこやかに談笑されているのですか、ゼウス様」
「その呼び方はやめてよ。」
「それがあなたのこの世界での名前でしょ?それを拒否するおつもりで?」
「僕には東田邦夫としての意識は残っている。その意識が残っている限りは、やっぱりそっちの名前で呼んでほしいな。」
「あら、そうですか!」
「少しは大人になられてはどうですか、そこの魔女さん」
「あんたには言われたくないわ!」
この2人のやりとりはいつもこうである。いつしか、邦夫はこのやりとりに安心感を覚えた。それだけ、この世界になれたということだろうか。
ということは、もう自分は人間には戻れないのか?
邦夫にはいつも浮かぶ疑問があった。それは果たして自分が“人間に戻りたいのか”ということである。
この世界で、この立場を保持し続ける限り、自分はかなり恵まれた状態で、この世界で生きていける。だけど、人間に戻った場合、学校に通い受験をして、また勉強をして就活をしてと、つらいことばかりが待っている。ならば、自分は最強の魔女として、この世界で君臨することが楽なのではないか、と考えるようになった。そして、魔女である自分を受け入れて、魔女として生きていく人生もありだなと、最近そういう結論に至るようになったのだ。しかし、これは変化を受け入れたというポジティブな考え方なのか、それとも人間界にあるめんどくさいことから逃げるための口実に利用しているのではないかと、悩むことも増えた。人間である自分を捨てて、魔女としてちやほやされる自分に逃げているのではないかと。
2人の自分が、同時に、それも他人に認識できる形で存在することは滅多にない。でも、邦夫の今の状況はまさしくそれであった。魔女である自分。そして人間である自分。魔女である自分をなかなか理解できないために、今必死でいろんな本を読んでいるのである。
「邦夫殿、何かお悩みで?」
アポローンが心配そうな顔で邦夫をのぞき込む。
「そんな悩んでいるような顔を?」
「してましたよ。まだ、魔女である自分を受け入れきれていないとか?」
「アポローンはすごいね。お見事だよ。」
彼女の観察眼はすごかった。
「いえいえ、そんなことはありませんよ。」
「ちょっとー!二人でひそひそ話しないでよ!」
16
同じころ、アプロディーテの執務室。ガイアとヘーラーもいた。
「ガイア様にわざわざ出向いてもらうなんて・・・恐縮です。」
部屋の主であるアプロディーテが頭を下げる。
「別に構わん。自分の部屋ばかりでは飽きるからな。それよりも、ヘーラーが余に用があると言っていたが。」
ヘーラーが口を開く。
「とんでもない数の魔獣がこのあとやってきます。数は、これまでのおよそ5倍の・・・」
「それは大変なことですね。」
「そうなんです。邦夫さんの力を借りなければ、太刀打ちできないかと・・・」
「彼の説得が必要であると、そなたはいいたいのか?」
ガイアがヘーラーに問う。
「いえ、彼は協力してくれると思います。私が懸念しているのは、邦夫さんが魔法発動に耐えうるのか、ということです。我々もそうですが、魔法を発動することで体を少なからず摩耗します。私たちの場合は半日休息を取れば回復しますが、邦夫さんの場合強力な魔法の上、加減もわかりませんから、大きく消耗してしまった場合、どう対処すればいいのか、と思いまして。」
「ゼウス様には確か、回復魔法もありましたよね?」
アプロディーテがガイアに問う
「ああ、もちろんある。ただ、それを自己の回復には使えんだろう。それはあくまでほかの魔女に向けたものだろうからな。」
強力な魔法の発動をおこなえば、自己へ与えるダメージも大きい。魔女たちはそこをしっかりとコントロールすることを知っているが、邦夫にとっては初めてのことである。さらに、邦夫の魔法は思考するだけで発動するため、頭の中で考えることもしっかりコントロールしなければならない。
「何か、良策はないものかね?」
3人とも、考え込んでしまう。
するとガイアが、「そうだ」と手をポンとたたいてある策を言う。
「余が邦夫殿と同期するのはどうだろうか?」
「そんなことができるのですか?」
「考えてみ、余は邦夫殿から召喚されたのだぞ。ということはだ、邦夫殿から余を同期する魔法を発動し、彼の中に入り魔力をコントロールすればいいのではないか?」
「なるほど・・・ゼウス様だからこそできる作戦ですね。」
ゼウスという魔女は他の魔女とは違うある性質がある。それは、自らの意志を持たない魔女であるということである。いわゆる侵食型の魔女なのである。
邦夫が読んでいた本にも書かれているのだが、ゼウスという魔女は、卵を産み落とされた人間の肉体のみならず意識までを支配するのである。アテーナたちの場合はその人間の肉体のみ支配するが、ゼウスの場合は違うのだ。
つまり、邦夫自身が自分の魔力コントロールをガイアに託す意志を持てば、ゼウスはそれに従い魔力を発動するということなのだ。
「おそらく、邦夫さんならその策を受け入れるでしょうね。」
「そうだな。なぜ、ゼウスが邦夫殿に産み付けられたのか、その理由が何となくわかってきたような気がしてきたな。」
「しかし、どこから魔獣がやってくるのでしょうか?」
「相変わらずわからない。なぜ魔獣が来るのか、なぜこの世界を襲うのか。それがわかれば苦労しないのですが、未だ手がかりさえもつかめません。あらゆる調査を行っているのですが・・・」
邦夫はアテーナたちが退出した後、また本を読んでいた。
ゼウスという魔女について、理解を深めるための本を読んでいた。
―――こういうタイプってことは、僕がきちんとコントロールしないとだめってことだよね?
意識までを支配するということは、この自分の性格がそのまま反映されてしまうということである。自らは意思をもたないわけなのだから。
―――厄介というか、面倒というか・・・。でも、これをきちんとコントロールできれば非常に便利な魔女ってことになるのか。
いろいろな可能性のある魔女なんだな、と思った。なぜ、自分がそんな魔女に選ばれたのかはわからない。何を見て、何を評価されて自分がそうなったのかは、理解できなかった。
しばらく本を読み進めた後、邦夫は考えるのに疲れてベットに横になった。
やることもなくなった今、考えることと言えば自分のことばかりである。なぜ自分が選ばれたのか、なぜ自分がゼウスになってしまったのか?そんなことばかりを考えていた。
―――家族の心配とか、なぜしないんだろうな。
今日新しく思ったことである。親がいて、友達がいて、親戚がいて。なのに、なぜ自分はその人たちのことを心配しないのだろうかと考えた。考えるはずなのに。
こんなに自分は、自己中心的な人間だったのかと思うと、すごく悲しくなった。いや、自分は自己中心的ではないと思っていたことの方が変だったのだろうか。
他人のことをちゃんと考えられる人間だと信じていたことがおこがましいことだったのだな、と邦夫は思ったのであった。
こういう場面になると、人間の本性というのは嫌でもむき出しになるんだな、と痛感する邦夫だった。
「邦夫殿、中に入ってもいいか?」
外からガイアがノックして声をかける。
「はい、どうぞ」
ガイアが邦夫の部屋の室内に入ってきた。
「悪いな、ゆっくりしていたところ。」
「いいえ、それより、どうしたのですか?」
「ああ、それがだな・・・。」
ガイアは、さっきまでアプロディーテの執務室で話していた内容を邦夫に伝えた。
「なるほど、そういうことですか。」
「そうなのだ。」
「それしか、方法はない、ということなのですか。」
「これまで戦ってきたのとはわけが違う。数も違う。今回はどっからどうみても、我らが圧倒的に不利な状況なのだ。そなたの協力なしだとな。ただ、そなたの魔法は強力なだけにそなたへのリスクもかなり高い。」
「だから、ガイアが僕の中に入って、魔法をコントロールするってことですね。」
「そうだ。」
「僕はそれで構いませんよ。むしろ、プロに扱ってもらった方が安心だ。僕は魔法使いとしては、未経験者だ。」
「そうか。ありがとう。余も最善を尽くすことを約束する。」
少し安心した表情を見せたガイア。
「僕がそのことを断ると思ったのですか?」
「いろんなことを考えた。まず、最前線に立つこと。そして、余がそなたの中に入り、魔法を扱うこと。自分の中に他人が入ってくることほど、嫌なことはなかろう。」
椅子から立ち上がり、窓を向きながら邦夫は言った。
「僕の中には、いろんな自分がいます。最近気づいたんです。人間に戻りたいと思う自分。この環境の中でうまく立ち回ろうとする自分。それ以外にも、いろんな自分がいる。加えて、魔女ゼウスが僕の意識に依拠している。僕の中には、もう多すぎるくらいの人が存在するんです。人間は、自分が一人で考えていると思っている。だけど、そういったいろんな自分がいろんなことを言って、それを聞きながら僕は判断している。臆病な自分、強気な自分、無謀な自分。全部自分だ。そのどの自分が表に出てくるのか、それによって行動が変わる。どの自分が一番声が大きいのか、それによって性格が変わる。人間ってそういうものだと最近気が付いたんです。そして、気が付きたくなかった新しい自分を見つけちゃったんです。」
「気が付きたくなかった自分?」
「冷たい自分です。人間に戻りたくないと叫んでいるんです、冷たい自分が。現実世界の面倒事には関わりたくないって思っている自分が。家族のことを心配するよりも、友達のことを心配するよりも、自分が現実世界の面倒事から逃げることを最優先に考える逃げる自分。そんな自分が、ここにきて本領を発揮しているんですよ。自分はそんな人間じゃないって、どこかで思い込んでいただけに、気が付いたときにはびっくりしました。」
「なるほど。冷たい自分か。そんなことを考えていたのだな。」
「魔女には、信じられませんか?」
「生まれ方、育ち方。それらが魔女と人間は違う。そなたは、魔女の生まれ方を知っているか?」
「本で読んだ程度ですが・・・。」
「それだけわかっていれば十分だ。魔女は、人間の感情に依拠する。強い感情の動きを発する人間に、その感情全てを自分に向けさせるように働きかけて、肉体を得る。恨み・妬み・悲しみといった感情が多い。だから、社会が混乱した時や戦争といったことが起こると、魔女は増える傾向にある。」
「これまでにもそういったことが?」
「ああ、そうだ。魔女狩りを知っているか?あの時もそうだった。当時未知の病とされた病気に人間が次々と侵され行く。その中での不安や恐怖は計り知れないものだ。かなりの感情力があったのも事実だ。だから、魔女が生まれた。魔女狩りで実際に肉体を失った魔女も多かった。」
「本当に魔女がいたんだ。」
「信じられないか?」
「信じられないも何も、今は自分自身が魔女だからね。何とも言えないよ。」
「昔魔女は人間と共生していた。ただ、人間が知識を得ると同時に、強制するのが難しくなった。魔女は、人間の想定を超えた存在だった。このような力を持つものが存在しなかったからだろうな。未知の存在に対して、人間は排除しようとする。だから、魔女は人間社会から排除された。その結果、魔女は魔女の世界で生きていくことになったんだ。」
魔女界の誕生をさらりと、邦夫はガイアから聞くこととなった。
「この世界は、魔女生存の最後の砦だ。この世界を、余は何とかして守りたい。そなたの協力を、余は絶対に無駄にはしない。約束しよう。」
ガイアは、邦夫と固い握手と交わした。
同時に、邦夫はこの世界の住人となり、彼女たちと一緒にこの世界を守ることを決意したのであった。
17
その日の夕方、ガイアの執務室にて、魔獣退治に関する打ち合わせが行われた。
アプロディーテが今回来る魔獣についての説明を始めた。
「数はおよそ1500体。襲来日時は明後日のお昼ごろと思われます。場所はここから北東に52km離れた地点の上空1500mの地点と思われます。」
邦夫が、ふっと思った疑問を口にする。
「こういった情報は何を頼りに・・・?」
この問いにはアテーナが答える。
「アプロディーテの扱う魔法に、こういった情報を集める魔法があるのよ。それを使って情報を入手するのよ。」
「なるほど・・・」
「簡単に言ってしまえば、何でもありなので。魔法さえ使えれば」
夢のような話なのに、こういわれてしまうと元も子もないセリフにしか聞こえない。
「しかし、邦夫殿が協力してくれるとして、どう撃退する?」
アポローンが一同に問う。
「これまでのように、攻撃魔法と防御魔法のコンビネーションでいってもいいですが、どちらを強化すべきなのか、そこは非常に迷いますね。」
魔法の力としては邦夫の方がほかの誰よりも圧倒的に強い。つまり、邦夫が担当する側の方がかなり強くなるのだ。
「守りで行くのか、攻めで行くのか、の選択ってことね。」
「はい、そういうことになります。」
その場にいる全員が腕組みをする。
「アテーナ、そなたはどう考える?」
「私は守りを固くするほうがいいかと思います。ただ、守りが固すぎると、逆にそこから攻撃を加えることも難しくなります。防御魔法がうまくコントロールできるのであれば、守りを固くするほうがいいと私は思います。」
「なるほど。余次第、ってことか。アポローン、そなたはどうだ?」
「アテーナの考えもいいと思います。ただ、守りを固くしたいのであれば、攻撃を強化するのも悪くないと考えます。攻撃は最大の防御とも言います。攻撃を強化するのも十分効果的だと考えます。」
「なるほど。アプロディーテ、これまでの分析の結果、そなたはどちらがいいと思う?」
「アポローンの意見も確かに納得します。ただ、今回相手の攻撃威力の詳細が分かっておりませんので、防御に徹するというアテーナの意見に私は賛成します。」
「相手の攻撃力が不明となると、むやみやたらに攻撃を加えるのは得策とは言えないな。では、今回は守りを固くして戦うこととしよう。皆、それで異議はないな?」
全員がうなずく。
「よし、襲撃予定時刻は明日だ。今日は明日に備え行動するように。」
邦夫はこの世界に来て初めて不安な夜を過ごした。
邦夫にとっては初めての魔獣との戦い。見たことも会ったこともない相手との戦い。しかも、かなり強いらしい相手。その相手に対し、これまた初めて使う魔法で勝負するのである。
―――自分自身が、魔法を扱う側になるなんて・・・思いもしていなかった。
一体、どんな気分なのだろうか?そんなことを想像しながら、とにかく寝ようと必死に目を閉じる邦夫だった。