1、ライトノベルと歴史小説
今回は小説について書きます。
これを読む人はいるのかね……
いたらよほど酔狂だと思います
まずは定義
小説
【小説とは、散文で作成された虚構の物語として定義される。内容では、随筆、評論、伝記、史書などと対立するものであり、形式としては詩や戯曲と対立するものである。】※wikiより引用
つまり簡単に言うと「作られたストーリー」です。
ではこれはどうか。
歴史小説
【歴史小説は、主として歴史上に実在した人物を用い、ほぼ史実に即したストーリー、またはその時代を設定して、その中での空想上の物語が書かれたものが展開される小説のことである。】
つまり、時代背景・出来事は変えずに、キャラクターの特徴や会話もしくは史実に無い部分の脚色は許すよ、ってことですね。
有名な作品として、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」や吉川英治著「三国志」のような小説です。僕は「峠」が一番好きだけど。
それで似たようなものは
時代小説
【時代小説は、過去の時代・人物・出来事などを題材として書かれた日本の小説。】
これは……定義としては曖昧というか、なかなかどうして広義です。
海坂藩でお馴染みの藤沢周平さんや、飯テロ作家の池波正太郎さんですね。うん。これが分かりやすい(笑)
この2ジャンルを書く人、もう尊敬して止みません!
何故かというと、書き下ろしにしても連載にしても莫大な量の資料が必要だから!
つまり、どんなに上手に大衆文学や純文学を書く人でも、必ず『お勉強』が必要になるんですね。
先ずは当然、歴史。もちろん作品の時代の前の歴史も知らにゃいけない。
あとはその時代の文化。衣食住に始まり、流行りもの、風俗、言葉、方言、間違っても横文字なんか入れちゃいけない。
もう無理ですね、うん。
だから実力派文豪の書く時代もしくは歴史小説は本当に面白い。国語と日本史の授業をいっぺんに受けてるみたいだから。
一般的には純文学より大衆文学の方が知識は必要とされるみたいだけど、文豪になるとどちらも満足できちゃうよね
司馬遼太郎さんなんかは、圧倒的な情報量をこまめにちりばめて、なおかつヒロイズムを徹底させる、正に王道!ドン!てきな内容だもの。
たまに入る蘊蓄もすき。
で、何が言いたいかと言うと、ライトノベルにおけるファンタジー長編で面白い作品は、非常にこの2ジャンルに近しいところがあるということ。
あたかも存在したかのような架空の時代設定と歴史の中に、主人公がぽつんと立っている。転生物ならなおさらぼっち。
そこから這い上がり、大抵はその世界を救ったり変えちゃうでしょ?
坂本龍馬よろしく後世に名を残します。
だから時代設定が綿密に出来ている作品は面白い。
ただ違うところは、空白があること。
歴史もそう。衣食住もそう。なんなら言語もそう。
触れなくていい部分は触れなくてよいという逃げ道が存在する。
これは歴史小説においては有り得ない話。
だってどんなに会話や経過を省略・脚色してもその人ないし物が存在した事が大前提だから。だから空白は許されない。だから綿密に調べる必要がある。
時代小説は空白はいっぱいあるよね。
海坂藩なんてないんだから(笑)
だからなろうにおいて、ありがちな空白。
基本的に言語設定は無し。ある人もいますね。ただ書いてて疲れると思うのは僕だけ?
あとは空想の生き物や種族。あ、これ無理だ。説明できない。
これは完全に先人の知恵を拝借、でしょう(笑)
あとはやっぱり歴史。
この小さな日本ですら、さらにたかだか二千年ぐらいであんな歴史ですよ?自分の住んでいる地域の歴史ですら知らない人がほとんどなのに。
つまりどんなにファンタジーの世界で綿密な設定をしても、一般の日本人が知る世界史レベル以上にはなれないってこと。
だから似て非なるジャンルだけど、その差は象と蟻ほどの差があるということかな。⬅つい最近読み返した山田詠美さんの作品に使われてた言葉を拝借した(笑)
※閑話
恋愛小説ならやっぱり山田詠美さんだよね!
まとめると……
浅田次郎大先生はとにかくすごい!
すみません。信者なので悪しからず。
浅田次郎大先生のことは今度じっくり書きますが、簡単に書くね。すごいところを。
純文学に見られる日本語の美しい羅列を会話や風景もしくは心象描写に発揮させながらも、独創性溢れるストーリーと泣き笑いを誘うユーモアさを持ち、かつ、膨大な歴史資料を都合数巻に纏める圧倒的な語彙とテンポが小気味良い万能作家さん。
おお!我ながらいい人物レビューができた!これを機に一人でも浅田次郎大先生の作品にハマる人が出ればいいな。
ちなみに、騎士団長を殺っちまった小説を書いたあの人の事は書きません。
○ルウェーの森を、隠喩曲揄直喩を剥ぎ取ったら、内容が七分の一になった○ちゃんねる記事を読んだ話なんかできまへん。
主義者の方、もし見てたらごめんなさい。