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他殺教習所  作者: 空亡
5/16

Case1 家治 満子④

 夜。


 夫は昨日の言葉通り早く帰宅した。




「おお。何だか懐かしい香りだなぁ」


「今焼き始めたところですが、先にお風呂になさいますか?」


「いや。先に飯にするよ。冷めては嫌だからね」


 それから10分程して、ポテトサラダや、豆腐とえのきのお吸い物、ケチャップソースのハンバーグがテーブルの上に並ぶ。それを見て心なしか目を輝かせる夫は、まるで子供のよう。


「君の手料理は随分久し振りな気がするなぁ。とても嬉しいよ。ハンバーグはお袋の得意料理だったんだ」


「前にも聞きましたわそれ。でも、今日のハンバーグは……特別な味がするかも知れません。ソースに隠し味が入ってますから」


「それは楽しみだ」


 夫は何一つ私を疑っていない。

 それはそうだろう。私が『他殺教習所』に通っていた事は、友人はおろか、たった一人の肉親である妹にも言ってはいない。会社と自宅を往復しているだけの夫には、知りようも無い情報に違いないのだから。


 嬉しそうにナイフとフォークを持つ彼を見ると、胸の奥が罪悪感に刺激されない事もない。彼が嫌いな訳じゃなく、ただ意見が合わないだけで私は夫を殺そうとしている。だけど、それ以上に『自由』と『贅沢』を欲する気持ちを抑えられない。


「では、いただきます」


「ええ、いただきます」


 夫はハンバーグを一口大に切り分け、“特製”のソースをたっぷりと絡める。

 そして……そして……。


 私の目がどうかしてしまったかのように、その瞬間はゆっくりと進んだ。

 VTRのスローモーションを彷彿とさせる空間の中で、それでも時間は確実な歩みを見せる。どんな映像だって、いつか終わりがやってくるものだ。


「うん。美味いね」


「そ、そう……」


 夫の口内へ侵入し、胃へと送られた、成人男性の致死量を超える“トリカブトの毒”。

 青酸カリと同じぐらいの即効性があり、致死量はほんの数グラム。今更どう足掻いたところで、夫はもう助からない。


 まるで頭から生温い湯を浴びたかのように、私は自身の体から何かが流れ落ちる感覚を覚えた。それが一体何だったのか? 私には理解出来わからない。


「ふっ……はれ?」


 10分も経たない内に、彼に異常が現れた。

 顔が紅潮し、しきりに口唇を気にしている。


「ひたが……おはしい……」


 そして舌が痺れ呂律が回らなくなり、それは次に手足へと伝播する。

 だが、それを味わう時間はあまり無いだろう。


 数分も経てば赤みは消え、夫の顔色はみるみる内に悪くなった。口唇に至っては青紫色に近い。やがて座っても居られなくなったのか、彼の体は椅子からずり落ちて、床にしたたか体を打ち付ける。けど、そんな痛みなどどうでも良いようだ。


「ゼェ……はぁ……はっ……」


 彼は呼吸をする事すら苦しそうにしているが、それも時間の経過と供に、弱く小さなものになっていく。


「…………し……が…………い…………き……み……」


 夫は意識が混濁し、涎を流しながら言葉にならない声を出す。

 だけどそれも少しの間だけ。そう、後もうちょっと……。


 私はギュッと目を閉じて、心の中で60秒を数える。

 そして目をゆっくりと開いた私が、次に夫を見てみると。


 彼は――――弱々しい呼吸すらしていなかった。


 

「こんなに……あっと言う間なのね……」


 実に呆気ない人生の終わり。

 何十年も蓄積してきた彼の命は、ただの植物によって終わりを迎えたのである。それが辛かったのか? 事切れた夫の顔は、何処か悲しそうにも見えた。

 

「いけない。連絡……しないと」


 私は動かなくなった夫を暫く眺めていたが、やるべき事を思い出し食卓を離れた。手にしたのは、教習所で最初に貰った携帯電話。他殺を終えた場合は、速やかに連絡を入れなくてはいけない決まりだ。震える指で画面を操作し、私は時間を掛けて教習所に電話を掛けた。


「あ、あの……。今日他殺申請した“プラヴァ”ですけど……。はい。その……はい。場所は申請した住所です。ええ、そこです。分かりました……お待ちしてます」


 殺人を報告したというのに、電話の相手は何一つ驚く事無く、マニュアルに書いてあるような内容を私から聞き出すと「その場でお待ち下さい」と告げ電話を切った。あまりに現実的なやり取りに毒気を抜かれた私は、相手の言う通りただその場で待ち呆ける。

 

 20分ほど待っただろうか?

 インターホンの鳴る音に気付いた私は、まるで誰かに操られるかのように玄関へと向かった。


「こんばんは。他殺教習所の者です」


 扉を開けると、喪服を来た20~30代ぐらいの男が4人立っていた。

 彼等は私に夫の居場所を聞くと、何に使用するのか分からない機材を持ち、リビングを目指す。


 夫に近付いた一人の男は瞳孔や脈を確認し、背中を向けたままで私に声を掛けた。


「ええ。確かに死んでますね。撮影は出来ましたか?」


「多分……大丈夫だと思います」


 彼の言う撮影というのは、最初の授業で貰った校章の事である。

 実はあの中には超小型のカメラが入っており、その映像はリアルタイムで教習所へと送られているらしい。他殺実行時には、充電した校章カメラでその様子を撮影するように言われている。色々な確認に必要なのだろう。今回私はそれを棚の隅に隠し、食卓の方へずっと向けていた。


「では本人確認の為に免許証の提示と、この画面の手の平マークに手を当てて頂いてよろしいですか?」


 板状のパソコンみたいなのを私に差し出す喪服の職員。

 彼の言う通り、画面には手の形の青いマークが表示されている。首を傾げながら、言われた通り右手を置くと、青いマークの色が緑へと変化した。


「はい。ありがとうございます。初回時にカードを作成する端末を操作したと思うのですが、あの時に指紋を登録する仕組みになってます。疑うようで申し訳御座いませんが、成り済まし予防ですので」


「構いませんわ。はいこちら免許です。……因みに手袋の場合はどうなるのかしら?」


「はい。確認しました。その場合は操作が利かないようになってます」


「ハイテクねぇ」


 

 職員は部屋や夫の様子を詳しく調べた後で、一度私の前に集まって来る。


「旦那さんの死体は如何しますか? 葬儀屋への紹介も出来ますし、密葬をご希望でしたら、こちらで火葬サービスも行っておりますが?」


「お葬式は良いわ。私達夫婦には両親も居ませんし、近所には『失踪』という形を取りたいので……火葬だけお願いしても良いかしら?」


「大丈夫ですよ。火葬の日取りはまたご連絡致します。一週間も掛からないとは思いますが、死亡診断書はその時でも構いませんか?」


「ええ。構いませんわ」


 全ての手続を終えると、喪服の職員達は旦那の遺体だけでなく、教習所で借りた小瓶に入った毒と、食卓の上の物を全て回収して帰っていった。


 水道の一滴が落ちた音すら響きそうな室内で、一人残された私はポツンと佇み呆けていた。ほんの数分前まであった夫の死体は、今や影も形も無い。教習所に関わった今までの事が、まるで全てが夢だったかのような錯覚さえする。

 

「いえ。夢にしないわ。夢を見るのはこれからよ。たくさんの自由と幸せが、私を待っているんだから!」


 私は笑った。

 壊れたおもちゃのように、ケタケタと笑い続けた。


 そして一頻り笑った後で、私の頬を温かい何かが伝う。

 それが何だったのか? やはり私には、理解出来なかった。





♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥






 それからの一年。


 

 遅咲きの花だった私は、完全な開花を迎えていた。




「このルビー素晴らしいわ。あらあら! そちらのダイヤのネックレスも素敵ね!」


「流石お目が高い! どちらも当店ではトップクラスの品質の物で御座います。如何なさいますか?」


「もちろん。両方頂くわ!」


 面倒くさい相続の手続きに数ヶ月を要したが、それが終われば私には最高の人生が待っていた。お金の管理を全て夫に任せていた私は、彼の死後に知った貯金の額を知り、文字通り飛び上がって驚いた。通帳には何と、九桁もの金額が表示されていたのだ。


 大企業の社員なら当たり前の事かも知れないが、世事に疎い私には寝耳に水な金額だった。悲しい事に相続税で半分近く持っていかれてしまったのだが、それでも私の余生を謳歌するのには十分な額には違いない。


「この毛皮のコートも貰うわ。あとそっちの襟巻もね。あらぁ~、この靴も良いわねぇ」


 我ながら、毒々しい存在だと思う。

 人の生命を奪って得たお金で、私は贅沢の限りを尽くしているのだから。


『だけど、私は何も悪い事をしていない』


 ただ権利を行使しただけ。

 法は私を罰さないどころか、何よりの“味方”となって支えてくれる。


「素晴らしい! 素晴らしいわ!」




 猛毒を持つトリカブトにだって、綺麗な綺麗な花は咲く。

 

 私はそう――――トリカブト。


 強く美しく咲き誇る。




♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥♤♦♧♥




「はいはい。海外旅行は楽しかったのねぇ。それはようござんしたね」


「拗ねないでよ。わざわざ向こうで買ってきた高級紅茶が不味くなるじゃないの」


「会う度に自慢話を聞かされるこっちの身にもなって欲しいわぁ。まったく」


 どんな素晴らしい体験だって、人に自慢出来なければ楽しみは半減である。

 私はイギリス旅行から帰国早々、妹を自宅に呼び寄せ、自慢話に花を咲かせていた。


「それにしてもぉ、一年でかなり部屋の様子が変わったんじゃない?」


「気に入った物は何でも買ってるからね。最高よ? 我慢しなくても良いって」


 妹は首を右へ左へ動かして、部屋全体に視線を這わす。

 その瞳には「羨ましい」という感情がありありと浮かんでおり、それが私を堪らなく満たしてくれる。


「ああ、そうそう。あんたが欲しがってた新作のバッグも買ったのよ? 見せてあげる」


「高価な物で胸焼けを起こしそうだわ」


 椅子から立ち上がった私は、自慢用に買ったバッグを求めてクローゼットを開けた。


「んっ?」


 その中で私は、随分と懐かしい物を発見する。

 教習所の校章と、もうとっくに充電が切れてしまった携帯電話だ。


「そう言えば、火葬以降は一度も足を運んでいなかったわ。そろそろ更新の時期かしら? でも足を運ぶのも面倒くさいわねぇ」


「どうしたのぉ、お姉ちゃん?」


 クローゼットを開けた状態で固まった私を見て、妹が心配そうに声を掛けてくる。

 私は「何でもない」と返答し、件のバッグを手にテーブルへと戻った。


「お姉ちゃんにお願いがあるんだけどさ?」


「なによ?」


 卓に着くなり、妹が両手を前で合わせる。

 彼女がそうポーズを取る時、それは大抵ろくでもない頼み事だ。私は眉間に皺を寄せた。


「お金をね? 少し貸して欲しいのよぉ」


 そらキタ!

 私は内心うんざりしながらも、好奇心から値段を聞いてみる。

 すると妹は、申し訳なさそうに指を5本立てた。


「500万? 何に使うつもりなのよ?」


「ううん。……5000万」


「5000!?」


 あまりにも常軌を逸した金額に、私は裏返った声を上げた。

 そして妹の遠慮の無さに腹を立てながら、落ち着く為にと紅茶を啜る。


「旦那の事業が上手くいってなくて……さ? ダメぇ?」


「ダメに決まってるでしょう? 夫の残した貯金だって限りはあるんだから!」


 この一年で貯金の四分の一ほどを使ってしまっている。

 これ以上の出費はご免だ。


「でもまだ残ってるんでしょ? 経営が軌道に乗ったら返すからさぁ」


「嫌よ。まだまだやりたい事は沢山あるの。私は自分の努力ちからでお金を手に入れたんだから、あんただってそうしなさいな」


 妹は不満顔で口唇を尖らせるが、私は間違ったことは何も言ってない。

 自分の力で解決するからこそ、得るモノに価値があるのだ。ま、半分以上はただ単純にお金が惜しいだけだけど。


「ケチねぇ」


「そうよ。私は家治けち満子みちこ。ケチなのよ」


「お姉ちゃんならそう言うと思ってた……。まあ良いわ! 自分の力で何とかするから」


「あら? いつもと違って聞き分けが良いじゃない? 良い事だわ」


 そう言って紅茶を飲み干した私は、体の火照りに気が付いた。

 この感覚はそう――――アルコールを飲んだ時に似ている。


「この紅茶アルコールでも入っているのかしら? 何だか酔ったみたいな感覚がするわ」


「そう? あたしは何とも無いけど?」


「味も何だかへんらない? はら?」


 変だ。


 おかしい。


 舌が上手く動かない。

 

「おなは……ひあい……」


 手足も痺れてきた。

 そして酷い嘔吐感と共に、胃や腸がキリキリと傷み出す。

 紅茶に何か悪い成分でも入っていたのだろうか?


「あっ……は……はふへて」


 遂に私は椅子に座る事も出来なくなった。

 床に転げ落ちた私は、呂律の回らない舌で妹に助けを求める――――が。


「あ~美味しい。高い紅茶なだけあるわねぇ」


 妹は呑気に紅茶を飲んでいる。

 姉が苦しんでいるというのに……なんて薄情な……。


「お姉ちゃん。話は変わるんだけどさぁ~あ? “トリカブト”の毒ってどんな味がするのかしら? 教えて欲しいなぁ」


――――妹は何を言っているんだろう?


 頭が働かない。


 視界がぼやける。


「本当はねぇ? 借金ばかり作るうちの旦那に盛るつもりだったんだけどさ。最近のお姉ちゃんを見てたら、もっと良い方法を思いついちゃって。ほら? お姉ちゃんの肉親ってぇ、もうあたししかいないじゃない?」


 何を言っているのか、分からない。


 けど。


 彼女が私を助けるつもりが無いことだけは理解出来た。


「は……はひ……」


 私は力を振り絞って、玄関まで這い。


 そして、ノブを捻り。


 外へ、出た。


「うわっ! 大丈夫ですか!?」


 誰かいた。


 見知らぬ男の人。


 助けて。お願い。


「助けなくて構いません。事情がありますの」


「ええっ? ああ……なるほど……」


 何かを手にする、妹を見て。


 男の人はどっかいった。


 助けて。くれない……の?


「ごめんねお姉ちゃん。嫉妬はしたけど、別に恨みとかじゃないのよぉ?」


 かってなコトを……。


 いきが……できない……。


 くるしい。くるしい。




「は……あ……?」



 だれ……かの手が……。


 わたしに。のびる。どこかで見た。懐かしい手。


「は…………れ…………なの……?」


 私はその大きな手が誰のものか確認するため、重くなった瞼を持ち上げる。


 するとそこには……。

 右手をこちらへ差し出す、死んだはずの夫の姿があった。

 夫は優しい瞳で私を見ている。


『助けてくれるの?』


 私はそこでようやく。

 自分が何をしたのか理解した。


 私は。


 この世の中で唯一。


 私を助けてくれるであろう(ヒト)を、自分の手で殺したのだ。



「ごめ……な…………い……」


 もっと二人で話し合えば、納得の行く着地点もあったかも知れない。

 面倒だった私は、彼と真面目に会話する事さえしなかった。



『仕方が無いな君は』


 夫の声が耳に届く。


 彼はこんな私を許してくれるのだろうか?


 最期の力を振り絞って伸ばした私の手は、彼の温かい手に触れ、そして――――


 光の泡となって消えた。



































「どうもぉこんにちは~。はい。本日他殺申請を出した“ショネル”です。住所は記載通りの――ええ。もちろん。はい。お待ちしてますわぁ~! ……………………ふふ。あたしはトリカブト」



 







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