Case1 家治 満子③
何故今まで気づかなかったのか?
ルールを変更……というか、もっと分かり易く修正します。
修正前→仮免許を取得すると、“教習所内”でのみ他殺が可能となる。
修正後→仮免許を取得すると、教習所に登録している者のみの他殺が可能となる。
第一教室の前に私が来たのは、教習時間の10分前。
スライド式の扉の横に視線を走らせると、机の上に置かれた小さな機械。
機械の正面にあるカードの差し込み口が、舌舐めずりをして私の教習カードを待っている。
「あげるわ」
私は躊躇する事無くカードを差し出す。
すると機械は緩慢に私のカードを咀嚼した後、それを吐き出した。
「失礼ね」
そんな下らないやり取りを終え、私は意気揚々と教室内へと進入する。
教卓や黒板なんかは、普通の学校の教室と何ら変わらない。だが、その広さと席は全然違った。
後ろの者からも黒板が見えるように、階段状に配置された机と椅子達。
奥行きや横幅など、普通の教室の三倍はある。当然、授業を一度に受けられる人数もそれぐらいになるだろう。沢山ある席は現在、疎らに埋まっている。平日だからだろうか? 教室の生徒は、私を含めても20人に満たない。
「大学の講堂みたい」
若返ったような気分に包まれた私は、他人からは分からない程度に胸と足取りを弾ませながら、適当な席に着いた。青いボタンと、その隣の細長の穴以外は普通の机だ。
「思ったより……少ないわね」
平日だからだろうか? 教室の生徒は、私を含めても10人に満たない。まあ、だからこその『選ばれた人間』なのかもしれない。
私が周りの人達に妙な親近感を覚えている内に、時間と共に一人の男がやって来た。
「どーも、初めまして! 指導員の田無と申します。本日は――」
私は少しがっかりした。
こんな特別な場所なので、教官もさぞかし変わり者なのだろうと考えていたのだ。なのに来たのは、何処にでもいる冴えない中年男。期待しすぎたのかも知れない。国がやる事など、所詮は――
「皆様。突然ですが人殺しの経験はおありですか?」
…………前言撤回。
教官からの突っ込んだ質問に、生徒達は困惑の表情を浮かべる。もちろん、私もその一人だ。
「無い人が殆どだと思いますが、この教習所内では違います。データによりますと、20人中1人の生徒が既に他殺を経験しています。まずその事を念頭に置いといて下さい。つまり、殺人は最早珍しい事でもないし、皆さんのごく身近に存在するものである。という訳ですね」
誰かの息を呑む音が聞こえる。
「それではこれから、30分ほどのVTRを見て頂きます。机上部の青いボタンを押して下さい。そうそう! その上のボタンです」
指導員に言われ机に視線を走らせると、確かに小さな青いボタンが備え付けられていた。恐る恐るそれを押すと、机に開いていた細長の穴から、極薄の液晶画面がゆっくりと姿を現す。そして映し出される教習ビデオ。
「…………ハイテクねぇ」
感嘆の声を洩らす私を置き去りにし、画面の中では淡々と説明が続いていく。
時折り入るコミカルな演出が何処か滑稽に見える。しかし、その内容は紛れもなく“殺人”についてなのだ。
30分のビデオ内容を要約するとこうだ。
① 学科10時間。実技4時間の授業を受けると、仮免許試験を受ける事ができる。
② 仮免許を取得すると、教習所に登録している者のみの他殺が可能となる。
③ 更に学科8時間。実技8時間の授業を受けると、卒業試験を受ける事ができる。
④ 他殺人数には制限があり、更に事前に申請書を提出しなくてはならない。
⑤ 他殺可能人数は一年で一人まで。年に一度の更新で、人数はリセットされる。
⑥ 登録をしても、4ヶ月間で卒業出来なければ権利は失効する。
他にも細かいシステムがあったのだが、私にとって重要なのは上の内容くらいだろう。
「大勢を無差別に殺すのは無理って事ね。まあ、私には充分だわ」
教習ビデオを見終わって何処か人心地をつく私達に、指導員からある物が順番に配られていく。
「教科書二つと教習所のバッジと……携帯電話?」
教科書とバッジは分かるが、どうして携帯電話?
首を捻る生徒達の問いに答えるかのように、指導員は説明を開始した。
「お手元に二つの教本と当教習所の紋章入りのバッジ。携帯電話はありますか? 教本はこれからの学科の授業で必要となりますので、その際は欠かさずお持ち下さい。実技教習には必要ありません。それと携帯電話なのですが、これはとても重要なもので――――」
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「ああ疲れた! 久しぶりに脳みそを使った気分だわ」
家のリビングに到達するなりバッグを放り出した私は、そのままの勢いでソファの上へと倒れ込んだ。その際バッグの口が開き、そこから教習所で貰った携帯電話と充電器が飛び出したが、慌てて隠すような真似はしない。どうせ旦那はまだまだ帰っては来ない。
「どこにでもあるような普通の携帯電話にしか見えないけど……、重要な連絡はコレに来るって言ってたわねぇ」
指導員の話では、連絡もホームページも教習所のモノにしか繋がらないらしい。
別にそれ以外に使うつもりは無いので構わない。コレを私が使う時、それは“他殺”を終えた時だ……。
私はバッグから『他殺教本』と表紙に書かれている本を取り出し、その42ページへと視線を走らせる。そこに書かれているのは、“他殺”までの大まかな流れである。
「いつ、誰に、何処で、何を使って、どのように殺害するのか? それを申請書に記入し提出。受理後は、当日まで待機。提出した申請書の通りに他殺を実行した後は、配給された携帯電話より速やかに連絡。その後到着した係の者の指示に従う事。もし何らかの理由により他殺が出来なかった場合は、四ヶ月間、申請書の提出が出来なくなる…………か」
声に出して読むと、今日あった出来事が夢でなかった事を実感出来る。
この時の私は、確かに自身の胸の高揚を感じていた。来たるべく希望の未来へ、私の心は飛翔する。
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それからの私は、毎日のように教習所の門を潜った。
「“毒殺”或いは“銃殺”がやはり尤も多く申請されますね。絞殺や刺殺等と比べて、簡単な上に確実性もありますのでね。デメリットとしては、他者を巻き込む危険性を孕んでいます。流れ弾で関係ない人や物が傷付けられた時、当教習所は一切の責任を負いませんので、その事をご理解下さいね。あと、他殺に使用する凶器は当校の物を使用して下さい。別棟一階の保管庫にて凶器レンタルを行っていますので、申請書の提出後はそちらへお願い致しますね」
今日は実技講習。
広さは良くある学校の一室だが。その中身は全然違う。
机は存在せず、木製の椅子だけが円を描くように並べられている。生徒が疎らに座った椅子達の中央にはポッカリとした空間があり、そこには30代ぐらいの眼鏡の男性教官と中性的なマネキンが立つ。そして床には、無造作に置かれたナイフや銃。もちろんおもちゃだ。
「生徒の皆様には、一般的な殺人を一通り体験して頂きます。その中で自分に合った方法を見つけて下さい。それでは……、あなたから順に時計回りにいきましょうか? こちらへどうぞ」
「あっ、はい」
指導員に呼ばれた坊主頭で背の高い男子高校生は、困惑の表情を浮かべながら空いた円の中に入る。
「コレでマネキンを刺して下さい。人間だと思って、出来るだけ苦しみが無いようにお願いします。まあ、刺殺の時点で相当痛みはあるんですけどね。ではどうぞ」
「はぁ……」
おもちゃのナイフを渡された学生服を着た彼は、指導員に言われた通りに、マネキンの心臓目掛けてナイフを軽く突き出す。引っ込む刃先は、まるで本当に刺さったかのような錯覚を私に覚えさせた。自然と息を呑む生徒達。
「うん。悪くは無いのですが、勢いが足りませんね。ちょっと失礼? まず本来、ナイフや包丁というのは殺人に向きません。今のように相手が動かなければ正面から心臓を狙う事も出来ますが、大抵の人は包丁を持った人が正面から来たら抵抗をします。かと言って、背後からでは心臓まで距離があるので、ナイフなんかでは届かない可能性もありますね。なので、確実に命を奪うためには…………こうです!」
高校生の手からナイフを取った教官はそれを構え、体当たりをするかのようにマネキンにナイフを突き刺した。その勢いのまま床へと倒れるマネキン。教官はそれに馬乗りになり、何度も心臓目掛けてナイフを振り下ろす。10回ほどマネキンが跳ねた後で、ようやくその行為は終わりを告げた。
「ふう……ふう……。見ての通り、刺殺というのはスマートさに欠けますね。しかし、確実に命を奪うためにはコレぐらいが必要です。迅速かつ正確に。相手に思いやりを持って他殺を行って下さい。まあ、先程まで激しく無くても構いませんので、順番に殺っていきましょう」
私は生徒達がマネキンにナイフを突き立てていく様子をぼんやりと眺めながら、「刺殺は止めよう」と心の中で呟いた。
それからも色々な授業があり、出席する度に私はその新鮮さに胸を踊らせた。
如何に自然に毒を飲ませるかを考察する授業もあれば、車を運転してマネキンを轢くなんて授業もある。
楽しみながら授業を受けていた者が、比較的短い時間でその免許を得るのは至極当然。
私は矢のような速度で学科・実技共に全ての条件を満たし、遂には他殺免許資格を取得するに至った。私が免許を取得するまでに掛かった日数は、3週間にも満たない。我ながらその早さに感心してしまう。
「あはは。凄い! 私、本当に他殺免許を得たのね! 人を殺しても裁かれないのね!」
自宅のリビングのソファーで横になった私は、教習カードをうっとりと眺めた。
卒業する時に知った事だけど、この教習カードはそのまま他殺免許として使用出来るらしい。こんな小さなカードに、人の命が乗っかっているのだ。
「素晴らしいわねぇ…………あらっ?」
聞き慣れた車のエンジン音がする。
どうやら夫が帰って来たようだ。今の時間は午後8時……最近にしては早い方。私は教習カードを急いで財布にしまい込んだ。
「ただいま」
「お帰りなさい。今日は早いのね?」
「ああ。プロジェクトの方が片付いてね。暫くは早めに帰る事が出来そうだ」
私はコートを受け取りながら、甲斐甲斐しく夫の話し相手を務める。
どこから見ても良い奥さんにしか見えないだろう。そう……どこから見ても……。
「久し振りに腕を奮いましょうか。あなた、明日食べたい物はありますか?」
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次の日の朝。
旦那を送り出した後で私が向かったのは、卒業した筈の他殺教習所。
入り口の自動ドアを潜った私は、真っ先に受付脇の『資料コーナー』へと向かった。そこには教習所のパンフレットや、他殺に関する様々な資料が置いてある。だが今回、用があるのは資料ではなく、そのコーナーに置いてある“書類”だ。
「あったあった。コレね? 『他殺申請書』」
眼鏡をかけた私は、近くの書類記入用の机の上に申請書を置き、丁寧に情報を記入していった。
「氏名は……大鐘 衞。方法は……毒殺」
遅い更新の作品をここまで読んで頂き、誠にありがとうございます!
次話で彼女の物語は終了します。また、次回の主人公に期待して頂けたら幸いで御座います。




