Case1 家治 満子②
黒い封筒を何度見直しても、そこにはやはり【他殺教習所】の印字。
そして宛先人の部分には、しっかり私の名前も記入されている。これは間違いなく、私に向けて送られた物という事だ。
「こうして眺めていても仕方無いわね」
10分も経過すれば、いい加減に度胸もついてくる。
私は封筒の口を開き、中の便箋を取り出した。
「中身まで黒かったからどうしようかと思ったわ」
便箋には白い背景に黒い文字で、簡潔にこう記入されている。
『おめでとうございます。大鐘 満子様。
この度あなたは、他殺免許の資格取得抽選に当選致しました。
他殺免許資格の取得をご希望の場合は、
封筒裏の住所まで『身分証明』をご持参の上、お越し下さい。
詳細な内容は、その際に説明させて頂きます。
料金等は一切発生致しませんので、ご安心下さい。
なお、書翰到着から一週間を過ぎても来所されなかった場合は、
資格取得の権利が喪失されますので、ご注意下さい。 』
私は一字一句を食い入るように目で追いながら、自身の鼻息がどんどん荒くなっていくのを感じていた。
「信じられない……本当に私が選ばれたのね……」
国が運営する他殺教習所。
その名の通り。そこでは“殺人”の免許を発行しているという。
妹から聞いた話では、14歳~80歳までの国民達からランダムに選別されるらしい。選ばれた者のみが得られる破格の資格。こればかりは、幾らお金を積んでも手に入るモノではない。
「この住所……そう遠くないわね」
他殺法案。
5年前にそれが可決された時、「この国は遂に狂ってしまったの?」。
そんな考えに至ったものだ……。しかし、始まってみれば私の日常には何ら変化もなく。まるで別世界の出来事のように、実感もないまま今の今まで過ごして来た。他殺免許を行使された者は、ニュースにだってなりはしない。私が……いえ、国民がそう感じるのも仕方ないのでは無いだろうか?
「でもそれが、現実になったのね」
私は便箋を放り出し、行儀悪くソファに寝そべり天井を仰いだ。
まだその存在に実感こそ湧かないが、心臓の鼓動が早くなっていくのは分かる。
天使からの贈り物なのか?
悪魔からの手招きなのか?
これは悩みなどではない。
だって私が取る行動は、既に決まっていたのだから……。
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「ここがそうなの? 大きな場所ねぇ……」
国営とあって、その佇まいはかなりしっかりしている。
暗い陰鬱な雰囲気など微塵もなく、その建物を例えるなら『解放感のある大きな銀行』と言った感じ。人々行き交う街中に、隠れること無く建っている。
「人も……結構いるわねぇ」
教習所一階の前面はガラス張りとなっていて、中の様子を簡単に覗くことが出来る。受付が二つあり、そこでは何処にでもいるような普通の人が受付嬢と会話をしている。覗いた限りでは、清潔感の漂う開放的な空間――という感じ。一見、他殺を扱うような場所には全く見えない。しかし、教習所の玄関上には大きく『他殺教習所』の看板があり、それがより私の違和感を刺激する。
「はぁ~……」
入り口の自動ドアを潜った私は息を呑んだ。
外から見えていた部分は教習所のごく一部でしかなく、その奥行はかなり広い事が分かったのだ。突き当りが遥か遠くに見える廊下、そして今入ってる建物と並ぶように立つ別の建物まである。
人の姿もそれなりに見えた。
今は平日の朝10時なので、主婦っぽい人が多い気がする。
「まあ!」
壁に掛けられている教習所のフロアマップを見て、私は二度目の感嘆の息を洩らした。5階建ての教習所内部には多くの教室があり。『実習室』や『実技室』等、それぞれの役割によって分けられている。しかも、カフェテリアやゲームセンター。果ては図書室までと、正に至れり尽くせりといった具合だ。
「初めての方ですか?」
「キャッ!」
不意に側から聞こえた声に、私は驚いて軽く跳ねる。
いつの間に近付かれたのだろうか? 反射的に横を向いた私の目の前には、黒スーツを着た長身の若い男が立っていた。後ろ手に組みスラリと立つ彼は、温厚な笑みを湛えたままでこちらの返事を待っている。
「え、ええ。お手紙を戴いたので、来所しましたの。初めは受付に行けばよろしいのかしら?」
年甲斐もなく声を上げてしまった私は、頬を赤らめながら答えた。
すると彼は、白手袋に覆われた右手の平を上に返し、スッと受付の方へとそれを向ける。そして静かだが良く通る不思議な声で、
「はい。お手紙を受付に提示し、身分証明をご確認致しましたら、登録の手続きとなっております。何かご不明な点がありましたら、お気軽にお尋ね下さい。それでは、失礼致します」
青年はそれだけ告げると、丁寧なお辞儀をして廊下の向こうへと消えた。
洗練されたその仕草は、まるで執事か何かのよう……。私は少し浮かれた気分で受付を目指す。
「こちらのお手紙を見て来ましたの」
「おめでとうございます。他殺免許取得のご希望でよろしいですね? 失礼ですが、身分証明を拝見させて戴いてもよろしいでしょうか?」
「はいはい。こちらで構わないかしら?」
私が受付嬢に差し出したのは、二十代の頃に取得した運転免許証だ。
今はただのペーパードライバーだが「いざという時、何かの役に立つだろう」と、更新だけは欠かさなかった。そして、今日がその“いざ”である。
「はい。確認しました。それでは、こちらのカードをお渡し致しますので、あちらにある端末で、登録の手続きをお願い致します」
「端末? ああ、あそこね。ありがとう」
受付嬢の対応も、実に役所的だ。
普通の教習所にでも通っているような不思議な感覚に囚われながら、私はトランプ大のカードを手に受付横の一角へと向かった。
「この中ね」
そこにあるのは、まるで試着室。
黒い敷居に囲われた中に、ATMを彷彿とさせる端末が置いてある空間だ。プライバシーへの配慮かも知れないが、行き過ぎている感も否めない。しかし、人の命に関わる場所なのだ。なんでも『やり過ぎる』という事は無いのかも知れない。眼鏡を装着した私は、4つあるボックスの一番右端へと進入した。
「へぇ」
正面の壁にはラミネート加工されたポスターがあり、端末の操作方法や登録の手順。注意書き等が、事細かに記されている。
「何々? 身分を偽っての登録は、極刑になる可能性もございますので……。ふーん。確かに、嘘をついて免許を得ようとする人もいそうねぇ。まっ、私には関係ないけど」
私はポスターを見ながら、端末の細い縦長の穴に先程貰ったカードを差し込む。
そして画面の指示に従いながら、氏名、生年月日、住所、電話番号等々を、慣れないタッチパネルに苦労しながら入力していく。
「……なにこれ? 『tentative name』?」
見慣れない英単語がある項目に、右手人差し指が止まる。
顔を上げて正面のポスターに視線を走らせる事により、私はその意味を理解した。
どうやら、この教習所内で名乗る仮の名前を入力するようだ。
前言撤回。やはりやり過ぎじゃないかしら?
「名前ねぇ。仮の名前……」
ピンとくる名前を端末の前で思考する――――が、
何も思い浮かんでは来ない。自由に決めて良いと言われたら、何故か逆に悩んでしまう。
脳が思考の迷路を右往左往しているそんな時、受付嬢の電話応対中の声が聞こえて来た。
「はい。ショネル様ですね? 分かりました。実技指導4に予約を入れておきます。はい。間違いありません。はい。お待ちしております」
ショネルか……。
外国人かも知れないけど、多分ブランド好きな女ね。
私は軽い笑みを零し、彼女のアイデアに倣う事にした。
「プ・ラ・ヴァ……と!」
全ての項目の記入を終えた私が『登録』のボタンを押すと、端末がガリガリと何かを削るような音を立てた後、最初に挿入したカードが戻って来る。戻って来たカードには、入れる前には無かった変な模様が刻まれていた。見た目には訳の分からない模様の羅列だが、正面のポスターによると、入力した内容が変換されて刻まれているらしい。このカードと端末に私の情報がインプットされ、教習所内での身分証として使える……との事だ。
「ハイテクねぇ」
端末での操作を終えた私は、もう一度受付に戻る。
「はい。それではこちらの“教習カード”に貼付する写真撮影を致しますので、あちらのお部屋までどうぞ」
カードの確認をされた後で私が案内されたのは、受付に隣接した位置にある小さな部屋だ。職員に教習カードを渡して簡単に撮影を済ませると、カードは再び返却される。その表面には、しっかりと私の顔写真が貼り付けられていた。
「はい。確認致しました。初回講習は10時45分からとなっております。時間が来ましたら、2階南西にある第一教室までお願い致します。入室の際には、扉横のカードリーダーに教習カードをお通し下さい。その後は、お好きな席に腰掛けて頂いて結構です。着席して、指導員をお待ち下さい」
「どうも」
三度受付を訪れて、ようやく登録の手続きは終わりを告げる。
その間、本当に料金が請求されなかった事に驚きを覚えつつ、私は時間の少し前まで中庭のベンチで過ごす事にした。
久方振りのときめきを、その胸に感じながら。
他殺教習の時間は迫る。