Case4 重児 軽子①
重児軽子。
44才。性別は女。
職業、看護師。
住所は――――
「…………ふぅ」
私は現在。
とある場所にあるATMに良く似た機械、その画面とにらめっこしながら、そこに表示されている入力フォームと格闘していた。
自身の携帯電話もろくに使えない私にとっては、中々の重労働。
四苦八苦しつつ、一つ一つ項目を満たしていく。普通の人の倍以上の時間を掛けて、ようやく私は最後の手順にまで到達した。
「あとはこのボタンを押せば良いのね」
画面を一番下まで進めると姿を現す『登録』ボタン。
私はそれにタッチするために人差し指を伸ばし、そして――――そこで動きを止めた。
「私……何してるんだろ……?」
こんな所まで来て、今更に私はそんな言葉を吐く。
そしてもう一度正面の機械を見つめ、重く深いため息を零した。
今年で44だ。
今の慣れ親しんだ仕事を変えるつもりは毛の先ほどもない。
かといって、誰かに殺意を抱くほど壮絶な人生を送ってきた訳でもない。
――――そう。
ここは『他殺教習所』。
殺人の免許を得る事が出来る、世界で唯一の場所である。
そしてその免許は、就職にも有利だと過去同僚に聞いた覚えがあった。
「どうして私なんかが……」
先程ため息を吐いたように、私にはこの場所に足を運ぶ理由がない。
理由がないのに……、どういう訳か私は他殺教習所に存在している。そしてそれが、ため息をついた理由の一つなのだ。
「どうせなら『翔太』に手紙が届けば良かったのに……」
私は最愛の息子“だった”者の名前を呼ぶ。
そして、ため息をついた『もう一つの理由』に気付かない振りをしながら、震える指を登録ボタンの上へそっと重ねた。
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「ああ……疲れた」
太陽が昇りきる前の午前11時。
私は疲れきった体を引き摺るようにして我が家へと帰宅した。
昔はここまで疲弊はしなかったのだが、この歳にもなると『夜勤』という勤務形態が重く体に伸し掛かって来る。まあ、私の疲労の原因を示す天秤は、未だに精神面の方に偏っているのだろうけど……。
どこにでもある住宅街の、どこにでもある二階建ての一軒家。
そこが私の――――私達の家。帰宅して最初にする事は決まっている。
「あなた。ただいま。元気にしていますか? 私はちょっと夜勤明けで疲れていますが、大丈夫です。今日も一日、私達を見守っていて下さいね」
火の着いた線香を香炉に立てた後で、私は両手を合わせて仏壇に向かって語りかける。若い姿のままの夫は、いつものように遺影の中で微笑んでいた。
彼が亡くなったのは、もう二十年以上も前になる。
一人息子の翔太が物心付く前に、若年性の大腸癌を患いこの世を去った。
当時は何度死のうと思ったか分からない。翔太がいなければ、私は既にこの世にはいなかっただろう。女手一つで息子を育てるのは大変だったが、あの子の為だけに私はここまで生きてきた。
「さてと! スゴく眠たいけど、やるべき事はしないとね」
仏壇の前から立ち上がると、私は洗面所へと移動する。
そこで既に脱水を済ませた洗濯機の中身を洗濯かごに放り込むと、それを持って二階のベランダを目指す。
「今日も良い天気ね」
天晴なほどの日本晴れ。
これからの洗濯物の乾きを想像するだけで、心も晴れ晴れとしたものになる。
しかしそれは、ほんのひと時の快晴。今からの事を考えると、瞬く間に暗雲が私の心を覆い出す。
「…………声を掛けない訳にもいかないか」
自分にそう言い聞かせると、私は二階の廊下奥の部屋。
その扉の前に立った。
「翔太、いるの? 今日の昼ごはんの事なんだけど?」
2回ノックしてから、中にいるであろう一人息子に扉越しに声を掛ける。
だが、部屋からは何の応答もない。私は首を傾げながら、恐る恐るドアノブに手を伸ばした。
――――その時。
「ババア!! 何やってんだよ!!」
部屋の中からではなく、背後から聞こえた怒声に体が軽く跳ねる。
そして振り返った私が見たのは、鬼の形相を浮かべる息子。『翔太』の姿だった。彼はビヤ樽にハムが生えたような太った体を揺らしながら、ドカドカとした地響きと共に私の前に来ると、贅肉で半分埋もれた目でこちらを睨みつける。
「僕の部屋には勝手に入るなって言ってるだろ!!」
「ご、ごめんなさい。ノックしても返事が無かったから……つい。その、お昼ごはん食べたい物ある?」
「これからは毎日カレーライスだって前に言ったよね? 同じコトを何回も言わせないでよ!!」
近所に聞こえるぐらいの大声を張り上げる翔太。
その剣幕と力に対抗できるだけの体力を私は持ってはいない。小学生の時に簡単におんぶ出来たその体は、今それを実践しようとすれば私はペチャンコになってしまうだろう。
「……本当にごめんなさい。用意出来たらまた声を――――」
「声なんて掛けなくて良いから!! カレーライスを部屋の前に置いたらメールしてよメール!!」
「……そう。わかったわ。置いたらメールするわね? ごめんなさい」
「フンッ!!」
為す術もなく、私はその場を退散する。
そして下る階段であの子の姿が見えなくなったのを確認してから、押し寄せる頭痛の波を押し付けるように右手でこめかみ部分を覆った。
「どうしてあんな子に」
そう嘆かずにはいられない。
昔のあの子は可愛かった。天使だった。何をするにしても私の側を離れない、どの子よりもお母さん子だった。
『ボク。大きくなったら、お母さんのスキな物なんでもかってあげるね!』
夫が死んでから、節約を余儀なくされた私に息子が掛けてくれた言葉だ。
あの頃の優しかった翔太は何処に行ってしまったのだろう?
今はもう……見る影もない。
高校を卒業してからは、仕事に就いては辞めを繰り返し、それについて私が尋ねると――――
『あそこはダメだよ。店長がろくでなしだから! 僕はもっと優しい上司の所が良い』
などと文句を吐き捨てる。
そしていつからか仕事を探す姿も見掛けなくなり、遂には26歳になった今でも私のスネを齧り続けている。一日の殆どを自分の部屋の中で過ごし、何かの発売日とやらにしか家を出ない。最近になって偶にどこかに出掛けているようだが、その行き先までは見当がついてはいない。何か良からぬ事に手を染めていなければ良いのだけれど……、そんな事は恐ろしくて訊けそうも無かった。
「……はぁ」
女手一つで子供を育てること。
その難しさを甘く見すぎていたのだろう。甘やかして育てた翔太の将来を考えると、ため息しか出て来ない。最近のあの子は、私への当たりが日増しに強くなっている。横暴になっていくのが見て取れるのだ。しかし、かといってどうすれば良いのか分からない。
「……はぁ」
再び嘆息した私は、重い両足を少しでも早く動かしてリビングを目指す。
早くカレーを作らないと、きっとまた怒声が飛ぶに違いないのだから――――
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夜。
相変わらずあの子は部屋に籠もったままだ。
夫がいた頃は賑やかだったこのリビングも、今では電化製品の出す音しか響かない。
「あなた……私はどうすれば良いの?」
自然とそんな弱音を吐いてしまう。
夫さえ生きていてくれたなら、こんな事になってはいないのに……。
不甲斐ない自分を夫の遺影から隠すように、机に両肘をついて頭を抱える。
すると――――
「あ」
と言う間に、落ちていくテーブルの上の私のバッグ。
両肘をついた時の振動がダメだったらしい。バッグは中身をしこたま床に吐き出してしまった。こんな所に置いた自分が迂闊だったとは言え、やはり落ち込んだ気分には拍車が掛かる。
「やれやれ」
床にばら撒かれた物を、元いたバッグの中へと戻していく。
勤務表。ハンカチ。化粧ポーチ。そして…………財布。
私の右腕は財布を手に持った状態で動きを止める。
そして私は導かれるように財布の中の“ある物”を見つけ出し、それが見えるように視界の正面まで運び出す。
「これ……は……」
“それ”はつい最近に取得した、“ある免許”を証明する一つのカード。
――――そう。『他殺教習カード』だ。
先月に卒業試験に合格している私は、既に殺人の資格を持っている。
「…………なんで私は……これを……」
何故わざわざ貴重な休日を削ってまで、私はこの免許を取ってしまったのだろう? いや……本当はその理由を理解している。ただ“見ない振り”をしていただけ……。
もうとっくの昔から……、私には息子が重荷になっている。
そしてそれが親として抱いてはいけない感情だと知りつつも、毎日ふとした時に考えてしまうのだ。
『翔太が居なかったら』――――と。
登録ボタンを押したあの日から、私は薄々分かっていたのかも知れない。
自分がこの資格を、『誰に』使用したいのか……。
「…………翔太」
私の記憶に幸せだった頃の家族の記憶が蘇り、頬に熱い何かが流れる。
「あなたはこんな感情を抱く私を……軽蔑するのかしら?」
仏壇の中の夫はいつもと同じように、こちらを見て静かに微笑んでいた。
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金が欲しい。
出来るだけ沢山の金が欲しい。それは人類皆の共通の願いでは無いだろうか?
「あ~! 何かないかな~?」
大好物のカレーライスを平らげた後で絨毯の上に寝転んだ僕は、テレビから流れてくる音をBGMに考え事をしていた。
「やっぱり世の中は金だよな~! 金さえあれば働かなくても良いし、好きな物だって買い放題。幸せってのは大体が金で買えるもんだ」
出来るだけ簡単且つ確実に大金が手に入る方法。
最近の僕はそんな事ばかりを考えている。ある意味では勤勉なのかも知れない。
「でもそんなウマイ話…………ん?」
そんな折。
テレビからこんな言葉が僕の耳に飛び込んで来た。
『人生何が起こるか分かりません。そんな時に入ってて良かった○○の死亡保険。定期タイプや終身タイプがございます。国内最高額の保障をお約束します○○保険! 手続きも簡単に――――』
重い体を勢い良く起こした僕は、「コレだ!!」と大きな声を上げた。
だってそうだろ? 楽して大金を得る方法が向こうの方からやって来たのだから!
「果報は寝て待てって本当だったんだなぁ。えっと、確か生命保険は家族なら受取人に……」
机の上に無造作に置いてあるパソコンで○○保険のホームページに飛んだ僕は、目を血走らせてその内容に視線を走らせる。
そして僕は――――
「問題はいかにバレないようにやるかだなぁ」
そんな言葉を吐きながら、口唇をペロリと舐めて薄く笑った。




