Case3 音艫 ティアラ③
はい。
案の定胸糞注意でございます。
「チッ! どこのクソ野郎だよ。あーしに恨みを持ってるバカ野郎は……」
あの不吉なメロディーが携帯電話から鳴り響いた次の日。
あたしは苛立ちと焦りから、学校の机を人差し指で何度も小突いていた。
今は二時間目の世界史の授業中。
この時刻に至るまで、あたしを狙っているような奴を見掛けることはなかった。教習生同士による申請の有効期限は提出日から一週間。部屋に篭ったり、どこかに逃げるのが一番生存率は上がるのだろうが、強者はそんな弱者の真似事なんかしない。
「……返り討ちにしてやるよ」
誰にも聞こえないぐらい小さな声だが、あたしは大きな意思で覚悟を決めた。
『殺られる前に殺る』
それが一番なのだけど、問題なのは相手が分からないことだ。
携帯電話は警報を告げるだけで、事態を起こした諸悪の根源には言及しなかった。あたしはペンを噛み、心当たりを考えてみる。
「もしかして最初に突き飛ばしたババアか? それとも、食券に戸惑ってたのを蹴り飛ばしたハゲか? 或いは、あーしの読みたい漫画を読んでたから奪ってやったネクラ? はたまた――――ってダメだ。心当たりが多すぎるわ」
教習所に通っていた一ヶ月間。
それなりに楽しませて貰ったが、今更その弊害が顔を出してくる。
「待てよ?」
あたしはそこで、もう一つの可能性に気が付いた。
命を狙っているのは、何も今通っている生徒だけとは限らない。
「卒業生もかよ。ちくしょう! 更に範囲が広まった」
教習所を卒業し、一般人に同化した卒業生を見つける事は不可能に近いだろう。
心の中のモヤモヤは加速度的に上昇を続ける。このストレスを解消するには、最早方法は一つしかない。あたしは今か今かとその時を待った。
そして待ちに待った昼休み。
小鐘を人目の付かない校舎裏へと呼び出したあたしは、彼女の顔を見るなり金の催促をした。
「お金は確か……明日までじゃ?」
「はぁ? 困ってる友達にギリギリまで待てって? あんたマジ薄情過ぎ~」
当然の反応をする小鐘に、そんな理不尽な言葉を投げ掛ける。
瞬く間に絶望に沈む彼女の表情は、なんど見ても飽きる気がしない。あたしは心の中で爆笑した。
「ちょっとコレ見てみ?」
既に涙目になった小鐘を、あたしは更に追い詰めるべく“ソレ”を取り出す。
「…………携帯電話?」
取り出したのは教習所で支給された携帯電話。
あたしはそれを素早く起動すると、とある画面を彼女の前に突きつけた。小鐘は最初こそ首を傾げていたものの、画面の内容を目で追っていくに連れ見る見る内に顔色を青くしていく。
「他殺……申請書!? 音艫さん、これって!?」
「そっ! 近頃は何もかも便利になっていくよねぇ? 教習所もさ、ハイテク化がどんどん進んでるってわけ! んで最近できたのがこのページ。今はこの画面にパスワードや教習番号を打ち込むだけで、いつでもどこでも他殺申請が出せるのよん?」
そしてあたしは入力フォームに、わざと彼女に見えるように『鵞澄小鐘』の名前を打ち込む。本当は提出してから受理されるまで一日掛かるのだが、知らない人間にとっては“今殺されるかも知れない恐怖”に違いない。
「やめてぇ!!」
携帯電話を奪おうと悲壮な顔で飛びついてきた彼女を、あたしはあっさりと受け流す。勢いを殺しきれずに地面に倒れた小鐘。あたしは彼女の前髪を掴んで頭を持ち上げさせると、
「安心しな? 明日10万持ってきたら見逃してやるよ。まっ! “その次”はどうなるか分かんないけどね? とにかく、あたしの機嫌だけは損ねない方がいいと思うよ~?」
と一方的に告げ。
涙を流す小鐘をその場に置いて、校舎裏を後にした。
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学校も終わり、鼻歌混じりに帰路についていたあたしは、昼休みの小鐘の顔を思い浮かべ表情筋を緩めていた。やはりストレス発散には、弱い者いじめに限る。何よりも気分爽快な気分だ。
「10万。何に使おっかなぁ~?」
その使い道に思いを巡らし、あたしの両足が自然とリズムを刻んでいたそんな時――――
「音艫ティアラだな?」
不意にあたしの背後から、無機質な男の声が響いた。
「あ?」
当然の如く振り返ったあたしは、声の主を見て驚愕する。
背後に立っていたのは、他校の制服を着た同年齢ぐらいの男子学生。どこにでもいるようなパッとしない外見をした男だが、目を引くのはそいつが右手に持っていた“果物ナイフ”。そして、胸に付けている教習所のバッジだ。あたしは一瞬で、その男が申請書を提出した犯人である事を理解した。
「だ、誰よあんた?」
この男と関わった記憶など一切ない。
なのに何故コイツはあたしにナイフを向けるのか? 相手の機嫌を損ねないように、あたしはなるべく下手に出ることにした。
「あっちへ行け」
男は人通りの少ない場所へとナイフを向ける。
ここで迂闊に相手を興奮させる訳にはいかない。あたしは男の言う通り、人気のないビルの裏側へと移動した。
「もういいでしょ? せめて理由を聞かせてよ。なんであーしを殺すの?」
周囲に人がいない事を確認したあたしがそう切り出すと、見たこともない男子学生は憎しみの目をこちらへと向けて来る。どうやら、怨恨の線が濃厚なようだ。
「……鵞澄小鐘。当然知ってるよな? 俺は彼女の幼馴染だ」
この場所に移動するまで無言だった男は、ここで初めて人間らしい声を出した。
それと同時にあたしは相手の正体を知り、口唇を噛む。
そして男は更に続ける。
「明るかった彼女が、いつの間にか様子がおかしくなっていた。久し振りに会ったら、おどおどして、何かに怯える様に目を動かして…………全部お前の仕業だったんだな?」
「は、はあ? それ小鐘が言ったの?」
「違う。昨日偶然通り掛かった公園で、お前達と小鐘のやり取りを見たんだ。あれはもうイジメなんかじゃない! 犯罪だバカ野郎!!」
声を荒げて、あたしへナイフを向ける小鐘の幼馴染。
いつこちらへ襲いかかって来ても不思議ではないだろう。そんな興奮する男を見て、あたしの取った行動は――――
「ごめんなさい!!」
謝まる事だった。
あたしは深く深く頭を下げ、力いっぱいに謝罪の言葉を述べる。
「あたし……調子に乗ってた。他殺教習所に選ばれたから……自分を特別な人間だって勘違いしてた。謝って済むことじゃないけど、本当にごめんなさい!! もう小鐘には二度と関わらないから!! 約束する!!」
涙を流しながら謝るあたしを見た男子学生は、目に見えて困惑の表情を浮かべていた。素直に謝罪されるとは思っていなかったのだろう。ナイフを持つ手にも、先程までの力は籠もってはいないようだった。
「今まで小鐘から取ったお金も返すから!!」
「…………本当だな?」
そう言って鞄の中を探るあたしを、少しでも哀れに感じたのか?
男は遂にナイフを下ろす。
優しい優しい男子学生。
きっと彼は、これからも多くの者を助けていくのだろう。
まぁそれは当然――――――
“生きていければ”という前提の中でだが。
「…………えっ?」
あたしが取り出した“物”を見た男は、馬鹿のような顔をして、馬鹿のような声を出す。しかしそれも仕方が無いだろう。まさかただの女子高生の鞄から、『拳銃』が出て来るなど想定しろという方が難しいのだから。こういった時の為に、教習所から借りていた甲斐があったというものだ。
「安全装置を外してぇ~。そうそう、校章も付けないとねぇ~!」
淡々と作業をこなして行くあたしと、ポカンと呆ける男子学生。
しばらくのシュールな時間を過ごした後に、男は顔を青くして叫んだ。
「だ、騙したな!?」
「誰かを信じるって事はさぁ? それも覚悟の上っショ?」
「ふ、ふざけ――――!!」
再びナイフを持つ手に力を込めた男だが、時既に遅し。
あたしの引き金をひく動作の方が早かった。
拳銃から放たれた弾丸は、恐ろしい程の速度と回転で男のヘソ部分に侵入すると、その勢いのまま内蔵を抉り、背中側から飛び出した。そして溢れ出す鮮血と、男の呻き声。
「いて……ぇ……。ぐ……えほ!」
ナイフを放り出し地面へ倒れ込んだ男子学生に、あたしは侮蔑の視線を向けた。
「ギャハハ! 返り討ちとか! バカはアンタじゃん! マジウケル!!」
そして銃口を男の額へと向けたあたしだったが、そこで不意に、ある一つの疑問が浮かび上がった。
「あ!? アンタもう凶器持ってねぇじゃん!!」
武器を持っていない相手にも、教習所の『正当防衛』は成立するのか?
試してみるには、あまりにリスクがでかすぎる。
「チッ! 最初から頭を撃つべきだった……。運の良いやろーじゃん。コレに懲りたら、もうあーしにちょっかい掛けんじゃねーぞ? そしたらマジで小鐘のヤロー殺すから」
銃声を聴いた人間が近づく声が聞こえる。
あたしは急いで銃を鞄にしまい込むと、血まみれの男をその場に残し、足早にビルの裏から立ち去った。
次回でCase3は終了です。




