第一章 チュートリアル チンピラとリーマン
「はあ?」
苛立ちMAXの声。
チンピラだ。
大股でリーマンに詰めよっていく。
ーーあ。
ヤバイ。
チンピラの腕がスーツの襟に伸びる。
襟首を掴むつもりだ。
もしかしたらその先、殴りかかることさえあり得る雰囲気。
ハラハラ成り行きを見守る俺の前で。
成人男子の身体が蹴られたボールのように跳びはね、天井にぶつかった。
激しい音を起てて天井にヒビを入れ、重力に従って下に落ちる。
並べられた机の上に。
耳を塞がずにはいられない凄まじい大音響。
きちんと整列して並べられた机と椅子の一部が倒され、撥ね飛ばされて転がった。
チンピラは、頭と脇腹から血を流して床に這いつくばっていた。
ーー良かった、死んでない。
俺はホッとした。
死んでいてもおかしくないような衝撃音だったから。
だが確実に大ケガを負っているのは間違いない。
足首は変な方向を向いているし、血の流れている脇腹付近が傷むのか、両手で抑えて九の字に身体を丸めて呻いている。
ぎゅっ、と服を引っ張られた感触に目を向けると。カスミちゃん(?)が俺の服を握りしめて震えていた。
涙目で、声も出ない様子だ。
どうする?
ここは優しく手を握るとかすべきところなのだろうか。
それとも放置?
んなことで悩んでいる場合ではないのだろうが、自慢じゃないが俺はDTで、彼女がいたことももちろんデートをしたこともない。
告白されたのも香織のみ。
女の子の幼馴染みがいるのだから少しは免疫がありそうに思われるかも知れないが、なんというか……妹と他の女の子とは違う?っていうか。
共立の高校に2年以上通っているのにいまだによく知らない女子とは話すのも緊張する体たらく。
さっきは緊急時で意識するどころじゃなかったから、手を繋ぐこともそれこそ肩に担ぐこともできた。
背中に柔らかい感触があたるのも意識しないですんだ。
が、今は化け物とは建物のなかと外で隔てられている状態で。
チンピラがとりあえず生きていてホッとしてしまったのもいけない。
いや、死んでなくて良かったんだけど。
ホッとしたことで妙に気が緩んで余計なことを考えてしまっているというか……。
……やっぱムリ。
とりあえず服を握りやすいように一歩近付いた。
これが限界だ。
チンピラはというと、床這いつくばって呻いているばかり。
その様子を皆が遠巻きにしている。
誰か傷の手当てをした方がいいんだろうけど、チンピラに近付くってことはその側にいるリーマンにも近付くってことだ。
一発の力もろくに込もってなさそうな蹴り一つ。
それで成人男子をずたぼろにした人間に近付くとか、そりゃ誰だって遠慮したい。
皆他の誰かが動かないかと窺っている感じだ。
俺?
俺はほら。
カスミちゃん(?)に服を握られてるから。
うん。
動けないね。
それにしてもリーマンはなにか格闘技でもしてるんだろうか。
詰めよっていったチンピラに机から下ろした足をサッカーボールを蹴るみたいに振り上げてぶっ飛ばした。
服の上からだとわからないけど実は筋肉モリモリだとか?
「他人が説明してやろうってのに、うっとおしいんだよ。次誰か口開いたらこの窓から下に落とす。いいな」
ひやっ!
ちょっとビビり過ぎて小便出そうになったし!
リーマンはたぶん本気だ。
コイツはマジでやる。
ここの窓から落とされたら……。
死ぬ。
確実に死ぬ。
落ちた時点で運よく怪我程度で済んだとしても校庭には化け物たちがいるのだ。
「まあ、懇切丁寧に説明してやる気もないけどな。俺らはただおまえらが出来るだけ多く生き残りさえすればいくらか金が入るからな」
「……か、かね?」
あ、馬鹿。
これまで一番存在感なかったくせになんでここでやっちゃうかな。
口を開くなって言われてるのに。
小さく呟いた疑問だったけど、リーマン以外誰も声を出していない状態では、恐らく本人が思っているよりもずっと響く。
リーマンに聞こえてしまったと気づいて真っ青になったのは髪の薄い中年のおっさん。
作業着の腹周りがメタボ気味で、背が低い。
おっさんは校庭で始めに見た時もこの部屋に入ってからも怯えた様子で隅に引っ込んでいた。
校庭ではそのおかげで化け物から一番離れていたから、逃げ切れたんだけど。
ガンっ!
机を叩きつける音に気の毒なほどブルブルするおっさん。
「口を開くなっつってんだろ」
リーマンの言葉にガクプルしながら何度も頭を上下動させた。
「ちっ、遠いな。面倒だから今回は勘弁してやる。おい、おまえら、携帯出して見ろ」
携帯?
けど携帯は鞄の中だ。
俺は学校帰りに突然周りが真っ暗になったと思ったら校庭にいた。まだ夕方で辺りは明るかったはずなのに夜の学校の校庭に。
手に持っていたはずの鞄はなくなっていて、スマホはその中に入っていた。
他にもそういう人間は多かったようで、すぐに取り出したのは二人だけ。
作業着のおっさんとカスミ(?)ちゃん。
二人とも服のポケットに入れていたようだ。
「早くしろ」
そんなこと言われても……ってあれ?
ズボンの尻ポケット、なんか固いものが。
手を突っ込むと馴染んだ感触。
ーーなんで?
入れた覚えはないのに。
取り出してみるとそこには俺のスマホがあった。
待ち受けに戻していたはずなのに、アプリが開いた状態で。
画面には、
ナイトウォーカーへようこそ。
チュートリアルは二時間です。
二時間、生き残って下さい。
文章が増えてる。
昼は「ナイトウォーカーへようこそ」だけだったのに。
ーー二時間。
今でどれくらい時間が経ってる?
たぶん最初に校庭にいた時から二時間だろうから、30分は過ぎているか。
だとしたらあと一時間半。
頭のなかで計算をしながら「次へ」をタップ。
チュートリアルには2名指導員が着きます。
指導員の指示をしっかりと聞いて逃走、戦闘を行い生き延びて下さい。
指導員。
もしかしてリーマンとイケメン?
おそらくそうなのだろう。
チュートリアルのプレイヤーには100LPが付与されています。
ゲーム世界において1回死亡しますと再生に50LPが必要となります。ですのでチュートリアルで死亡してもゲームオーバーにはなりません。
ただし途中で死亡した場合、クリア報酬は付与されません。
また、自分で所属する国を選ぶことも出来ません。
死亡した場合はランダムに配属されます。
ぜひ二時間生き延びてクリア報酬を手に入れましょう。
「わかったか?二時間生き延びればチュートリアルクリア。報酬が手に入るし、国を自分で選べる。俺らは指導員なんぞとなってるが、指導なんざする気はないから、細かいことは適当にヘルプでも調べるんだな」
いや、いくらなんでも説明不足だろ。
だいたいチュートリアルってのはゲーム操作の説明するためのもんだろうに。
いきなりゾンビが出て来て殺されるって、クソゲーもいいところだ。
指示を聞けったってリーマンがしたことは「逃げろ!」って叫んだくらい。
ん?あ、一応それが指示ちゃあ指示か。
思えばバラバラな方向に逃げなかったのもリーマンが校舎を指し示したから。
おかげで俺たちはここに逃げ込めた。
それに俺はさっきゾンビから助けられもしたな。
チンピラとのやりとりが衝撃的で忘れてたけど。
後でしゃべっていいとなったらちゃんと礼を言わないとな。
周りの反応は様々。
誰も声は出さないのは同じだけど、携帯の画面をガン見するもの、戸惑った表情で周りとリーマンをちらちら窺うもの。
カスミちゃん(?)なんかはまだ固まってしまっていて、携帯は取り出しているものの画面に触れることも出来ずにいる。
「まあ、大事なことを3つだけ教えておいてやる」
そう言ってリーマンは指を3つ立てた。
「LPが1Pでも残っていればゲームオーバーにはならない。ただしその状態で死亡もしくは発病すればゲームオーバー。ここはゲームのなかの世界だが、ここでゲームオーバーになれば現実でも死亡する」
ーー発病?
「逆に言うと、LPが50以上残っている限り死んでもしばらくすると再生する。再生の際に50Pが引かれるからな残高50だとアウト、51だとセーフだ。発病もしない」
ーーヤバイ、ウズウズする。
訊きたい口を開きたい。
ーー発病ってなに?なに?なに?なに?
気になる!が口を開けば窓から落とされる。
作業着のおっさんは運よく助かったけど、きっと二度目はないぞ、俺。ガマンだ!
ヘルプにあるかな?
それか次にすすめば出てくるか?
「再生する場所は自国の神殿。国についてはまあ嫌でもわかる。次にLP、これは金だ。1Pが1万、50Pが50万。つまり再生するには50万の金が必要ってことだ。その他、この世界で生活するには何をするにもLP=金がいる。衣食住全てそれで賄う。さて最後に……」
続けようとしたリーマンの言葉をジジジ…という音が遮った。
音は天井の壁際に取り付けられたスピーカーから流れている。
「時間切れか」
そう言って椅子から立ち上がり机に立て掛けていた金属バットを手に取るリーマン。
イケメンもまた外を窺うように廊下側に移動すると窓を少し開けた。
「……ジ、ジジジ……教室棟2階にファースト2体が出現しました。プレイヤーは戦闘もしくは逃走準備を行って下さい」
スピーカーから流れてきた放送に、身体が強ばる。
校舎に流れてきた放送と、ほぼ同じ。
あの時は場所は校庭で数は5体、放送が流れて「は?」と思っている内にどこからともなく化け物が現れて……。
教室棟、ってことは校舎内に?
そこはこことは繋がっているのだろうか。
にわかに広がる緊張に俺はゴクリと唾を飲んだ。