焼き肉を知った恐竜
人の味を知った熊は殺さなくてはならない。
一度、その美味しさに捕われた生き物は、二度、三度、その味に触れたくなるからだ。
再び人を襲いかねないため、人を喰った熊は殺さなければならない。味の追求は時として命に係わるのだ。
そしてそれはいつの時代でも変わらない。
何億年前だか、何万年前。
これは地球上にまだ恐竜が居たころの話である。
ティラノサウルスは驚愕した。
食べ慣れたはずのステゴザウルスが、舌の上で新たな一面を見せてきたからだ。
ステゴサウルスが火山の噴火による山火事で焼け死んでいた。見慣れない死にざまをしているステゴザウルスに、仲間のティラノは不快そうな表情をしていたが、このティラノは嗅ぎ慣れぬ匂いにつられ、誘惑に勝てずに噛みついたのだ。
いつもはなかなか噛み切れぬ冷たい肉塊。それを尖り尖った歯と首全体の動きを使って引きちぎる。滴る血を口から垂らすことにより敗者を蹂躙する勝者の風格を現してきた。
だが、今口に入れた肉は違った。違い過ぎた。
ほろりと崩れ、口の中で溶けいってしまうのではないかと思わせる脂身。じゅばぁと噴き出す血はどこかに消え、代わりに熱い肉の汁が口内で跳躍する。
熱い。熱すぎる。舌が焼けてしまったのではないかと不安になるほどの熱さ。
だが、灼熱の業火を耐え抜いた後に残る福音。
ああ、今なら死んでも良い。
生存本能こそ生物の絶対かつ不動の本能。しかし、このティラノはすんなりと死を受け入れた。それほどまでに感動する未知の体験、シナプスが運ぶ幸福と言う名の電流。
死にたい、心地好いまま。
だが、今はそんな空想に浸っている時間ではない。
一口、二口。
熱い。口の中が焼ける様に痛い。
だが、止まらないのだ。口が、顎が、咽喉が。胃が慣れないものの侵入に拒絶反応を示す。
だが、止められないのだ。口が幸福を求めて前進し続けるのだ。後のことなど知らない。今はこの至高のひと時を楽しみたい。どんなに残酷な最期が待っていようと、今の快楽を止める理由にはならない。
時を置かずして完食した。
そしてそれはこのティラノの運命を変えた。
その日からティラノには悩み事が出来てしまった。
どんな生物を食べても満足出来なくなってしまったのだ。今までは腹が充たされればそれで良かった。
だが、あの日以来、味わうということを知ってしまった。そして、あの味を知らぬ他の仲間を心の中で見下し始めていた。
あの高貴な味を知らず、お下品な味で満足できる下等生物と自分を一緒にしたくなくなっていたのだ。あの味を知らぬものと一緒にされるなど到底我慢できない。
だが、それを表に出すわけにはいかない。
孤高の生き物など早死にするに決まっている。いくら嫌いだからといっても、一匹で生き延びるには辛かった。
あの肉を食ったすぐ後なら、死んでも構わないと思っていたが、いざ時を置くと些か冷静になってしまう。
どうすれば良いのだろうか。
悩み悩んだ恐竜は、食べ物が咽喉も通らぬくらい真剣に考えた。
みんなで食べればいいじゃないか。
至極当然な答えに恐竜は自嘲気味に笑った。
そうなると周りにもあの味を知ってもらう必要がある。
だが、あの味を再現するにはどうすれば良いだろうか。どうしてステゴザウルスがああいう状態になっていたのかティラノにはよくわからない。
刹那、脳裏に煌めくなにかがあった。
木が赤くなり黒っぽいものに変わる時、決まって山のてっぺんから赤い物が流れてくる。
あの赤く熱い物体に、肉を放り込めば良いのではないだろうか。
そう考え、早速狩りに出かけた。
数刻後、トリケラトプスの首根っこをかじって息の根を止めると、しっぽを掴み山を登ることにした。
そのティラノの山を登る姿に、仲間は、どうして食べてしまわないんだ? と首を傾げながら聞いてきた。
旨い食べ方があるんだ、と誇らしげに答える。
おもしろそうだと、二匹の仲間が獲物をひっさげて件のティラノの後に続いた。
度重なる噴火で、木が無くなってしまったはげ山からはぐわん、ぐわんと熱気があがる。
赤い水がとろりとはげ山のてっぺんから見えてきたらもう一踏ん張りである。
彼等は知らないが、その赤い水はマグマと後に人間が名付けるものである。
マグマに近づくと、三匹とも汗をだらだらと流し腹も空いてきた。
ぐつぐつと煮え立つマグマを見て、これであのステゴザウルスを再現できるだろう、とティラノは、息絶えたトリケラトプスのしっぽを噛みあげ、豪快にマグマに放り込んだ。
ドボンと激しい音と共にトリケラトプスは火口の中へ。
その時の返りマグマを浴びて仲間の一匹が短い恐竜生の幕を閉じた。
激しい音を出し、マグマに沈むトリケラトプス。だが肉が焼けるどころか、骨まで溶けて、原型を残すことなく溶けきってしまった。
すっげぇ、消えた! どうなっているんだ!? と仲間のティラノが大はしゃぎでせっかく取ったプテラノドンを火口に落としたので、沈み切る前に翼を掴み、引きずり上げる。溶けきる寸前の肉から香ばしい香りが漂い、仲間のティラノが再び大はしゃぎをして火口に落ちたので、ティラノは仲間の遺品のプテラノドンを本日のディナーとして、一匹で美味しくいただくことにした。
旨い。
ステゴザウルスとは違い、引き締まった肉の味が楽しめる。今までは食えなくて捨てていた骨も、コリコリと心地良い歯ごたえがする。いわゆる軟骨である。
今まで、食えればなんでも同じだと思っていた恐竜達が、まったく別の味を教えてくれた。先程食べそこねたトリケラトプスはどんな味がしたのだろう。アンキロサウルスは? パキケファロサウルスは? そもそも自分達はどのような味がするのだろうか。
考えつつも咀嚼を止めない。
ふとした違和感が、刺激として舌から脳に伝わる。
旨い、だがしょっぱい。
そのしょっぱさが焼いた肉をさらに昇華させる。
これは何だろうか、と考える。
それは〝涙〟の味だった。
仲間を失った悲しみの味だった。
辛い、だが旨い。
この日、仲間の犠牲の元、味付けを覚えた。
塩味、空腹と言う名の最高の調味料を知ったのだ。
禁断症状がこのティラノを襲うのにそう時間はかからなかった。
肉。
味付き肉。
美味しい美味しいお肉。
食べたい、食べたいと願っては獲物を火口に放り投げ、溶けきる前に引き上げてはわき目もふらずに貪った。
だが塩味が足りない。
悩んだ挙句、何も知らぬ仲間を連れ、火口に落とす。
仲間を失った悲しみの涙を塩味に変え、肉を味わう。
食べたい、もっともっと食べたい!
以下、連鎖が続く。
だがある日、仲間を火口に突き落としても、涙が出なくなってしまった。
涙が、枯れたのだ。
生き物は悲しみに慣れて強くなっていく。そう、このティラノは仲間を失った程度ではもう涙が出なくなってしまったのだ。
これにはティラノも絶望した。どれだけの悲劇にあえば、もう一度あの味付き肉を食べられるのだろうか。
だが、この問題はいとも簡単に解決した。
以前咽喉が渇き、立ち寄った大きな水たまりのことを思い出した。その水がこの涙の味に似ていたのだ。あちらの方がしょっぱい。
あの水に浸せばいいのだ。より濃い味がつけられる。
塩辛い涙の味、それは海である。
早速、海に居たプレシオサウルスの首をへし折り、腹を割って海水に浸した。
そして、運良く近くの山に雷が堕ち、山火事が発生していたので、プレシオサウルスを山火事の中に放りこんだ。
だが、濡れていたため上手く焼ける前に山が鎮火してしまった。
干すか。
濡れているなら乾かせばいい。もう一回プレシオサウルスを捕え、海に着けた後、日の当たる木の上に置き、乾くのを待った。
ただ待っているのも時間がもったいなかったので狩りに出掛けた。
だが、このティラノ、狩りに夢中でプレシオサウルスを干しているのをすっかりと忘れてしまっていた。
二日後に思いだし、慌てて木の上に干しているプレシオサウルスを見てみると、すっかりと干からびていた。
もったいないことをした。意気消沈し、干からびたプレシオサウルスを抱えていると、腐った物とは違う、どこか良い匂いがしているのに気付く。
腹を壊すだろうか? 不安になりつつも匂いにつられ、一口かじってしまう。
味が、無い。
いや。
噛めば噛むほど旨味が湧いて出てくる。
我慢が出来なかった。
噛む。千切る。噛む。噛む。千切る。噛む。噛む。千切る。噛む。千切る。噛む……。
ティラノは、新たな境地、干し肉を覚えた。
そしてそれは、保存食という新たな価値を見出したのだ。
いつしかこの恐竜の欲求は肉を食べることだけになってしまっていた。
煙の近くで燻すことを覚え、スモークを知る。大きく真ん中が窪んだ石に水を入れ、肉を入れマグマにつけることによって焼くよりも優しい味になる煮込みを知り、とにかく色々なんか頑張って蒸すことも知った。
そしてこの恐竜は、食の追求の末、ついに油で揚げることまで知ってしまった。
肉を煮込んだ後の残り汁が冷めると白い固形物が浮き上がる。それを集めて焼くと肉がいつもより良く焼けるのだ。そして焦げ付かない。
ひらめくものがあった。
その固形物を集め、その中に肉を入れ煮込むのだ。後に人はそれを揚げると言う。
バチバチと油が撥ねる。予想だにしない事態にティラノは困惑するが、こんなことに負けてはいられない。尖った骨を使い、肉に火が通ったころあいで突き刺し、引き上げる。
そして食す。
もはや何も語るまい。
揚げた肉の旨さは人間が一番よく知っているのだから。
煮込みを覚えた時点で、塩を作る方法も知っている。
海水を徹底的に煮詰めるのだ。
そして揚げた肉にパラリと撒く。
また一味違う。
だがこれこそこの世で一番旨い物だと、ティラノは確信した。
後年、人間はこれにレモンをかけるのだが、それはまた別の話。
肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉。
肉が食べたい!
肉が食べたーい!
ティラノは生殖行動もそこそこに本能のまま食い漁るのでいつしか仲間からも見放されていた。
それでも構わなかった。この味を知らぬ者達になんと言われようが関係ない。
もしこの美食を邪魔するようならソイツを喰らうまでだ。
一匹でいるのも怖くない。いや、一匹でいるから心の底までこの味を堪能できるのだ。
大笑いし、肉を貪った。
だがそれも過去の話。今では身体が衰え、狩りさえ満足に出来なくなってしまった。
食べたい。肉が、食べたい。
枯れたはずの涙が涎と共に、大地に吸収された。
そんな食べることに至高の喜びを知ってしまったこの哀れな恐竜を見つめる者がいた。
〝神〟だ。
神様はこの恐竜の生き様に、心打たれたのだ。
たらふく焼肉を食べさせてあげよう。
そう思い、神様は早速行動に移った。
『チクシュルーブ・クレーター』
恐竜絶滅に繋がる隕石の衝突した跡のことを、後に人類はこう呼んだ。
【蛇足】
流しそうめんが食べたいと老人は言った。
任せろ、と神が老人の願いを叶えてやった。
『ノアの方舟伝説』
後に人類は神話として崇めた。