君のいた冬〜The another story〜
これは本編『君のいた冬』のアナザーストーリーです。
『第拾五話:想フ人、考エル人。』からの分岐になっておりますので、最初から話を知りたい方は、本編である『君のいた冬』をお読みください。
むしろ、見ないと話がわからないと思います(汗)
それでは、『君のいた冬〜The another story〜をよろしくお願い致します。
考えろ。
貴志はそう言った。
それの意味を考えていた。
考えるだけなら誰だって出来る。
でも、今のオレにはそれすら困難だった。
オレの中には常に桜がいる。
ここまで桜に依存しているのは、おかしいのかもしれない。
だけど、それでもいい。
桜を忘れるよりはマシだと思ったからだ。
人は日々古い記憶を忘れてゆく。
人々の中からだんだん桜が消えてゆく。
それが悲しかった。
桜が生きた証拠がほしかった。
でも、そんなに簡単に見つからず、結局はオレの中にしか桜はいない。
だから、オレに桜以外のことを考える余裕なんかあまりなかった。
さっきの夢を思い出す。
夢は起きるとすぐに消え薄れてしまうものだ。
でも、桜との夢は薄れない。
すべてがすべて、大切な思い出だからだ。
さっきのだって、桜が生きていた時の思い出だ。
オレと桜の関係に『if』はない。
すべて『fact』なのだ。
オレは思い出を美化し続ける。
そうすれば、そうするだけ桜が救われると思った。
いや、オレは救えたんだ、桜を。
なら……今度はオレが救われてもいいんじゃないだろうか。
もうオレに自制心がない。
考える力すらなくなっていた。
言うなれば、まるで性交。
理性がなくなり、ただ果てることしか考えなくなる。
オレは今それに、近い感覚が順延していた。
手にはカッター。
これを手首に切り込みを入れればオレは救われる。
それしか考えなかった。
もうオレの中に貴志や美華、ましてや舞のことすら頭には浮かんでこなかった。
桜に会いたい。
夢ではなくて、桜に触れたい。
桜を感じたい。
カチカチカチッ
その音と共に、カッターの刃が露になる。
使い慣れたカッター。
幾度とオレを切り刻んだ刃物だ。
あとは、少しの痛みに堪えるだけ。
それですべてが救われる。
指に力を入れる。
これで、すべてが…。
カッターの刃を腕にあて、深呼吸する。
決して恐いわけではない。
ただ、自分の体を切り刻むのだ。
それなりの覚悟が必要だ。
それは、何回も繰り返しているオレでも例外ではない。
……。
…………。
…………よし。
オレは決心を固め、もう一度指に力を入れる。
不思議と心臓のが穏やかだった。
今までのことが走馬灯のように過ぎて、思い出される。
桜、オレ悲しかった。
そして、あの時そばにいてやれなかったのが悔しい。
自分が憎いとまで思った。
自分を呪った。
でも、そんなことをしてもぜんぜんこの気持ちは晴れなかった。
今思えば、美華や貴志、舞に迷惑ばっかりかけてたよ。
しかし、それも今日で終わり。
今は皆に感謝してる。
オレがここまで生きてこれたのは皆のおかげだったから。
だから、桜。
もうすぐそばに行くよ。
やっぱりオレ、お前がいないとダメなんだよ。
お前を、桜を忘れられないんだ。
三年前お前が死んで、残されたオレは――――っ!?
ドクン
さっきまで穏やかだった心臓が急に高鳴る。
まるで、オレの言葉を遮るかのようにだ。
「なんで……」
そんな言葉を漏らす。
なぜなら、さっきまで腕にあてられていたカッターの刃が、拒絶するかのように震えだしたからだった。
いくら力を入れても、カッターの刃は一定の距離から近づかない。
拒んでる?
オレが?
『―――考えろよ!』
貴志の言葉がリフレインする。
なぜかは、わからない。
ただ、オレは今まではまらなかったピースがはまったような、そんな感覚だった。
何が恐い。
何を恐れているんだ!
いや、違う。
わかってるんだ、きっと。
恐いんじゃない。
これが答えなんだと。
考えろ、とはオレの気持ちのもっと深い所。
深層心理だ。
表面の気持ちではなく、オレの気持ちの核。
それを、声に出して初めて気付いた。
わかっていたはずなのに、知らないフリをして、気付かないフリをしていたんだ。
知れば、オレの覚悟なんてちっぽけと思ってしまうから。
それが嫌だったんだ。
そして、それに気付いたことによって、オレが死んでからのことを悟ってしまう。
美華や貴志、舞にだってオレと同じ思いをさせることになるんだ。
そして、いつかは皆オレを忘れる。
存在があったのが跡形もなく消え去る。
それがオレの深層心理に大きく打撃をあたえていた。
恐い。
結局恐いんだ。
皆からの記憶にオレがいなくなるのが。
とてつもなく恐い。
手や体の震えが止まらない。
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ―――――嫌だっ!
消えたくない。
助けてくれよ。
誰か、オレを助けてくれよ!!
タカンッ
カッターを床に落とす。
それが、オレには死神の足音と錯覚させ、さらに震え上がらせる。
嫌だ!来るなよっ!!
オレは錯乱した。
部屋の家具という家具を払いのけ、壊し回った。
そして、頭を抱え悶える。
まるで覚醒剤を服用した廃人のよう。
幻覚、幻聴すら聞こえる。
もうオレには救いなどない。
そう思った。
そんな時だった。
「航さんっ!」
そんなオレを、後ろから優しく包んだ存在がいた。
「………み、か…?」
オレは確かめるように名を呟く。
そして、優しく包んだのは美華だったのだろう。
うんうんと、ずっと頷き続けている。
微かだが、泣いていたような気がした。
「……落ち着きましたか?」
そう言って、美華は慣れた手付きでオレにコーヒーを淹れる。
オレはコクリと頷く。
コーヒーには湯気がたち、香りはオレの心は鎮静させる。
今はもう、幻覚も幻聴も聞こえない。
そして、コーヒーに少し口を付ける。
とてつもなく熱かったが、逆にそれがオレをオレと自覚させゆく。
判断力も元にとまではいかないが、戻っているのがわかる。
さっきまで何をやって、何を恐れていたかが鮮明に思い出されていた。
オレはだんだん壊れてゆく。そんな気がする。
崩壊に進む人間の末路は例がいなく廃人。
オレがその仲間になるのも、もう時間の問題なのかもしれない。
重い空気が、更にオレを陥れる。
そんな中、美華がポツリと呟く。
「航さん、またやろうとしてたんですよね」
多分、自殺のことだろう。
美華は床に落ちているカッターに手にとる。
オレは答えることができなかった。
でも、美華は言葉を続ける。
「そんなに、お姉ちゃんが好きですか?なんで、死んでまで会いたいって思えるんですか?」
会いたかった。
でも、今のオレにそんなことをする勇気がない。
自分の覚悟なんて、こんなものと自覚させられる。
オレは、こんなにも小さい。
でも、忘れられるはずないじゃないか。
オレは桜を愛してるんだ。
「正直、最近の航さんを見てたら、私を大切に想ってくれてると思ってました。でも、違ったんですよね。美華を―――冬野桜じゃなくて、冬野美華を見てくれないんですよね」
美華の瞳からは大粒の涙が落ちる。
今まで溜め込んでいたものを、吐き出している。そんな感じだった。
それでも、オレは何も言うことができなかった。
やっぱりオレは、美華を通して桜を見ていたからだと思う。
ただ無言で、オレはうつむく。
「やっぱり、私を見てくれてなかったんですね」
涙は際限なく滴り落ちる。
手のつけられない、硝子のようだった。
触れれば壊れる。前の美華に戻ったような気がした。
いや、戻ったんじゃない。
オレの前では、綺麗な硝子を演じていただけ。
本当はボロボロだったはずなのに、それをオレには隠していただけだったんだ。
表は綺麗な硝子でも、裏までは綺麗にはできなかった。
なんて悲しく、儚いものか。
オレはこんなにもか弱い少女を傷つけていたんだ。
自分で自分を殴りたくなった。
美華の思い苦しみに比べれば、オレの悩みなんて小さく思えてくる。
オレは皆に黙って、逃げようとしていたんだ。
どこへ逃げようと結果は同じなのに。
それが救いだと逃げていた。
今オレは、ただ美華に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
ちゃんと決着着けなきゃ、桜だってオレを迎えてはくれないから。
「…これを最後にします。航さん、私を――冬野桜じゃなくて、冬野美華を見てください。私、待ってますから」
そう美華は言って、泣いて家から出ていった。
「あっ、ちょっ―――美華!」
オレは止めることができず、部屋に独り。
止めようとした時に、とっさに出した左手は、虚しく空を切った。
その左手を見つめる。
手首には無数の傷痕。
これが、美華や舞、貴志の人生を狂わした。
オレはどうすればいい?
貴志が言っていたことの答えがみつかり、美華を追い詰めていたことを知った。
まるで、何もしないまま舞台を降りた俳優のよう。
いや、したのかもしれない。
でも、それは違う演技だった。
それに気付いた。いや、気付かされたんだ。
だから舞台を降りた。
やり通せば、まだよかったのに、オレは早々と降りてしまったんだ。
なんという悪態。
なんという臆病。
どんな卑劣な言葉さえも、今のオレにはお似合いだった。
「……くそっ」
オレは床を思いっきり殴る。
しかし、拳の痛みはオレを救うことはない。
いつしかオレは、目から涙を流していた。
三年前以来、流すことがなかった涙は止まることを知らない。
その際限は、何時間をも越えていた。
少し落ち着き、体をベッドに預ける。
ただボーッと先程つけたテレビを眺めていた。
テレビの中では、最近流行りの芸人が出演していて、会場を笑の渦に巻き込んでいる。
でも、オレには何が面白いのかわからない。
だから眺めているだけ。
チャンネルを変えるのさえ、今のオレにはどうでもいい。
今は考えなきゃいけないから。
本当にオレは誰が好きなんだ。
本当はどうしたい。
何が目的なんだよ。
そんな問いに、オレは答えられない。
「―――最低すぎんだろ、オレ」
己の悪態を呪う。
本当に最低だ。
他人を困らせるだけ困らせて、身を引く。
こんなに無責任な話はない。
ケジメがなさすぎる。
結局、オレはあの時のまま。
何の成長もしていない、ただのガキなんだ。
じゃあどうすればいいんだよ。
オレは…わかんねぇよ!
気が狂いそうだった。
だから自分が自分を抑制する。
理性と言うものは、オレをだんだんと夢見心地へと誘っていった。
桜がいる。
舞も貴志もいる。
みんな幸せそうだった。
互いに笑いあって、バカみたいなやりとり。
それが幸せそうだった。
なぜだろう。
その輪にオレは入っているのに、オレ自身はこれを客観的に見ている。
いうなれば第三者。
それは自分であるはずなのに、制御がきかない。
まるで、誰かの視界を読み取っているかのように。
声すらも出ない。
だから、オレはただ楽しそうな皆を眺めているだけ。
オレと桜が話をしている。
その姿が、とてもじゃないが悲しく、苦しかった。
オレ自身のはずなのに、桜をとられている。そんな感覚だった。
でもなんでだ。
先程から、舞や貴志は視界に入ってこない。
むしろ、オレと桜のことを監視しているかのよう。
オレの意思では動かない。
まるで固定されているカメラのよう。
でも、時々動くカメラには、自身の体も映る。
そこで気付いた。
オレや桜を監視していたカメラ。
それは、美華だったんだ。
美華はずっと見ていたと言っていた。
だから、多分これは美華のビジョンなのだろう。
だからこんなにも苦しく、悲しいのだ。
声をかけたくても、自分はかやの外。
とうてい割り込む隙間なんて存在しない。
美華は、そんな気持ちだったんだ。
オレ達は楽しかった。
でも、それを横目に悲しんでいる人がいたことなんて知るよしもなかった。
これがオレの美華への罪。
そこで、このビジョンは暗転した。
次のビジョンが映された時、目の前には舞がいた。
しかも、大声を出して泣いている。
あの気丈な舞には珍しい姿。
その横には貴志がいる。
貴志もうつむいて、泣くのを我慢しているかのようだった。
なんでだ?
そこで、オレは一つ疑問に思う。
ここには、さっきまで一緒だったはずのオレや桜の姿は見られなかった。
さっきまで幸せそうな四人は二人が欠けた状態で、重く苦しい雰囲気になっている。
なにがあったんだ。
よく見れば、舞と貴志は少しばかり若く感じられた。
すべてが疑問。
現在のことではないのか。
今が夢なのか、現実なのかも掴めない。
ただオレは先程同様、手足は動かず、声もでない。
わかるのは、舞が泣きわめき、貴志が必死に涙を堪えていることだけ。
なんでなんだ。
それ以外わからない。
オレは見れる視界の中で、手がかりを探す。
窓からは強い日光ではなく、月の優しい光が射し込んでいる。
白い部屋。
そして―――ん?
オレはベッドに寝ているらしい。
見覚えはあるが、確実にオレの部屋にあるベッドではない。
そうなるとここは――――病室?
そう、病室だった。
なんでオレが病室にいるんだ?
そんな問いは、誰も答えるはずがない。
だって、オレの声は届いてないのだから。
オレは、ここでもまた独りだった。
さっきのことから言えば、美華の視界なのか?
いや違う。
それならオレもいるはずなんだ。
ならなんで?
「…んで、なんで自殺なんかするのよ!」
舞が叫びだす。
ただ狂ったような声で、ヒステリーに叫んだ。
「アンタもうすぐで死んじゃうとこだったんだよ!?なんでなのよっ!!」
舞は叫び続ける。
自殺?死ぬ?
ならこれはオレなのか?
オレのビジョン。
オレ自身が寝ているから声も出ないし、体も動かない。
ただオレは、それを客観的に見ているだけ。
「舞、もうやめろ。航だって桜が死んで辛かった、逃げたかった―――」
「逃げられるなら、何してもいいって言うの?自殺してもいいって言うの!?」
なだめる貴志に食ってかかる舞。
それに貴志は悲しそうに言葉を続ける。
「そうは言ってないよ。ただ―――航は桜を失って止まり木をなくした鳥のようなんだよ。休憩が出来ない鳥はいずれは力尽きて落ちる。航は、それを自分から降りたんだよ………オレと舞に迷惑がかからないように」
貴志は奥歯を噛み締めていた。
よほど悔しかったのだろう。
オレの自殺を事前に止めることができなかった。
貴志は責任感は強い方だから、責任を感じているのかもしれない。
オレのただ一人の男の幼馴染みとして。
「でも―――迷惑ってなによ。死なれる方がもっと迷惑だわ!親友を一気に二人失うなんて、私には堪えられない!」
そう言って、舞はまた泣き出す。
その舞の背中をさすりながら、ごめん―――と貴志が言う。
そこで、また暗転した。
それまでにわかったのが、残りのオレの罪。
舞と貴志への、償いきれない罪だった。
目を開けてみれば、そこには見覚えのある天井。
体は動くし、声もでる。
夢―――だったのか。
どこからが夢で、どこまでが夢だったのかも見当がつかない。
それでも、夢だったことはわかる。
本当に不思議な夢だった。現実のようで、夢のような感覚。
今でも内容は鮮明に覚えている。
美華や舞、そして貴志への罪。
オレは―――何をやっていたんだ…。
そんなことばかり思っていた。
ふと携帯を見ると、着信が六件も入っていることに気付く。
それは、すべて貴志だった。
急ぎの用事だったのか、着信と着信の間隔が短い。
でも、それに気付かないほどオレは疲れ果てて眠っていたらしい。
そんなことはどうでもいい。
オレは貴志に折り返し電話をすることにした。
ツーツー
電源を入れていないのか、電波がとどかないのかわからないが、貴志の電話は繋がらなかった。
「なんだよ、出ねぇのか」
オレは携帯を放って、またベッドに沈み込む。
見えるのは天井。
音は外を走る車の音が静かに聞こえるだけ。
このままいれば、また眠りにつきそうだった。
そこで、さっきの美華とのやりとりを思い出す。
私を見てください―――か。
そう言って、泣きながら出ていったんだっけ。
やっぱり探した方がいいんだよな。
でも、もしかしたらもう家にいるかもしれないし、無駄なのかな。
さて、どうするか。
オレは天井を見つめながら考える。
しかし、黙っていても答えはみつからず、ただ天井を見上げていた。
ピロピロッピロピロッ
そんな時、携帯の着信音が鳴り響く。
きっと貴志だろう。
カーテンの隙間から外を見るに、美華が出ていってからそんなに時間は経っていない。
まったく、真夜中に着信入れやがって。
文句言ってやる。
そんな軽い気持ちで電話をとる。
『あっ!やっと出たな!』
貴志の開口一番がそれだった。
「出たな!じゃねぇ。何時だと思ってやがんだよ」
オレは半笑いで貴志を怒る。
しかし、貴志の口調には余裕など微塵もなかった。
何かあったのだろうか。
貴志は息が上がり、何かを探しているかのようだった。
『それどこれじゃねぇんだよ!とにかく今お前の家の前まで来てるから、出てこい!』
ツーツー
そこで電話は切られた。
なんだよ。またオレを殴りたいのか?
わけもわからないオレはとりあえず上着を羽織って外に出ることにした。
「……あっ、そうだ」
外に出る前にやり残したことを思い出す。
もしも美華が帰って来たときに、心配しないよう置き手紙くらいは置いてった方がいいだろう。
オレは適当な紙にサラサラと書き上げ、少し最後に言葉を書き足して、分かりやすい場所に貼り、貴志の待つ外に出た。
電話の通り、貴志は外で待っていた。
「よぅ、なんだよまた呼び出したりして。また殴り―――」
「美華ちゃんが大変なんだ!」
オレは、言葉を言い終える前に貴志の言葉で遮られる。
しかし、オレの聞き間違いだろうか。
今、美華が大変だって………。
「落ち着いて聞いてくれよ?」
そんなことを言っている貴志は落ち着いている様子は欠片もない。
オレの肩をガシッと掴み、血相が蒼白に染まっていた。
そんな貴志は、さらに言葉を続ける。
「美華ちゃんがな、美華ちゃんが―――交通事故に遭った……」
……え?
美華が、交通事故?
美華って、あの美華だよな?
オレは言葉が出ない。
足は震え出し、喉が渇く。
なん…で。
「とにかくタクシー捕まえるから、病院行くぞ」
オレは貴志の言われるがまま、貴志と病院へと向かった。
病院についれみれば、美華は集中治療の病室に寝ていた。
変な見たこともない器具が何個も取り付けられている。
そんなことよりも、オレにはさっきまで泣き叫んでいた美華が、今では傷だらけで、ビニールのカーテンの中で寝ていることが信じられなかった。
タクシーの中で貴志にいろいろ聞いていた。
オレの家から出ていってすぐに起きた事故だったとか、衝突したのは乗用車ではなく、トラックだったとかだ。
でも、オレが一番気がかりになっていたのは、他でもない。
トラックの運転手いわく、美華は自分からトラックに衝突してきたかもしれないということだ。
なんでそんなことをしたんだ。
わからない。
なんで美華まで交通事故に遭うんだよ。
訳がわからない。
桜だけじゃなく、なんで美華まで………。
ピッピッ……
心電図はまだ動いている。
手術は終わったのだろう、美華はまだ生きている。
よかった。
それだけが今のオレには救いだった。
桜を失い、同じ事故で美華まで失ったらオレは――――オレはどうしたらいいんだよ。
オレはその場に座り込み、頭を抱える。
そこへ美華を執刀した先生だろうか、部屋に入ってきた。
「冬野美華さんの、お友達ですか?」
白髪の少し太ったドクターだった。
ドクターはオレを一瞥すると、言葉を続ける。
「たった今、ご両親に連絡を入れたのですが、繋がりませんでした。そこで、冬野さんの親しいご友人であると見込んでお話をさせて頂きます。よろしいですね?」
オレと貴志は小さく頷く。
なんでもいい。なんだっていいから、今は少しでも美華の容態を知りたかった。
どんな状況なのか、助かるのか。聞きたいことは山ほどあった。
「ではまず、冬野さんの容態からですね。見ての通り、擦り傷は多いですが、外見上は問題ありませんでした。しかし、内臓―――そうですね、主に心臓にかなりの負荷がかかって、ボロボロの状態になっています」
言葉の意味が読み取れない。
何を言っているのか、理解したくなかった。
桜みたいになるってことなんだろう?
なら、そんなの信じたくないじゃないか!
そんなオレの気持ちを知ってか、ドクターは更にオレに追い討ちをかけるように言葉を続ける。
「今は人工心臓をつけている状態ですが、体の残り体力も僅かです。正直………もってあと二、三時間ほどでしょう」
さすがにドクターも最後は言葉を濁す。
そんなドクターの胸ぐらを、オレは殴るように掴んでいた。
「もってってなんだよ!アンタ医者だろ?なんとか出来ないのかよっ!!」
病室内にオレの声が響く。
今回ばかりは貴志もオレを止めることはない。
それでも医者は気まずそうに、それ以上は何も語らない。
オレはそんなドクターを、揺さぶり続けていた。
「なんとか――――なんとか言ってくれよ!美華は助かるんだよなっ!?」
オレは言い終えると、ドクターの目の前で力なく座り込む。
「―――頼むよ、先生」
それだけがオレの願いだった。
今のオレには願うしか方法がない。
それがとても悔しかった。
美華に助けられて今いるオレは、美華が危ない時に助けられないなんて、悔しいの他でもない。
そんなオレを見かねてか、ドクターは重い口を開く。
「……助かるとすれば――――」
「…っ!?た、助かるの?」
希望の光がそこにはあるような気がした。
地獄が一変、希望の光で満ち溢れているかのようだった。
「…は、はい。今心臓ドナーの提供者を探しています。しかし、あまり期待はしないでください。心臓のドナーはなかなか見つからなくて、入手は極めて困難なんです。ですから………」
そう、ドナーとは内臓や体の一部を提供してくれること。
しかし、これは死亡が確定した時点で決まることなのだ。
故に、こんないいタイミングで死亡する人間なんて早々いない。
いやむしろ、それは人の不幸を望むことでもある。
あまり、人道に沿ったこととは言えないかもしれない。
それでも、それを望むに他ならない。
そうしなければ美華は助かる見込みがないのだから。
なら、誰か助けてやってくれよ。
美華を―――助けてくれ!
自然と涙は溢れ出て、ドクターにしがみつく。
ドクターは困り果てた顔でオレをなだめていた。
そんな中、オレは桜が死んだあの夜を思い出す。
桜の、美華の父親がオレを一瞥した時の目。
美華をよろしく頼む、と言っていたかのようだった。
あっ―――。
「あの、先生。それは誰だっていいんですか?」
オレは涙を拭い、何もなかったかのように立ち上がる。
「え?いや、そう言うわけにもいきません。仮にドナーが出てきたとしても、血液型が一致していること。そして、体がその心臓を受け入れ、適性な心臓であれば、可能性は出てきますよ。と言う話です」
その言葉は、焦っていたオレを頭に血を昇らせた。
なら、いけるじゃんか。
美華を助けるのは他でもない―――オレ自身。
オレの罪だったんだから。
なら、オレは美華を助ける為にどんなことだってやってやる。
そう思って、オレはドクターを突き飛ばし、足早に病室から出ていった。
「あっ、おい航!まさか……待てよ!」
その後を貴志が追いかけてきた。
まだ冬の冷たい空気が、肌に刺さる。
ここは病院の屋上。
オレはそのまま目の前にあるフェンスによじ登る。
そう。美華を助ける最後の希望。
オレ自体がドナーになってやる。
それが償い。
オレが美華へしてきた罪への罰。
こんなことでしか罪を償うことしかできないオレを許してくれ、美華。
屋上から見える景色は闇。
深夜ということもあってか、家々に灯火はあらず、点々とネオンが見えるくらい。
その闇が、地獄へと誘っているかのような錯覚すら覚える。
そこへ―――。
「待てよっ!待て、航」
追いかけてきた貴志がオレの余命を延ばす。
「……なんでお前なんだよ。どうしてそんな極端な考えしか持てないんだよ!」
貴志は必死にオレを止める。
しかし、オレはもう揺るがない。
美華を助けるただ一つの可能性なんだから。
「……美華とオレさ、血液型同じだから」
「そんなの、適性かわかんねぇじゃねぇか!」
「時間がない。違ったら違ったで仕方ない」
ゆっくり、貴志の質問に正確に答える。
「仕方ないで済むか馬鹿野郎!お前あれから何も考えてなかったのかよ!」
考えろ。
それはオレの罪。
残してゆく者に、オレと同じ思いをさせるということ。
気付いていたさ。
でも、だからこそオレは美華を助けたいんだ。
アイツからそれを教わったから。
「貴志や舞には悪かったと思ってる。でも、これが美華への償いだから」
「償いってなんだよ、なぁ?おいっ!!」
「貴志が、言ったことだよ」
オレはそれだけを言うと、正面に向く。
さすがに風は冷たくて強い。そして、少し湿っていたような気がした。
「明日は―――雪でも降るのかな……」
辺りは暗闇。
月には傘がかかり、僅かな星々と一緒に地上を照らす。
それでも救いはここまで届かないのか、屋上から見える地上は漆黒の闇。
灯など一つとしてない。
音も、耳を過ぎる風の音だけ。
静かだった。
そして、もう一度だけ貴志を一瞥する。
「貴志、オレ楽しかったんだ、ここ何年かの間。一生分の幸せ味わえたから――――だからこの心臓は、美華へのプレゼントだ」
「逃げるなっ!逃げるなよ航!待ってくれ」
しかし、オレは首を横にふる。
「美華はオレと共にいたいと願ってた。でも、オレには桜を忘れることなんてできないんだよ。だから貴志、美華をよろしくな」
「じゃあ航、お前が死んで、美華ちゃんが助かったとするよ。そしたら絶対美華ちゃんは悲しむぞ?」
オレは少し微笑む。
大丈夫、美華は強いから。
オレがいなくても、生きていける。
オレとは違うから。
「もういいんだ。もしかしたら疲れたのかもしれない。桜に…桜に会わせてくれよ」
涙が自然と頬を滴る。
際限なく溢れる。
桜、今でも愛してる。
お前じゃなきゃダメなんだ。
今までオレは自分の為だけに死のうと自殺を謀っていた。
でも今回は違うんだ。
お前の妹を助けられる。
いつも助けてもらってばかりだったのが、やっと恩返しできるんだ。
だから、受け入れてくれるかな?
オレは片方の足をかける。
「…生きてくれ、美華」
そう呟いたと思う。
そして、オレは暗闇に身を沈めた。
「くそっ!航ーーーっ!!」
貴志は叫んだ。
暗闇に落ちていったオレを、いつまでも眺めながら。
地面に激突したオレは、未だこの世に居座っていた。
でも、声も出なければ、体も動かない。
あぁ死ぬんだな。と確信できる。
視界が真っ赤に染まる。
頭でもうったのだろう、もう痛みはないにしろ、血が溢れ出てくるのがわかる。
あっ。
そうか、こんなに重症なのにまだ居残っている意味がわかった。
決して閻魔に嫌われているわけではない。
オレの目の前には、愛しくて愛しくてたまらない人物が迎えに来てくれていた。
『なんだ桜、やっぱり迎えに来てくれたんだな。ありがとう』
相変わらず桜は困ったような、それでいて慎ましい笑みを向けてくれている。
ゆっくりと動けないオレに近づいてくる。
一歩一歩確実に縮まる二人の距離。
ついさっきまで遠く、手の届かない存在だった桜が、またオレのもとへ帰ってきた。
それが何とも言えない至福だった。
そして、桜はオレの目の前で立ち止まると、手を差し伸べてくれた。
あぁ桜。オレの桜。
『愛してる』
やっとこの言葉が言えたよ。
ずっと言いたかったのに、言いたかった言葉。
『好き』としか言えなかった。
でも、やっと言えたよ。
桜は優しく微笑む。
その笑顔がオレを救ってくれた。
『――愛してるよ、桜』
それを言ってオレは意識を失い、二度と目覚めることはなかった。
「……先生」
貴志は病室に戻ってくる。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
それを見たドクターは不審に思ったことだろう。
だって、先程まで一緒にいたはずの航の姿が見当たらず、涙を浮かべていたのだから。
「どうなされたんですか?冬野さんのドナーならまだ……」
「違う、航が自ら身を投げた」
「……え?」
ドクターが戸惑うのもわかる。
航が身を投げた。
それを自殺と繋げるには、情報が少なすぎた。
「美華ちゃんの為に、屋上から――――うわぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
貴志は泣き崩れる。
その場に力なく座り込み、泣き叫ぶ。
「そんな、でも……」
「先生っ!病院の入口付近に倒れてる人が!」
そのとき、一人のナースが病室に駆け込んできた。
そう、それが航。
美華の為に身を投げた張本人。
貴志がドクターの白衣にしがみつく。
「頼むよ先生。航の気持ちを使ってやってくれ!アイツがここまでやったんだ、美華ちゃんを助けてやってくれよ!」
頼むは泣きながら訴える。
切実に、そして美華を助かるのを願ってたいた。
だが、医者として簡単に頷けるはずもない。
航をドナーとして使うには許可が必要になってくる。
だから、ドクターは答えることができない。
「と、とにかく、倒れてる人を見てきます。少し時間をください」
そう言って、ドクターは部屋を出ていった。
貴志はうなだれる。
美華のもとへと向かった。
そして、透明のカーテンに触れる。
「航がさ、美華ちゃんを助けたいんだってよ。嬉しいよな?アイツ感謝してたよ、美華ちゃんに。なのに、難しいんだってなぁ……なんでだろうなぁ……」
さらに涙が溢れる。
美華を目の前に泣き崩れ、床を殴る。
悔しさがにじみ出る。
航の気持ちを汲み取りたくても、汲み取れない。
それがどうも悔しかったのだろう。
貴志は床を殴り続け、拳が真っ赤に染まっていた。
ドクターは今運び込まれた遺体を眺める。
それは、頭から血が流れ、腕は逆に曲がってはいるものの、先ほど自分を突き飛ばして病室を出て行った航に間違いなかった。
「君はこんなにもなってまでも彼女を……」
ドクターは航を目の前に感情を抑えきれない。
友を、彼女を思う気持ちがここまで想うなんて、それが医者として出来ることを気づかせた。
「君…」
不意にナースを呼ぶ。
ナースは何かと振り向く。
「オペの準備だ。冬野さんを助けるぞ」
今のドクターには医者の肩書きなど気にはならない。
目の前の患者を治すことだけを考える。
たとえそれが、免許を剥奪されるとしてもだ。
人として、それが人情。そう思ったのだ。
航がしたことに、ドクターを動かした。
オペ中の赤いランプが灯る。
貴志は終わるのを今か今かと待ち望む。
「航、これでよかったんだよな。オレ―――間違ってないんだよな」
うつむき、美華の無事を祈っていた。
「これは、一つの生命が、生命を助けるオペだ。みんな、全力でやってほしい………では、はじめます」
ドクターを助手である何人かのナースが取り囲む。
「「お願いします」」
そう言って、オペが始まった。
「貴志……航と美華は?」
そう言って来たのは舞だった。
貴志からの電話で、駆け付けたのだ。
内容も聞いていた。
だから、舞は取り乱すこともなかった。
しかし、舞の顔はやつれ、隈もできている。
ここ最近、相当疲れているようだった。
「あぁ、航、頑張ってたよ。あと、謝ってた」
貴志の瞳には涙が溜まっている。
今にも崩れそうで、それでも必死に自分を保っていた。
今はそれが精一杯。
舞にはそれしか伝えることが出来なかった。
舞いもそれを察したのか、黙って貴志の隣に座った。
二人はただ、手術が終わるのを待ち続けた。
そのころ、航の心臓は美華の体へと移植されていた。
「頼む、適性でいてくれ。彼の想いを受け止めてくれ」
そう言って、人工心臓から切り替える。
止まっていた心臓は、だんだんとゆっくりだが鮮やかな赤みを帯びてゆく。
「信じられない……」
そう立ち会った一人のナースが声を漏らす。
確かにそこには信じられないことが起こっていた。
血液はきれいに心臓から体内に回り、あたかも元々美華の心臓だったかのように活動を始めた。
「……受け入れてゆく。彼の心臓を、元々体の一部だったかのように―――適性してゆく」
それは長いドクター人生の中でもない奇跡だった。
こんなにも早く体に染み込んでゆくなど、ありえないからだ。
美華は航を受け入れた。
罪を許し、今でも航を愛していた。
それがわかった瞬間だった。
そして、それは手術の成功を意味していた。
「おめでとう。君はこの人のためにも幸せになるんだ」
そう言って、ドクターはメスを置く。
人体の神秘に出会ったドクターは、目の前の奇跡に心の中で頭を下げた。
それから半年が経った。
半年前、トラックと追突した私は今退院したばかりだ。
どうやって助かったのかわからない。
私が目を覚ました時には、もうすべてが終わっていたからだ。
後々からそのことを聞いた。
私が死にそうになっていたこと。
そのために、航さんや貴志さん、舞さんが悲しんでくれたこと。
助けるために、全力で手術を行ってくれた先生。
聞かされたときは、驚きすぎて心臓が止まりそうになった。
まぁ、それは冗談。
でも、嬉しかった。
そして、私が目を覚ました時には皆がそばにいてくれた。
でも、そこには航さんの姿だけはなかった。
なんでも、自分は他人に甘えすぎていた。
だから、皆から距離を置いて、自分を見直しやり直したいと言って、行方がわからなくなったそうだ。
正直聞いたときは悲しかった。
でも、いつか絶対に帰ってくる。私はそう信じてる。
だって航さんだもん。私達のこと忘れることなんて、できるはずないもん。
だから、私はいつまでも待ってる。
それに、まだ航さんにあの答え聞いてないもん。
そして、私はもう一つ貴志さんから話を聞いている。
心臓のドナーのこと。
残念ながら、ドナー提供者の情報は教えてくれないらしいんだけど、私はその姿のわからない人にこれ以上ないくらい感謝してる。
だって、私にもう一度チャンスをくれたんだもん。
私は精一杯生きるよ。
航さんに会いたいもん。
だから、私は航さんのアパートまで来ている。
その部屋が撤去される前に、思い出作っておきたかったから。
私は半年振りにドアの鍵を使う。
「うん、久しぶりって言うのかな、これって」
そう言って、ドアノブを回す。
開けたその奥には、当時のあのまま。そのまま残っていた。
懐かしい、そんな感じがする。
そんでもって、何か暖かなものを感じた。
部屋に入ると、机の上においてある紙を見つける。
「……なんだろ」
なにか書いてある。
字から見るに、航さんの字かな?
私は読んでみることにする。
そこにはこうあった。
『ちょっと出かけてくる。すぐ戻るから、心配しなくていいから。それと、ごめんな』
ドクン
その瞬間涙が溢れ出る。
何でだろう。
私、なにもしてないのに。
なんで涙が出るんだろう。
わからなかった。
でも、私の中でしっかり動くもの。それは優しく、暖かかった。
まるで、そこに航さんがいるかのように。
「航……さん」
止まらない。
際限なく涙が溢れる。
あぁ、そうなんだ。
航さん………。
私は紙を抱きしめる。
わかったよ。
「おかえりなさい――――航さん」
心臓の鼓動が聞こえる。
心の中に、航さんはいたんだ。
私の中に……。
航さんは、お姉ちゃんに会えたんだね。
二人で微笑む航さんとお姉ちゃんがそこにいたような気がした。
〜〜〜Fin〜〜〜
どうもこんにちは。
このたびは、アナザーをお読みくださいまして、ありがとうございます。
この話は、本当を言いますと、本編にするつもり満々だったのですが、変更してこっちにしました。
どうだったでしょうか?面白かったですか?つまらなかったですか?
ご意見のほうお待ちしています。
お暇ならば、よろしくおねがいします。
さて、この話の土台はオルフェウスとユーリディスのお話です。知っている方もいるかな?
神話です。この話に感動して、この作品を作るきっかけになりました。
まぁ、似たり寄ったりですが(笑)ご感想・ご意見お待ちしています。お願いします。
では、またお会いしましょう。ではでは〜