狂宴の始まり
慌しい数日の準備期間の後、パーティは開催された。
会場には初夏に咲いたばかりの百合の花があちこちに生けられ、立食用のテーブルには白いレースのテーブルクロス。そして、その上には国旗に用いられる群青の艶やかな生地が中央に置かれた蜀台の下、控えめにライン状に掛けられている。
普段は日頃の管理が大変であることから裕福さと、毒に反応するとされることから銀の食器を用いるが、今回に於いては黄金の名にちなみ、全て黄金に統一されていた。
それは安っぽい鍍金ではなく、先代国王がいずれ来るオウロの結婚式のために前々から用意されていた本物の黄金が混ぜ込まれた価値の高い品々である。
流石にフロマージュは、この品の使用に待ったを掛けたらしいのだが、オウロとレーチェの熱心な説得の末渋々承諾したらしい。
形式通りのパーティとは一風変わった会場の様子に、招待客らは一様に驚きと感心の入り混じった様子で見渡していた。
「とりあえず、大成功、ですね」
招待客らの反応を会場のテラスから眺めていたミエルが嬉しそうに微笑んだ。
若草色の瞳に合わせた、肩だしのパステルグリーンのドレスが吹き抜ける風に揺れてなんとも涼しげだ。
「そうだね。さすがにオウロ様の名で出した事もあって出席率は高そうだ」
普段のものより幾分も硬い、白を基調とした礼服の襟を正しながら、カカオもまた笑った。
「自分たちも手伝ったせいかな。今回のパーティは普段以上に落ち着かないよ」
「――ええ!ええ!本当にそうですわよね。まだ始まってもいないのに、胸がドキドキ致します」
「ちゃんと、レーチェさんはオウロ様を呪う相手を見つけられるんだろうか。見つけられなかったらどうしようって、不安で仕方がないよ。――ところで、レーチェさん、見なかった?」
カカオが溜め息混じりに尋ねると、ミエルは視線を落とし組んだ両手をもじもじと動かした。
「先ほど、会場の準備を終えられてオウロ様とどこかへ向かわれたのを見かけましたが……」
「オウロ様と、かぁ。でも、オウロ様にはミエルという立派な婚約者がいるわけだし、オウロ様のエスコートじゃ会場内を歩き回るなんて出来ないよね」
「では……カカオがエスコートをなさるおつもりですか?」
カカオがレーチェをエスコートする。
思わぬ意見にカカオは顔を真っ赤にさせ、声を裏返らせた。
「な、何を言っているんだよ。僕があんな可愛らしい子を連れていたら、逆に危険でしょっ!」
カカオは兄の失踪以来、デセール王国の五大貴族の一角、ドルチェ家の次期後継ぎである。
だが、家柄の大きさに比べてカカオはいくらも頼りない事を幼い頃から遊んでいた他の貴族の子息たちは知っている。
以前、ドルチェ領内の屈指の商人の娘が「王国主催のパーティに参加してみたい」とカカオがエスコート役を半ば強引に押し付けられた事があった。
その際、貴族の子息たちはあれよあれよと言う間に彼女を連れ去られてしまった。
カカオは当然阻止しようとしたものの、結局彼らの強気な姿勢に逃げ腰となり、彼女を守りきることができなかった。
以来、その娘とは疎遠になり、町で偶然顔を合わせた際にはそっぽを向かれるようになった。
それから、だろうか。
カカオが親の後をパートナーも無しで歩いているのを、子息らはジッと見つめてほくそ笑んでいるのである。
きっと、誰か女性を伴っていたらまたからかわれ、攫われてしまうだろう。
それで顔を背けられるほど嫌われるくらいなら、常に一人の方がいい。
自分よりも、共に歩く相手がかわいそうでは無いか。
「彼女にパートナーを組んでくれと言われたら、お受け致しますか?」
「それは……まあ、受けるよ。事情を知っていて、エスコート出来る相手は僕しかいないのだろうし」
でも、自信がない。
口が達者で、振る舞いからも自信に満ち溢れた他の子息たちの魔の手から、守り抜く自信が。
口調や振る舞いはややガサツだが、それでも必死にオウロを助けようとしてくれる麗しい魔女と並び立つ自信が。
「では、もし、わたくしが――!」
「――やあ、上から話し声が聞えると思ったら、陛下の婚約者とヘタレカカオが密会か?」
意を決したように何かを告げようとしたミエルの言葉を、不意に男の声が遮った。
振り向けば、金茶の髪の青年が切れ長の青灰色の瞳を細め、柱に背中を預けていた。
「エカイユ……!」
「カラメーロ伯爵、と呼んでもらおうか。貴殿とは違い、既に家督を継いでいるのだからな」
片眉を顰めて嘲笑すると、エカイユはおもむろに髪を掻きあげる。
その表情からも仕草からも、目の前にいる者たちへの圧倒的な優越感が溢れ出していて、それを彼は隠す気さえ無いようだ。
「臆病者で泣き虫で、ドルチェという家柄さえなければ何の取り得も無いくせに、国王陛下に気に入られ、挙句その婚約者と密会するだなんて良いご身分だなぁ。カカオ」
「密会だなんて……!僕は今後のパーティの段取りについてミエルと話していただけです」
「パーティの段取り、ねえ?話では陛下主催のはず。なのに、成金貴族の小娘とヘタレカカオに何が出来るのやら」
「エカイユ、貴方という人は!」
「カラメーロ伯爵、だ。何を柄にも無く熱くなっている。お前みたいな劣等生は柱の影でメソメソしているのがお似合いだ。足手まといにしかならないのだから、表舞台に出て来ないでもらいたいものだな」
怒りに言葉を失うカカオを面白そうに見下し、男は方を竦める。
己が劣等生である事も、足手まといになってばかりなのも、カカオは理解している。
カラメーロ伯爵家も古くからドルチェ伯爵家と並び立つ大貴族の一角であるから、ドルチェのカカオが比較的一国の王に他よりも気に入られているのが気に食わないのも分かる。
だが、ミエルは関係が無いはずだ。
代々貴族の家ではないだけで、どうしてこうも馬鹿にされなければならないのだろう。
「カカオ、いいのです」
エカイユを睨みつけていると、袖を遠慮がちに引く者がいた。
「……慣れていますから」
俯き微笑む幼馴染の少女の顔は引き攣っていて、どう見ても慣れてなんかいなかった。
――嘘吐き。
嫌なら嫌だと怒ればいい。泣けば良い。
助けを求めてくれれば、できるだけの事をしよう、と思う。
けれど、助けを求められないのは、やはり自分が不甲斐無いからだろうか。
「ミエルに謝れ」
左腰に飾られた式典用の剣を引き抜き、エカイユの首元ギリギリに切っ先を止める。
細い白銀の煌きは実技用よりも遥かに軽く、頼りない鈍らだ。
だが、突然の事にエカイユは一瞬目をむき、喉をぎこちなく上下へ動かした。
――デセール王国の姫が行方不明になり、規定の期間までに戻らず葬儀が執り行われた、数年前の冬。そう間を置かずにカカオの兄・テアが家出した。
幸い兄は定期的に両親には手紙を書いていたようだから、死亡扱いはされなかったが、とにかく彼は彼の目的があり、一人前になるまでは家には戻れないのだということだった。
故にカカオは屋敷の中にほぼ缶詰の生活が始まり、覚えることがいっぱいで毎日へとへとだった。
けれど、そんな日々の中、カカオは不思議と剣術の稽古を続けてきた。
強く。もっと、強く。
力を求め、時間があれば剣術の教師を呼んで体を鍛えた。
教師だけでは足りず、王国騎士団長へ師事し、騎士団長の薦めで騎士と兵士たちによる剣術大に特別枠として参加したことは、デセール王国の者たちの記憶に新しい。
予選、一回戦、二回戦、三回戦、準決勝と順調に勝ち進み、そして決勝で――カカオは急にへっぴり腰になり瞬殺された。
それというのも、決勝はそれまでとは異なり、真剣を用いた勝負だったのだ。観客は下手すればどちらかが死ぬ、鬼気迫る戦いを期待していたようだが、残念ながらカカオにその意志はなかった。自分が傷つくのも、相手が怪我をするのも、とんでもない話。真剣ならではの重みに互いの命の重みが合わさり、身動きが出来なくなってしまったのである。
そんな訳でカカオはそれまで以上にデセール王国の笑い者になった。
だが、その影でカカオの躍進ぶりは評価されているのだと、父は笑っていた。
――鈍らの剣を持ったカカオを怒らせるな。
――あれは己の涙で錆つき、がたついた、けれども王国最強の『鈍らの騎士』である、と。
「ふん。脳筋はこれだから困るんだ」
冷や汗を浮かべ、実に憎憎しげにエカイユはそう吐き出した。
「馬鹿はいいな。嫌なことなど簡単に忘れられて。しかも、救いようの無い弱者だから、それすら許容される。……だが、とんだ腑抜けに育ったお前を見たら、亡き姫様はどう思うだろうな?」
――亡き、姫君。
家に飾られた絵画の少女を魔女が王族の姫君であると口に出した日から、姫君について思い出そうと躍起になった。
だが、結局何一つ思い出せない事に気付き、愕然とした。
ただ、思い出せたのは姫の一周忌に「姫は兄であるオウロと非常に仲が良かった。常に一緒だったから、オウロ様もお寂しそうだ」と、どこかの誰かが話しているのを聞いたくらい。
常に一緒と言うのならカカオも参加していたオウロとの交流の場に、いてもおかしくはないのに、何も思い出せない。
それは明らかに異常な記憶の欠落。
異常といえば、オウロやフロマージュ、ミエルと顔馴染みらしいレーチェの事も何も思い出せない事もそうだった。
「……姫様って、レーチェさんの事、か?」
ポツリ、欠けた記憶に可能性のあるかもしれない欠片を無理やりこじつけてみる。
カカオの記憶の欠如の満足のいく理由には足りないが、それでも魔女と出逢ってから始まった何ともいえない歯痒さから逃れる事はできそうだと思えた。
取るに足らない自分への慰め――に終わるはずだった一言に、まず反応したのはミエルだった。
顔を真っ青にし、泣きそうな顔で首を横に振る。
カカオのジャケットの裾を握る手は、ガタガタと震えていた。
「ふざけるなよ、この野郎!」
ミエルの仕草から、彼女の想いを汲み取るより先に、エカイユが目をかっぴらいて咆哮した。
すっかり油断していたカカオはあっという間に距離は詰められ、胸倉を掴まれそのまま、背中がバルコニーの柵にドンとぶつかるまで押し込まれることとなった。
それどころか、上半身が柵を越え、完全にバランスを崩している有様だ。
「まって、エカイユ。危ない!危ないって!」
「カラメーロ伯爵だ!このクソが、よりによってレーチェなんて乳臭い名前と姫を並べるとはどういう了見だ。例え陛下に気に入られていようと、言って良いことと悪い事があるだろう」
「カ、カラメーロ伯爵、そのくらいになさって下さい。……カカオに悪気は無いのです」
「悪気が無くて、どうして姫と姫を殺した容疑者の名前を並べるっていうんだ!」
――容疑者。
思いもよらない言葉に、ぐにゃりと世界が歪む。
意識は遠く離れ、ぽっかりと口を開けた闇に飲まれていくようだった。
「そこまで、でございます」
ぐるぐると回る世界に、涼しげな男の声音が響いた。
「これ以上の揉め事は、陛下の快気祝いの場を乱す事。そうなれば、陛下のお二方の覚えは悪くなりましょう」
少し伸びた漆黒の髪を後ろに撫で付けた、歳若い執事らしき男が表情の欠片すら見せない様子で淡々と語りかければ、エカイユは小さな舌打ちと共にカカオの胸倉を掴んでいた両手を離した。
「陛下も陛下だ。よりによって、姫君の誕生日であり、失踪した今日という日を祝いの席に選ばずとも良かっただろうに……」
恨めしそうにチラリとカカオを一瞥し、今度こそエカイユは去って行った。
「大丈夫ですか」
ミエルが泣きそうな顔で、その場に座り込むカカオへと駆け寄ってきた。
それにぼんやりカカオは返事をし、彼女に差し出された手を取り、立ち上がる。
その時、ギシリ、とカカオの心が軋んだ。
そして、ほんの少しだが、確かにカカオの中の何かが崩れ、溢れ出た。
――違う。
――違う。違う。違う。
こんな世界は、間違っている。
どうしてこうなった。
誰が悪い。
「……はっ」
纏まらない思考は渦を描き、カカオの意志を飲み込んだ。
クスクス、と誰かが笑った。
そして歌うようにカカオに答えるのだ。
――誰が悪い?
――そんなの、決まっている。
――カカオ=ド=ドルチェ。お前だ。
それはあまりに絶望的で、どうしても信じたくなくて、けれど限りなく正解だとカカオは思った。
沈み行く意識の中、ミエルが必死に何かを叫んでいた。
その奥で、姿勢よく立つ執事の瞳が、異様なほど赤々と燃えていた。