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魔女様は有名人2

「ねえ、ちょっと、聞いてるの!?」


 少女の怒号に窓の外の鳥たちが一斉に飛び立った。

「全くもう、しっかりしてよね!関係者としての緊張感が足りないわ」

 隣の一人掛けの椅子に腰掛ける魔女が今にも噛み付きそうな表情で、手の平を握ったり開いたりしている。

「まあまあ、カカオは昨日遠くまで助けを呼びに行って、さぞ疲れたのだろう。大目に見てやろうじゃないか」

 向かいの一人掛けの椅子には、青白い顔のオウロが白いシャツの上からジャケットを肩に羽織って座っている。

 室内にむき出しで設置された白い石の柱が、国花である白百合のレリーフを浮かび上がらせ、ここが王城デコラシオンであることを告げている。

 何だかごわついた自分の瞼の感触と、鈍く痛む足腰。徐々に戻ってくる感覚にカカオは己が眠っていた事を把握した。

「す、すみません。あの、お手数ですが、もう一度お話をしていただけませんか」

 慌てて魔女にペコリと頭を下げると、彼女は鬼の形相で睨みつけてくる。

 緋色の瞳の内には炎が煌き、彼女の周囲にもゴウッと一瞬炎が渦巻く。

 ――ああ、また怒らせてしまった。

 カカオは固く目を瞑り項垂れた。

 王を助けてくれる人間を怒らせるなんて真似、カカオだってしたいはずがない――むしろ、絵画の如く純粋に微笑んで欲しい――のだが、カカオはどうにも彼女の地雷を踏みやすいようだ。

「人が呪いなどの本来あるはずのない異能の力を振るうのは、魔と取引をして得たものらしい。その取引の目的を達成した瞬間、人は魔物という魔の操り人形にされてしまう」

 カカオが萎縮しきっていると、オウロが困ったように微笑んで、そうきりだした。

 するとレーチェは深い溜め息を吐きだして、ドカリと威圧するように椅子へと座り直した。

「人の心は強いから、気持ちを盛り返すなんてことはざらだし、何より欲望を抑える理性を持っているのが人間というものよ。でもね、魔は己の傀儡を生み出すために取り付いた人間の理性を食べてしまうの。そうなっては魔の囁きに逆らう事は難しい。魔は願望をかなえる圧倒的な力――魔法と引き換えに、絶望を求めるわ。絶望なんていらないって思うでしょ。でも、願望を叶えると同時に、人は我に返り、普段理性で必死に抑えていた分だけ絶望するの。そうなれば盟約通り、絶望に満ちた心の器ごと、魔は全てを貰い受ける。魔物は更なる人の心を魔へと献上するため、次からはより単純に人を傷つけ、時には人を喰らうわ」

「……二次被害か」

「そんなとこね。放っておけば、国どころか世界も滅ぶ。……王様の呪いを浄化して、はいおしまい、というわけにはいかないの」

 ま、そもそも呪ってくる相手を特定しなければ、延々王様は呪われ続けるんだけど。

 クスリと笑い、レーチェは不意に声のトーンを落とし「でもね」と続けた。

「二週間もあれば、普通は呪い殺せている。むしろ、魔法を得たのなら殺す事なんて容易いはず。さっさと殺せるのにそれをしないということは、ゆっくり甚振り殺すことこそ願望なのかしら。でも、甚振り殺すにしては王様は昏睡しきっていて、苦しませるのが目的という線も怪しそうね。必死で魔の囁きに抗っているのか、それとも別の狙いがあるのか――」

「いずれにせよ、助けてやらなければならないな」

 苦しげに眉を顰めるオウロに、レーチェはしっかりと頷いた。

「そうね。急がなくてはいけないわ」

 先ほどまでの笑みは消え、魔女の緋色の瞳に強い光が宿る。

 見つめたその横顔は相変わらず妖精のような愛らしさであったが、どこか騎士のような強い精神が滲み出ていた。

 そこに、目を赤く泣き腫らし、震えていた魔女の影はどこにもない。

 けれど、時間が経ってもその目元の赤みはうっすらと残っていて、それに気がついてしまえばどうにも目が離せない。

 何を泣く。

 一人で、何を悩んでいる。

 王族への暴言に後悔しているようには、決して見えなかったのに――。

 ぼんやり、カカオがそう思った時だった。

 ――コンコン。

 ふと、控えめなノック音が重たい空気の満ちた部屋に響く。

 フロマージュ様か!

 ザッと身構えるカカオにオウロは苦笑いすると、「どうぞ」とやってきた者へと返事をする。

 ゆっくりドアが開かれ姿を現したのは、艶やかな蜂蜜色の髪に草原を思わせる瞳の、柔らかな美貌の貴族令嬢。

「ミエル!」

「……まあ、カカオ!久しぶりですわね」

 思わぬ幼馴染の登場に、カカオはソファーから腰を上げて歓迎した。

 対する彼女もまた、両手を合わせ嬉しそうに微笑む。

 ミエル=ド=クレール。

 ドルチェ伯爵領の西隣にあるクレール男爵領の娘として生まれ、幼い頃はよく一緒に遊んだカカオより一つ年下の娘だった。

 だが、優秀な兄が失踪した十年前から、跡取り息子としてカカオに厳しい教育が施されたため、顔を合わせる機会は激減。教育もひと段落した最近では見かけることはあってもどうにも話しづらさを感じ、会話すらしていなかった。

 懐かしい。

 けれど、次第に照れくささが湧き出てきて、カカオは赤くなった頬を掻く。

 ミエルは思い出したかのようにオウロに向かって「失礼します」と会釈をすると、カカオの座る席の隣に腰掛けようとして――ようやく、レーチェの存在に気付いたようだ。

「あ、あの。初めまして。わたくし、ミエルと申します」

「……どうも」

 背もたれの影に隠れるほど小柄な魔女は、今までで一番眉間に深い皺を寄せていた。

「王様、手短にって言ったわよね?始めましてや久しぶりの挨拶のし合い等時間の無駄。さっさと帰らせてもらえるかしら」

「あ、あの、わたくし、客人がいるとも知らずとんだご無礼を……出直して参りますね。ご、ごめんなさい」

「そんな言い方無いじゃないですか――レーチェさん!」

 大きな瞳に今にもあふれ出しそうな涙を浮かべ、走り去ろうとするミエルの肩を片手で引き止め、カカオは魔女を叱るように諌める。

 すると、ミエルはカカオの手を振り払う勢いで、魔女を凝視するではないか。

「レー……チェ?」

「……挨拶は済ませたわ。黙ってて」

 不安げに揺れるミエル表情。

 それは、オウロとも、フロマージュともまた違う、複雑な色を宿していた。

「えっと、ミエルはレーチェさんの事をし――」

「手短に話すために、彼女を呼んだ。……彼女は、私の婚約者だ」

「――は?」

 カカオの問い掛けはオウロとレーチェの声に掻き消され、更にレーチェの机を叩く音によって続きを完全に消失した。

「馬鹿なこと言わないで!クレール男爵家は先代が貧困貴族から位を買い上げた、日の浅い家柄じゃないの。先の国王がよりによって一般人に一目惚れした挙句、側室をもたなかった事で他貴族の反感を買ったのは有名な話でしょ!」

 獣のように咆哮し、一国の王を睨みつけた魔女は、やがて力なく呻き、奥歯を噛み締め震え出す。

「また、反感を買うわ」

 声をかけようとカカオが口を開いた瞬間、先ほどの苦しげな表情を一瞬で仕舞いこみ、魔女は立ち上がる。

「いずれ古くから仕える貴族たちの思惑を完全に足蹴にしていけば心は離れ、国は乱れる。ミエルへの風当たりも強くなる。王様は手足の効かないまつりごとで苦しむでしょう。……これは、何を考えての婚約なの?誰がこの婚約で得をすると言うの?」

 力のない問い掛けに、ミエルは目を逸らし、オウロは――カカオを見た。

「え、なんで僕の方を見るんですか?」

 見えない話の流れにカカオはオロオロと助けを求めて、オウロへ、ミエルへ、レーチェへと視線を彷徨わせる。

 幼馴染のカカオから見ていて、オウロはミエルの事をそこはかとなく他よりも気にかけている事は理解していた。

 自分はミエルが好きだ。結婚したいと思っている、そう即位式を前にしたオウロにハッキリと言われた時は、カカオは驚きの後、心底喜んだものだ。

 ミエルは確かに市民の出の貴族の家柄ではあるが、現クレール男爵でもある彼女の父の貴族についての研究意欲は非常に高く、その働きは他貴族たちの仕事に決して劣る事は無い。

 また、親の背を見て育った彼女自身も他の令嬢との差を埋めようと努力したのだろうか、才女として評判であった。

 人々に分け隔てない愛情を与えようとする優しいオウロと、少しおっちょこちょいだが頑張り屋の幼馴染のミエル。二人はお似合いだったし、何よりオウロが幸せならそれでいいとカカオは思うのだが。

「……十年も、何やってるのよ」

 一国の国王を馬鹿呼ばわりした後、魔女はガックリと肩を落とした。

 けれど、美しい眉を歪ませたその下に煌く緋色の瞳は、これまで見てきた中で、最も優しいもので、カカオは小さく息を飲んだ。

「まあ、その件はわたしが口を出すのは野暮だと思うから、そっちでなんとかして頂戴な。ただ、まあ、ややこしい問題過ぎて、的を絞るのは大変そうね。とりあえず、候補者を一度に集める場が欲しいわね。もしかしたら、何か動きがあるかもだし」

 レーチェは立ち上がったついでと言わんがばかりに自分の座っていた席にミエルを押しやると、自らは近くの壁に背中を預け腕組みをした。

 ミエルはサッと顔色を青褪めさせ、慌てたように手をまごつかせた。しかし、魔女の緋色の瞳に一睨みされ顎で席を示されると、とても申し訳無さそうにしょんぼりと席へと着いた。

 ――気を、使っている?

 カカオはようやく一つ、彼女を知る者たちの共通点に気がついた。

 あの氷のように冷たく頑ななフロマージュが名を知った瞬間に黙り込み、どこかぎこちない彼女に大切な息子を預けた。

 オウロはオウロで、レーチェの暴言に何故かニコニコと微笑み受け入れ、彼女の言葉を極力優先しようとする節々がある……気がする。

 その全てが好意によるものではないだろうが――特にフロマージュはレーチェという名に怯えているようにすら見えた――王や王太后、貴族令嬢まで気を使わせるとなると、彼らの知るレーチェの立場は相当高いような気がしてくる。

「それなら――私の回復祝いパーティ、というのはどうだろう?拘束力はやや弱いように思うが……恐らく、かなり人を集められるはずだ」

「……なるほど。それは手っ取り早そうね」

 パーティと聞いて、魔女はあからさまに顔を顰める。だが、他に良い案が浮かばないのか、ついっと窓の外を眺めた。

「とはいえ、今から準備して何日後に開催出来るのかしら。あまりのんびりはしていられないのよ?」

「……一週間、でどうだろう」

「!!!」

 オウロが期日を口にした瞬間、魔女が慌てたように数歩前に歩み出た。

 何か言おうと口を開いたものの、ふと、瞳にカカオを映すと苦虫を潰したような顔で押し黙る。

「その、日にちをずらすとか、できないの?」

 ややあってから、息を詰まらせて魔女は問いかければ、オウロは何故かとても晴れやかに笑ってみせた。

「残念ながら、それが最速で、最も準備も整う頃合でね」

 魔女はそれを聞くなり、くるりと振り向き強く親指の爪を噛んだ。

 何故だかとても嫌そうだ。

 ――一週間後。

 その日付に、何かあっただろうかとカカオはぼんやり考える。

 すると。

「……オウロ様ったら、人が悪いですわ。でも、では彼女はやはり、あちらの(・・・)のレーチェさんなのですね……」

 カカオの隣に座るミエルが、消え入りそうな声で呟いた。

 ――あちらの(・・・)のレーチェ。

 その言い方ではまるで、レーチェが二人いるようではないか。

「っ!」

 頭が急激に痛み出し、カカオはソファーの肘掛へ倒れ込む。

 閉じた目の奥の暗がりに、何かが浮かび上がってくるのだが、焦点が定まらず輪郭すら危うい。

 ――カラーン、カラーン。

 痛む脳内で、教会の鐘の音が聞こえたような気がした。

 空の棺を埋める白い造花、誰かのすすり泣く声。泣き過ぎて腫れてしまった、赤い目元。

「カカオ」

 ふわりと甘い香りがしたかと思うと、目の前に白銀の長い髪――否、目が眩んで白く見えていただけの深紅の髪が滑り落ちた。

「魔の森の後遺症かしら。顔色が良くないわ」

 赤い魔女はカカオの前髪を指の腹で掻き分けて額に触れると、小さな溜め息を吐き出した。

「仕方が無い。日程や予定は王様の言う通りにしましょう。いつ終わるか知れない話し合いをするよりも、今は早くカカオを家に帰して休ませる事を優先した方が良さそうだわ」

 優しく額を撫でる心地良さに目を閉じる。

 ――ああ、知っている。

 この手の感触を、温もりをカカオは知っている。

 けれど、やはりそれが誰だったのかまでは思い出せない。

 まるで何かに邪魔されているように、記憶は途中で行き止まり、言いようの無い焦燥ばかりを残して消えていく。

 けれど、どこかで今の現状を望む自分がいるせいで、誰かに彼女の事を尋ねようとも思えずにいる。

 踏み込めない。

 踏み込んだ瞬間、きっと自分は今以上に己の情けなさを呪ってしまいそうだから――。

「優しくおなりになりましたわね。レーチェ様」

 ミエルがどこか刺々しく、魔女に向かって言い放つ。

 すると彼女は一度目を丸くした後、寂しそうに笑った。

「わたしが優しいなんて事、あるはずないわ。だってわたしは、生まれながらの魔女なのだから」

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