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魔女様は有名人

 鳥は楽しげに歌を歌い、花は陽の光を浴びて蕾を綻ばせ、風に揺れる。

 空は青く透き通って、それを映す川の水は青く澄み渡る。

 青い稲穂の波のうねり。虫の忙しない声。

 世界はいつも通り――否、いつも以上に輝いて見えた。

 レーチェ=ルーチェ。

 光を冠する魔女の到来は、カカオの世界を急速に鮮やかに彩り出す。

 ――主に、カカオの両親と、屋敷の使用人たちを。

「昨夜はお楽しみだったかな」

 朝、顔を合わせた瞬間に父は鼻息荒く肩を組んできた。

「そんな不躾な物言いはいけませんわ、貴方。……で、首尾はいかがでしたの」

 父を叱りながら、母は両手に拳を作り、真顔で問いかけてくる。

 その背後には使用人たちが「おはようございます。カカオ様」といつも通りの挨拶をしながら、わざわざ足を止めて頭を下げたまま無言でカカオの発言を待っている。

 神童と呼ばれた兄が失踪して十年。

 比べるまでもなく遥かに劣った弟・カカオを後継者として鍛え直す為にカカオは屋敷内にほぼ軟禁状態で教育を受ける他無かった。

 その間、新たな異性との出会いは数えるほどしかなく、また、カカオの臆病な性格上、その異性と親しくなる事はほぼ皆無。

 色恋沙汰の無い次男坊が連れて来た美少女――当然、魔女であるレーチェに他ならない――を紹介した時の周囲の浮き足ぶりは、想像を絶する物であった。

「何も、あるわけないじゃないですか」

 周囲の期待に応えられない歯痒さに、カカオが呻くようにそう答えれば、案の定周囲はかすかな溜め息と共に力んだ肩を落としていく。

「彼女、まだ若いですものね。若い女性を前にがっついてはドン引きされるがオチ。焦りは禁物ですわよ」

 母は無理に引き攣らせ、笑ってみせる。

 だが、その笑みの土台は、どう好意的に見ようとしてもガッカリ顔である。

 カカオは十九歳。

 平和で食料も豊富なデセール王国であっても、その平均寿命は六十に満たない。

 その理由の一つとして、死産や農作物を守るために足を滑らすなどした不慮の事故などが上げられるが、原則、この世界の医療の発達はこの数百年大した進歩もしていない事が最大の問題だと言える。

 むしろ、古い文献の記述が正しければ、以前よりも医療は衰退しているとさえ言われている有様だ。

 その中でカカオの年齢で今だ妻どころか恋人の一人もいないという事は、いささか婚期から遅れ始めていると言っても過言ではない。

 年の近いオウロとミエルの婚約に、口には出さないが彼らは焦っているようなのである。

「そうじゃなくて、そもそも、彼女とはそんな関係じゃ……」

「なんだ、キスもしてないのか」

 母とは正反対に取り繕う気が一欠けらも無い、完全に呆れ顔の父の問い掛けに、カカオが顔を真っ赤にして「してません」と叫べば、皆は失望しきり、逆に背を仰け反らせる有様だった。

 すると、父は額を押さえ、ゆっくりと息を吐き出した。

「じゃあ、父さんがもらっちゃおうかなぁ」

「――貴方!」

「だって、あの子。ほら、そこに飾ってある絵画とそっくりじゃないか」

 母のヒステリックな叫びに片目を閉じ、父は広間に続く通路の壁に飾られた一枚の絵を顎で示す。

 それは、デセール王国の名だたる絵画の賞に輝きながら、表彰台に一度として姿を現さない正体不明の画伯の作品。常日頃暗く重い絵を描き続けた画家にしては珍しい、色鮮やかで思わず見る者たちが目を細めてしまう、『ルーチェ』という題名の作品だった。

 市場最高値を記録した名画となったこの品は、落札こそ父の名義と父の財でされたものだが、実はその絵画を選んだのは他でもないカカオ自身。

 十九の誕生日に、いずれ屋敷を譲るカカオの好きな絵画を一枚飾ってやる。そんな申し出に、カカオが選んだのがその一枚だった。

 アウスレーゼの人気も、名も知らなかった。

 相場だってもちろん、知らなかった。

 だが、その鮮やかな花の中に幸せそうに微笑む、上質な砂糖のような白銀の髪に、高価なガラス玉のような透き通る薄青の瞳の少女を見た瞬間に、とめどなく涙が溢れたのだ。

 そんな絵画の少女とは髪も瞳の色も異なっていたが、確かに、顔立ちが魔女に似ているようにも見えた。

 まるで、画伯はそれこそ十年前の幼い魔女を、知っているかのように――。

「おはようございます。伯爵家の皆様」

 キィと扉を開閉する音の後、燃えるような赤い髪と目の少女がお辞儀をする。

 洗練された無駄の無い動作は、彼女の纏う喪服のような沈んだ色彩や、一介の村娘のようなデザインを忘れさせるほど、上品で艶やかで……皆はそれまでの溜め息とは異なる色を乗せて、ほぅっと息を吐く。

「おはようございます、レーチェさん。朝からお騒がせして申し訳ありません」

「いいえ。わたしも旅の疲れが出たとはいえ、押しかけた客人のくせに寝坊してしまい、申し訳ありません」

 にこりと彼女が微笑めば――父の言葉がカカオの中で重みを増した。

 似ているなんてものではない。

 瓜二つ。まるで鏡に映したようだとカカオは思った。

 だが、その笑みは絵画の色とりどりの花の中に閉じ込めれば、どう足掻いても沈み、決して馴染まない。

 魔女の微笑みには、どこか影が付き纏う。

「さあさあ、皆さん!食事の準備をお願い致しますよ」

 未来の娘――に狙っているらしい――母という女主人の掛け声に、使用人たちは一様に真摯に、しかしどこか浮かれた様子で支度に取り掛かる。

 蜘蛛の子を散らすように通路からカカオとレーチェを残して人がいなくなるのを緋色の眼は確認すると、少女は貴族令嬢顔負けの上品な村娘から魔女へと変貌した。

「全く、朝から何を騒いでいたというの。五月蝿くて二度寝できないじゃない」

 不意に不機嫌な顔になり、恐らく彼女が扉を開けた時に視線が集中していただろう絵画へと視線を滑らせる。

 すると、彼女は眉を一度激しく上下させ、親指の爪を音がするほど強く噛んだのである。

「何よこれ。気持ちが悪い」

 国王や王太后に平気で喧嘩を売るような自信過剰な彼女の事、「あら、わたしに似て可愛らしいじゃない」くらい言いそうだとカカオは予想していた。

 心底憎憎しげに魔女は絵を睨みつける……という行動は予想の斜め上を行き過ぎていた。

 魔女はその色彩からも、ふとした瞬間に見せる力の様子から考えても、恐らくは炎を司る魔女だ。

 彼女の機嫌を損ねれば、下手をすればカカオにとって最高金額となる誕生日プレゼントが燃やされかねない。

 先ほどとは異なる追い詰められた状況に、全身の毛穴から汗が滲み出た。

 初夏だというのに、なんだか寒気までしてしまう。

「アスカル=アウスレーゼという、最近巷を騒がす画伯の、『ルーチェ』という作品なんですよ。これは僕の誕生日プレゼントで、とても大切なもので……」

「……選りすぐりの砂糖の、ルーチェ、ねぇ?ふーん」

 魔女はカカオの必死の弁明に、突然奇妙な言葉を羅列して緋色の瞳で今度は静かに絵画を見つめ直した。

 じっと、瞬きすら忘れてしまったように、彼女は絵に見入る。

「――へえ。あんた、こんな風に笑えたんだね。ルーチェ=シュクレ=ド=デセール」

 突如訪れた静寂にカカオがおろおろと視線を彷徨わせていると、不意に彼女が呟いた。

 ――ルーチェ=シュクレ=ド=デセール。

 それはデセール国王となったオウロが、十年前に喪った妹姫の名前だった。

 どうして、彼女の名前が出てきたのか、カカオには分からない。

 だが、緋色の瞳は暗く、どこか怪しげに煌き、彼女が件の人物に必ずしも良い感情を抱いているわけではないと告げていた。

 だから――。

「あ、あの、だ、駄目です!!」

 今にも絵画に触れようと伸ばされていた魔女の白い手を、カカオは慌てて握り締める。

 魔女に絵画を燃やして欲しくなかった。

 それは嘘偽り無い本当の気持ち。

 だが、それ以上に、カカオは彼女・・彼女・・を傷つける様を見たく無い、と思った。

「カカオはケチね」

 ふんと鼻を鳴らし、魔女はカカオの指の隙間から強引に己の手に自由を取り戻すと軽やかな足音を立てて横を通りすぎていく。

「そんなに大事なら、誰の手も届かない場所へ大事にしまっておけばいいのよ。……例えば、檻にいれて鎖を繋いででも、ね」

 ふわりと揺れる、深紅の長い髪。

 その隙間から緋色の瞳でギロリと睨みつけ、魔女は階段を下り、玄関へと迷う事無く進んでいく。

 恐らく、昨夜両親に頼んでいたドルチェ家の庭園で育てられたハーブを摘みにいくのだろう。

 その後姿が扉の向こうへ消えるのを見送って、カカオは己の緊張を解き、壁へと背を預けた。

 ――魔女の白く滑らかな手の感触を思い出す。

 冷たい肌の温度と、微かに震える指先。

 初夏という季節に凍えるなんて事、気候の良いデセール王国でまずある事出はない。

 ならばあの震えは何なのか、その緋色の瞳の鮮やかさに紛れ、密かに赤く腫れた目元が何を物語るのか――カカオの心臓がドクリと一つ大きく鳴り響く。

 見目麗しく、やろうと思えば礼儀正しく振舞えるだけの教養もある、人智を超える異能の力を持つ彼女が、カカオのように泣くほどのコンプレックスを抱えるようには思えない。

 彼女はカカオの兄や王様と同じ、神に選ばれた人間。生まれつき幸福が約束された人間ように感じられる。

 だからこそ、カカオには理解ができない。

 何故、どうして。何を泣く――。

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