お前は何様?魔女様です2
「何を、するのです……」
カカオが始めて聞く、酷く弱々しい声音で彼女は顔から血の気を引かせる。
見れば、レーチェがスカートのポケットから折りたたみ式の果物ナイフを取り出すところだった。
「何って、魔法に決まっているわ。……薄々気付いているかもしれないけれど、王様のこの黒い鎖の痣は病気でも怪我でもない。――呪いなの。恨み、妬み、怨嗟、憎悪……誰かの負の感情が見えない鎖となって心と体を蝕んで、最悪、死に至る」
「オウロは良い子ですよ!そんな、誰かに恨まれるだなんて……」
「そ、そうですよ。オウロ様は僕のような取るに足らない人間にもとてもお優しい方です。慕われてこそすれ、呪われるだなんて……」
「二人してそう思っていたとしても、現に彼は呪われている。そして、本人が既に二週間も寝込み、気力も体力も無い状態では、わたしが例え呪いを浄化したとしても、浄化した傍から抵抗する間も無く呪いに侵食されてしまうわ。……だから、まずは本人に直接心当たりが無いか、尋ねられるくらいには持ち直してもらわないと」
息を飲むフロマージュとカカオの目の前で、レーチェは果物ナイフを片手にのんびりと一度伸びをして見せると、躊躇う事無く親指を深く切り裂いた。
皮膚の内側からドクドクと溢れてくる赤い水は、指の腹に限界まで溜まると雫となって眠るオウロの唇へポタリと落ちて口内へと流れ込む。
それを緋色の瞳で認めるや否や、レーチェは血が流れ続ける事を厭わずに両手をオウロの心臓の上へそっと構えた。
『彷徨えし魂よ』
一つ息を吸い込む微かな音の後、レーチェはそう言葉を紡ぎ始める。
『赤より紅く 紅より赤い
我はルージュが眷属 炎を司る魔導師也
燃やせ 燃やせ 命の炎
照らせ 照らせ 死の闇
我が紅の灯火を手に 黄泉路を渡れ』
少女はたださえ赤い髪を尚赤く煌かせ、子守唄のような優しさで歌う。
流れ出る血は赤い砂塵となって空気に溶け、オウロの着ている衣類や布団を怪我す事無く消える。
それは魔女と言うにはあまりにも穢れなく、儚い。
いなくなる。
消えてしまう。
恐ろしいはずの、今日会ったばかりの魔女に、何故かカカオは胸は軋みだす。
『――救済の灯火』
カカオの戸惑いを他所に、彼女は最後の呪文を唱え終わり、一つ息を吐き出した。
かと思えば、踵を返しそそくさと今来たばかりの扉へと歩き出すではないか。
「ん」
彼女を引きとめようとカカオとフロマージュが一歩足を踏み出した時、ベッドから掠れた男の声と共に布の擦れる音がした。
ハッとして振り返った二人が目にしたのは、今まさに二週間の眠りから覚める、大切な人の姿。
「オウロ!」
「オウロ様!!」
駆け寄り、そして互いにオウロの右腕を奪い合うように手を伸ばし――青い瞳にひと睨みされカカオが身を仰け反らせる事で決着した――喜びのあまりに涙を滲ませる。
深い深い絶望の二週間は、己の無力さと不安に押しつぶされそうな毎日だった。
その重さの分だけ喜びは大きく、胸はいっぱい。
気分はどうか、どこか痛くないか、何か欲しいものはないか……言いたい事は山ほどあるのに、言葉にならずに二人して震えた。
「……母上、カカオ」
「は、はい!」
「何ですか、オウロ!」
「彼女は?」
母親譲りの青い瞳を扉の前で背を向け立ち止まるレーチェへと向け、開口一番に彼はそう尋ねる。
「え、ええと。彼女は魔女様です」
「魔女様?」
「あの、話せば長いのですが、以前兄から手紙が届いたとオウロ様に――」
「――レーチェです」
連れてきた経緯を話そうとするカカオの傍らから、フロマージュはどこか沈んだ面持ちで俯いた。
名前を教えたところで、オウロの問い掛けの答えになるのか、カカオは首を傾げる。
だが、オウロは己の母とは裏腹にとても嬉しそうに微笑んだ。
「そう、レーチェが私を助けてくれたのか。ありがとう。――それから、おかえり」
「え」
まるで知り合いのような口ぶりに、カカオは目を丸くし後ろを振り返る。
思えば、フロマージュの様子も途中から変だった。
二人は、レーチェを知っている。
でも、だとすれば幼い頃から城を出入りしていたカカオが知らないはずがない。
レーチェ=ルーチェ。
その名をいくら思い返してもあの印象的な赤い髪や目を、その名を思い出すことが出来ないのは、何故だろう。
「……まずは消化の良い食事と白湯から始めるといいわ」
オウロの言葉に振り返る事無く、酷くぶっきらぼうに魔女はドアノブへと手を掛ける。
「小量で回数を多目に、それからちょっとずつ体を動かしておくこと。無理するとまた死に掛けてしまうから、今は体力の回復に努めなさい。……また明日、会いにくるわ」
「ああ、分かった。君の言う通りにしよう。……待っているよ」
クスリ。
オウロの笑みが部屋の空気を揺らす。
そこには、友人であるカカオに向けられる以上の何かが確かに存在していて、けれどもそれが何かをカカオは分からずにいた。
「ええと、では僕も彼女を送らないといけませんので、これで失礼致します」
特に王国に地位もないだろうレーチェを一人城内をふらつかせるべきではない。
再び王家の二人に向き直り、一礼した。
すると頭を下げたその耳に、「あの子から目を離さないで」と小さな――少なくとも扉の前にいるレーチェには聞えない――囁きが擽った。
驚き見た先には、赤い唇を噛み締め、虚空を睨みつける王太妃の姿。
「手厚く持て成してやってくれ」
オウロが母の言葉に添えるように囁く。
それはまるで、大切な宝物を託すように。
「……はい」
得体の知れない居心地の悪さを感じながら、カカオは畏まって一礼すると、既に扉の向こうに消えた赤毛の魔女を追いかける。
徐々に早まる鼓動に一抹の不安を抱えながら。