第一話 不思議な転校生。アリアの気持ち。
新暦二十八年、四月――
レイファルス魔法学院初等部。第三学年スピカクラス。
「はじめまして。オルカ・イヴ・クストです。僕は魔法が使えませんが、訳あって今日からこの学院でお世話になることになりました。よろしくお願いします」
オルカと名乗った少年はそう言い終えるなり、ぺこりとお辞儀をした。そして、オルカは伸びた銀色の髪をフワッと揺らし、下げた頭をゆっくりと持ち上げた。
拍手は無かった。生徒たちは顔を見合わせ、目をパチクリとさせるだけであった。
それもそのはず。魔法が使えない転校生など、このレイファルス魔法学院において――いや、王国中にあるどの魔法学院においても前代未聞の出来事である。
微妙な沈黙が流れ、空気が気まずいものへと変わっていく。
オルカの隣に立った担任のカーチェルは困ったような顔をして、ため息を吐いた。そして、全員に聞こえるように手を強く叩いた。
「ほら皆さん。拍手は?」
カーチェルの問いかけに、生徒たちがハッと我に返ったように目を見開き、慌てて拍手をした。それがいくつも重なり、数秒もしないうちに教室は盛大な拍手に包まれた。
カーチェルはホッとした表情を浮かべ、教室を見回した。
「席は、そうね……」
窓際に座る一人の少女がカーチェルの目に写った。ショートの黒髪とクリッとした藍色の瞳をした少女である。美少女――とまではいかないが、歳相応の可愛らしい顔立ちをしている。
カーチェルは少女に目をやり、大声で名前を呼んだ。
「アリア! アリア・イル・フリーデルト!」
名前を呼ばれた少女は肩をビクつかせ、目を丸くさせた。
(え!? わ、私!?)
「アリア、返事をなさい!」
カーチェルの口調が若干強めに変わる。その変化に気がついたアリアは慌てて返事をした。
「は、はい!」
「全く。相変わらずボーっとしていますね、あなたは」
呆れたようなカーチェルの物言いに、教室中からワッと笑い声が上がる。
アリアは顔を真っ赤にして、しゅんと小さくなった。
(はぅ……。何で笑われる羽目に……)
「オルカ。今返事をした子の隣に座りなさい。そこがあなたの席です」
カーチェルはそう言って、オルカの背中をポンッと軽く叩いて促した。
「はい、わかりました」
オルカは返事をして、ゆっくりと歩き出した。そして、アリアの前まで来てその足を止めた。
アリアは驚いて、オルカの顔を見上げた。綺麗な翡翠色の瞳が、アリアをじっと見つめていた。
(わぁ、とっても綺麗な瞳……。近くで見ると、なんだか吸い込まれそうになる)
「君がアリア?」
オルカがアリアに問いかける。だが、アリアは何も反応を示さなかった。ただ、オルカの瞳をじっと見つめ返している。
オルカは申し訳なさそうな顔をして、首を傾げた。
「あれ、ごめん。名前で呼ばれるの嫌だった?」
オルカがそこまで言ってようやく、アリアは自分がオルカに見惚れていたことや、オルカに誤解を与えていることに気がついた。
(恥ずかしい……思わずじっと見ちゃった。どうしよう。とにかく何か答えないと――)
アリアは慌てて首を横に振って口を開いた。
「ううん。えっと……嫌じゃないよ。アリアって呼んで」
アリアがそう答えると、オルカは安堵の表情を浮かべた。そして、椅子を引き、隣の席に腰掛けた。
「よかった。機嫌を損ねたのかと思ったよ。これからよろしくね」
「う、うん。よろしく。ごめんなさい、私、どんくさくて……」
アリアは恥ずかしそうに俯いた。
そんなアリアの様子に、オルカは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「どんくさい? そんなことないと思うけど」
「うー、そんなことあるもん。いつもみんなからそう言われるし……」
アリアは半べそを掻きながら口を尖らせた。
オルカは首を振った。そして、優しい笑みを浮かべた。
「そんなことないよ。むしろ、君はとっても素敵な女の子だと思うよ、アリア」
「ふぇっ!?」
アリアは今まで以上に顔を真っ赤に染め上げ、素頓狂な声をあげた。
カーチェルがキッと鋭い視線をアリアへと向ける。
「こら! アリア・イル・フリーデルト! 騒がしいですよ!」
「はぅ……ごめんなしゃい」
(怒られた上に噛んだー!? 恥ずかしい、死にたい!)
誰がどう見てもどんくさいことこの上ないアリアであったが、オルカは相変わらず優しい笑みを浮かべていた。
そんなオルカの笑みを見ていると、アリアの心臓がきゅうっと締め付けられるように痛んだ。鼓動も、気付けば速くて大きいものになっていた。
(なんだろう、この気持ち。胸が苦しい。もしかして、私――)
アリアは慌ててオルカから目線を逸らせた。
そう、アリアは恋に落ちていたのだ。それこそ、目も合わせられないほどに。
それから、四年後──
「アリア」
聞きなれた声がアリアの耳に響く。アリアは瞼をゆっくりと開いた。
視界いっぱいに海原が広がり、潮の匂いが鼻先をかすめた。
アリアは声のした方に振り返った。そこに立っていたのはオルカであった。銀色の髪と身に纏った真っ黒のローブが風に揺れている。
アリアとオルカは船に乗っていた。学院の用意した魔動力小型船である。
「どうしたんだ、ボーっとして?」
心配そうな顔をするオルカに対し、アリアはにっこりと微笑んだ。
「ちょっと、昔のことを思い出してたの」
「昔のこと?」
オルカは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「そうだよ。オルカと初めて合った時のことをね」
アリアはそう言って、船縁にもたれ掛り、船の進行方向へと顔を向けた。
オルカはアリアの視線を追うように、海原を見やった。
「あぁ、俺が転校してきた時のことか。懐かしいね」
「うん」
アリアは相づちを打って、横目でちらりとオルカの姿を見やった。
(……オルカ、少し大人っぽくなった)
アリアと同じくらい低かったオルカの身長は頭一つ分高くなり、高く子供っぽかった声は少しだけ低く、落ち着いたものになっていた。
アリアの視線に気づいたオルカは、笑顔を返した。
アリアの頬がボッと赤く染まる。アリアは咄嗟に下を向き、視線を逸らせた。
(はぅ……。オルカの笑顔を見てるとドキドキしちゃう。どうしよう、やっぱり言えそうにないよ……)
アリアは困っていた。
実は今日、オルカに告白するつもりでいたのである。
(本当は朝言おうと思ってたのに、気づけば言えないままクエストの時間になっちゃったよ……)
アリアは自分の不甲斐なさにため息を吐いた。
だが、すぐにそんなマイナス思考を否定するように大きく頭を振った。
(だめだ、ちゃんと気持ちを切り替えよう。ここで話を切り出せなかったら、ずっと言えない気がする。私はどうしようもなくオルカのことが好きなんだもん。もう気持ちを抑えておくことができないよ。言うしか……ない!)
アリアは大きく深呼吸をした。そして、意を決し、ゆっくりと口を開いた。
「……ねぇ、オルカ」
「ん、なんだ?」
「あの、えっと……うぅ……」
そこでアリアは口を噤んでしまった。
「――――?」
オルカがキョトンとした表情を浮かべる。
アリアは再度深呼吸をした。そして、胸元でぎゅっと拳を握りしめた。
(大丈夫。今日のために年単位で計画を立ててきたんじゃない。台詞も何万回と練習してきた。あらゆるパターンの障害にも対策を練った。今必要なのは小さな勇気。がんばれ、私!)
アリアは目を瞑り、声を張り上げた。
「学院に戻ったら…………だだだ、大事な話があるんらけろ!」
そして、盛大に噛んだ。
(私のアホー!? どうしていつも舌が回らないのー!?)
二重の意味で恥ずかしさに耐えられず、アリアはずっと目を瞑ったまま開くことができなくなった。仕方なく、そのままオルカの返事を待った。
しかし――
(……あれ? オルカ、無反応なんだけど……私、ちゃんと言えてたよね?)
いつまで待っても反応が返ってこないため、アリアは恐る恐る目を開いた。
すると、顔を真っ赤に染めたオルカが口をパクパクさせながら硬直していた。
「オルカ……大丈夫?」
心配になり、下から覗き込むようにオルカの顔色をうかがった。
すると突然、オルカがハッと我に返った。
「だ、大丈夫だよ! なんでもない!」
「本当に? じゃあ、さっきの話……帰ったらちゃんと聞いてくれる?」
「あぁ。学院に帰ったらな」
「よかった。ありがとう、オルカ」
あからさまにオルカの様子がおかしかったが、とりあえず無事約束を取り付けられたことにアリアはホッと胸をなでおろした。
そんな時、ふと地平線の彼方に島の影が浮かび上がった。
「あ、見えてきたよ」
「あれがアーデルベルク島か」
人も魔獣も住まない完全なる無人島、アーデルベルク。そこが二人の目的地であった。
魔法学院特有の教育カリキュラムの一つ、クエスト。ミッション形式の実践型トレーニング。今回二人のクエスト内容は、アーデルベルク島にて山薔薇を一輪採集してくるというものであった。
「それにしても、なんでアーデルベルクなんだろ……。いくらクエストとはいっても、ちょっと遠すぎるよ」
アリアは頬を膨らませてそう言った。
時刻は午後三時。移動を始めてから二時間近く経過していたのだ。春からいくつかのクエストをこなしてきた二人だったが、移動にこれだけ時間がかかったのは初めてのことであった。
「まぁクエストの場所や内容はランダムだし、文句を言っても仕方ないよ」
「それはわかってるんだけど……」
(帰ったらオルカに好きだって伝えるんだもん。早く帰りたいよ……)
アリアはふぅ、と短いため息を吐いた。
「ほら、もう十分もしないうちに着いちゃうよ。そろそろ上陸の準備をしよう」
「大丈夫、私はいつでも準備万端だよ!」
アリアは得意げに、愛用の救急用医療ポーチを持って見せた。
オルカはそんなアリアの様子を見てニッコリと微笑み、用意してきた大剣を背中に背負った。
「よし、行こうか」
この時の二人はまだ知らない。
これから、自分たちの運命が大きく変わっていくことなど――