蝶の正体
池田屋事件が幕を閉じ、新選組は大手柄だ。
カンナは池田屋で何人もの人を斬った。
刀は瞬く間に血に染まり、血を吸った。
人を斬るというものは、殺すというものは気持ちの良いものではない。
しかし、斬らねばならなかった。
そういう状況にあったのである。
今、カンナは池田屋から出た。
討ち入りのあったこの宿は酷い有様だ。
障子が破れ、血しぶきの痕を残しているのは勿論のこと、宿内は
死人の山で溢れ、刀傷が壁に刻まれている。
更に、勝手場の飲み水はあかく染まり飲めたものではない。
こんな幕末の時代であるが故にこのような光景がある。
カンナはその光景を目に刻みこんだ。
忘れてしまいたくは無かったのだ。忘れてしまっては、勇敢に戦い続けた者が
浮かばれぬ。そう感じた。
カンナは血に濡れた刀の剣先を真っ直ぐと空へ向け、池田屋に掲げる。
そんなカンナを土方歳三はただひとり見ていた。
刀を掲げるカンナは歳三の目に美しく映った。
刀を振っても尚乱れぬ結い上げた金の髪、そして意志の強さを含む金色の瞳、
哀しげな横顔が朝日に照らされ、数段艶やかになる。
血で赤くなった姿は鬼の姫とも言えるまでの強さと美しさ、それから
武士の誇りがそこにはあった。
歳三は息を飲んだ。
それほどまでにカンナの放つオーラは偉大であった。
カンナが刀を下ろし、ため息が口から出た時、
歳三はふと疑問を口にした。
「お前、ここに居るのは俺に会うためだと言ったな。
何故だ。」
「貴方を尊敬しているから。・・・」
歳三は、また恋か・・と思ってしまう。
しかし、カンナの話はまだ続いていた。
「私は、確かめたかった。貴方がどんな人で、どんな風に仕事をこなしているか。
噂なんかじゃなくてこの目で確かめたかった。」
カンナにとって、確かに歳三は尊敬に値する人物だったが、歳三の
性格や趣味、仕事は正確には現代に残されてはいない。
故に自分で確かめなければ、納得がいかぬのだ。
「何故、この池田屋に出入りしていた?」
質問攻めであるが、特に嘘を吐く必要もなく、淡々と応える。
「無理矢理連れてこられて、でも、じきに貴方がここに来ると思ったから。
・・・ここで、隊士の方に会合の事を知らせたのだけど、
伝わらなかったみたいね。」
「全く知らねぇ女を信じるわけねぇだろ。」
カンナの伝言は確かに伝わっていたが、信じてもらえなかったということだった。
カンナは思った。これは、当たり前ではないか。
・・・ひとを一番信じていないのは自分ではないのか。
自分がひとを信じていないのに、自分に対しての信頼を求めるのは
間違いではないか。
「・・・そうね。」
「あぁ・・・。まぁ、とりあえずお前の話をもっと聞きたい。
だが、そっちも色々と用事があるだろ。今日は良く寝て、明日中に新選組屯所に
来い。俺が居ないようなら、誰か幹部が居るはずだからそいつに頼んで待たせてもらえ。」
歳三の申し出はカンナにとって嬉しいものだった。
しかし、少し困ることがあった。
金は無いし、着物もこの血で汚れたものしかない。
つまり、泊まる宿も無ければ、着るものもない。
「・・・は・・い。」
これはどうにかするしかないだろう。
こんな治安の悪い京で野宿なんてしてしまえば、何が起こるか分からない。
そして明日までに着物を調達しなければ新選組屯所になど行けそうにない。
カンナは新選組から離れ、朝日が照らす道を歩いた。
・・・カンナとしては、小学校の劇やら演技などは好まなかったのだが。
カンナは人の良さそうな女性が入っていった茶屋に目を付ける。
そして、バンバンと戸を叩き・・・
「お願い!・・ったすけて!!誰か!!!!」
なかなかの演技だ。
これならば、だれも疑いはしないだろう。
カンナの取り乱した声と行動に、さっきの女性が急いで出て来て、
カンナの両肩をつかんだ。
「あんた、どしたん!?・・・っとりあえず、入りぃ。」
カンナは女性に守られるようにして家の中へ上がった。
・・・これがカンナの取った一番手っ取り早い方法だ。
カンナは、小さく息を吐いた。