舞い込んだ蝶 其の弐
カンナは、太く男らしい声を聴いた。
「新選組だ!!!宿内を改める!!」
口元は緩むばかりである。
カンナは心を弾ませていた。
なぜなら、とうとう会いたかった人物と対面することが出来るからであった。
浪士たちは、新選組のかけ声ですっかり酔いが覚めてしまったらしく、
皆刀を手に立ち上がり、ある浪士は二階である窓から飛び降り、またある浪士は
勇敢に立ち向かってゆく。
部屋の外へ出て行くと、そこはもう地獄絵図のように恐ろしく血で染まっていた。
血のりなんぞではなく、紛れもなく本物である。
むせかえるぐらいに濃く漂う匂いにをかいだことのないカンナは胃から上がってきた
ものをぐっとこらえた。
何人もの人間が、犯罪と言われる殺人を平気で行っている。
変な感覚である。 しかし、自然と恐怖は湧いてこなかった。
カンナの心に湧いてくるのは、哀しいという感情だけだった。
現代では、哀しいと言うよりも醜いという言葉の似合う人間が多かったが、
この幕末の時代は、哀しい者ばかりであると。
カンナには、人を斬るときの目が泣いているようにしか見えなかった。
皆、同じ目をしている。
現代には、歴史が面白い。だとか、武士はかっこいいなどと軽口をたたくものが
居るが、武士とは歴史とはそんなに軽いものではない。
酷く辛くて重いものなのだ。
この時代では、刀を振るう者皆、殺したという罪悪感を背負って生きている。
ならば、その罪悪感の重さを少しでも軽くしてやりたい。
カンナはそう思ってしまう。
ゆっくりと手元の刀を抜き、なかなか出なかった足を前へ出した。
カンナは、彼女を仲間だと思っていた浪士を思いっきり斬りつけた。
血しぶきが上がり、新品の着物に染みる。
人を斬ることに、少々ためらいは有ったが、一度斬ってしまえばそうでも無くなってしまった。
冷たい人間だとカンナは自分で思う。
しかし、カンナはどんどんと浪士を斬っていく。
彼女の瞳に暖かみなどありはしない。
冷たいが、それでも尚美しい瞳がそこにはあった。
・・・ー
「総司!!しっかりしろ!総司!!!」
突如、心配するような哀しい声が響き渡った。
カンナは、本で読んだことがあった。
新選組1番隊組長沖田総司は池田屋事件の最中、喀血し倒れたのだと。
助けなければととっさに沖田の元へと駆けた。
声のする方へ行ってみれば、浪士の死体が床を埋めていたが、その中に
一人だけ浅葱色の羽織を羽織った若い男が倒れていた。
彼の手が血で染まっている。
喀血する際、手で口を覆ったのだろう。
・・・となれば、あれは確実に沖田である。
近くには、何度も何度も沖田の名を呼ぶ大柄の男が彼を守るように立ちはだかっている。
見たところ、年齢的に新選組局長である近藤勇だろう。
「局長ですよね。沖田さんはあたしがしっかりと外まで運びます。
避けてはもらえないでしょうか?」
カンナは、斬られるという最悪の場合も想定して向かった。
「し・・しかし!」
「お願い。あたしを信じて。あたしが沖田さんを守ってみせる!」
近藤も考えてる暇なんて無い。
沖田も、ずっとここに倒れていては、浪士に不意を突かれ斬られてしまう。
「・・っわかった!!任せたぞ!!」
「はい!!!」
カンナは、沖田を担いで引きずる。
沖田が若く20代だとしても、もう男であって身体も大きく、重い。
女にはきつい仕事だ。
それでも、浪士を斬りつけながら必死に出口へと向かって歩いた。
自然と汗が滲み出し、息が上がる。
しかし、気にする暇など何処にもなかった。
カンナはただ、皆が無事で会って欲しいと願うばかりだ。
面識もない人たちに入れ込むなど珍しいとカンナはつくづく思う。
ようやく池田屋をでたところ、カンナは驚いた。
最初から来ていると思っていた隊士達が居ないのだ。
だとすると、今現在ここではカンナを含め、新選組は11人ということになる。
カンナの知る歴史では、確かに今と変わらぬ状況なのだが、
彼女は池田屋であると事前に知らせたはずである。
何故来ていないのか。
そして、経った今戦っているのはわずか6人だ。
カンナ、沖田、それから今頃は3人の隊士が怪我を負って動けないはずである。
あと、どれくらいで応援はやってくるだろうかと
沖田の様子を確認しながら待っていた。