旅準備
花町 早朝
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「あら。 敢菜はんやないですの。
ほんに久しぶりやなぁ。いつぶりやろか。」
カンナは幾松のところへとやってきた。
「桂はんはしばらく、お顔みてへんわ。」
幾松は眉を下げた。
「そう。」
「... ...なんや、決意したようなお顔してはんなぁ、敢菜はん。」
幾松は、座敷に出てひとの相手をしているのもあってか、変化には鋭かった。
「玄瑞に会いに行こうと思ってさ。」
「あぁ、久坂はん。 懐かしいなぁ。 よう覚えてます。あのひと、お歌詠みますやろ。
皆でここに来ては、酔わはったお仲間に即興のお歌せがまれてな、
いやいやと言わはりながらも、澄んだお声で朗々と美しいお歌詠われはって。
久坂はんはお声も綺麗やし、大きく男らしゅうて、それでもっておなごに優しゅうおひとやったさかい、芸子の間でも人気で、惚れ込んでるおなごもようおりました。」
カンナは裏表のなかった久坂の柔軟な声ともの言いを思い出し、自然と笑みが漏れる。
「昔から、相変わらずか。」
「今日は、幾松さんと桂に少しの別れを言いに来ただけなんだ。
良い話も聞けたし、そろそろ失礼するよ。 元気で。」
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幾松と別れ、カンナはとっくに焼け野原となった鷹司邸跡へと足を運んだ。
数年経っても、地に緑は見えない。 ただ乾いた土が風で舞っている。
その様は砂漠によく似ていた。
鷹司邸のあった場所がはっきりと見てとれる。
炎で燃え切らなかった頑丈な柱が細くなってそこに倒れていたのだ。
カンナは思い出し、辿って歩く。
入り口を通って、廊下に入り、そして向かって右の3番目の部屋の中央に久坂がいた。
久坂の近くには、とうに首を失った武士の体がまだ生きているかのように座っていたか。
久坂の長い大刀はその者の血で濡れ、久坂の前に乱れなく在った。
残酷な光景ではあるが、それを思わせないほど武士として誇り高く、
美しい久坂の姿をカンナは目の前に感じた。
いつの間にか数年前の光景に、カンナの五感は奪われていた。
血の紅に刀の鈍い光。土埃と焼けた死体の匂い。
全力で走り続けてきた足は膝をついてしまう寸前で震えている。
炎の激しく怒り狂った音、遠くから聞こえる敗者と勝者の雄叫び。
久坂の大量の血を見て無意識に唇をかんだ。
カンナは戸惑った。
当時は久坂しか目に入っていなかった筈なのに、見えていなかった何もかもが今見えている。
カンナは恐れていた。 時代を遡ってやってきた自分だ。時間をも遡ったのではないか、と。
とたんに息が出来なくなった。 ぐったりと前倒れになっていた久坂が
静かに顔を上げて酷く傷ついた目でカンナを見て、涙をながしていた。
とうとうカンナの足は限界に達し、渇いた土の上に座り込んだ。
同時に目の前のものは全て塵になって消え去り、後には何も残っては居なかった。
引き留めるように土を握るが、いとも簡単に手からこぼれ落ちていく。
その土を見ながら、カンナは細い声で一人詠う。
「『時鳥 血に啼く声は 有明の 月より他に 知る人ぞ無き』」
カンナは漸く、その本当の意味を知った。
嘆きでも、憎しみでもない。 そこにあったのは、強い希望と願望だった。
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暫く足は言うことをきかない。
しかし、カンナは刀を杖にして立とうとする。
そんな時、不意に思い出したのはこの刀との出会いだ。
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「トシ、これが良い。」
一際、目立っていた刀をカンナは一目で気に入った。
他のよりも重く、ずっしりと構えた頑固そうな刀である。
「お前にゃ無理だ。重すぎて扱えやしねぇよ。
しかもこりゃ、、、」
「虎徹。完璧な本物だよ。」
土方は懐を確かめた。
「これをくれ。・・・ったく、お前は目の良いやつだよ。近藤さんと違ってな。」
新選組局長である近藤は新しかった刀を腰にさして屯所を歩き回ったことがあった。
それを虎徹だと大きく言って。
しかし、目利きの者にはわかっていただろう。
それが虎徹でも、名刀でもないことを。
土方は、近藤が虎徹と言えばそうなるし、
そうではないと言えば価値のないものになると言った。
つまりは、腕次第ということだ。
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カンナは力の入らない足に力を入れるが、
入るわけもなく、虎徹に覆い被さるようにして倒れた。
「酷い様だねえ。 手を貸そうか?」
突然気配もなく現れた男はカンナの腕に手をかけた。
「桂...。 なんでここに?」
「なんでって...。 古い仲間に会いにさ。君と同じさ。 義助だろう?」
桂はカンナに肩を貸し、移動する。
恐らく、どこか宿にでも移動するのだろう。
「ちょうど良かった。
もう、京を出たかと思った。 実は、幾松に聞いて探していたんだ。
私も一度萩に戻るつもりだったから。」
「京で逃げ続けるのがつらくなったのか?」
桂は目を瞬いた。 そのようなことは、カンナも分かっているはずだと知っていたから。
「いーや。 会いたい奴がいるのさ。
それで最期になるやもしれんがな。」
カンナは見逃さなかった。
桂の瞳の中に、覚悟の念が確かに存在していたこと。
「ついて行ってもいいか?」
カンナの唐突な願い出だ。
「もともとそのつもりさ。 萩までどころか、長崎までな。」
「長崎? さすがにそんなところまで行くつもりはないぞ。
萩までで勘弁してくれ。」
「長崎で、君のすべき事がある。 そう、坂本は言った。
俺に敢菜を長崎のグラバー邸へ連れていってくれってね。 それ以外は何も聞いちゃいないが、
なにか覚えがあるか?」
不意に出された坂本の名。
しかも、カンナがトーマス・グラバーの実の孫にあたるのを坂本が見抜いていたかのようなのだ。
カンナは酷く動揺したが、桂はそれに触れることはしなかった。
「ぁ...あるよ。」
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町はずれの宿
「そういえば君、新選組を離隊したんだろう?」
桂は杯を傾けながら確認をとる。
「あぁ。だから、今の俺にあんたをどうこうする権利はない。 安心してくれ。」
「わかっているさ。 もういっそ、こちら側へ来るのでもいいけど。」
桂も、カンナもそんなつもりがないとわかっている。
「考えとく。」
カンナはじゃれ合うのを楽しむように笑って、良い酒の香りを吸い込んだ。
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翌朝
「さて、行こうか。」
桂とカンナは最小限の荷物を持って、宿を出た。
空は清々しく澄みわたり、足取りを軽くしてくれる。カンナは、もう京をでる気でいたが、桂はそれに反し町のほうへと足を向けた。
「どこへいく?こっちじゃないのか?」
「用事があるのさ。 つき合ってくれ。」
カンナは眉間にしわを寄せ、乱暴にため息をついた。内心、カンナは焦っているのだ。
早く戻ってこなければ、あっという間に戊辰戦争のはじまりである鳥羽・伏見の戦いが過ぎ去って、皆北上していってしまうだろうとわかっていたから。
仕方なく、カンナは桂のあとを走って追いかけた。
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カンナは面倒なことになったと色とりどりの女の着物から目をそらす。
「そうだな...。 金髪金眼にはどんな色が似合うものか。」
桂はひとりで着物をカンナにあわせている。
「いらないって。このままが一番動きやすいんだ。」
「異人の容姿をした新選組隊士はかなり知れ渡っている。攘夷志士に襲われて戦うのもめんどうだし、それに私が新選組隊士と共にしているとなると、仲間の信用を失う。
すべて互いのためだ。ただの贈り物と勘違いだけはしてほしくないね。」
「誰が勘違いなんてするか。馬鹿者。」
そんな会話をしている間に桂は手に取っている着物に決めたらしく、出会ったときと同じように店の者を呼びつけカンナに着物を着せさせた。
カンナにとっては何時になっても窮屈で好かないものではあたったが、そこはやはり女で、着物を着れば
仕草やしゃべり方も女らしくなる。 背中にくくりつけた虎徹は相変わらずだが。
「...行くか。しっかりついてくるんだ。」
カンナが着物を着付けて貰っている間に金を払ってしまった桂は、他にも買った着物を持って
カンナが出てくるとすぐに店を出た。
同じ場所に長居が出来ない。逃げの小五郎と呼ばれてきた桂の癖である。
「まったく、どうしてもうちょっとゆったりとできないの?」
カンナは小走りで追いかけ桂の右斜め後ろを歩く。
「建物の中は身を隠すのに楽だが、逃げ道がないだろう。
どうしてそんな危険なところに長居できる?」
「は?じゃあ、道中、夜はどうするの?」
「萩までだったら信頼出来る宿が2つある。」
カンナでもわかる。京から萩まで2、3日程度ではつかないということ。
「あとは野宿?こんな物騒な世の中で?」
「あぁ。君の剣の筋もなかなかと義助から聞いたことがある。大丈夫だろう。」
「少しは女子を労れ。」
「女子か。はて、そんな可愛らしいものはどこにいただろう。」
この日、桂とカンナは第一の目的地、萩を目指し歩を進めた。