濁流
カンナは、真新しい刀を腰に携えて、京の街を歩いていた。
土方に高い値を要求したのは、カンナにとって仕方のないことであった。
刀との相性は、金の価値には代え難いもので、それをカンナも土方もよく知っていた。
腰にピッタリとくっついている刀は、以前の和泉守兼定とは重みも刃の様子も全く違った。
和泉守兼定も比較的重く刃は鋭かった。
この刀はさらにずっしりと重くはあるが、反りはしなやかで刃の鋭さも放つ気も兼定には劣らず。
気高く気難しく頑固だが、義に篤い。
カンナにはわかっていた。
自分が刀を選んだのではなく、刀が自分を選んだのだということを。
カンナは、機嫌が良く、鼻歌を歌いながら途方もなく京の街を歩いた。
少しずつ慣れて、仲良くなった京の住民に話しかけられながら、京の空気をいっぱいに吸う。
そして、ちょうど、日が落ちかけてきた頃だ。
場所は大きな屋敷の塀の陰だった。
「そこのあんた。」
「・・・・・・」
カンナは刀の柄に手を掛けた。
相手に戦う気はないとわかっていながら。
「今更、改心でもしようってかい?」
カンナは嘲笑う。
「そんなことぁ、思っちゃいねぇさぁ。」
それを聞いてカンナはつめていた息を吐いてその男を振り返る。
「そうか。安心した。
その意地っ張り。やっぱ岡田以蔵か。」
「意地っ張りたぁ、酷い言いようだ。
こちとら、あんたの言う黄昏時に来てやったっていうのにな。」
岡田の何かが変わっていた。
狂気が剥がれ落ちている。
そして、目の向こうに力の弱った蒼い炎が見える。
「どうして、黄昏時に、それも俺の所にきたんだ?」
「・・・確かめようと思った。
黄昏の中、あんたの顔がはっきり見えるかどうかをな。」
カンナは一気に刀を抜いた。
「・・・俺の顔をあんたが見るだって?
俺はあんたの救いにはなり得ない。それどころか敵だ。 そうだろう?
あんたが助けを求める場は、俺のとこでも、あんたの師である武市のとこでもない。長年あんたを信じて待っていた変わり者の所じゃないのか?
なぁ、岡田以蔵?」
「行け。岡田以蔵。
さもなくば、新選組3番組組長として、あんたを斬ってやろう。
良い報酬が出るだろうな。なんたって、あんたは人斬りで名高いから。」
岡田は、蒼い炎を濃くした。
だが、突き動かされるようにカンナに背を向けた。
「岡田。
今暫く、匿って貰うと良い。
坂本のとこは今のところ安全だ。」
岡田は、何も言わずにその場を去った。
その背中は、新しい人生を歩むかのように堂々としていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
それから数日後。
カンナは、巡察後、報告を伍長の林信太郎に託し、ひとり呑気に散歩をしていた。
局長からは、ひとりで出歩かないようにと、忠告を受けているのだが、
カンナは、いつもそれを守らないでいる。
ちょっとした反抗期とでも言うのだろうか。
「敢菜はん。見回りご苦労様で。」
宿の集まるこの辺一帯は、カンナの散歩の通り道で、
最初は新選組の幹部並だと恐れられたものの、
カンナの日々の行いで、今ではすっかり馴染んでいる。
この中年の男もカンナの優しさに触れた人物だ。
「あぁ。
御店主もご苦労様。
どうだい?店の方は?」
「へぇ、おかげさまで、今日も良い具合に仕事がはかどっとります。」
宿屋の店主は人の良い顔で、やんわりと笑う。
これもカンナのおかげであると店主はカンナの手を取って、頭を下げる。
「御店主、そんなに感謝せずとも良いですよ。 これが俺の仕事ですから。
貴方にとって、人をもてなすことが当たり前であるように、
俺にとって、京の街を守ることは当たり前ですから。」
ーたとえ、あたしの運命が本来の軌道を逸れても、
この状況が現状である限り、あたしは与えられた仕事をこなすしかない。
全て自分のためだ。綺麗じゃないくせに、綺麗だと装って、思いこもうとしている。
自分は、生まれた頃からこの時代に居たのだと。ー
「敢菜はん、
せっかくや。うちの店で夕餉でも食べていってくださいまし。
敢菜はんが来てくれたら、かみさんも喜びますわ。」
「いや、しかし。」
「敢菜はんも、頑固なおひとやなぁ。
遠慮せんと、ほら。」
珍しく店主は、強引にカンナを引っ張った。
振り払うわけにもいかず、カンナは大人しく引っ張っていかれた。
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店主に、カンナは目立つからと通された一室。
そこには懐かしい先客が居た。
「敢菜。 随分と、久しいのう。
元気にしちょったがか?」
「・・・・・・龍馬?」
「そうじゃ。
すまんかったのう。」
カンナは、懸命に首を横に振る。
しかし、言葉は喉でつっかかって、声にならなかった。
「わしは、何時もそうじゃ。
何時も、一人突っ走って早とちりをしよる。
最近になって、ようやっと勘違いが解けた所じゃ。」
「勘違いなんかしてないよ。あんたは。
俺は確かに新選組だと隠してあんたに近づいた。」
ーあたしは、気付いていなかったんだ。 自分の行動たった一つで他人の何かが変わることに。
自分は塵のように波も立てることの出来ない人間だと思っていた。
実際、大きなビルが建ち並び、大きな金と権力が社会を回していたあの時代は、地味で目立たない普通の
人間が立ち回ったところで、波風一つたつことはなかった。
いつの間にか忘れていた。この時代は、あの時代と違って繊細で脆いのだと。ー
「敢菜。
わしは、誤解しちょった。
すっかり、敢菜はわしを探りに来たもんじゃと思っちょってのう。」
「確かに、探ろうとしたわけではないが。」
「・・・あの後暫くして、偶然、桂さんに会ってのう。
おまんの話を聞いたんじゃ。 桂さんは、おまんのことを、変わり者じゃと言っちょった。
新選組のくせに、何かと理由を付けては桂さんを逃がしちゅう。」
「・・・それは、・・・言いたくはないが、世話になったからな。
変なところで、恩を作りたくはなかった。それだけのことだ。」
変な偽りが口から出てくることは無かった。
坂本は、カンナに偽ることを許さなかった。坂本の何もかもを見透かすような目がカンナにそうさせていた。
「いっつも、人間は自分のために生きちょる。
何かが起こったとしても、結局は自分の命惜しいが故に仲間なんぞ見捨てて逃げ出すもんがほとんどじゃ。
じゃが、おまんは自分の誇りを守るが為、自分の命も惜しまんかった。
桂さんを逃がしたと分かれば、始末されると、わかっておったろう。
そんなおまんは強く、真っ直ぐじゃ。」
「強くなんかない。
真っ直ぐでもない。
強くて真っ直ぐな奴は、あの人ぐらいさ。」
カンナは、とっさに通武を思い出す。
カンナの、通武とかつを失った傷はいまだに癒えてはいなかった。
それどころか、そのぽっかり空いた穴が広がった気さえする。
「あの人?」
坂本は、目を凝らしてカンナを見る。
「そりゃ、まさか久坂さんかえ?」
「・・・っ何であんたがそんなこと!」
カンナは、綺麗な通武との思い出を汚された感覚に陥って
坂本を鋭く尖った眼光でにらむ。
しかし、坂本は動じることなく
至って冷静に口を開いた。
「久坂さんとは、
ちと文のやり取りをしておっての。
最初は、異国のことや、情勢のことやらを話しておったんじゃが、
いつの間にか、久坂さんの好きな句やら、学問のことやらで
話がもりあがっちょった。
そんなとき、女っ気のない久坂さんの文に珍しく
女の事が書かれておってのう。驚いたもんじゃ。」
カンナは、ようやく経緯を理解した。
先に上ってきた悔しさや怒りは、いつの間にか冷め切っていた。
「それも、金髪金眼の美しい女子じゃてなぁ。
あの久坂さんが、まさか異人の女子に惚れちょる聞いて、まっこと驚いたぜよ。
・・・今まで気付いちょらんかった。
・・・敢菜、おまん女子じゃったがか。 辛かったろう・・・。」
「同情も慰めもいらない。 俺は自分の意志で自分を偽ってここにいる。
辛いなんて言う資格なんて無い。 やめてくれ。
あんたといると、自分が酷く醜く見える。
もう・・・やめてくれ。」
カンナは、歯を食いしばって、部屋から出ようと思い足で一歩踏み出す。
「おまんが本当に醜かったら、今頃以蔵は生きてわしのもとにおらん。
これだけは覚えといてくれんかえ?
わしは、おまんを・・・まっこと、ええ奴思っちょる。」
カンナは、坂本を残し、店主の驚き困った顔も無視して
急いでその宿を出た。
軽く弧を描く小さな橋にカンナは立ち止まり、澄んだ小川をただ何とも思わず見ていた。
いつの間にか空は暗く淀んでいて、自分の涙とも分からぬものが頬を濡らし、着物を濡らした。
耳に届く音は、鋭い針のような雨が地面を突き刺す音のみになっていて、
小川は、本性を現したかのように大きくうねり、濁流となった。
「やめてくれ・・・・・・。」
カンナはひとりつぶやいた。
すぐこの先に何が起こるのかわかっていながら。