約束
新選組屯所西本願寺 境内にて
「ねぇ、一ちゃん。
平助と、十郎のこと、頼んだよ。
きっと、平助もそのうち自分の行きたい道を決めるだろうから、
そのときは、一ちゃんが引っ張ってやって。」
カンナはこれから起こる悲劇を迎えたくなくて、
せめて...と斎藤に賭けてみることにした。
この日。幹部から、斎藤と藤堂、そして3番組の伍長だった阿部十郎が御陵衛士として新撰組屯所をでていく。
この日を境に新撰組隊士と御陵衛士は、一切の接触が禁止になる。
いくら、この二つの隊が同志として存在しているとしても、伊東らは実際立場の定まっていない薩摩と接触しているわけで。
下手をすれば、薩摩が長州方につけば、
御陵衛士も長州方につくこともあり得る。
いや、伊東自身そういうことをもとから考えていたのかもしれないが。
「頼れるのは、あんただけなんだ。」
カンナは、すべてわかって言っていた。
藤堂らが、御陵衛士として出ていくとわかった時点で、藤堂の未来がどう動くかを
知っていた。
ただ、カンナの知る歴史はどうしても歴史であって、本当に正しく伝わってきたものなのかはしらない。
「守ってやって。
十郎は、粘っこいから大丈夫だろうけど、平助はそんなに強くない。
まるで生き急いでるみたいに私の前を走っていく。
平助は、守られるなんて嫌がるかもしれないけど、
それでも、頼むよ。」
カンナが、懸命に頼み込んでくるのを、
斎藤はただ真剣に聞いていた。
しかし、不意に斎藤は口を開いた。
「あんたは、何を恐れているのだ?」
一瞬、カンナは瞳を揺らした。
それを斎藤は見逃さず、自分より背の低いカンナの頭に武骨な手をのせながら、カンナの目を見つめる。
「あんたは弱い。
だから、あまりひとりで頑張ろうとするな。そんなことばかりをしていたら、
すぐに潰れてしまいそうだ。 あんたは。」
カンナは、俯いて頭にのっている手を
自分の両手でぎゅっとにぎりしめた。
「・・・怖いんだ。」
「昔はひとりで生きてきたのに、
ここに来てからは人に頼らないと生きられなくなった。大切なものが多すぎて苦しい。」
「もう、失いたくないんだよ。
かつさんも通武も、山南さんも、
救えたはずなのに、救えなくて。」
「時々思うんだ。
救えないくせに大切なもの作ってんじゃねぇよって。だけど、もう遅い。」
カンナは、唇を噛んだ。
斎藤はただ、カンナの言葉を聞いているだけだ。
「俺はさぁ、どうしても生き残っちゃうんだ。 知り合いが言ってたよ。
まっすぐにしか生きられないやつほど
早く死んでいくんだって。
正直羨ましいんだ。人の死をみないですむ。
それもあるけどさ、それよりも、
俺は、そんなに真っ直ぐ生きられないから。
」
斎藤はそのときのカンナの俯く表情に、
心を痛くした。
斎藤もまた、同じであった。
自分に正直に、何にも捕らわれずに
真っ直ぐに生きたいのだと、何度思ったことだろうと。
しかし、斎藤はどうしても自分の思いに正直にはなれないのだった。
自分の思いの前には、現実という壁があって、それを避けては通れないのだ。
ただ、その壁を飛び越えるという選択肢しかない。
「俺は、平助を守ってはやれない。
・・・きっとあいつは、覚悟を決めている。
覚悟の出来ていない俺が、止めに入る隙はない。」
「随分と弱くなったんだね。」
この一言は、斉藤にとって衝撃的だった。
「無理だとか、無理じゃないとか、もうこの際どうでも良い。
ただ、やろうとしないのが情けない。」
「一ちゃんが、どうしても出来ないって言い張るんだったら、あたしがここを出て行く。
前から、伊東参謀には誘われていたし。
今の一ちゃんが行っても意味無い。
何にも出来ないに決まってるから。」
カンナは成長していた。
心も器も大きく強くなった。
京が火事になった日にやってきたカンナのあの小さな背中が嘘のようだった。
斉藤は思う。
気付けば、自分は随分弱く小さくなってしまっていたのだ。
現実に抗えず、諦めて、もがくことさえ忘れていた。
ただの、抜け殻のようだ。
・・・思えば、俺は昔から変わっていない。
弱くも強くもなっていない。
ただ、敢菜が成長していただけか。
俺は、自分が思っていたよりも小さく弱い人間だった。
現実に抗うのが恐ろしくなって、ただ流れに身を任せていた。
だが、今からでも俺は、強くなれるだろうか。
そうすれば、真っ直ぐに生きられるだろうか。
「・・・・・・果たせるという保証は出来ぬが・・・。」
カンナは頬を緩めた。
「いいよ。引き受けてくれるなら、それで良い。
それならきっと、後悔はしない。
・・・ありがとう。」
斉藤もまた、つられて口元を緩めた。
「じゃ、頼んだよ。
あと・・・あたしは一ちゃんの部下だからさ・・・」
カンナは斉藤の耳元に口を寄せた。
「ー信じて、待ってるよ。ー」
斉藤は目を丸くした。
「あんたには何時も敵わんな。
その目が、何もかも見透かしているようだ。」
斉藤は、カンナの瞳が好きだった。
一瞬も曇ったことのない黄金色の瞳は、
異常に人を惹きよせる。
カンナは面白げに声を上げて笑った。
「流石に、いくらあたしでもそれは無理だって。
あ。だけど・・・トシならできるかもね。
あの人の目は綺麗だからさぁ。」
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そして伊東らは、新選組屯所を出て行った。
慶応三年 三月二十日 哀愁を帯びた黄昏時のことだった。