敵又は友
慶応2年9月12日
「来たか。」
真夜中、新選組10番組組長 原田左之助は影を見た。
原田は、隊務により、隊士らと三条大橋で包囲体制をとる準備をしていた。
三条大橋には、最近になってから幕府が立てた制札がある。
しかし、それがいつの間にか抜かれて川に投げ捨てられているとのこと。
しかも、もうこれで3度目であった。
流石に幕府も困り果てて、とうとう新選組に命を下したのだ。
”三条大橋の制札を警護し、また犯人を捕獲せよ” と。
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結果、10番組は8人中土佐藩士3人を捕獲し、5人を逃した。
そして、原田ら10番組は会津藩から最高20両もの恩賞を受け取った。
この事件を、三条制札事件という。
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慶応2年9月14日 島原
カンナはというと、島原の角屋で酔っぱらいを横目に香りの高い酒を少しづつ飲んでいた。
「ちょっと、左之さん、絡まないでくれます?
いくら嘆いたって、アイツは戻ってこられないんですから。」
「んなこと分かってんだよ。
だが、厳しすぎやしねぇか!? 土方さんも、あそこまで鬼になるこたぁねぇだろうよ!」
何故原田がこんなにも荒れているのかというと、それは制札の警備が原因だった。
原田らは、3人は捕獲したものの、5人もの土佐藩士を逃がしてしまった。
その原因は、浅野という10番組隊士の臆病さにあった。
その臆病のせいで、隊への連絡が遅れ、完成した包囲体制がとれなかったのだ。
その報告を受けた副長土方は、臆病者は隊に必要ないと言って追い出した。
「まぁ・・・。だが、まだ良い方だろ。
切腹じゃない。追放だ。」
マシ・・・どころか、良かったのではないだろうか。
新選組は、自由のない死に縛られた場だ。
そこを追放ということは、もうひとを斬らなくてもいい。
明日訪れるかもしれない自分の死を恐れなくてもいいのだ。
「アイツは、いいやつだった・・・。」
「知ってる。
・・・大人しく幸せ祈ってやってやりゃあいいんですよ。
アイツ、金は充分手に入れて、あとは家族の元に帰るだけだったんですから。
これでよかったんですよ。・・・トシも、これを考えて言ったはずです。」
土方は、浅野達が仕事を終えて帰ってきたあと、カンナにさりげなく聞いてきたのだった。
”・・・あいつ、家族がいたんだったな。”
”うん。妻と3歳と7歳ほどの可愛い子がいるらしい。
トシも羨ましいでしょ。”
カンナはそう返して笑った。
追放というのは、鬼の副長が出来る限界の配慮だ。
「土方さんが?
・・・そう・・・だよな。
土方さんは、鬼になっちまったようで、なんにも変わっちゃいねぇから。」
原田の頬は、赤みが少しだけ退いた気がする。
酔いも、怒りも冷めてきたようだった。
「俺、昔のトシは知らないけどさ、
京の町が火事になって、大切な人を亡くした俺に差しのべてくれたトシの手は、
暖かみに溢れてた。 それだけは嘘じゃないって知ってんだ。」
「そうか。
土方さんは、そんな人だったよな。 昔っからよ。」
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原田は、吹っ切れたのか飲み比べをしようと無理にカンナをひきこんだ。
カンナも、原田のような大柄の男の力に敵うはずはなく、嫌々原田の向かえに座らされた。
「大いに飲め。
今日は俺の奢りだ。」
「左之さん、20両があっというまに空になるぞ・・・。」
互いに杯を掲げて一気に飲み始める。
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「・・・もう潰れたのか?」
最後まで飲み続けていたのは意外にもカンナだった。
「まったく、どうやってこいつを持ち帰れと?」
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しばらく誰か来ないかと祈り、待っていた。
「おい。帰るぞ。」
「え?」
来てくれたのは永倉だった。
「新八。」
「んだよ。まったく、こんなこったろうと思ったぜ。
来て正解だったな。」
流石、原田の昔なじみである。
原田の心情も読みとる力は並ではない。
「ほんと助かったよ。
このままだったら、門限過ぎて鬼に殺される所だった・・・」
「ははっ・・・違ぇねぇな。
さてと、帰るか。」
カンナは、どうしてもそれに頷けなかった。
「先帰っててくれ。
俺はもうちょい酔いさましてから帰るから。」
「ぁあ? この時期、一人の出歩きは禁止だぞ。
俺らを狙ってる奴がわんさかいやがる。」
それでもだ。
「いいんだよ。簡単にはやられないさ。
帰った帰った。」
カンナは追い出すようにして二人を帰らした。
永倉は渋々と原田に手を貸しながら帰っていった。
気を付けろ・・・と念をおして。
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「はぁ。酒の席まで汚さんといけんとはね。」
カンナがそうつぶやいたとたん、7人ほどであろうか。
浪士が抜き身の刀を持って入り口から攻めてきた。
「面倒だ。来な。」
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カンナは、全身で返り血を受けていた。
気付けば、浪士7人は地に伏せていた。
だが、死んではいない。 気絶の状態だ。
とりあえず、刀を全て没収し、いつも常備の丈夫な縄で縛っておいた。
それはいいが、まだひとが来るには早いはずだ。
ちょうど永倉が今応援を出してくれた頃だろう。
「はぁ。・・・トイレいこ。」
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あそこにひとは来ないだろうと安心して厠に行って、帰ってきたカンナは
眉間に皺を寄せて壁の陰に身を潜めて刀に手を持っていった。
何者かが、あの縄を解こうとしているのだ。
何やらぶつぶつと言っているようだが、それは聞こえなかった。
もう少しで縄が切れそうだと思い、カンナは飛び出した。
「大人しくしな。」
カンナは素早く相手の後ろについて刀の切先を向けている。
「おまんがこれをやったがか?」
土佐弁だ。
「あぁ。・・・だが、そんなことはどうでもいい。
こっち向きな。」
ゆっくりと振り返ったその浪士は、驚きを隠せなかった。
「グラバーさんの娘じゃ。
知っちゅう!! おまんが7歳の頃、よう遊んじょった。
覚えとらんかのう?」
「は?」
グラバーといえば、トーマス・グラバーのことである。
彼は、英国人で現在は長崎に住まい、貿易や、武器の販売を行っている。
長州や、薩摩、土佐などの反幕府にとっては、失いたくない人物である。
「ハナじゃろう?
美人になりようたのう・・・。」
「違う!」
「いーや。違わん。
覚えとらんのか? 坂本じゃ。龍馬じゃ。」
カンナは耳を疑った。
有名な名前が聞こえたような気がしたからだ。
「龍馬?龍馬!?」
・・・嘘だろ。
新選組ってばれたら、斬られる。
これはもう、グラバーの娘って事にしとくか・・・?
いや、駄目だ。
そんなこといったら、まとわりつかれるかもしれんだろ。
「あの坂本龍馬か。」
「覚えちょったか!」
「いや。有名だろ。
そもそも初対面だ。それにハナじゃない。」
「ハナじゃ・・・なかか?」
坂本は、急に沈み込んだ。
坂本龍馬といえば、とんだお調子者で、デカイ口で笑うような奴だと思っていた。
だがまさか、こんなに浮き沈みの激しい奴とは・・・。
「ハナなんぞ知らん。
だが、龍馬。あんたに興味が湧いた。」
カンナは心が高ぶっていた。
歴史上での坂本龍馬はあまり好きではなかったが、生身の坂本を見たら、とたんに興味が湧いたのだ。
何か面白いものを秘めているような気がしてならなかった。
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カンナは、なんとか坂本に今度会う約束を取り付けた。
「さてと、そろそろ帰った方がいいんじゃないか?
丁度、新選組が騒動を聞きつけてやってくる頃だ。困るだろ?」
坂本は、苦笑いをして走っていった。
カンナは、今度会えると心を踊らせている。
だが、その一方で、坂本を騙したという罪悪感に陥っていた。
坂本は、汚れがなさすぎた。
あの笑顔は、たんに貼り付けたものではなく、心からの笑顔だ。
カンナの纏う、洗っても落ちることのない血の臭いが鼻をかすめようと、
坂本は、あの太陽のように眩しく、流水のように清い笑顔をカンナに向けた。
それは、カンナにとって重荷だった。
いつだって、お人好しを騙すのは自分自身の心を傷つける。
坂本は、カンナの予想以上に清く、人が良すぎた。
カンナは、繰り返したのだった。
これで良かったのか・・・と。