医者
慶応2年7月 西本願寺屯所
ある日、副長室にて土方は腕を組みうなっていた。
その手前では、答えを待つ一人の中年男性がひとり。
「なんとかしてくれんと困るのだ。」
「そう言われましても・・・」
いつもは上に立つ土方も、今日は下に回っている。
「体を壊している輩が、あんなにもいるのは異常だぞ。
いづれ、隊も回らなくなる。そう思えば、悩む必要などないだろう。」
この中年男性、さきほど、隊士達の健康診断を済ませ、副長室に駆け込んできたのだ。
「・・・わかりました。
すぐに病室を用意し、調子の悪い隊士達を引っ張ってきましょう。」
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一方、カンナは屯所の入り口であの少年の相手をしていた。
「久しぶりだなぁ、庄吉。
いったい、約束ほっぽりだして何をしていたんだ。」
「申し訳・・・ありません。」
「はぁ。まぁ、いいさ。
まだ、やる気はあるんだな。」
この数年の間、今まで何をやっていたのやら。
新選組に来る輩というのは、
そうとう金に困った者、
行くところがない者、もしくは
よっぽど、剣で身を立てたい者かだ。
「はい!」
「よし。来い。
今すぐ腕試してやる。」
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カンナが、庄吉と共に道場に向かっている途中。
「あれ、トシ。」
「敢菜。お前も手伝え。」
「あ?」
そう言って忙しそうに歩いていく土方をカンナは追いかける。
勿論庄吉もである。
「なにをだ?
こっちも忙しくてだなぁ・・・。」
「今日中にお前の部屋と斉藤の部屋を空けろ。」
「・・・んな、無茶な・・・。
一ちゃんの部屋がどれだけ酒と刀の手入れ用具で埋まってるか知って言ってるのか?」
土方はばつが悪そうに咳払いをするのだが、
「何とかしろ。
斉藤の飼い主だろうが・・・。」
「・・・なんで・・・俺が飼い主・・・」
「物はとりあえず俺の部屋の隣に運んでおけ。」
歩き続ける土方に対し、カンナは立ち止まって項垂れた。
「・・・庄吉。
腕試しは中止だ。・・・手伝え。」
結果、カンナは部外者の林を引き連れて斉藤を探しに出るのだった。
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「おーい。一ちゃん!!」
「でかい声でその名を呼ぶな。」
道場で斉藤は静かに現れる。
「なんで?」
「周りから変な視線を感じる。
・・・で、何用だ。」
カンナは、部屋を空けるようにとの命令を伝える。
「そうか。敢菜、お前の部屋には何もないのだったな。
ならば、手伝え。」
「へいへい・・・。」
カンナは仕方がなく力の抜けた返事をする。
これからの状況が目に見えるのだ。
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斉藤は静かに障子を開け放った。
「・・・・・・うわぁ・・・」
「何故そのような顔をすることがある?
見えるのは酒のみであろう。」
斉藤は当たり前のように酒の山に手をかける。
カンナもためらうものの、仕方なくそれらに手をかける。
カンナにとっては、それが思った異常に重く感じられたそうな。
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2時間後......
「終わった・・・のか?」
「あぁ。思ったより苦ではなかった。」
しれっと斎藤はそう言う。
「俺をこき使ったからだろう・・・」
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斎藤とカンナが移動を完了してすぐ、
空いた部屋は病人でいっぱいになった。
「おい、敢菜。
片付けが済んだんだ。今からでも松本先生に診てもらえ。事情は話してあるから心配すんな。」
ひとつ仕事を終えた土方は、カンナに
そう言った。
医者であるさっきの中年男性、松本は、新選組の健康診断を
行いに来ていて、二時間前、病人の多さに
驚き、土方を訴えたのだった。
「至って健康体だ。
診てもらう必要なんてない。
そんなことより、庄吉の入隊試験をしてやってくれ。あいつ、片付けも手伝ってんだ。」
「あ?誰だそいつぁ。」
土方には、何の覚えもない。
初めて林が屯所に来たとき、土方はすやすやと眠りについていたのだから。
「俺の近い未来の弟子だ。」
カンナは、入隊試験と言ってはいるが、実際の所は入れる気満々であった。
「・・・入隊試験はやってやるから、早く行ってこい。」
「へい。」
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「松本先生?」
カンナは、隊士達と何やら話込んでいる中年男性を見つけて声を掛ける。
「ん?そうだが・・・君も隊士かね?」
「はい。
実は、健康診断を受けていなくて、トシが行ってこいと・・・。」
松本は、顎をさすりながら考え事をしたあと、答えが見つかったのか人なつっこい笑顔を見せた。
「あぁ!君が敢菜君かね?」
「はい。」
「あ、松本先生。敢菜はめっぽう寒さに弱くてねぇ。
どうにかしてやってくださいよ。じゃねぇと、そのうち寒さで頭がおかしくなっちまう。」
冗談とからかいが好きな出羽出身の三番組伍長の阿部十郎。
図体がでかく、力が自慢であるらしい。
「こら。口をはさむでない。
どうやら、お前の頭の方が既におかしくなってしまっているようなのだが。」
同じく三番組伍長の林信太郎。
阿部十郎の抑え役である。頭の回転が速く、隊の中でも斉藤とこの林のみで話を進めてしまうときがある。
それには困ったものだが、カンナにとっては頼りがいのある兄のようなものだった。
「なんで十郎なんかが伍長なのか疑問だな。」
カンナは嘲笑うかのように笑う。
「本当だな。
こんなに落ち着きの悪い伍長は他にいないぞ。
おかげで面倒事はいつも俺にまわってくる。勘弁して欲しいものだ。」
こういう時の林の目はあの鬼副長ですらも避けてしまうほど冷酷な目をする。
そのせいか、誰も林には逆らわない。
もし逆らえば、なにがあってもおかしくはないのだ。
「・・・松本先生、行きましょう。
健康診断をお願いします・・・。」
「・・・あ、あぁ。
そうだったな。行こうか。」
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そうして、カンナと松本は逃げてきた。
「さ、診せて貰おうか。」
「はい。」
・・・・・・・
「うん・・。
それでだな、最近、月経はきているかね?」
「・・・あ。
・・・そう言えばきていないかも。
ずっと・・・・・・。」
カンナは今まで気にしたことなどなかったのだが、言われてみればという感じだ。
「そうか。
疲れているのではないかな?
頑張りすぎている・・・。違うかね?」
松本は優しく問いかけた。
カンナは着物のあわせを正した。
「そんなことはないです。
近藤さんや、トシや組長たちのほうがキツイですから。
頑張りすぎてるなんて言っちゃダメですよ。
そもそも、俺にキツイ仕事なんて回してくれないんです。あの人達は。
自分たちで全部やっちまうんだから。」
カンナは何かをごまかすように笑う。
その何かをカンナ自身わかっていなかった。
自分が何をごまかそうとしているのか全く分からないまま笑っている。
そんな自分はどんな風に見えているのだろうかと気にもなったりしながら。
「・・・そういうことではない。
君には酷なことかもしれないが、きかせてくれないか。
何か、辛いことをため込んでいるんだろう。」
「俺にも何が辛いのかわかっていないのに、
それをきかせてくれだなんて困りますよ。
・・・とにかく、悪いところがなくてよかったです。
ありがとうございました。 失礼します。」
カンナは笑みを絶やさず、部屋を出た。
「・・・辛いことなんて何も・・・なんにも・・・ない・・・。」
自分ではないというものの、その言葉が心に馴染まず、それだけが浮いて渦巻いた。
「ないさ。・・・だって、涙はでないんだから。」
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カンナが立ち去った後の部屋で、松本は一人苦い顔をして診察道具を片づけた。
自分には何も出来ないのだろうかと頭をひねる。
だが、何も浮かんでくることはなかった。
ふと見えたのは、カンナの無理に笑おうとする苦しげな顔だけだった。