決意
元治2年2月に入った頃。
10日の夜、3番組は夜の巡察に出ていた。
夜の巡察もつらいものである。
今は2月で、空気も凍る。
寒さに耐えながらの仕事は、隊士の気力を蝕んでいた。
「一ちゃん・・・まだ屯所につかないのか?・・・」
カンナは寒さに弱く、死ぬ間際かと思ってしまうほど声が震えている。
「敢菜、お前はまだこの周辺を把握できていないのか・・・。
屯所は、まだまだ先であろう・・。」
斉藤もまた、寒さに震えていた。
「まったく、こんな寒い日、外出てまで問題起こす奴なんかいないでしょうよ・・・。」
「隊務だ。仕方ないであろう。・・・もう黙って歩け。」
「へ~い。」
どれほど歩いたか・・・。
やっと屯所の入り口が見えてくる。
「一ちゃんっ・・・お先ですっ!」
カンナは走って屯所に飛び込む。
しかし、夜の屯所の室温は外とほぼ同じ。
カンナはそのままある部屋へと向かった。
「お邪魔しますっ!」
「おや。やはり来ましたか。
お待ちしてましたよ。」
カンナが訪れたのは総長山南の部屋だ。
「はぁ・・。やっぱり山南さんの部屋はあったかいなぁ・・・。」
「どうぞ、お茶でも飲んでゆっくりしていって下さい。」
山南は湯気の立ったお茶を差し出す。
どこまでも気の利く男である。
「山南さんは気が利くねぇ・・・。いつもありがとうっ。」
カンナはこの冬、夜の巡察から帰ってきては山南の部屋に毎回飛び込んでいた。
「しかし、年頃のおなごがこんな時間に男の部屋に入り浸るなど、感心いたしませんね・・・。」
「はははっ・・・山南さんは優しいから、何にも出来ないよ。」
カンナは湯飲みで手を温めながらおかしいといって笑う。
カンナは既に、山南の性質を知りつくしているのだ。
「そうでしょうか。」
「そうだよ。それにさ、何かされると困るんだよね。
ここって、私にとっちゃ屯所唯一の癒しの場だからさ。」
山南は、首を傾げた。
「斉藤君ではないのですか?」
「うん。一ちゃんはさ、いい人で、一緒にいて安心できるけど、癒しじゃないんだよね。
山南さんといるとさ、溜まった疲れが抜けていく気がするんだ。」
山南は困ったように、でも嬉しそうに笑う。
「ならば、私もですよ。私もあなたが癒しです。」
あったかくて、身体の力を抜いて過ごせるそんな貴重な時間。
カンナにとっても、山南にとっても、この時間は大切なものであった。
「山南さん、あんたが唯一の癒しなんだ。
だから、・・ずっとここにいて。 私の疲れ、癒してよ。」
カンナは最近、気付いたことがある。
山南は、いつもカンナの顔を見ては、泣きそうな顔をするようになった。
今までは、あまり部屋を出ずに引きこもっていたのに、最近になってから
外に顔を出し、幹部と話をするようになった。
まるで、余命を宣告された病人みたいに。
少ない時間を、悔いのないように、一瞬を大事に大事にして。
カンナ以外、気付いている人がいるだろうか。
こんなほんの少しの変化をカンナは見逃さなかった。
「っ・・・まったく・・・貴方という人は・・・」
山南は口角を上げた。
そう、上げるだけだ。
他は何にも変わらない。
泣きそうな目で、カンナを見つめる。
「ねぇ・・・山南さん。 いるよね?ここに。・・・そうだよね。いるよね。」
カンナは自分に言い聞かせた。
山南の目には、そんなカンナの姿がはっきりと映っている。
しかし、山南はそんな姿を見たくはなかった。
「はい。・・・あなたが望んでくれるのなら、ここにいましょう。」
「・・・本当?」
「信じてくれないのですか?」
カンナは右手の小指を立てて山南の目の前に押しつける。
「約束。」
子どもっぽいと思う。
こんな歳になって、指切りをせがむ。
でも、そうでもしないと、落ち着かなくて。
安心感が得られない。
ここに来る前。つまり、今の未来。
そこでは、ひとりぼっちだったから、誰かを失うことを恐れたりなんてなかった。
こうやって、不安に取り憑かれて指切りをせがむなんて初めて。
子どもになったみたい。
「指切り・・・ですか。」
山南はゆっくりと小指を絡ませた。
抵抗は一切なかった。
「ゆびきりげんまん。嘘ついたら、はりせんぼんのーます。ゆびきった。・・・」
カンナは下を向きながら強く腕を振った。
どれだけ、この約束を守って欲しいかを伝えたかったのであろうか。
山南は下を向くカンナを見ていた。
カンナの垂れた髪の隙間から口元が見える。
唇を血が滲むほど噛みしめていた。
山南は気付く。
カンナにこんな顔をさせているのは、自分であるのだと。
こんなにも、カンナに想われていたのだと。
山南は自分が情けなくなった。
「・・・敢菜くん・・・」
「・・・っ嘘ついたら、・・・本当に針千本。飲んで貰うから。」
カンナの目は本気だった。
「ううん。やっぱり2千本。」
「恐ろしい事を言うんですね。」
これは、警告だった。
針を飲むというのはゆびきりの中の罰。
新選組にとって、針を飲むというのは、切腹。
切腹が、罰になっている。
「だって、山南さんは優しいから。でも、私に似て頑固だから。」
カンナはわかっていた。
こんな事をしても、山南の行動は変わらない。
山南の決意は堅い。
「頑固ですか。確かに・・・そうかもしれません。あなたに似て。」
山南は笑う。
カンナは笑えなかった。
先に待つ結末を知っているからだ。
未来人であるがために知ってしまっているという現実。
カンナは泣いてしまうのを必死に耐えていた。
泣いてしまったら、山南の結末を認めてしまうような気がして。
「そんなところ・・・似なくたって・・・・・いいっ・・のに・・。」
「仕方ありません。それが私ですから。」
山南はいつまでも微笑んでいる。
穏やかに、死を待つかのように。
「だよね・・・。じゃ、また明日。・・・明日、絶対、おはようって言って。
私がおはようって返すまで、ずっと・・・。」
「わかりました。」
「おやすみ・・・なさい。」
「えぇ。また明日。おやすみなさい。」
山南は容易にまた明日と言う。
カンナは山南の部屋を出て廊下を走った。
何処に行くというのか・・・。
カンナは壬生寺へと来ていた。
こんな夜中に、許可も取らず、来て良い筈がない。
ここへ来る途中、誰かの声が聞こえた気がするが、誰かなど気にするヒマはなかった。
カンナは声を押し殺して泣いた。
座り込んで、ただ、ひたすら拭うことなく涙を流し、悲しみを夜の闇にとけ込ませた。
涙が止まることは無かった。
限界がない。
もう、体中の水分が出きってしまったと思えるほど泣いたのだが・・・。
「・・・・はっ・・っは・・・。ここに・・いやがったか・・・っ。」
不意に聞こえてきたのは、何時も聞いている声だった。
「ったく。・・・ひとりで泣きやがって・・・。
・・・何があった?・・・吐け。」
「・・・っうるさい・・。鬼はどっか行け・・・っっ。」
鬼。それは、新選組副長土方である。
「何が鬼だっ。・・・吐け。」
「・・・っ乙女の事情・・・だもん・・っ」
こう言えば、引いてくれる。
そう、思っていた。
鬼であろうと、男である土方はそんなことに首を突っ込んだりはしない。
「なんだ?男に振られたか?」
土方は分かっている。
カンナが泣いている原因は、そんなことではない。
「・・・っそうとも・・言える・・・。」
「そんなに言いたくねぇか・・・。はぁ・・・ったく。」
土方は、聞き出すのを諦め、そっと羽織をカンナに掛けた。
カンナは、ふわりと香る木の匂いに少し落ち着きを見せた。
「・・・まだ・・・っ寒い・・・」
カンナは、羽織も羽織らずに出てきてしまったため、酷く身体が冷え切ってしまっていた。
「冷え性なのにこんな薄着で出てくんじゃねぇ。・・・しょうがねぇな・・・。」
土方は羽織の上からカンナを包み込んだ。
思った以上に大きい土方の身体は、走ってきたためか、暖かくて、少し湿っぽい。
カンナを包む木の匂いが増した。
木の匂いに混じって、本来の土方の匂いが漂っていた。
その匂いは、春の月を思い起こさせる。
柔らかくて、少し甘い。
余計に涙を誘う香り。
安心感がじんわりと心に溶け出して、涙を溢れさせる。
カンナは、この日。
自分がとてつもなく無力だと知った。
ー私は・・・無力で、ちっぽけだ。ー
壬生寺の木の陰。
密かにカンナを追ってきていた山南は、土方とカンナを見守っていた。
その目には、悲しみと、安心感、罪悪感を秘めていた。




