悲劇 其の弐
カンナは何も考えずにただ、足の向く方へと走っていた。
しかし、カンナの頭の中では通武の声が響き続けていた。
今までの生活の中で触れてきた通武の暖かい言葉や仕草がとても恋しく感じていた。
ーカンナさん、私は決めました。・・・私は、貴方という家族を守るために
この剣をふるいます。ー
そう言った通武の顔には嬉しそうな笑顔があって、子どもらしさがあって、
本気で言ってくれていることが嬉しかった。
ー初めて、大切だと思える人が出来たんです。全力で、守らせて下さいっ。ー
もともと、カンナと通武は似たようなものだった。
愛を知らず、幸せを知らず、何もない道を歩いてきた。
しかし、カンナはこの時代に来たことで、幸せを知った。
通武はカンナに出会ったことで愛を知った。
ーカンナさん、愛しています。ー
この言葉が、通武のカンナに対する精一杯の愛だった。
早く行きなさいときつく言ったのも、愛だった。
通武の起こす行動、言葉全てが愛の塊で、暖かかった。
カンナは知った。
こんなにも人に愛されていたのだと。
愛する者がこの世から消えていってしまうのがこんなにも哀しく寂しいのだと。
どれぐらい走っただろうか。
戦場と家を走って往復するのにはさすがのカンナでも無理があった。
カンナの足は道を教えてくれるものの、疲れてしまえば全くの役立たずだ。
カンナは休むしか無かった。
どんなにまた走り出そうとしても、全く足が動いてくれず、林の中で倒れるように
腰を下ろした。
マラソンどころの疲れではなかった。
口の中には鉄のような味が広がっている。
着物であるため、身体は重く、暑く、動きにくかった。
辺りには、水もなく、下手をすれば熱中症になりそうだ。
暫くして、カンナは走り出した。
ずっと休んでいるわけにはいかなかった。
通武が望んでいるのは、カンナとかつの安全であり、また、
カンナはもう大切な家族をなくしたくはなかった。
京が燃える・・・。
通武はそう言っていた。カンナの知る歴史でもそうなっていた。
かつは無事であろうか。
カンナの頭の中には通武の笑顔とかつの笑顔が浮かんでいた。
あの輝くような笑顔を見れなくなってしまうのは愛を知ったカンナにとって
絶望的だ。
カンナは町に近づいているのだと知った。
それは、ある意味悲しいことでもあった。
焦げ臭い匂いが鼻についている。京が燃えているのだ。
この焦げ臭い匂いが町に近づいているという事を知らせたのだ。
カンナは焦った。
通武だけではなく、かつも失ってしまうのかと。
カンナはほんの少しの生きているという望みを持って、わずかな力を振り絞り走った。
町に着き、かつの店へと向かったはいいのだが、
向かう途中の店や家は炎に包まれ、ごうごうと恐ろしい音を立てていた。
道には、大火傷をし、転がっている者も少なくない。
店は、無事だろうか。
かつは生きているだろうか。怪我を負ってはいないだろうか。
そんな心配ばかりがだんだんと募っていく。
途中、ちらちらと通武が心配になったが、かつも心配だった。
どこもかしこも赤い風景ばかりで悪い事ばかりを考えてしまう。
道には、無傷の人もわりと居て、水で火を消している。
かつも火を消している。きっとそうだと思いたかった。
しかし、それは、現実にはならなかった。
カンナが店に着いたとき、カンナは一瞬頭が真っ白になった。
店はもう、完全に炎の餌食になっていた。
店の前には、店の火を消している人は居るが、その中にかつの姿は無かった。
「あのっっ!!!この店の店主は!?・・っかつさんは何処ですかっっっ!!」
「かつさんはまだこの中らしいっ!!もうっ・・駄目かもしれねぇっ!!」
カンナはとっさに着物を脱ぎ捨て、襦袢一枚のまま水をかぶった。
そして、刀を持ち炎に立ち向かう。
「嬢ちゃん!!危ねぇっ!!もう無理だっっ!」
そう言う火消しの腕を振り払って中に入った。
カンナは諦めきれなかった。
かつならば、まだ生きているのではないかと思ったのだ。
燃える店の中は思った異常に熱く、長い時間耐えられるものではなかった。
天井から落下してくる瓦礫も赤々と燃えていて、当たれば命はない。
店の奥へと進んでいくと、ある部屋の棚の前にかつは倒れていた。
しかし、カンナとかつの間には、会うのを許さぬとでも言うように炎の壁が立ちはだかっていた。
しかし、カンナは気にもとめず、その壁を通り抜けた。
水を含んだ襦袢がカンナを守ったのだ。
「かつさん!?・・・かつさん!」
カンナは煙を吸い込まぬように手のひらで口と鼻を覆い、かつの近くへと行った。
煙を吸い込んで身体が動かなくなってしまったらしい。
意識はあった。
「・・・敢菜ちゃん?・・・何しとるの?・・・早うここから出んと・・」
「はい!・・行きましょう!!」
カンナがかつの身体を支えて立ち上がろうとしたが、その時、
カンナたちの頭上から運の悪いことに大きな瓦礫が音を立てて落下してきた。
カンナはそれにすぐ反応できず、それでもとにかくかつを連れて避けなければと足に力を入れた。
しかし、走り続けてきたカンナの足にはそのような力は残っていなく、動けなかった。
そして、瓦礫が目の前に来たとき、何故か急に後ろに倒れてしまった。
まるで・・・誰かに突き飛ばされたように・・・。
カンナは暫く理解できずにいた。
かつがカンナを助けるために無理矢理最後の力で突き飛ばしたのだ。
そして、瓦礫が床に落ちる大きな音がした。
「・・・かつ・・さん? ・・・かつさんっ?」
呼んでも呼んでも返事は有るはずがなく、カンナは無意識に燃える瓦礫を掴み、瓦礫をどけようとした。
しかし、瓦礫は燃えていてカンナの手はあっという間に火傷で皮膚が焼けただれてしまった。
カンナはそんな手を見つめた。
・・・何もない・・・何もかも、なくしてしまった・・。
自分の中から怒りがこみ上げてくるのがわかる。
この時代に、火を放った奴等に、そして家族を守れなかった自分に腹が立った。
カンナは刀を片手に炎をくぐり、店を出た。
体中が熱い・・・。
目が熱い・・。涙が・・・熱い。
カンナはまた走り出した。
自分でも何処へ行くのか解らないでいた。
ずっと走っていると、見えてきたのは数人の男。
何故か、確信した。
この男達が京に火を放ったのだと。
そう思うと、更に怒りが増した。もう自分では制御出来なかった。
「ぁあああああっっ!!」
カンナは一人の男を一撃で斬り倒し、そして、二人目の男を同じ刀で斬り上げる。
カンナはただ自分の想いに、自然に動く体に全て任せ、斬る事だけに目がいっていた。
辺りには血の痕が残り、カンナをも赤く染めていた。
何人斬ったのか覚えていない。
しかし、カンナの気がおさまった時、カンナの周りには八人の男が血を流し転がっていた。
カンナの涙はおさまることが無かった。
仇を討っても、何も変わらなかった。悔しさも、悲しさも余計に増した。
カンナ自身にはこの気持ちをどうすれば良いのか全く分からず、
ただ、赤く染まった地の真ん中に崩れ落ち、泣き叫ぶことしか出来ずにいた。