記憶の言葉
ーおかえりー
かつさんの、そんな一言が私の心を暖かく包んだ。
何処でも聞く当たり前の言葉の筈なのに。
何故?
その答えは私に向けられた言葉ではなかったから。
でも、今のは自分に向けられているもの。
ーただいまー
私はその言葉に応じて当たり前に返した。
自分の口からこの言葉が自然と出たことには驚いた。
自分では経験していなくとも、周りの常識が身体に染みついているのだろう。
この世界に来てからというもの、新鮮な感覚ばかり。
でも、暖かい町の雰囲気は何処か懐かしかった。
どこかに似ている。
・・・・・あぁ・・・祖父の家だ。
祖父の家に行ったことなど一度しかないが、見渡す限り現代的なビルなどが立ち並ぶ
東京の中心部に、ちょこんと寂しく建っていたのを覚えている。
そこだけ、今のような雰囲気があった。
周りの雰囲気が冷たいだけに、その家は暖かく感じた。
しかし、家の中には誰の気配もしない。家の奥には確かに息をして床に伏せる
祖父がたった一人居たのだが。
息絶えそうな祖父が目を向けて寂しそうにため息を吐いた。
祖父が見ていたのは、簡素な部屋に不釣り合いな一振りの刀だった。
随分と柄が擦り切れ、汚れてしまってはいたがそれにはただならぬ存在感があった。
同時にここにあるのはおかしいと直感した。
ー持ってゆきなさい・・・ー
祖父は私に刀を託そうとした。
息絶えそうなのに声を必死に出してまでして。
ーお前の父になど託せぬ。・・・・それはあの土方歳三の刀・・・和泉守兼定という大業物だ。ー
驚いた。
土方歳三といえば、有名な新選組の副長で、最後まで指揮官として戦ったすごい人。
そして、世間では悪者扱い。
それは、新政府軍が勝ってしまったから。
最近は新選組に人気が出てきたけれど、それも本やゲームのなかの新選組で、けっして本物ではない。
ー覚えておきなさい・・。お前は土方歳三の子孫にあたる。誇りをもって生きなさい。ー
子孫?
あてにならない。そう思っていた。
けど、信じざるを得なかった。
何故かというと、祖父の家には土方歳三の姉に送った文や、これはどうかとも思うが、
歳三宛と思われる恋文が山のように押し入れのなかで眠っていた。
勿論、歳三の句集もあった。そして、刀。
揃いすぎていた。何もかもが。
戸籍だって頼んで調べて貰った。その結果は確かに同じで、信じるしか無かった。
刀は祖父から貰い受け、いつも傍に置いた。学校でも気にせず身近に置いた。
銃刀法違反なんて、無くなったようなもので、同じように法律も条令も意味をなさなかった。
私が刀を貰い受けたのは世界が終わるちょうど一年前だったから。
武器でも持たないと外も歩けない。安心できない。そんな狂った世の中に成り果てていた。
そのうち、学校も停止になった。
私は家族も飼い猫もお金も大切な物も手放した。けど、剣道だけは、兼定だけは手放さなかった。
剣道は心の支え。いつも傍にあった。
剣道は私の身体の一部だから。生きてさえ居れば、必ず私の後についてくる。
だから、生きたいと願った。
まだ、兼定と共に有りたいと。剣道を手放したくは無いと。
・・・・・そうだ・・・。
ここへ来る寸前、誰かの声が聞こえたんだっけ。
心に響き染みいるような低い男の人の声だった。あそこには誰もいなかったはず。
・・・その声を聞いたとき、胸が激しく高鳴って、何かの残像のような記憶のようなものが
頭に流れたんだ。
それは、私の記憶になどないものだった。
その記憶は残酷なもので、一面が兵と彼らの血で埋め尽くされていた。
そんな風景の真ん中でたった一人の刀を持った男の人が立ち尽くしていた。
その人は涙を流し、血に染まった胸に手を当てていた。
悲しさと寂しさ、そして悔しさに満ちた光景。 知らぬ間に私も涙を流していた様な気がする。
ー俺はこのような所で死なんっ・・・。必ず・・・っ貴方のもとへ・・・・参りますっ・・ー
その人の瞳にあったのは純粋な忠義。
そして、もう一つの記憶。
先ほどとは違う男の人で、迫り来る敵を次々と斬り捨て、必死に前を見て進んでいた気がする。
ー俺は・・何のために人を斬ってんだ?・・・もう、守ってやる奴もいねえっていうのによ。ー
その人の瞳には怒りと悲しみ。
戦の中で自分の道を見失ってしまった男の姿だった。
その姿を見たとき、自然と私の口から誰かの名が出た。
その名が何だったかは全く思い出せないのだが、きっとその人のことだろう。
不思議だった。
自分の中に全く覚えのない記憶があることに私自身が驚いた。
その記憶とその中の男達の言葉に何の意味があるのか、何を伝えたいのか
答えは出ないままだ。