方舟 番外編 ー仲直りー
不知火の管内にある自室の前でカズハは立ちすくんでいた。
いつもであれば、何も考えずに扉を開けて入るのだけど、今回はそれをすることができない。今思えば、あの時正直にアキラには話すべきだった。
違和感に気がついた事を話してしまえば、あんな蔑ろにするような言葉を言わなかったのに。どうして、いつも後悔するってわかっているのに素直になれないんだろう。
大きくため息をついて、覚悟を決めノックを3回する。
部屋の中に誰か…というか自分の夫であるアキラがいるのはわかっている。
中からは何も返答が返ってこない。返答が返ってこない代わりに怒気を孕んだ空気が流れ込んできているのを感じていた。
『入りたくない…、私が悪いのはわかっているんですけど…』
呼吸を整え、ゆっくりと扉を開ける。
中ではアキラが窓の外を眺めていて出入り口には背中を向けている状態で待っていた。小さく「ただいま…」といったがアキラは返答する事なく、ただ黙って窓の外を見ている。その空気に居た堪れなくなりカズハが再度部屋を出て行こうとすると
「…どこ行くの」
後ろを向いたままアキラが言葉を投げかけてきた。その言葉はアキラなりの
『部屋に入れ』と同じ意味を放つ。それを理解しているカズハは開けた扉をゆっくりと閉めて部屋の中に入った。
重い空地が部屋の中を支配している。アキラとカズハは一定の距離を保ったまま黙っている。沈黙を破ったのはカズハだった。
「アキラ、今回の事ごめんなさい。軽率だった…」
カズハの言葉に小さなため息をつき、車椅子を反転させるアキラ。
いつもは能力の発現を悟らせないように夫婦間でもサングラスをかけているが
この時はサングラスを外して胸ポケットにしまっていた。
「なんで相談しなかった」
視線が棘のように突き刺さる。普段あまり怒りの感情を表に出さないアキラが本気で怒っているのを肌で感じる。カズハは言葉を選ぶようにゆっくりと口にする。
「憶測だったし、もし違った場合はアキラの仕事の邪魔になると思ったから」
「何それ、でも結果どうなった?君は敵に捕まり保護対象を危険に晒した」
そうだ。報告をしなかったことで事態は悪化しカズハは自分の夫までも傷をつけた。カズハはアキラの方を見る。上着を着ておらずワイシャツには血が滲んでいる
カズハは自分の夫を切った感触と自分の目の前に散るアキラの血を思い出した。
寒気が走る。もし、あの時…場所が数センチズレていたら。
カズハは自分の腕を力強く握る。俯いて何も答えることができなくなってしまった
そんな様子のカズハを見て、アキラは車椅子を滑らせる。
カズハは俯いたまま顔をあげる事もない。アキラはカズハの手を取って指で手の甲を優しく撫でた。その感触にようやく顔を上げるカズハ。
「たとえ憶測であっても話してほしい。一人で抱え込まないで欲しいんだ。何の為に俺がいるんだよ。間違いであっても誰もカズハを責めるような事はさせない」
アキラの言葉にカズハの目からは涙が滲んでいく。
カズハの手を引っ張りそのままカズハを抱きしめた。
「困ってる事があるんだったら俺に話せ。危ない事に率先して突っ込んでいくな。俺たちを頼ることを覚えろよ。言いにくいんだったら俺がみんなに説明すればいいことだろ」
「でも、そんないつでも頼っていたらアキラが…だったら私が我慢した方が」
「じゃあ、お前はどこで本音を話すんだ?誰に甘えるんだよ」
「…」
アキラはカズハの背中を撫でる。
「あの時、この部屋に帰ってきて灯りがついてなくて…カズハがいなくて話す事もできなくて…ものすごく寂しかった。お前が二度と返ってこないんじゃないかって不安だった」
アキラは少し顔を上げてカズハを引き寄せそのまま膝に乗せる、泣きそうになっているカズハをまた抱きしめる。
「ずっとそばにいて欲しいって結婚したんじゃないか。どちらか一方が我慢や遠慮して…そんな関係で長く夫婦なんてできるわけないんじゃないか?苦しい思いを抱えて一人で戦ってるカズハが泣いているのに、気がつかないような情けない男にしないでくれよ」
「だって、アキラはこの艦内のみんなを」
カズハの言葉にアキラの腕の力がより強くなる。
「確かにこの艦内で俺は唯一の医者だ。みんなの支えにならなくちゃならない事は分かってる。でも、それでも。お前は特別なんだよ。それでたとえ喧嘩になったとしても本音を言って。我慢して自分を押し殺すなら全部俺に吐き出してくれ。何があっても俺はお前を受け止める、お前の帰る場所は俺だ。二度とあんな事するな。次は許さないからな」
カズハの目から涙が溢れる。言葉にならず嗚咽になってしまう。
「ごめん、泣かせるつもりはなかった」
アキラはカズハの顔を覗き込む。それに気が付いたカズハは慌てて涙を拭う。
その手を掴み、もう片方の手で涙を拭う。その時に傷に痛みが走ったのか
アキラが少し苦悶な顔をする。
「…!アキラ、傷…」
「大丈夫。まだ少し痛むだけだから、みんなが上手く縫合してくれてるし大した傷じゃない」
そんなことはない。日本刀で左肩を抉ったのだ。それは傷つけてしまったカズハ自身がよくわかっている。カズハは血が滲むアキラの左肩に優しく手を置く。
「本当に…ごめんなさい…こんな怪我までさせてごめんなさい…!」
堰を切ったように涙が出てくる。その涙をアキラが優しく拭っていく。
「こんな怪我なんてお前がいなくなる事に比べればなんでもない。今後は些細なことでも話をしてくれ。あんな思いはもう。懲り懲りだ…」
アキラの苦しそうな顔を見たカズハは、そのままアキラを抱きしめる。
その抱擁をアキラも返し、しばらくした後お互いの顔を見つめそのまま唇を重ねる
恥ずかしさで上体を逸らして逃げようとするカズハの手にアキラは唇を押し付ける。
「こんな状態だから、完全に愛してはやれないけど…いい?」
アキラの言葉にカズハは頷くのみ。その様子にアキラは少し笑って、再度唇を重ねる。そしてそのまま、互いの存在を確かめ合うように夫婦らしい時間を過ごすために部屋の奥へ消えていくのだった。




