恐れ入りますが、男爵令嬢様。冷め切っていたのは、紅茶だけのようでしたわね
短編を投稿します、よろしくお願いします
紅茶が冷めていた。
数口飲んだだけで長いこと口をつけていなかったから、気づくのが遅くなってしまった。
今日は離宮で各家の親睦を深めるための夜会をしている。
夫であるアレクシス殿下はその場を利用して、今日も遠くで貴族たちに囲まれ、国の行く末について慎重に議論を重ねているようだ。慎重すぎるせいで、すっかり紅茶が冷めてしまったが。
「あら、レティシア様。せっかくの夜会だというのに、誰とも話さないのですね?」
くすくす、と周囲から笑う声が聞こえる。
振り向けば、数人の令嬢がこちらを見ていた。
中心にいるのは、確かミレイア男爵令嬢だったか。
最近、夜会で何度か顔を合わせている。けれど、まともに話したことはない。
私は昔から、人付き合いが得意ではなかった。無表情だとか、何を考えているのか分からないだとか。心配して声をかければ「命令された」と言われ、何かを断れば「人を見下している」と言われる。別に、人を嫌っているわけではないのだけれど。
……どうも、悪役令嬢などと私は陰で言われているらしい。もっとも私には悪役らしいことなんて一つも出来ないが。
ミレイアは私が飲んでいる紅茶の方に目をやった。
「まあ……!!お紅茶も冷めてしまったんですのね。アレクシス様は仕事熱心な方ですこと」
「え、ええ。夫は昔から仕事熱心で尊敬できる方ですよ」
ぎりり、と歯ぎしりの音が聞こえた。なぜだろう。昔から私はよく人を怒らせてしまう。
勉強は得意なのだが、人の言葉の裏を読むのはどうにも苦手だった。
「でも、あなたが悪いんですのよ。きっと仕事にしか興味が無くなってしまったの。……無愛想なあなたに愛想を尽かして冷めてしまったのよ……」
ミレイアの声とともに周りが沸く。この話を聞きたいものは思ったより多いのだろう。
「そう……まるで、その紅茶のように!!」
私はミレイアが差した方に自然に視線がよった。
「紅茶なら、今淹れ終わったところですが……?」
ミレイアが指差した先には、熱々の紅茶とポットを持つ従者。
私はその紅茶を一口含む。おいしい。柑橘系の香り。先ほどの紅茶よりも好きな風味だわ。
「ごゆっくりどうぞ」
そう言って、侍女は去って行った。
……もうあまりごゆっくりしたくないのだが、夫の仕事に国の行く末がかかっている以上、そうも言えないのがもどかしい。
でも、この紅茶はおいしい。私の好みを知っていて淹れたなんて、気が効くわね。
少し思索にふけってから我に返ると、ミレイアが呆然と見つめていた。
「えーと、何の話でしたっけ」
「な、何でもありませんわ」
ミレイアは咳払いをすると、私の机をじろじろ見始めた。
「そのお菓子。……高級店ではあまり見かけないものですわね」
「え?」
ふ、ふふふ、と気色の悪い笑みを浮かべ始めるミレイア。
「しかもあなたの机にしかない!!これはあきらかに何かしらのサインなのではなくて?」
また訳の分からないことを言い出した。
……でもそういえば、見慣れない菓子だな。それを手に取って包みを開いてみた。
これは……!!
私は夫と行った海外旅行を思い出した。婚約前に最後の自由ということで、二人で思い出を作りに外国へ行ったっけ。
そのときに食べた林檎の焼き菓子。あれは絶品だった。正直、王都のどんな菓子よりも美味しかった。
もう私は王都を空けるわけにはいかないので、記憶から封印していたのですが。
それが今目の前にある。何で?どうしてここにあるのかしら。
私はそれを口いっぱいに頬張る。生地の中から、林檎の素材の味を生かした豊かな甘みと酸味が口の中で弾ける。
やっぱりおいしい。
これがまた王都で食べられるなんて。手配した方は一体何者なの……?
……ああ、また考え事をしてしまった。
「え、えーと、何の話でしたっけ」
ミレイアはぷるぷると震えながら細かな青筋を立てていた。
「随分とおいしそうに食べるんですね……」
「ええ、夫との思い出の味だったので、つい」
その言葉にまたもや歯ぎしりをするミレイア。ああ、また怒らせてしまった。無愛想だとよく言われるから、気を遣うよう心がけているのに。
そのとき、ひゅうと風が吹いた。
「寒……」
思わず私は両手をすりあわせた。
王都の冬はよく冷える。昼間はまだ過ごしやすかったのに、庭園から吹く風は思っていたより寒かった。
ちらりと夫の方を見るミレイア。夫はまだ仕事に熱中しているようで、会議は終わる気配がない。
「まあ、まあ!!ずいぶんと寒そうですわね!?愛する方が寒そうにしていたら、普通はご自身の外套くらい……」
ぱさ、という感触がした。
暖かい。目の前にはさっきの有能な侍女がいる。
「ちょっとあなたねぇ!!さっきから私の邪魔ばかりして何のつもりかしら!?」
「え、邪魔……?私はただ指示に従っただけですが……」
その言葉に侍女が少し困っている。ミレイア。侍女の方を困らせるのはやめなさい。
「きーっ!!言い訳はよしなさい!!あなたが気を利かせるばっかりに、私の言葉がうまく決まらないでしょう!!」
激高するミレイア。
私の言葉がうまく決まらない?
紅茶。お菓子、外套。共通点はどれも夫との仲の話で、私が困りそうなこと。……ああ、なるほど。ようやく気づいたわ。違和感の正体に。
大体、今までずっと疑問に思っていたのよ。
夫が仕事熱心なことと紅茶がなぜ関係あるのか。お菓子が皆と違っていたらなぜ夫が私を嫌っているサインになっているのか。そして、私に外套を貸さなければ夫が愛していない証明になるのか。
意味が分からなかったが、ようやく線が一つに繋がった。
つまりミレイアは私に夫とは関係が冷めてしまっているのではないか?と聞いていたのだ。
「アレクシス様が目の前にいるというのに……!!」
またもや歯ぎしりをするミレイア。なぜ夫にここまで情を向けようとするのか。
私は、直感的な駆け引きが苦手だから、皆が感覚でやっていることを、行動から一つ一つ推測しなければ判断できないのだ。
ミレイアの表情、今の言動、そして最近の夫に対する甘えるような行動から推察するに、王妃の座を狙っているというところかしら。
応援する取り巻きもいることから、つけあがっているのね。
……私は特段派手というわけでもないから、王妃の座を狙うようなミレイアのような女は少なくない。
私はいつもこんな役割。
私は公爵令嬢で王太子妃という立場、そして元来の無愛想な性格から、恐ろしい女という扱いを受けて、いつも孤立している。
「レティシア様……もう、殿下の心を縛るのはおやめになってはいかがですか?」
怖―い、などとはやし立てているのは、ミレイアのお友達なのかしら。
ミレイアはきっと正義の味方をしているつもりなのでしょう。周りの令嬢たちも、私のことをよくは思っていないのでしょうね。
正直、こんなのはいつものこと。
そう諦めていると、夫が立ち上がった。どうやらようやく会議が終わったみたいね。
「アレクシス様……!!」
ようやく自分の待ち望んだ展開が来た、とでも言いたげな顔だった。
「いいですか?レティシア様。殿下にふさわしいのは誰かってことを、目の前で見てくださいね!?」
夫は前だけを見て歩く。こういう無骨なところは昔から変わらない。立ち姿だけを見ると何を考えているか分からないと思う。
だが、夫の考えていることくらいは私には分かる。
「アレクシス様。ちょうどよかったですわ!!私、レティシア様と少しお話をしていたんですの。最近お二人の仲が……」
ミレイアのことを一瞥すると、その間をするり、と抜けていった。
「レティシア」
変化の少ない顔だが、わずかに眉が少し寄っている。ここから感じ取れるのは、心配ね。
なるほど、道理で。
私は羽織った外套を外すと、夫の手元に返した。
「おかげで、すっかり暖まったわ。……これ、あなたのですよね」
「ああ。震えていたのを見かけたから、侍女に持たせたんだ。お前の場所は暖炉から遠い。風邪を引くといけないだろう?」
夫は外套に腕を通しながら口を開いた。
「いつも待たせて申し訳ないな。法務に文書通訳に、予算管理、お前にはいつも迷惑をかけている。せめて紅茶くらいは、とは思ったんだが……」
その言葉に侍女の異様な気の効き方に合点がいった。
すべてこの人が指示していたのか。仕事をしながら、私の細かな変化に気づいて。
「……そういえば先日、異国の菓子を買い付けたな」
夫はちら、と私の皿に視線を落とすと、ほんのわずかに口元を緩めた。
やっぱりあなたが手配したのね。大体勘付いていたけれども。
「ええ、とてもおいしかったです」
そう答えると、夫は満足そうに頷いた。
「それはよかった。昔、旅先でお前が気に入っていたと思ってな」
夫は何でもないことのように答える。
「……そんなことまで覚えていらしたのですね」
「まあな」
あまりにもさらりと言われて、私は少しだけ目を伏せた。
婚約する前、二人で訪れた異国。あの頃は、今のように毎日が公務に追われているわけでもなかった。市場を歩いて、珍しいものを見つけては笑って。
気になった菓子を見つければ、二人で分け合って。
そんな些細な出来事の一つ一つを、私はもう遠い昔のことだと思っていた。けれど、夫は覚えていたのだ。
それがなぜなのかはいくら考えても分からなかった。
私の方が賢いはずなのに。
私だったら会議にあんなには時間はかからないはずなのに。
なぜこの方は鮮明に覚えているのかしら。
私でさえ忘れそうになる、些細な記憶を。
「……本当に、よく覚えていらっしゃいますね」
「お前のことだからな」
夫はその言葉に一瞬、目をそらした。
私はなぜか言葉が出なかった。言葉にするには難しいが、なぜか言いようのない感情が私の胸の奥をじんわりと暖かくさせる。
「帰ろうか」
「はい」
私は元いた場所を一瞥する。
そこにいるのは呆然と立ち尽くすミレイアと、取り巻きの令嬢。
先ほどまで散々話しかけられてきたが、仲がいいというわけではない。
……こんな場所に長居する必要も無いか。
「恐れ入りますが。男爵令嬢様」
夫が去って行ったのを確認した後、私は微笑んだ。
「先ほどから長々と何かおっしゃっていたようですが……」
その言葉にミレイアの顔が引きつった。
ああ、可哀想に。夫にすり寄っても微塵も相手にされないミレイア。
動揺を表に出さないように必死にしているようで、あの減らず口は姿を消してしまったようね。
ふと、私はミレイアが最初に言った決めぜりふのようなものを思い出した。
「紅茶が、何でしたっけ?」
「ぐ……」
もうこれに懲りてちょっかいを出してこないで欲しい。
ミレイアは関係が冷めていると言いたかったのだろう。だが私は夫との関係だけは冷めていない、これだけはなぜか考えなくても分かる。
だから私はこう言い放った。
「冷め切っていたのは、紅茶だけのようでしたわね」
ミレイアは拳をぎゅっと握りしめた。悔しさに震えているのでしょうか。
あら、また人を怒らせてしまいましたね。
私が何も言わずとも現実が上書きする。まあ、最初に言い始めた時点でどうせこうなるとは思っていましたけど。
「では失礼」
そうして私は夫の後を追いかけたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!!




