第2話 国境侵犯
陽はまだ高く、国境地帯は冬の陽光に照らされていた。
灰色の鋼鉄の巨体が、丘陵地帯をゆっくりと進む。
王国軍の最新式マナダイト駆動フレーム――そのコクピットに、ミリア・クラウスは身を預けていた。
通信機からは、軽やかな声が届く。
『おい、ミリア。そっちは異常なしだな?』
「ええ、エリアス。こっちも鳥の群れくらいしか動きはないわ」
モニターに映るのは、哨戒に出ているもう一機のフレーム。別の哨戒部隊所属、その操縦桿を握る青年――エリアス・ヴォルクナーは、白い息を吐きながら笑った。
個別通信でのやり取り。違反ではあるが婚約者であるミリアとエリアスについては、これが黙認されていた。
『やれやれ、こんなに静かだと居眠りしちまいそうだ』
「国境警備は退屈なぐらいがいいのよ」
『そう言うなよ。退屈な任務が続いたら、結婚式の日取りだって早められるかもしれないだろ?』
「……ふふ、それは悪くないわね」
つかの間の静けさ。
だが、その瞬間――モニターの端が真紅に染まり、警告音が鳴り響く。
『ミリア、反応がある! 北東、三キロ先――帝国軍だ!』
視界の端に、複数のフレームと装甲車両が現れる。
その先頭に立つ漆黒の機体。その肩部ランチャーに装填された弾頭を見た瞬間、エリアスの声色が変わった。
『弾頭……見たことがない型だ。装甲貫通弾じゃない、これは……』
砲口が閃光を吐いた。
次の瞬間、白く濁った霧のような粒子が一帯に拡散し――フレームの駆動系が一斉に沈黙する。
『……!? な、なんだ……動力が落ちた……! マナダイト反応ゼロだ!』
焦った声。警告灯が赤く点滅し続け、エリアスの呼吸が荒くなる。
『くそっ……起動しろ! 動けよ……! なぜだ、エネルギーが吸われて……!?』
「エリアス、落ち着いて!」
『ダメだ……操縦桿が……応答しない! ミリア、全機に――』
その言葉の途中で、通信が激しいノイズに呑まれる。
耳に残るのは、途切れ途切れの呼吸音と、最後の叫び。
『ミリア――ッ!』
霧が視界を覆い、モニターは暗転。
残されたのは、鼓動の音と、冷たい沈黙だけだった。
ミリアは震える指で通信機の周波数を切り替え、何度も送信スイッチを叩いた。
「エリアス! 応答して! ……エリアス!」
返ってくるのは、耳を刺すノイズだけ。
アンチマナダイト粒子が霧のように漂い、機体の計器は無反応のままだ。
心臓の鼓動が早まり、胸の奥に冷たいものが広がっていく。
「……嘘よ。こんな……」
拳で通信機を叩く。
しかし、その虚しい衝撃音だけがコクピットに響いた。
外の景色は白い霧に覆われ、味方機の影すら見えない。
不安と焦燥が、喉を締めつける。
「誰か……応答して……!」
その祈りのような声も、冷たい機械の沈黙に吸い込まれていった。
――――
――同じ頃。
国境から南へ十キロの小さな村。
カイは、同年代の仲間たちと山道を登っていた。
澄んだ空気と、遠くまで見渡せる青空。
彼らの話題は、数か月後に迫った成人式のことだった。
「成人したら、この村を出て軍に入るんだ」
「そうだな。国境は危ないけど、やっぱ男なら軍人だろ」
「カイ、お前も行くだろ?」
問いに、カイは少し俯き、ゆっくりと首を振った。
「……俺は行かない。両親が眠ってるこの村に残る。それに……戦争なんて怖いし」
一瞬の沈黙のあと、笑いが起きる。
「ははっ、何だよそれ! 腰抜けか?」
「それでも男かよ!」
からかいが続く中――。
遠くから鈍い爆音が響き、全員の笑いが止まった。
振り向けば、北の空に黒煙が上がっている。
稜線越しに、帝国軍の鋼鉄の巨影と、村へ向けられた砲火が見えた。
「……っ!」
カイを嘲っていた少年たちは、その場に釘付けになり、足がすくむ。
だがカイは迷わなかった。
胸に浮かんだのは――村に残してきた、祖父ガルドの姿。
「じいちゃん……!」
熱くなる胸を押さえ、カイは山道を駆け下りた。
戦火へ向かって――。




